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本章では、本論文で使用する分析概念である「文化装置」に関して検討を行う。まず社 会学者のクロード・S・フィッシャーが作り上げた「下位文化理論」に注目し、特にその 中で使用されているinstitutionsという概念について検討を行う。

次に山口昌男や増淵敏之らによって使用されてきた文化装置という概念を取り上げる。

これまで明確に定義されることなく使用されてきた文化装置を、先述のinstitutionsと接合 させることで、都市空間内の施設やサービスといった場所と文化との関係を記述する道具 としての文化装置概念の確立を本章では目指す。

第1節 なぜ文化装置論が必要なのか?

世の中には、都市に特定の下位文化が結びついた空間が存在している。たとえば、本論 文で取り扱う秋葉原には、後に見ていく通りオタク文化が根付いている。同様に、原宿に はロリータやカワイイ文化が根付いていたり、海外に目を向ければ、オランダのアムステ ルダムは世界的なナイトカルチャーの拠点だったりする。このような都市空間と下位文化 との結びつきを記述するための道具として文化装置論は企図される。その意味において、

人間のコミュニケーションに注目するのではなく、文化が根付く場所やそれを実現する都 市の要素に注目するという意味において、本論文は地理学や都市工学に問題意識が近いと 言えよう。

これまでの議論には、これまで個別地域と下位文化との関係を説明するもの(岡村

2011; 森川 2003など)、ある施設が地域の下位文化に果たす影響を明らかにするもの(玉

村 2013など)が存在する。しかし、それらを横串で繋ぐ議論は管見の限り存在しない。

ところで、日本では過去にハコモノ行政が問題化された。これは博物館や劇場などの公 共施設を行政がただ作るだけで有効に活用されない場合に、税金の無駄だと批判がなされ たというものである。近年になって、指定管理者制度を導入し民間の経営手法を導入する ことで、状況を打開しようとしてきた。しかし「民間経営に移行したからといって、必ず

成功しているとはいえないのも実情」8との指摘がなされている。他方で、そうしたハコモ ノが文化を生み出すという言説も根強く残っている。森啓(2009)は、まちが文化的にな ることを次のように定義する。

まちが文化的になるとは、そこに住む人々のライフスタイルがゆとりあるものに変 わり、まちの雰囲気が潤いと楽しさのあるものに変容することであろう。(森 2009:

37)

その上で、文化ホールが「変容の拠点」になれば、まちが次第に文化的になると森は主 張する。それでは、文化ホールはどうすれば変容の拠点となるのだろうか。高崎市や藤沢 市などの「文化の見えるまちづくり」を目指す都市から導き出された条件は次の3点であ る。まず行政の出先機関となっている文化ホールの行政内位置を変え、文化ホールの事業 を現場で考案できるようにすることである。次に市民・文化団体と文化ホールの関係を変 え、まちを変容させる主体たる市民が文化団やホール職員と協働して文化ホール運営を行 えるようにすることである。最後に森が挙げたのは「人が育つ」ことである。文化ホール を運営する行政職員は、人事異動で交代させられるため、たとえ意欲と情熱のある職員が 着任しても次の後任者にそれが継承されるとは限らない。そこで意欲と政策能力のある人 材が育つ仕組みが必要というわけである。

以上の3点が、文化ホールがまちを文化的に変容させる条件であると森は言う。なるほ ど、森の主張には首肯できるが、この議論は文化ホール以外の施設に適用できるとは考え 難い。特に行政が有しているという文化ホールの特性を踏まえた条件であり、民間の運営 するホールや施設には適用できないだろう。また民間の施設は森が挙げる条件を潜在的に クリアしているはずだが、その中でも成功と失敗が存在することを考えれば、森の主張が 普遍的なものとは言えない。

行政が有する施設には文化ホールに類するものもある。たとえば、公民館では定期的に コンサートが開催されたり、市民向けの文化イベントが開催されたりすることも多い。そ して、現実にはどちらも特定の下位文化を振興するのに貢献している。しかし音楽劇場や 文化ホールは「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」で管理されており、公民館は「社

8 【関西の議論】変わる「ハコモノ行政」大阪城、駅前図書館、文化ホール…“民間の知 恵”導入で変わる公共施設の光と陰 (1/5ページ) - 産経WEST

会教育法」で規定されているというように、もともとのその想定される役割は異なってい る。

上記のような問題を解決するためには、どのような機能が都市空間の中に文化を定着さ せるのかということを明らかにする必要があるだろう。機能面から捉えることによって、

官民や施設の種別を超えた議論を行うことが可能になろう。

上記のような目的をかなえるために本論文は文化装置論を構築する。

第2節 下位文化理論

社会学者のクロード・S・フィッシャーは、都市部における人々の社会的生活について 研究を行った。特に、都市部が非都市部と比べた時に逸脱行動がよく見られるという事実 を説明する方法の改良を”The Subcultural Theory”――日本語訳は「下位文化理論」――と して打ち立てた。下位文化理論は、大きく4つの命題からなるものである。①場所が都市 的になればなるほど、下位文化の多様性は増大する。②場所が都市的になればなるほど、

下位文化の強度は増大する。③場所が都市的になればなるほど普及の源泉の数が増加し、

下位文化への普及が増大する。④場所が都市的になればなるほど、非通念性の発生率は高 くなる、という大きく4つの命題からなるものである(Fischer 1975=2012: 136-46)。

ここでいくつか確認しておきたいことがある。まず「ある定住地に凝集する人びとの数 が多ければ多いほど、その場所は都市的である」(Fischer 1975=2012: 135)と記述してい ることからも明らかなように、フィッシャーは「都市的」であることを、人口の集中との 関連だけで定義している。都市と村落を分けるものは人口の大小でしかない。そのため上 記4つの命題の中に登場する都市的という語はすべて人口の集中と同義であると読むこと ができる。

次にフィッシャーが用いる下位文化という言葉の意味は、前章でも紹介した通り「より 大きな社会システムと文化の内部にあって、相対的に独特の社会的下位体系(一組の個人 間ネットワークと制度)と結びついている一組の様式的な信念、価値、規範、習慣」とさ れている(Fischer1975=2012: 135)。訳者によって”Subculture”という言葉は、下位文化 とサブカルチャーの二つの訳語が当てられているが、本論文では我々が日常的な意味で使 用するものをサブカルチャー、学術的な意味のものを下位文化と使い分けることは先程述 べた通りである。なおフィッシャーの下位文化に対する定義は、本稿で採用する難波の定 義と大きくは変わらないものである。難波に依拠した本論文でのサブカルチャーの定義 は、「通念的文化に対するサブカルチャー」のことであり、「その社会において、ある人々 によって異物として認識され、あえて名指さざるを得ないウェイズ・オブ・ライフのまと

まり」であった。これと上記のフィッシャーによる定義は矛盾しないものだと思われる。

フィッシャーの定義はより抽象的なものであり、それをより具体的に定義したものが難波 のものとなろう。

そもそも、フィッシャーは都市内部に見られる非通念的行動を説明するために下位文化 理論を打ち立てた訳であり、サブカルチャーは非通念的なものとして想定されている。同 様に、難波の定義も、通念的文化に対するサブカルチャーであり、そこではサブカルチャ ーが非通念的なものという定義になる。より細かく対応関係を見ていくと、難波の「その 社会において、ある人々によって異物として認識され、あえて名指さざるを得ない」がフ ィッシャーでの「相対的に独特の」にあたり、「ウェイズ・オブ・ライフのまとまり」は

「一組の様式的な信念、価値、規範、習慣」に対応する。

フィッシャーの下位文化理論をより理解するために松本康(2012)の議論に注目した い。

アーバニズムは、生活課題やライフスタイルを共有する人びとの相互結合を促進 し、内的に同質で外的に異質な多様な社会的ネットワークを生み出すのである。下位 文化は、まさにこうした社会的ネットワークに支えられて成立する。(松本 2012:

164)

松本は、ネットワーク理論の観点からフィッシャーの下位文化理論を整理し直す。他 方、難波功士は、フィッシャーの下位文化理論を「アーバニズムが、(単なるアノミーに 帰結するだけではなく)特徴的なサブカルチャーの出現と活力を支える」(難波 2007:

27)と評した上で、その特徴を「人々に関するものというよりは、場所についてのもの」

(難波 2007: 28)としている。この2つの議論は矛盾するものではない。つまり、下位文 化理論は、社会的ネットワークが成立する場所に関する議論である。

さて、下位文化理論の中では、institutionsという語を用いて、下位文化(サブカルチャ ー)と都市空間の施設やサービスとの関係が記述されている。

基本的な市場メカニズムを踏まえると、規模が一定の臨界水準に達すると、社会的下 位体系は、その下位文化を構造化し、包み込み、防衛し、育むような諸制度

(institutions)をつくりだし、それらを支えることができるようになる。こうした諸