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前章まで文化装置論の理論的部分について議論を行ってきたが、本章では文化装置論を 使用し、実際に下位文化の分析を行いたい。本論文で題材として取り上げる下位文化はオ タク文化その中でも特にコスプレ文化である。そこで、本章ではまずオタク文化を取り上 げる理由および、その際に重要となるコンテンツツーリズムという視点について論じた い。

第1節 オタク文化を扱う理由

オタク文化を事例として扱うことを説明するためには、オタク文化がどのようなものか を説明する必要があるだろう。オタクという言葉は今日の日本においてある程度の市民権 を得た言葉であり、多くの読者はこの言葉を既に耳にしたことがあると思われる。オタク という言葉を改めて説明するならば、東浩紀による次の定義が参考になる。

コミック、アニメ、ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、フィギュアその ほか、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称(東 2001: 8)

東が定義中で用いるサブカルチャーという言葉はもちろん我々の日常的な語法としての サブカルチャーである。SFがジャンルとして下火になっていたり、アイドルやコスプレと いったジャンルが勢いを増していたりと細かな中身の変化はあるが、今日でも「オタク文 化16」と呼べる、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャーが存在しており、それら のファンはオタクとして認知されている17。その意味において東の定義は今日においても 通用すると言える。

16 東はオタク系文化と読んだが、今日ではオタク文化という言葉の方が市民権を得ている と思われるため、本論文ではオタク文化という呼称を採用する。

17 本論文ではオタク文化の中でもコスプレ文化を取り上げるが、コスプレイヤーの多くは アニメやマンガ、ゲームを愛好している。

では今日においては、どのようなものが一群のサブカルチャーに含まれるのであろう か。そのことを検討するために、矢野経済研究所が2017年に行った「オタク」市場に関 する調査を参照したい18。調査の中では以下のものがオタク文化の具体的な内容として扱 われている19

アニメ/漫画(電子コミック含む)/ライトノベル/同人誌/プラモデル/フィギュ ア/ドール/鉄道模型/アイドル/プロレス/コスプレ衣装/メイド・コスプレ関連 サービス(メイド喫茶・居酒屋・マッサージ、コスプレ飲食店、コンセプトカフェ 等)/オンラインゲーム/アダルトゲーム/AV(アダルトビデオ・DVD、ダウンロ ードコンテンツ含む)/恋愛ゲーム/ボーイズラブ/ボーカロイド(関連商品含む)

/トイガン関連商品を扱う事業者、及び業界団体等

ここに挙がったもの以外にも「一群のサブカルチャー」に含まれるものはあるだろう し、そもそもこの分類が正しいのかについても議論の余地があるだろうが、今日のオタク 文化のあり方を理解する一助としたい。

さて、オタクという言葉が、そもそも世に出回るようになったきっかけは、中森明夫が 1983年に雑誌『漫画ブリッコ』上で「おたく」という語を使用したことにある20

それでこういった人達を、まあ普通、マニアだとか熱狂的ファンだとか、せーぜーネ クラ族だとかなんとか呼んでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういっ た人々を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してな いのではないかなんて思うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々は彼らを

『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ。

18 オタク」市場に関する調査を実施(2017年)プレスリリース全文 | ニュース・トピッ クス | 市場調査とマーケティングの矢野経済研究所

https://www.yano.co.jp/press/download.php/001773

19 矢野経済研究所によれば、一定数のコアユーザーを有するとみられ、「オタクの聖地」

である秋葉原などで扱われることが比較的多いコンテンツや物販、サービスなどをオタク 市場として捉えており、ここに挙がったものはそのうちの主要15分野だと言う。

20 『おたく』の研究 第1回 | 漫画ブリッコの世界 http://www.burikko.net/people/otaku01.html

中森自体もオタクをネガティブなものとして描いていたこと21、あるいは1980年代に起 きた宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件が生じたせいで、オタクという言葉は当初は負の イメージを帯びていた。

しかし、この言葉も35年以上の月日が経った現在では、ポジティブなものとして使わ れるようになっている。たとえば、アサツーディ・ケイが2014年10月に行ったウェブ調 査によれば、「あなたは、自分に『オタク』の要素があると思いますか?」という質問に 対して、「かなりある」または「一部ある」と回答した者は10代で74.3%、20代では

68.4%と、それぞれ7割前後の回答者が自分のオタク的性質を自ら認めた結果となってい

る(藤本 2015)。

また、辻泉と岡部大介は1990年に宮台真司らが大都市圏の大学生を対象に行った調査 と、その質問項目を踏襲する形で2009年に東京都杉並区在住の20歳の若者を対象に行な った調査の比較分析を行っている(辻・岡部 2014)。その中では、「自分には『オタク』

っぽいところがあると思う」という質問への肯定的な回答22は、1990年調査結果では

13.4%だけであったのに対して、2009年調査結果では59.4%にも上っている。先のアサツ

ーディ・ケイによる調査が2014年のものであることを考えれば、自らにオタク的要素を 認める若者は年々増加しているのであろう。辻と岡部は2009年調査結果のうち「自分に は『オタク』っぽいところがあると思う」という質問の男女別の回答割合にも注目してい る。肯定的な回答の割合は男性では69.8%で、女性で52.2%であった。男性の割合の方が 肯定的回答をした比率が多いが、女性でも過半数を超えている。さらに2009年調査結果 では、オタクに対するイメージも問われていた。「『オタク』は嫌いだ」という質問に肯定 的に答えている回答者は24.7%であり、「『オタク』は楽しそうだ」という質問に肯定的に 答えた回答は77.6%であった。このようにオタクにはポジティブなイメージが若者たちに よって与えられていると言えるだろう。また「『オタク文化』は日本を代表する文化だ」

という質問への肯定的な回答は67.8%であり、ここからもポジティブなオタクへのイメー

21 中森はオタクの由来について次のように説明する。「『おたく』の由来については、まぁ みんなもさっしがつくと思うけど、たとえば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会 とかで友達に『おたくらさぁ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない」(中森 1983)。

22 「あてはまる」ないしは「まああてはまる」という回答を肯定としている。以降の質問 での肯定的も同様である。

ジがうかがえる。辻と岡部は、こうした状況を「ノーマライゼーション」という言葉で整 理する。

このようにオタク文化は、一部の特殊な男性だけでなく、広く女性にも享受される ようになり、そのイメージもネガティブなものから、かなりポジティブなものへと移 り変わってきた。こうした変化は、まさにオタクがきわめてノーマルな存在として捉 えられるようになってきたということを示している。まさしくそれは、オタクの「ノ ーマライゼーション」と呼ぶにふさわしいだろう。(辻・岡部 2014: 15)

若者たちの間でオタクという言葉は他人から付与されるスティグマではなく、自ら使う ことで自分自身を表現する言葉へと変化し、それがノーマルな状態として認識されている のである。

それでは、このような変化はいつから生じているのか。辻と岡部は、2005年の『電車 男』ブームを契機として挙げている。『電車男』ブームに関しては、秋葉原の事例を扱う 章でも再度述べる。

電車男ブームに加えて、近年の政府や行政からの注目もオタクイメージをポジティブな ものにしたと思われる。オタク文化であるアニメやマンガなどのコンテンツ作品製作とそ の輸出を振興する「Cool Japan」戦略が進められるなど、日本の新たな資源としてオタク 文化が注目されているのである。その背景には、日本が強大な政治力・軍事力を背景にし た「ソフトパワー」論ではなく、「クールジャパン」論を導きとした「クール・パワー」

の創造強化に努めることが国際社会でむしろ影響力を持つのではないかという考えが存在 する(青木 2012: 302)。オタク文化を利用して、日本の影響力を強めようという政府の意 図が存在するのである。このことに関しては、先にも述べた通り、辻・岡部らが取り上げ た2009年に行われた調査結果でも若者の約7割が「『オタク文化』は日本を代表する文化 だ」と肯定的に回答していたことも関係していると思われる。

ここでオタクやオタク文化に対する学術的研究についても目配せしておきたい。そこで はオタクがどのような存在であるのかに対する理解は進められているが、オタク文化を振 興する政策学的アプローチは不十分なように思われる。

まずオタク研究の中で最も有名かつ古典とも言われるものは、東浩紀による議論である

(東 2001)。東のオタクに対する定義は本論文でも採用している。次に、オタクという概 念が社会の中でどのように扱われたり、発展しているのかを議論したりする研究も存在し ている(難波 2007; 永田 2011など)。