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横浜町  青森県町村部

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の花、特産物、名所などを近隣居住者に伝え るものである。このサポーターはフェスティ バル開催中には観光客の案内役となっている。

菜の花大使は、町外在住者を横浜町の菜の 花や郷土芸能などを積極的にPRする大使とし て任命するもので、大使は居住地周辺で横浜 町を紹介している。

こうした菜の花関連イベントの充実によっ て、1996年度には菜の花開花中6万人、年間10 万人弱の観光客であったものが、2001年度に は開花中14.5万人、年間68万人もの観光客が訪 れるようになり、地場産業である農水産業の 活性化にも寄与している。

青森県では5月前後に、春もみじ、桜、椿な ど花に関する祭りやイベントが各地で開かれ ており、相当数の観光客が訪問する。この時 期に行っている菜の花関連イベントが、県内 各地のイベントと相乗効果を発揮していると 推察できるが、一方でイベント期間外の観光 客も大幅に増加しており、季節を問わず集客

できる観光地に発展することに成功したとい えよう。

横浜町の観光振興の経済効果を飲食料品小 売業等の人口1人当たり販売額から推計してみ よう。

横浜町の人口1人当たりの飲食料品小売業等 の年間販売額は、91年522.1千円、94年615.9千 円、97年642.9千円、99年535.4千円となってい る。いずれも青森県町村部平均を上回ってい る(図表7)。

これは周辺町村部に比べて、町民以外の消 費者への販売が多いことを意味しており、観 光客による土産品の購入等という経済効果が 得られているといえよう。たとえば観光客1人 が1,000円の土産品を購入したとすれば、68万 人の観光客によって年間680百万円、人口1人 当たり約12万円の経済効果があるといえる。

(2)愛知県甚目寺町

愛知県甚目寺町(図表8)は名古屋市の西隣 にあり、古くは農業が基幹産業であったが、立 地条件から農地の宅地化が進み、現在では名 古屋市のベッドタウン化している。町では都 市近郊農業の活性化が課題となっていた。

観光施設として日本一高い三重の塔を誇る 国の重要文化財「甚目寺観音」、全国唯一の漬 物の神様を祀る「萱津神社」がある。これら の施設への観光客が年間10万人以上いるもの の、特に観光客向けの事業展開、情報発信な どに取り組んでこなかったため、知名度は低 く観光客数は頭打ちとなっていた。

そこで、1993年に町役場が観光協会を設立

(備考)1.商業統計調査(経済産業省)および住民基本台帳       人口要覧(総務省)より信金中金総合研究所作成     2.年間販売額は飲食料品小売業およびその他小売業     3.人口は各年3月末日 

図表7 人口1人当たりの年間販売額 

642.9

535.4

433.5

485.2

519.7 522.1

615.9

514.7

400.0 500.0 600.0 700.0

1991 94 97 99

横浜町 

し、観光協会事務局長に町役場産業振興課長 を兼務させ、事務局長を中心に農業活性化と 観光客への情報発信を両立できる特産品づく りの検討を進めた結果、小松菜と方領大根を 軸に取り組むこととなった。

なお、甚目寺町観光協会では町民活力・民 間活力を活かせるよう、アドバイス役・コー ディネート役に徹している。町役場職員でも ある観光協会事務局長が町民、町内外事業者 に精力的に働きかけたことによって、特産品 づくりが進められたといえる。ここでは特産 品づくりの概要を中心に紹介する。

①小松菜

町では農業活性化を図るため、ほうれん草 の5倍のカルシウムや豊富なビタミンC、カロ チンを含み、がんやアトピー、歯槽膿漏にも 効果があるといわれ、年中栽培が可能なヘル シー野菜「小松菜」を戦略野菜に選定し、地 域の農家に栽培を奨励していた。1991年から 本格的に栽培を始めた結果、近年では県下1位 の生産量を誇っている。

観光協会では、この小松菜に注目し特産品 づくりに着手した。着手当初から町民に積極

的なアイデア提供を呼びかけ、その提供され たアイデアを特産品になるかという視点から、

町民と一緒になって真剣に検討をした。その 結果、長野県で人気のあった野沢菜入りおや きを参考に、コマツナおやきが開発された。コ マツナおやきは、小松菜のほかにニンジン、玉 ねぎを材料に、みそ、かつおぶしなどで味付 けした野菜あんを皮に包んだもので、皮の材 料に小麦粉とホットケーキの素を使っている。

これらは観光協会と地元の主婦(ボランティ ア)で開発し、1個100円で販売している。さ らに、地元に普及させるために町内でおやき づくりの勉強会を何度も開催している。

1個100円という薄利多売の方針で販売して いる上、絶妙な食感と味付けが人気を呼び売 れ行きは順調である。

この活動をきっかけに町内外の民間企業が 商品開発を進めた結果、どら焼き、来福(大 福もち)、点心(湯葉と小松菜を組み合わせた もの)、蕎麦、せんべい、カクテル、名古屋コ ーチンひきずり(小松菜と名古屋コーチンを 使ったすきやき)などの特色ある商品開発が 相次いだ。ただし、町内での無用な混乱を避 けるため、同一商品の競合は避けるよう一商 品一社のみとした。名古屋市内の飲食店等で もこうした商品を取り扱っているため、甚目 寺町の知名度は確実に上がっている。

②方領大根

甚目寺町方領が発祥地である方領大根(尾 張大根とも呼ばれ青首大根とは異なり全体が 純白で根が曲がっている大根)は収穫量が減

(備考)図表6と同様 

図表8 甚目寺町の概況 

①面積:9.3km2 

②人口(2001.3):36,060人(前年比2.2%増) 

③65歳以上比率(2001.3):12.2% 

④産業別就業人口比(%、2000.10) 

      一次:二次:三次=2:40:58

少していたが、まちづくりには格好の素材で あると認識し、小松菜に続く町の資源として 位置づけ、1996年頃からその活用方法を検討 し始めた。

その結果、97年に第一弾として参加・体験 を通じた交流の場として方領大根栽培オーナ ー制度を企画した。これは観光協会が町内の 農地(10a)を借り受け、方領大根の栽培に興 味があるオーナー150名を募集し、オーナーが 自ら種まきから施肥、収穫などを行えるとい うものである。農業経験の少ないオーナーに は、町の農業委員会、農業改良普及センター 指導員、青年農業クラブ員、方領大根づくり の名人などが、ボランティアで親切丁寧に栽 培方法の指導などを行っている。

第二弾は、自主栽培を希望する人に対する 方領大根の種の無料配布である。これは、町 内外の希望者に種の小袋(約200粒)を無料で 配るもので、ここでも農業委員会等が栽培方 法の指導などを行っている。

さらに、98年には町内女性グループを中心 として作成した方領大根を使った料理冊子(方 領大根の味)の配布、方領大根の料理講習会 の実施、民間企業と共同での方領大根せんべ い(生地に方領大根のおろしを練り込む)の 開発販売、漬物の神様萱津神社にちなんだ方 領大根漬けの開発、などによって方領大根を 使った特産品づくりを進めている。

また最近では、オーナー制度が畑の学校に まで発展した。この学校では方領大根などの 種まきから収穫まで学べ、やはりここでも講 師は青年農業クラブ等がボランティアで努め

ている。観光協会が楽しいプランター菜園と いう菜園指導小冊子も発行するなど、町民が 農業に触れる機会を増やす取り組みを行って いる。

③その他

こうした活動によって知名度が向上するに つれ、観光客を歓迎しようと行政と町民とに よる観光地美化活動も始まった。町役場が大 型フラワーポットを道路や駅、公共施設に設 置し、周辺町民とシルバー人材センターが管 理を任されている。町民は個人宅でも家の周 りにフラワーポットを置いて季節の花を飾る ようになった。さらに、町が四季折々の花や並 木などで形作られた散歩道「花と緑のプロム ナード」をつくると、新たな観光ルートにな った。

情報発信も観光振興には重要なポイントで あるため、甚目寺町観光協会では最優先でマ スコミの取材を受け、積極的に情報発信をし ている。

甚目寺町の年間観光客数は減少傾向にあり、

1992年の42万人から、2000年には27.5万人程度 にまでなった。しかし、一連の取り組みで名 古屋等周辺地域で知名度が上昇し、産業の活 性化には結びついているようだ。

実際、甚目寺町の人口1人当たりの飲食料品 小売業等の年間販売額は、91年580.8千円、94 年629.2千円、97年691.8千円、99年721.0千円と なっている(図表9)。愛知県町村部平均は年々 減少しているものの、甚目寺町は年々増加し ており、その結果91年には愛知県町村部平均

を下回っていたものの、99年には愛知県町村 部平均を160千円も上回った。観光協会を中心 とした継続的な取り組みによって、町内の観 光関連小売業者にプラスの効果が出ていると いえよう。

(3)長野県小布施町

長野県小布施町(図表10)は北信濃に位置 する小さな町である。ゆかりの人物には、豪 商豪農の高井鴻山や鴻山の招きで小布施を訪 れた浮世絵師・葛飾北斎、また俳人・小林一 茶などがいる。

小布施町のまちづくりは、1976年の北斎館 開館から始まったともいえる。以下では北斎 館開館のほか、行政、企業、町民の取り組み 等を紹介する。

①北斎館

葛飾北斎は小布施町を訪れたことがあり、葛 飾北斎の肉筆画(天井絵等)の数十点が町内 の個人宅に残されており、古くから町民には 何よりも貴重な財産であった。1966年、こう した北斎画が国際的に注目を浴びる機会(モ スクワとレニングラードで開催された北斎展)

があり、町ではこの肉筆画の世界的な存在価 値の高さに気付いた。

一方、70年代前半、町主体で行われた宅地 開発事業が成功し、新町民が多く流入すると ともに、町は数億円の剰余金を得ることがで きた。この剰余金の使途を検討した結果、葛 飾北斎館を建設することとしたが、その目的 は、a)北斎という町の文化を共有することで、

新旧町民の交流を促進すること、b)世界的な 遺産である肉筆画を専門施設に収蔵し、破損 と散逸から守ること、c)町に活性化をもたら す観光施設をつくること、であった。

北斎館建設を主導したのは、高井鴻山の子 孫である町長(当時)であった。この北斎館 の初年度(76年)入館者は年間35,000人程度で あったものの、その後文化的な価値が次第に 認められてきたことやマスコミに「田んぼの 中の美術館」として全国に紹介されたこと、他 の観光施設が充実してきたことによって、遠 方からの美術ファンや外国人観光客の見学も あり、最近では年間平均35万人が訪れる観光 名所となっている。

図表9 人口1人当たりの年間販売額 

500.0 600.0 700.0 800.0

1991 94 97 99

甚目寺町 

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