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漢字のやくわり

ドキュメント内 専門語の諸問題 (ページ 83-88)

第2章  学術用語の国際比較……一

第5節  漢字のやくわり

 日本の学術用語のおおくが漢語であることは,それがむずかしい1つの原 因になっている。しかし,漢語が漢字でかかれることは,すでに漢字をしっ ているものにとっては,つぎの2つの点で意味をとりやすくしている。

 1)漢語には岡音の形態索がおおいが,漢字をつかうことで,その1つが   えらびだされる。たとえばkak:uという音が「角」という漢字でかか   れることで,「各,拡,格,核,確,覚,較,閣,隔,革」など,ほか   のおおくの形態素ではなく,まさにこの形態素であることがたしかにな   る。

 2)漢字が調をもっているために,漢語はこの訓(和語)とむすびつく。

 このうち,2)は学術用語を基本語いとむすびつける。調はたいてい基本 的な和語だからである。 1)の二三は,同音語を区別する不三二つづりとし てのやくわりをはたすにすぎないが,2)は,意味をしめすための手がかり として,もっと積極的にはたらく。このことを考えにいれて,物理学用語の 意味づけの度あいを,もう1度計算しなおしてみよう。

 たとえば,躬翫コ計」ということばは,「9N.J「口」「蘭口」1 計」などの要:

       第5節漢字のやくわり 79 素が,さきに規定した範囲の基本語5,039語のなかにないから,全体として 意味づけられていないもの,というグループに属する。ところが,「ひらく

(開)」「くち(口)」「はかる(計)」という和語は基本語いのなかにあるから,

「關口計:の各漢字を訓でよめば,意味づけが生ずることになる。また,「検 糖辞」は,「検」「糖」に訓がなく,「誹」に訓があるから,意味づけのない グループから部分的に意味づけられたグループにうつる。ただし,ここで,

つぎのような作業規則をもうけた。

 1) 訓のあるなしは,当用漢字音訓表(1978年に改定・増補されたもの)を基   準とする。

 2)訓があっても,それがさきに規定した基本語いの籔囲にないばあい   は,意味づけをみとめない。

   例: 華甲(おとろえる)

      偏差(かたよる)

      ガス入り管(くだ)

      双極放射(いる)

 3) 訓が漢語の意味とあまりにはなれていて,意味をしる手がかりになら   ないばあいは無視する。

   例: 標準方程式(ほど)

      方位角(くらい)

      拘束:(たば)

 このようにして意味づけの判定のかわったものが,付表1の物理学用語

(p.246)で*をつけた用語である。*1つは1段階,*2つは2段階,それ ぞれ意味づけのある方へうごくことをあらわす。たとえば,

  瀾口計綜 〈意味づけなし〉からく全体として意味づけあり〉へ   検糖計* 〈意味づけなし〉からく部分的に意味づけあり〉へ

  連続体* 〈部分的に意味づけあり〉からく全体として意昧づけあり〉

        へ

 このような修正の結果を,さきにえた結果とならべてしめすと,つぎのよ

80第2章学術用語の国際比較 うになる。

露語購箏む

英語

 (意味づけ)

な  部  全 し 分  体

llll19

16  27  57

ここから2つのことがいえる。

60.0 36.0 29.5

 第1に,漢字の訓が学術用語を意味づける,つまり基本語いとの関連をつ けるのに,かなりおおきなやくわりをはたしていることである。

 第2に,その訓のはたらきをかんがえても,すくなくとも物理学用語につ いていえば,まだ英語よりは基本語いとのへだたりがおおきいことである。

 漢語が漢字でかかれることによって基本語いとむすびつく,という現象は,

理論的にはどう位置づけられるべきものだろうか。表音文字の世界には,も ちろん,このような事実はないから,音声言語およびその表音文字による定 着としての文字言語だけにもとづいて発達した欝語学には,できあいのこた えはない。一方,この点について,本質的・一次的なのは文字(漢宇)であ って,音・訓という形での音声形式はその現象形態にすぎない,とする森岡 健二氏や鈴木孝夫氏の論もある。しかし,これはやはり話が逆であって,一次 的なのは,あくまでka圭(ko:ke:)なりhirakuなりの音声形式であり,そ れが「開」という表意文字によって一定の関係でむすばれているのだ,とみ るべきであろう。この関係がここでいう「意味づけ(mot圭vation)」である。

 m◎tivation(動機づけ,有契性)は,いわゆる「言語記号の恣意性」を前提 とし,これを部分的に修正するものである。ウルマンはこれをつぎの3つに わけている。(由口秀夫訳「意味論」964年,p・89〜92)

 音声的一cuckOOなど。

 形態論的一一1eader, blackbirdなど。

 意味論的一一the foot of the hillなど。

       第5節漢字のやくわり 81  これらは,すべて,ある現象がなぜそうよばれるのかという理由をあたえ

るものである。ある人がleaderとよばれるのは,それがleadするものだ

からであり,ある場所がfootとよばれるのは,それが人体のf◎otとにた 位置にあるからだ。これになぞらえていえば,aerofoilにあたる日本語が

jokuであるのも,理応がある。すなわち,それはtsubasaとおなじ漢字

でかかれるからである。こうして,表意文字が,意味的にちかい,2つのち がった語(異形態allomorphではなく)の表記につかわれるとき,ウルマンの

たてた3つの型にくわえて,第4の型のmotivationが生じる。

 漢字による意味づけは,文字力や文字生活の度あいに応じて,個人差がおお きいとおもわれる。しかし,これは,ある程度まで,ほかの型の意味づけについ てもいえる。the foot of the hi1}という表現がよびおこす形象姓は,人によ

ってちがうはずである。現代かなつかいでmotozukuやhizumeのzuを

「ず」でかくかFづ」でかくかがきめにくいのも,これらが「つく」「つめ」

によって意味づけられているかどうか,あいまいであるためにほかならな い。d3ido:∫aという単語をおぼえた子どもは,はじめのうち,この単語の 意味はしっていても,その意味づけはしらない。子どもにとって,それは kurumaやka:と同様単純語である。やがて, deN∫aをおぼえ, d3iteN∫a をおぼえるにつれて,∫aが意味をもった単位として分析されるようになる。

これがkurumaとおなじ「車」とかかれる要素であることをしるととも

に,この要素は漢字によって意味づけられる。この意味づけは,表記形式を

とおしているという点で2次的であり,パラつきがおおきい点で不安定であ る。しかし,ときとして(たとえば,新語をつくるさいに)それはおおきな役わ

りをはたす。漢字による意味づけは,形態論的な,または意味論的な意味づ けとおなじように,その単語の意味自体ではないが,すくなくとも知的エリ ー}にとっては,意味をしる手がかりをあたえる。意味づけられているとい うことは,べつの表現でいえば,その単語が透明なこと,その単語の内部形 式があきらかなことである。これが新語の理解にとって有利なのは,いうま でもない。

82 第2章 学術用語の国際比較

 この線を延長してかんがえると,外国語の知識の普及といったことも,社 会的には,意味づけとおなじような役わりをはたしているといえるだろう。

よく普及した外国藷の単語は,外来語として自国語のなかにつかわれても,す ぐにわかる。それは,ちょうど,基本的な単語からなる複合語の意味がわか りやすいのと,おなじことである。ヨーUッバにおけるラテン語の普及は,

科学・技術用語をつくる学者たちにとって,ラテン語からの造語が自国語の ばあいに準じてみえるほどだった。漢文という形での古代中国語についての 知識も,江戸時代のインテリにとって,これとおなじだっただろう。英語教 育が漢文教育にとってかわるにつれて,社会的に意味づけられた新語も,漢

      一   e   一   一   一   e   −   e       一   t

語から英語系外来語にかわっていった。おなじヨ・一・Wッパ系外来語でも,臼 本での教育が普及していないロシア語やスペイン語からのものは,社会的に 意味づけられている,とはいえない。

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