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武田薬品工業株式会社

ドキュメント内 修士論文 (ページ 48-54)

第四章 事例研究

第二節 武田薬品工業株式会社

第一項 武田薬品工業株式会社の会社概要

武田薬品工業株式会社(

Takeda Pharmaceutical Company Limited

)は

1781

年に創 立された、「日本に本社を置き、自らの経営の基本精神に基づき患者さんを中心に考 えるというバリュー(価値観)を根幹とする、グローバルな研究開発型のバイオ医薬 品のリーディングカンパニー」19で、

2019

年の製薬会社世界ランキングでは第

16

位 で、日本における

1

20である。前世紀から、武田薬品は循環器系疾患、中枢神経系 疾患、消化器系疾患、消炎鎮痛剤、抗菌薬、ビタミン、バイオ製品など、多岐にわた る領域で、効果的な製品を開発してきた。近年武田薬品は主に

6

つの領域を通じて、

長期的な高利益率の成長に努力している。

6

つの領域はそれぞれ、オンコロジー(が ん)、消化器系疾患、希少疾患、神経精神疾患、血漿分画製剤(

PDT

)とワクチンで ある。現在の主力製品には、糖尿病薬のネシーナや抗がん剤のリュープリン、高血圧 薬ブロプレスなどがある。

また、同社は「世界中のあらゆる人々のニーズに貢献」ということを心掛けながら、

戦後から積極的に海外参入活動を行い、日本の競合他社より結構早い段階で独自の海 外販売ネットワークの構築に成功した。

更に、同社の近年の最も大きな動きとして、

2019

年に成し遂げたアイルランドの 製薬大手シャイアー社(

Shire plc

)の買収が知られている。買収前のシャイアー社の 売上高などからみれば、ほぼ武田薬品と同規模であると言える。最終的に投下した買 収金額は

6

兆円を超え、リスクが大きかったはずであるが、実際に両社の株主の買収 に対する賛成率が非常に高かった(武田薬品側

89.1

%、シャイアー側

99.8

%)。こ の買収を通じて、武田薬品はよりモダリティ(創薬手法)の多様なパイプライン(新 薬開発)を実現できるようになることを期待している。

第二項 武田薬品工業株式会社の歴史沿革

1781

年、

32

歳の初代近江屋長兵衞は大阪で和漢薬の商売を始め、これが武田薬品 の始まりとなる。

1895

年に大阪に自社工場を設立し、製薬メーカーとして活躍。

1949

年、東京・大阪証券取引所に上場した。

1962

年、アジア進出を始めた。

1978

年、ヨーロッパ進出を始めた。

1994

年、天津武田薬品有限公司(天津武田药品有限公司)を設立し、本格的に中 国市場へ参入した。

1999

年、糖尿病治療薬アクトス(ピオグリタゾン)を発売した。

2005

年にバイオベンチャーであるシリックス社を買収した。

2011

年、スイス製薬大手ナイコメッド社を買収。

2019

年、自社と大体同規模のアイルランドの製薬大手シャイアー社の買収に成功

19 武田薬品工業株式会社ホームページにより引用, https://www.takeda.com/jp/newsroom/newsreleases/20 19/20190108-8037/, 20191224日閲覧.

20 AnswersNews, 2019515.2019年版】製薬会社世界ランキング 売上高トップはロシュ、2 位はファイザー上位陣は軒並み増収. https://answers.ten-navi.com/pharmanews/16219/, 201912 25日閲覧.

した。最終的な買収額が

6.2

兆円で、日本企業による海外企業の買収案件で、史上最 大な金額であった。

第三項 中国における武田薬品工業株式会社の歴史

武田薬品の中国における始まりが

1982

年に北京で作った事務所である。当時の目 的は中国への医薬品輸出を拡大することで、中国科学院(中国におけるハイテク総合 研究と自然科学の最高研究機関)化学研究所と提携意向契約を結んだ。その後、天津 市の天津力生製薬厂(天津力生制药厂)とライセンス提携契約を結び、共同で高脂血 症薬のベザフィブラート(日本における武田製薬の商品名がベスタリット)や脳循環 代謝改善剤カラン(

2001

年に有効性がないと判断され、自主回収された)などを生 産した。

1994

年、武田薬品は天津力生製薬厂との協力を深めることを決め、合弁企 業天津武田薬品有限公司(天津武田药品有限公司)を共に設立した。武田薬品工業と 天津力生の出資比率はそれぞれ

75

%と

25

%であった。

2010

年、天津力生製薬股份有 限公司(前身が天津力生製薬厂)はその株式を

1.2

億人民元で日本武田薬品工業株式 会社に譲渡し、天津武田薬品有限公司が日本武田薬品の完全子会社となった。天津武 田薬品は主に五つの事業領域に携わっている。それぞれが、消化器系疾患、オンコロ ジー(がん)、心血管系疾患、血液製剤、希少疾患である。

図表4.6 2019年武田薬品工業株式会社の中国における一部の子会社

武田(中国)投資有限公司(武田⁽中国⁾投资 有限公司)

2011年設立の持株会社

・単独出資、資本金7500万米ドル 武田薬品(中国)有限公司(武田药品⁽中国⁾

有限公司)

2011年設立

・単独出資、資本金6160万米ドル

・医薬品の流通販売 武田(中国)国際貿易有限公司(武田⁽中国⁾

国际贸易有限公司)

2012年設立

・単独出資、資本金840万米ドル

・化粧品、日用品、化学品などの国際貿易 天津武田薬品有限公司(天津武田药品有限公

司)

1994年設立

・設立時合弁、2010年に完全子会社化、資本 7560万米ドル

・錠剤、カプセル剤、注射剤の生産包装 広州天普生化医薬股份有限公司(广州天普生

化医药股份有限公司)

1993年設立

・ナイコメッド社が作った合弁企業、2011 武田薬品工業の子会社となった。2018年に武 田薬品工業が全株式を譲渡し、撤退。資本金 1億人民元。

・医薬品の生産販売 百深生物科技(上海)有限公司(百深生物科

技⁽上海⁾有限公司)

2015年設立

・バクスアルタ社からシャイアー社、シャイ アー社から武田薬品工業の完全子会社となっ た。資本金未払込。

・医薬品の生産販売

出所:筆者調べ。

また、武田薬品工業株式会社は全世界における一連の買収活動によって、被買収企 業の中国における拠点を受け継ぐことになった。一つ目はスイス製薬大手ナイコメッ ド社が

1993

年に作った合弁企業「広州天普生化医薬股份有限公司(广州天普生化医 药股份有限公司)」であった。

2018

年、武田薬品工業は自社が持つ全ての株式を中 国の上海医薬股份有限公司(上海医药股份有限公司)と広州産業投資基金管理有限公 司(广州产业投资基金管理有限公司)の完全子会社である

Sfund

に譲渡し、撤退した。

もう一つは、シャイアー社の買収によって完全子会社となった百深生物科技(上海)

有限公司である。百深生物科技は元々アメリカ企業バクスアルタ(

Baxalta

)社の完 全子会社であったが、

2016

年バクスアルタ社はシャイアー社によって買収されたた め、百深生物科技はシャイアー社の完全子会社となった。それから

2019

年の武田薬 品工業のこの買収によって、最終的に武田薬品工業の完全子会社となったのである。

筆者は武田薬品工業の中国における子会社を以図表

4.6

にまとめた。

2018

年、武田薬品工業の中国事業による売上高が

452

億円で、前年比で

8.9

%減 少した。

第四項 武田薬品工業株式会社の中国での参入形態に対する検証

第三項で説明したように、中国参入のため、武田薬品工業株式会社が自社で最も力 を入れてきたのはやはり天津武田薬品有限公司(天津武田药品有限公司)である。現 在、天津武田薬品有限公司は武田薬品工業にとって、生産から流通販売までの一貫し た価値創造のプロセスを実現できる、中国における唯一の拠点である。そのため、天 津武田薬品の生産能力を更に増大するため、

2019

年に武田中国は天津市西青区の生 産工場の改修に

1.1

億人民元を投資することで、倉庫を増やし、流通設備を半自動化 に改造すると発表した。改修後の工場面積が倍増する予定である。中国の武田薬品グ ループにおけるその地位はまさにかけがえのないものである。

それで、この第四項では、主に天津武田薬品有限公司を対象とした、モデルによる 検証が行われる。

最初は

Step 1

「海外直接投資を実行すべきか否かの判断」である。日本武田薬品

工業が天津武田薬品を設立したのは

1994

年であったが、その前の段階からすでに現 地企業の天津力生製薬厂(天津力生制药厂)とライセンス提携関係を築き、自社が持 つ技術やノウハウなどを一部提示した。つまり、武田薬品工業は自社が所有している 技術や特許、ノウハウなどは中国の現地企業より優れていることが分かり、所有の優 位性が存在する。それから、中国の市場としての将来性や長期的な現地生産に基づく コスト削減を考えれば、立地と内部化の優位性も存在する。したがって、武田薬品工 業の中国へ直接投資したほうがいい。

Step 2

に進むが、中国参入に際して、武田薬品工業は中国の拠点に対して、グロー

バル統合を実現するための一環としてではなく、生産・流通・販売のような一連の事 業活動を独立に行える存在としての役割を期待していたことが分かった。

次の

Step 3

では、複製不可能で、他社からの獲得が難しい補完的資源があるかどう

かを確認する。

1981

年の大塚製薬と同じが、

1994

年の時点では、中国における生産 や流通販売などに関連する暗黙知・ノウハウを持っていないため、武田薬品工業は現 合弁を通じて、これらの補完的資源を手に入れる必要があった。

したがって、この一連の意思決定のプロセスは下の図表

4.7

の灰色の部分に該当す

ドキュメント内 修士論文 (ページ 48-54)

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