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池袋:文化装置を活用した文化 振興は可能か? 振興は可能か?

第1節 消滅可能性都市を脱却するために

2014年5月に日本創生会議は「全国1800市区町村別・2040年人口推計結果」、通称

「増田レポート」を発表した。同レポートの中では、もし地方からの人口流出がこのまま 続けば、2040年までに若年女性層(20-39歳)人口が半数以上減少し、消滅する可能性が ある「消滅可能性都市」となる市町村896自治体がまとめられている。この中に東京23 区内で唯一豊島区が入っていたことが話題になった90。豊島区では同月中に豊島区消滅可 能性都市緊急対策本部を設置し、増田レポートの結果を分析し検討を行った。その結果

「子育て世代の区内定着率」という独自指標の策定や「女性にやさしいまちづくり」の推 進など複数の対策を豊島区は進めている。また、豊島区消滅可能性都市緊急対策本部は、

より継続的に人口減少社会に対応するための政策を考えるため、2014年8月に豊島区持続 発展都市推進本部へと発展した。

興味深いのは、豊島区が時速発展都市を考える際に、日本の推進力になるとして国際ア ート・カルチャー都市を目指そうとしていることである。そして、国際アート・カルチャ ー都市の構想中には、豊島区が女性オタク文化、中でも特にコスプレ文化を活用しようと いう意識が見て取れるのである(表 10)。

90 豊島区、23区で唯一の「消滅可能性都市」脱却へ 東京 - 産経ニュース

表 10 豊島区が掲げる持続発展都市対策の4つの柱91

①女性にやさしいまちづく り

52事業 41億4千万円

②高齢化への対応 29事業 8億9千万円

③様々な地域との共生 3事業 6百万円

④日本の推進力(国際アー ト・カルチャー都市関連)

39事業 6億2千万円

「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」は2015年3月に東京都豊島区が策定した ものである。同都市構想では、これまで豊島区が進めてきた「文化創造都市づくり」と

「安全・安心創造都市づくり」を統合させ、さらに発展させていくための新たなまちづく りの方向性が示されている92。この「豊島区国際アート・カルチャー都市構想」が注目に 値するのは、構想の本文中でオタク文化を明確に意識した記述が随所に見られるからであ る。芸術や文化を利用したまちづくりや地域振興は、全国のいたるところで行なわれてい るが、オタク文化を活用する形で、あるいはオタク文化も視野に入れた形でまちづくりを 進めようという自治体はごく僅かしか存在しない。その中でも、区内にオタクの聖地とし て有名な池袋を抱えている豊島区が、オタク文化によるまちづくりを名言したのであれ ば、そのインパクトは非常に大きなものとなる。豊島区の都市構想にはオタク文化以外の 芸術や古典芸能といったハイカルチャーに関する事項も含まれている。しかし、本章で確 認していく通り、オタク文化の比重は決して軽いものではない。

本章では同都市構想とオタク文化やコスプレ文化との関連に焦点を絞り、豊島区がこれ らの文化を活用して、どのようなまちづくりを目指しているのかを整理する。そして、そ のことを通じてオタク文化、特にコスプレ文化によるまちづくり政策の可能性を論じるこ とを試みたい。

91 次の豊島区ウェブサイトより筆者が作成。 持続発展都市を目指して|豊島区公式ホー ムページ https://www.city.toshima.lg.jp/012/kuse/1502231848.html

92 豊島区国際アート・カルチャー都市構想|豊島区公式ホームページ

http://www.city.toshima.lg.jp/002/kuse/project/artculture/1503241920.html

第2節 文化芸術創造都市としての豊島区

豊島区は東京23区の西北部に位置する特別区の1つである。面積は13.01平方キロメ ートルで、総人口は2015年6月1日現在279,473人となっている93。豊島区は、2008年 度に文化庁長官表彰「文化芸術創造都市部門」を受賞した。これは東京都では初となる快 挙である。高野之夫が1999年に豊島区長に就任してから、今日に至るまで、「文化による まちづくり」を豊島区は長年に渡って実践してきた。2008年度に文化庁長官表彰を受賞で きたのも、そうした豊島区の取り組みの一端が評価されたからである。本節では、文化芸 術創造都市としての豊島区について概観を行っていきたい94

1999年に豊島区長に初当選した高野は、豊島区で史上初となる民間出身の区長である。

高野は、政治家としてキャリアをスタートする前に、親の家業であった古書店を継ぎ、20 年以上に渡って古本屋を営んできた。1983年に豊島区議会議員選挙に出馬し当選。その後 1989年からの10年間は都議会議員を勤め、1999年4月に行なわれた豊島区長選挙に無所 属で出馬し初当選。今日まで15年以上の間、豊島区長として働いている。

高野が区長に就任した1999年当初、豊島区は23区の中でもワースト3に入るレベルで 財政状況が悪化しており、それを立て直す必要性に迫られていた。高野は聖域なき行政サ ービス改革を実行し、区が所有する施設の統廃合や職員の大幅な削減を行っている。その 一方で「文化によるまちづくり」も高野は開始するが、その理由を本人は以下のように語 っている。

縮小・整理だけで突き進むと、それこそ希望がなくなってしまう。豊島区が暗くな ってしまいます。行政改革に相反する形になるけど、何かやるとしたら文化しかな い。文化には「賑わい」があり、そして賑わいのないところには「文化」が育たない という思いがありましたから、文化政策を取り入れていこうというのが私の強い思い でした95

93 世帯と人口の最新情報|豊島区公式ホームページ

http://www.city.toshima.lg.jp/070/kuse/gaiyo/jinko/setaitojinko/1503171517.html

94 溝口禎三(2011)では、豊島区の文化によるまちづくりの歴史が丁寧にまとめられてい る。本章の記述も溝口のまとめをベースとしている。

上記のような思いを胸に、具体的に高野が取り組んだことは、まず豊島区在住の評論家 である粕谷一希に助力を求めることである。高野からの声掛けに応じ、粕谷は民間主導の 組織「ふるさと豊島を想う会」を発足させた。この会は「現在ある装置や環境を創意工夫 で十二分に活用し、これまで市井に隠れ、孤立している知識人たちが、分野を超えて連帯 し、相互の世界を理解し、協力して新しい構想力を生む」ことを目的に、二ヶ月に1回の 会合を豊島区内で重ねた(溝口 2011: 40)。この会をきっかけに、豊島区内の知識人・文 化人の間で人的ネットワークが生まれていき、区内で大小様々な動きが発生することにな る。また同会は、区の文化政策に密接に関与し、2002年9月に設置された区の文化政策の 基本構想を提言する「豊島区文化政策懇話会」の委員にも粕谷が就任している。

さて、上記のような民間主導ではなく、豊島区が主導する文化政策はどのようなもので あったか。豊島区は2003年に「豊島区基本構想」を策定し、その中ではじめて「文化に よるまちづくり」を基本方針の1つとして打ち出している。また、この基本構想に具体化 するため「豊島区文化政策懇話会」が設置され、2004年には同懇話会から「豊島区の文化 政策に関する提言」が出された。さらに翌年2005年には、豊島区区議会の全会一致議決 によって「文化創造都市宣言」が採択された。この宣言に基づき、2006年に文化芸術振興 条例を制定し、文化芸術振興に関する区の責務や支援方法を明らかにした。文化庁長官表 彰の受賞に至るまでには、こうした豊島区の一連の文化政策の流れが存在する。これらの 文化政策の中では、オタクやコスプレについて全く言及がなされていないが、こうした豊 島区の文化芸術創造都市としての基本姿勢の延長線上に、「豊島区国際アート・カルチャ ー都市構想」が位置づけられることを確認しておきたい。

第3節 豊島区とオタク文化・コスプレ文化との関わり

豊島区に位置する池袋は、秋葉原などと並びオタクの聖地の1つとして世間に知られて いる。それでは池袋は、どのようなオタクの聖地なのであろうか。一言で表現すれば、池 袋は女性オタクの聖地である。池袋の中でも、東池袋にあるサンシャイン60ビルの西側 に、女性オタクのための専門店が集積する「乙女ロード」と呼ばれる一帯があり、そこが 聖地の中心として機能している。ここでは森川嘉一郎の2006年の論考(森川 2006)をも とに、乙女ロードの歴史を確認していくこととしたい。

東池袋にマンガやアニメ関連の専門店が存在していたのは、秋葉原よりもずっと前から であるという(森川 2006: 74)。たとえば現在も池袋に本店を置くアニメ専門店、アニメ イトがサンシャイン60ビル前に開業したのは1983年のことである。80年代当時は「ア ニメブーム」という呼び名でアニメがビジネス的に注目された時期であり、アニメイトは