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ドキュメント内 一 宮 町 の 歴 史 と現 代 (ページ 153-156)

(2) 中川にかける水利 の争vl

には .享保15年(17 28 )には井的が4カ所 にあ ったQ その中で僻に争 いの中心 となった

。が折 井 閑 と松。井手 である

(馴 紳 )輸所温 名称の示 す様 絹 も争 いの頻発 した所 であ るが .これは臨時 に設 け られた井 関で あ って設悦 のたびに下寄賀村 と松尾村 とが健棒 に関 して対立 し たのであ ったO現在 をか この開延 は完全 に解 決 していない ようであるa

もともと松 の井手 の用 水確は下芳郎 寸にあ ったが松尾 ‑ は全然水 を流 言をい とV,うことではな くて . 日照 Dや早魅 の時には撒 き水 を許 してV,る。 この井手 が作 られた時は上菅賀 ・下芳賀両村 の井 腕で あ ったが ,やがて砕尾村が水不足 を理由に余 b水 を流 して くれ るよ う申 し出た ことに エb ・井関か ら松 尾 の田へ水が流れ る梯 k:脚 を

b継いで .余水だけは松尾村へ流 れ るように したので あ ったD

そ の時の きま 加は上 記の史料典の 古文

に よれ ば .

ちにあった ことを主張 して価突 している, その打開紫と して新地 の構築 とい う方法 を持 ち出 してい るQ しか し ,他の子棚 の計画 がなか衣か立た75いため松尾村は護 に下書賀村が債 き水 をすることにつ き脅 迫の様 な態度で中止 を迫 まってV,る, もともと柿板用水の絶対丑 が少ないのであるか ら下芳賀 とて も 池水を川筋エb環か 夜ければ用 水を取 る方法はな く田は早魅 と在って しまうのであるoやがて この間 題は .明暦年中に芳賀村 に新地ができたことに Ib .ある程匿 まで解消 した ものの ,部落の端 に位置 す る安 田 .カウラヤまでは十分用 水が届か夜Vl状感 であった一 そのため罪政 9年( 1 79 7 )には両 村 に多数 のけが人を出すほ どの争議 も起 ったのである。 同年松尾 .下芳賀両村

よb

出された馴 しい意 見啓 5) に 上れば ,つ ぎの様 であった0枚尾村 が雷 うに仕 .松 の井手 比 もともと松尾村 の井 関であ っ て用水は全部われわれの ものであるOそ して井園の普甜 など もわれわれがや って きたOそれ なのに下 芳賀は先年か らことわ りも7iT・く日周Dの時 との井関か ら疎 さ水 をするので .われわれは田地が早魅に なb困 ってい るとい うことであ ったD末だ正式の契約野 もなか ったので村役人相談 の上 ,下の棟 に契 約 した。

1・ 安 田渡 b井

A上砂川流水相上碍‑下芳賀 !水瓶 可 申侯O尤少 々流水御座 候 共努賀村古池新 地水落切御田地格別及畢魅旋‑ .'両村立会見分之上水様 可申候。尤石井

る凡弐拾三 ・四聞上 迄者下号賀bL水積償 汲岡持仕べ く亀 但流水相当〆軌 rli滞 。江水掩候節‑香水二仕二 日二夜 松尾村一 日一夜下背想水棟候様破仰同債。

8月に入bこの契約 に村内の姓氏が不満 を申し立て るとV'う理 由か ら下菅賀名主安五郎は .下に示す 2つの碩 目を付け加え奉行にその許 可を乞 うているかす ぐには決着はついていをVIQ

l・ 証文こノ、無之碍候共 カウラヤや久保.田‑以前之通 ,松の井手水懸 b掻上候幾 も勝手 次第之番o l・閥 7月11日並2 1日大庄屋 中御見分之節 も癒尾村 名度 々 申1 候 通 .牛廻 b古ノ、勝手次第

水鶏可 申払

下普賀村は文化7年松の井手 に舶す る偽を後尾村に守る様再匿厭苛 を提出 したo

同年7月野殿 ・辛川市場 ・栢谷 ・佐 山の4カ村の名主 が争いの場所へ集 まb見分の上,下鵬 したo 松の井手へ抹今 まで通 D下芳賀の者 と入れ るべ きで .もし下芳賀の番人がそこに居 をければ松尾村 の ものが関を切 って も文句を言 っては ならないo これ忙対 し松尾村紘不賛成 であるO 下芳賀は通常は そ うで もないが渇水の時 は法安 ・久保 田 ・カウラヤなどまで用水が届かないので ,松尾村 の要求は至 極迷惑 だと断 わ ってい るo つ まり,当村は "

9の租■か ら取 った水 を安 EElを過 って カウラヤや久保 田へ水を取 る予定であったが''渡Dの池 〟が今 もってできないので ,今 まで通b掻 き水をす る権利が あるとい う主張 なのである。

享保15年 と文化7年の契約が あるにもかかわ らず松尾村は約束 を破 って用水 を取 ってい るO 下 方にある松尾村は .い くら契約 は していても早魅 になれば ど うすることもできず何回で も約束 を敬 っ て掻 き水 をせざるを得なか った棟 であるD

安政5年し 18 5 6 )の大輪争 の兼にはや っとこの問題は解決 した様 であるO この年 ,御役人が出 張 され裁許が下されたので あるD つまD ,寄焚村の新地古池 の横棒は芳賀6分6厘 ・下芳賀5分5厘 とし ,床水 は苦 rc残 して

おく

ことQ 一波Dの池 "比翌年春 に完成 したのであるが .下奇 賀の所有に

‑ 15?‑

/

図5‑5‑ 2 下芳賀 ・松尾両村境介附近地名園

‑140‑

I ことOそ うすれば松尾 村の用水 も自然 と不足 しな く75るO この井牌 の 普甜夫役諸入用の半 分は当細 尾村が負担す ることb

その他 .1覇 の池 "は .万延2年( 18 62 )に完 成 し .守賀村が利用 する ことに72ったD大槌村 については .過去畳 々木地 ・家形池 ・どうどう鞄の5つを利用 していたが .きっと横尾池が完 成 して 水虫 が十

に在 ったのであろ うoそれは ち 上うど完成 した年 に最 も北 の堂 々木地 を浄福の留書村へ討

っていることか らそれがわか る。

71L=(i) 上 か ら題 目井関 ・旅所井関 ・松 の井手閑 ・下の井手関 の順にあ ったO下菅 賀村 は倣 自井関 か か ら松尾村は松 の井 手齢か ら用水 を取 ってvlたので あるが .水不足の時には:,2つの井鵬 の中間に臨時に論所井関 を設けて下菅賀 が用水 を取 った

D.

あるV,は題 目井関 の下方を菊 堀 Dして掻 き水 をす るので ,松尾はそのたびは紛争 を起 こしてい るO

注㊥

水内昌鹿氏桐典 の

「F

背賀 ・松尾両村水輸史料典」 である。

(C)俄か水 の争い

福谷五 反田にある五反 田井関の用水権 は宝暦 1 2年 には大国村 と芋川市場村5分 と5分で 日替 えに 使用 していたQ 明治2 7年夏の 日照 力続 きの後 .8月1 4日雷雨に よって猿谷 池に久 しぷDに水が潤 ったQそ こで n我か水は上 か ら」 を主張す る大犀 と 「随番」 を主張 す る辛川市場 の対立 が生 じ .大乱

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