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外1

定係数 0. 563480 標準誤差 0.006750

尤度比 206.596700 タービン・ワトソン比 1.467320

表1−5誤差修正貨幣需要関数[93SNAべ一ス]

説明変数 係数 標準誤差

t値

P値

C

0.014406 0.008438 1.707219 0.0942

∠γ。 0.336921 0.139873 2.408770 0.0199

∠γH

0.202909 O.119553 1.697234 0.0961

∠γ〃

0.112848 0.112506 1.003041 0.3209

0.003344 0.002782 1.201807 0.2353

凡一ノ 一0.003886 0.002821 一1.377636 0.1747

∠5。 0.012529 0.012638 0.991378 0.3265

万力。トノ 一0.087247 0.063695 一1.369760 O.1771

ぬ〃〃〃0σ4 一0.015753 0.004504 一3.497748 0.0010

自由度調整済み決

定係数

0.563480

標準誤差

0.006750

尤度比

208.928000 タービン・ワトソン比 1.500089

 推定結果を表1−4、表1−5に示す。各期の実質GDP(巧)の成長率をみると、双方のべ一スと も、係数は符号条件(正の値)を満たし、t値も概ね有意水準(5%)を満たしている。つまり、所得の 増加が貨幣の取引需要を増加させることを示している。双方のべ一スとも、誤差修正項は負の値

をとっており、誤差修正メカニズムが作用することを示している。双方のべ一スとも、金利スプレッド

(沢、)の係数はt期では正の値をとっており、符号条件を満たしていない。しかしながら、t−1期に おいては負の値をとっており、またt−1期の絶対値はt期のものより大きい。つまり、金利スプレッド

(R、)の係数は、出尽くしべ一ス(o3,O+C3,1)でマイナスとなることが理論的に正しい。一方t値は、

93SNAのほうが若干低い値を示しているが、概ね有意水準を満たしている。TOPIX(∫、)の変化 率は、特にバブル崩壊の過程の中で貨幣需要に影響を与えることが予想される。バブル期の株 価上昇は貨幣の資産需要を増加させ、そしてバブル崩壊後の株価下落は貨幣の資産需要を急 速に減少させると考えられる。このため、TOPIX(∫、)の変化率の係数は正の値をとることになる。

TOPIX(∫、)の変化率をみると、双方のべ一スとも係数の符号条件を満たしているが、t値の有意 水準を93SNAべ一スは満たしていない。

 全体としての推定の結果は、ほとんどの変数のt値が有意水準を満たしており、かつ係数の符 号条件も満たしている。自由度調整済み決定係数(Adjusted R−squared)は68SNAべ一スで 0.640708,93SNAべ一スでO.563480とまずまずの水準であり、また系列相関の有無を示すタ ービン・ワトソン比(Durbin−Watson stat)も68SNAべ一スで1.467320,93SNAべ一スで 1.500089と、系列相関の存在を否定している。

 次に推定された短期貨幣需要関数の安定性について分析する。近年の金融事情について考 えると、1997年以降の金融システム・パニック、1999年2月以降のゼロ金利政策など、金融面で 大きな変化が見られる。サンプル期間を2001年Q1まで延長した場合、長期均衡関係が不安定 になっているのは、このような現象が貨幣需要に何かしらの影響をもたらしたと考えることは自然で ある。しかしながら、短期貨幣需要関数の推定は、長期均衡関係が得られている期間で行ってい るため、構造変化が生じていないはずである64。

 そこで、推定された短期貨幣需要関数の安定性について、チャウ予測誤差テスト(Chow N−step Forecast Test)を行った。これは2つに分けたサンプル期間のうち、前期サンプルによる 推定式を用いて、残る後期サンプル期間の予測を行い、その予測誤差から構造変化の有無を検 定するというものである。図1−22、図1−23はそれぞれ、68SNAべ一ス、93SNAべ一スのチャウ 予測誤差テスト(Chow N−step Forecast Test)の結果である。下部のプロットがN−step Testに 基づくρ値(構造変化がない確率)を示し、これがゼロに近ければ、その時点で構造変化が生じた と考えられる。上部の折れ線はサンプル期間を1期ずつ延ばしながら推定したときの1期先の予測

64ただし、1990年Q4にバブル経済崩壊による構造変化が生じた可能性を考慮し、共和分検定 を行ったことに注意する必要がある。

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誤差である。これが点線で示した信頼区間を超えている場合には、その時点で一時的変化が貨 幣需要関数に生じたと考えられる。これは、Chow One−step Forecast Testと呼ばれ、当期まで のサンプルによる推定式と、翌1期までを追加した推定式との差を検出しているのに等しい65。

図1−22短期貨幣需要関数の安定性(68SNAべ一ス)

     Chow N−step ForecastTest[68SNAl

.00

、05

.10

.15

.015

,010

,005

,000

一.005

一.010

一.015

91Q1 91Q3 92Q1 92Q3 93Q1 93Q3 94Q1 94Q3

。 N−Step Probability

−Recursive Residua1s

一 一 .一一■

.02

D01

D00

黶D01

黶D02

.00

D05

D10

D15

一一一一

 ■一 o

o

 ^^  一 ^^^  ^^^   ^ ^  

図1−23短期貨幣需要関数の安定性(93SNAべ一ス)

    Chow N−step Forecast Test【93SNA1

       02

一02

1991      1992      1993      1994

。 N−Step Probability

−Recursive Residua1s

65チャウ予測誤差テスト(Chow N−step lForecastTest)の説明については、

武田(2000)206−207頁を参照。

杉原・三平・高橋・

 図を見ると、68SNAべ一ス、93SNAべ一スとも構造変化が生じたという証拠は見当たらない。

また、One−step Testでも、折れ線が信頼区間を越えておらず、一時的な変化が貨幣需要に生じ た形跡はない。したがって、バブル崩壊のショックを除けば1995年まで、わが国の貨幣需要関数 は安定していたと理解できる。

w.まとめ

 本章の前半では、バブル崩壊前後に分けて歴史的に日本経済を振り返った。長年に渡り、目 銀は独立性が保たれておらず、アメリカと日本政府の強い圧力下にあった。特に1987年のルー ブル合意以降、わが国の国内需要を引き上げるため、アメリカと日本政府は目銀に対して金融緩 和政策を強硬にかつ繰り返し要求した。日本政府が金融緩和を要求するのは、アメリカの要求を 無条件で受け入れたためであったと考えられる。日本政府は、金融緩和の理由として人々に国際 協調の重要性を繰り返し説明した。このアメリカと日本政府の要求に応え、目銀は年に13%を越 えるマネーサプライを増やし金融緩和を行った。

 1974年に日本経済がハイパー・インフレに陥り、安定した水準でマネーサプライを維持すること がどのくらい重要であるかについて、目銀は教訓を得ていたはずであった。当時、目銀は第一次 オイル・ショックの悪影響に対して、急速にマネーサプライを増やすことで対処した。その結果、マ ネーサプライの増加率は年率30%を越え、卸売物価でみればインフレ率は30%(消費者物価は 20%)を超えるに至った。この経験により、安定した水準でマネーサプライを維持することの重要性 を理解した目録は、1978年12月の第二次オイル・ショックに対してマネーサプライの増加率を適 切なレベルに保つことで、物価水準を安定化させた。

 しかしながら目録は、この教訓を忘れて政府の要求に忠実に従い、マネーサプライを増やした。

目録がマネーサプライを増やした理由として、次の3つが挙げられる。第1に、1987年のニューヨ ーク市場の暴落が挙げられる。第2に、比較的安定していた物価水準が挙げられる。1987年当 時、円の高騰によってインフレ圧力は弱まっており、さらにオレンジや牛肉のような農産物の貿易 自由化は消費者物価の下落に寄与した66。さらに第3の理由として、旧日本銀行法は第二次世 界大戦中に制定(1942年に制定)されたものであり、目録の政府からの独立性は低いことが挙げ

られる。

 日米間の経常収支の不均衡がアメリカ国内の投資と貯蓄間の構造的な不均衡によってもたら 66アメリカの強い要求に応じて、我が国は1988年に、これらの農産品の自由化に踏み切った。

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されている、と目録はアメリカに対し強く主張すべきであった。また、目銀は政府からの独立性を確 保すべきであり、第一次オイル・ショックから得られた教訓を忘れるべきではなかった。

 目録は、デフレの脅威も理解すべきであった。しかし、目録はバブル経済の再燃の恐れから、

金融緩和し貨幣の供給を増加させることに前向きではなかった。その理由としてまず、不況が初 期段階にあるとき目録は、物価水準の下方圧力を「技術革新やサービス部門の規制緩和よって 生産性が上昇したため」あるいは「アジア諸国で生産された安価な商品が大量に輸入されたた め」に生じた「よいデフレ」であると考えていた。そこで目銀は思い切った金融緩和政策をとること はなかった。このような目録の姿勢は、金融機関と株価に対して、強い負の効果をもたらした。一 連の出来事は、1929年の大恐慌の初期段階における清算論者の政策を思い起こさせる。彼らの 政策は、不況をより深刻なものへと変貌させてしまった。

 また政府と目録双方は、不良債権の状況を明らかにすることに前向きではなかった。彼らは、地 価が元の水準に戻り、経済がすぐに回復すると考えていた。この点において、彼らは「土地神話」

がまだ健在であると信じていた6経済が回復兆候を示し始めれば、不良債権問題が急速に解決 すると考えていたため、彼らは「先送り政策(Forbearance Po1icy)」をとったのである。1992年に

当時の主要21行の銀行の不良債権が初めて公表され、1993年にはそれぞれの詳細な額を公 表された。1994年には、地銀の財務状況も明らかにされた。しかし、この不良債権の公表値は、

定義を甘くすることによって低く見積もられていた。このような「先送り政策」は不良債権問題をさら に悪化させた。これに対し、1990年代初頭に同じく厳しい不況を経験したフィンランドやスウェー デンは、金融危機後すぐに公的資金を注入することによって、急速に回復している67。もしフィンラ ンドのように早い段階において不良債権問題を解消していたなら、貸し渋りは存在せず貨幣乗数 の低下は招かなかったと考える。結果論ではあるが、1997年の景気後退の前に金融システムを 活性化するために公的資金の注入をすべきであった。

 1990年のマネーサプライの急速な収縮は、資産価格の変動に対して金融政策を行うべきでは ない、ということを示唆するものである。中央銀行は、「資産価格の裁定者」の役割を担うべきでな い。また、一端不況に陥れば、経済を活性化させるために時間を要することを覚えておかなけれ ばならない。

 本章後半では前半の議論を立証すべく、金融政策の実施においてマネーサプライはいまだな お重要であるという立場から、マネニサプライと実体経済活動の間に共和分として知られる長期均

衡関係が存在するかどうかを分析した。68SNAべ一スでは1981年Q1から1994年Q4まで、

67フィンランドの金融危機への対応に関しては、宮川国(2010)を参照。

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