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ドキュメント内 甲南女子大学学術情報リポジトリ (ページ 179-197)

京 大 学 史 料 編 纂 所 図 書 室 蔵 本 を 中 心 に

︵一

︶ 織

田 信 長 が 中 国 の 毛 利 討 伐 の た め

︑ 羽 柴 秀 吉 を 播 磨 に 向 か わ せ た の は

︑ 天 正 五 年

︵ 一五 七 七

︶ で あ っ た

︒ 以 後

︑ 秀 吉 は 三 年 を 費 や し 播 磨 諸 氏 の 強 い 抵 抗 に 苦 戦 し な が ら も

︑ 抗 う 東 播

︒西 播 の 城 を 一 つ 一 つ 着 実 に 攻 略 し て い っ た

︒ 播 州 宍 粟 郡

︵兵 庫 県 宍 栗 市

︶ 長 水 城 を 拠 点 に 近 隣 五 郡 を 治 め て い た 赤 松 氏 末 流 の 宇 野 氏 も

︑ 秀 吉 に 抵 抗 し 滅 ぼ さ れ た 豪 族 で あ る

︒ 信﹃ 長 公 記

﹄ 巻 十 三 に は

︑ 庚

辰 四 月 廿 四 日

︑ 播 州 の 内 し そ 郡 に 宇 野 民 部 楯 籠 る

︒ 彼 者 の 親

・伯 父 構

︑ 羽 柴 筑 前 守 秀 吉 押 詰 め 乗 取 り

︑ 二 百 五 十 余 討 捕 り

︑ 夫 よ り 宇 野 下 野 居 城 へ 取 懸 け

︑ 是 又 責 破 り

︑ 震 に て も 数 多 切 捨 て

︑ 其 後

︑ 宇 野 民 部 構 は 高 山 節 所 に 候

︑ 麓 を 焼 払 ひ  ︑ 塞 々 に 取 出 を 三 ッ 申 付 け

︑ 丈 夫 に 人 数 入 れ 置 き

︑ と

︑ 天 然 の 要 害 長 水 城 に 籠 る 宇 野 一族 を 攻 め 囲 む 秀 吉 軍 の 様 子 が 記 録 さ れ て い る

︒ し か し こ の 後 の 戦 に 関 し て 信﹃ 長 公 記

﹄ は 何 も 書 か ず

︑ た だ 長 水 城 落 城 に つ い て

︑ 播

州 し そ 郡 に 楯 籠 る 宇 野 民 部

︑ 六 月 五 日 夜 中 に 退 散

︒ 木 下 平 太 輔

・蜂 須 賀 小 六 追 懸 け

︑ 心 ば せ の 侍 共 帰 し 合 せ で

︑ 愛 か し こ に て 相 戦 ひ

︑ 歴 々 の 者 共 数 十 人 討 捕 り

と 簡 単 に 触 れ る の み で

︑ 城 主 宇 野 政 頼 の 安 否 さ え も わ か ら な い

︒ 信﹃ 長 公 記

﹄ に は 見 え な い 長 水 城 攻 防 戦 の 詳 し い 有 様 は

︑ 宇 野 方 の 立 場 か ら 書 か れ た 戦 国 軍 記 長﹃ 水 軍 記

﹄ に よ っ て 知 る こ と が で き る

︒ 国﹃ 書 総 目 録

﹄ の 長﹁ 水 軍 記

﹂ の 項 に は  ︑ 一種 二 本 の 伝 本 の 記 載 が あ る

︒ 東﹁ 京 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 事 務 所 蔵 本

﹂ と

︑ そ れ を 写 し た 東﹁ 京 大 学 史 料 編 纂 所 図 書 室 蔵 本

﹂ で あ る

︒ と こ ろ が

︑ 東﹁ 京 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 事 務 所

﹂ 及 び 本 山 の 岡 山 県 岡 山 市 妙 善 寺 に 問 い 合 わ せ た と こ ろ

︑ 現 在 は 所 蔵 し て い な い こ と

︑ 戦 災 で 焼 失 し た 可 能 性 も あ る と の 返 事 を 頂 い た

︒ 原 本 が す で に 所 蔵 者 の 手 元 に な く 行 方 不 明 で あ る こ と か ら

︑ 今 回 は そ の 謄 写 本 で あ る 東 京 大 学 史 料 編 纂 所 図 書 室 蔵 長﹃ 水 軍 記

︵以 下 東 大 本 と 略 す

︶ を 翻 刻 し

︑ 資 料 と し て 本 論 に 掲 載 し た

︒ 国﹃ 書 総 目 録

﹄ に は な い が

︑ こ の 他 に

︑ 平 成 六 年

︵一 九 九 四

︶ 八 月 に 宍 栗 市 の 伊 和 神 社 宮 司 安 黒 義 郎 氏 が 翻 刻 発︒ 刊 な さ っ た 長﹃ 水 軍 記

︵以 下

︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 と 略 す

︶ が あ る

︒ 奥 書 な ど は な く

︑ そ の 伝 来 は 明 ら か で は な い

︒ 両 伝 本 の 章 段 名 を 対 比 さ せ 次 に 掲 げ た

︒ 川

戸 合 戦 の 事 井 秀に 吉 狭 戸 阪 を 越 へ 玉 ふ 事

祐 清 狭 戸 へ 向 ふ 井 狭 戸 香 山 合 戦 之 事

討 手 之 勢 下 向 ふ 之 事

秀 吉 之 使 者 長 水 へ 来 る 事 政井 頼 姫 路 へ 出 仕 之 事

宇 野 下 総 守 処 領 之 事 井 宇 野 家 譜 尽 之 事

川 戸 合 戦 並 秀 吉 狭 戸 坂 ヲ 越 給 事

狭 戸 香 山 合 戦 之 事

祐 清 狭 戸 へ 向 フ 事

討 手 勢 下 向 之 事

秀 吉 之 使 者 長 水 へ 来 ル 並 政 頼 姫 路 へ 出 仕 事

宇 野 家 所 領 之 事

安 黒 氏 翻 刻 本

‑177‑

長 水 落 城 之 事 付た 岡り 城 豊 後 之 守 血 戦 討 死 之 事

石 田 佐 吉 安 積 将 監 を 説 事

政 頼 再 び 毛 利 へ 救 ひ を 乞 ひ し 事

春 名 修 理一 之 太 夫 光 俊 討 死 之 事

宇 野 祐 政 が 備 と 長 浜 甚 吉 三 沢 が 備 べ と 合 戦 之 事

上 町 表 大 合 戦 之 事

城 兵 秀 吉 の 陣 へ 寄 る 事

五 月 五 日 城 よ り 討 出 る 事

五 月 三 日 城 攻 附た 寄り 手 城 へ 夜 討 之 事

溝 口 城 中 へ 使 節 の 事 併 城 中 諾 将 会 合 の 事

退

寄 手 城 之 麓 へ 寄 る 付た 城り を 取 囲 ふ 事

城 兵 夜 討 た付 後り 詰 之 勢 長 水 へ来 る 事

十 六 日 合 戦 之 事

長 水 初 度 合 戦 之 事

城 よ り 出 は り 之 事

香 山 の 勢 引 退 く 附た 政り 頼 籠 城 之 事

五 月 九 日 長 水 落 城 之 事 附 安 積 小 林 返 忠 之 事

城 兵 秀 吉 卿 之 陣 へ 寄 ル 事

五 月 六 日 城 ヨ リ 打 出 ル 事

寄 手 城 中 へ 夜 討 ノ 事

五 月 三 日 城 攻 之 事

城 ヲ 取 囲 ム 事

寄 手 城 之 麓 へ 攻 メ 寄 ス ル 事

後 詰 之 勢 長 水 へ 入 ル 事

城 兵 夜 討 之 事

十 六 日 合 戦 之 事

長 水 初 度 合 戦 之 事

城 ヨ リ 出 張 ノ 事

政 頼 籠 城 之 事

香 山 勢 引 退 事

政 春 君 を 守 護 し て 剛 力 の 事

庄 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 付た 忠り 義 之 事

政 頼 井に 一族 郎 従 大 森 に て 血 戦 討 死 之 事

宇 野 下 総 守 政 頼 井 族一 良 従 大 森 ニ テ 自 害 ノ 事 東

大 本 は 一

︒ 二

・下

︑ そ れ ぞ れ の 巻 の 始 め に 目 録 を 置 く が

︑ 目 録 と 実 際 の 章 段 名 は 致一 し な い

︒ こ こ に 挙 げ た 章 段 名 は 本 文 中 の も の で あ り

︑ 網 か け を し た 章 段 は 各 巻 の 始 め の 目 録 に は な い も の で あ る

︒ 網 か け を し た 章 段

︑ つ ま り 目 録 に 見 え な い 章 段 は

︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 に も な い 章 段 で あ る

︒ ま た

︑ 東 大 本 で は 一章 段 に ま と め ら れ て い る も の で 安 黒 氏 翻 刻 本 で は 二 章 段 に ま た が っ て い る 章 段

︑ 例 え ば 東 大 本 で は 五﹁ 月 二 日 城 攻 附 た 寄り 手 城 へ 夜 討 之 事

﹂ と な っ て い る 章 段 が

︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 で は 五﹁ 月 三 日 城 攻 之 事

﹂ と 寄﹁ 手 城 中 へ 夜 討 ノ 事

﹂ と 二 つ に 分 け ら れ て い る が

︑ 東 大 本 の 目 録 で は

︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 の よ う に 二 つ の 章 段 に 分 け て 載 せ て い る 場 合 が あ る

︒ 東 大 本 は

︑ も と に し た 長﹃ 水 軍 記

﹄ の 一伝 本 の 目 録 を ほ ぼ そ の ま ま 写 し な が ら

︑ 本 文 に は 新 し く 章 段 を 設 け た り

︑ 章 段 を ま と め た り な ど 大 幅 に 手 を 加 え た た め に

︑ 日 録 と 本 文 の 章 段 が 一致 し な い 状 態 に な っ た の で あ ろ う

︒ こ の こ と か ら

︑ 東 大 本 は 安 黒 氏 翻 刻 本 よ り 後 出 の 伝 本 で あ る と 推 測 で き る

︒ た だ し

︑ 傍 線 を 施 し た 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 付 た り 忠 義 之 事

﹂ の 章 段 だ け は

︑ 本 文 に 入 れ 込 ん だ 後

︑ 巻 始 め の 目 録 に わ ざ わ ざ 書 き 加 え た よ う で あ る

︒ こ れ は

︑ 後 述 す る よ う に こ の 章 段 が 東 大 本 に と っ て 特 別 な 意 味 を 持 つ 章 段 だ か ら で あ る

︒ 章 段 名 が 同 じ で も 東 大 本 と 安 黒 氏 翻 刻 本 を 比 較 し て み る と

︑ 多 く の 異 文 が 散 見 さ れ

︑ 更 に 安 黒 氏 翻 刻 の 長﹃ 水 軍 記

﹄ で は 脱 落 し て い る 箇 所 を 東 大 本 で 補 う こ と が で き

︑ 東 大 本 が 貴 重 な 伝 本 で あ る と 認 め ら れ る

︒ こ の 節 で は

︑ 典 型 的 な 地 方 戦 国 軍 記 で あ る 長﹃ 水 軍 記

﹄ を 東 大 本 中 心 に 紹 介 し

︑ 見 て い き た い と 思 う

179‑

︵一 一︶ 東

大 本 長﹃ 水 軍 記

﹄ は

︑ 巻﹁ 之

﹂一 巻﹁ 之 二

﹂ 巻﹁ 之 下

﹂ の 三 巻 一冊 か ら 成 る

︒ 墨 付

Ⅲ 丁

︒ 奥 付 に は 天﹁ 保 十 二 丑 年 龍 野 藩 中 藤 江 氏 に て 借 用 閏 正 月 写 之   筆 者 青 木 村 小 林   山 内 茂 作

﹂ 右﹁ 長 水 軍 記   東 京 市 麻 布 区 本 村 町 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 事 務 所 妙 覚 寺 蔵 本 明 治 二 十 七 年 十 月 謄 写

﹂ と あ り

︑ 龍 野 藩 藤 江 氏 所 蔵 の 本 を 天 保 十 二 年

︵一 八 四 一︶ に 青 木 村 の 山 内 茂 作 な る 人 物 が 借 り て 書 写 し

︑ 更 に そ の 本 を 明 治 三 十 七 年

︵一 九

〇 四

︶ 十 月 に 写 し た 伝 本 で あ る

︒ 巻 之 下

︑ 本 文 が 終 っ た す ぐ 後 に

︑ 宇﹁ 野 一家 井に 長 臣 之 面 々 居 前 之 次 第   本 主 広 岡 庄 氏 本 家

﹂ と あ り

︑ 続 い て 長 水 城 城 主 宇 野 政 頼 を 始 め と す る 宇 野 一族 九 人 と 春 名 氏 ら 七 人 の 重 臣 た ち の 居 所 が 書 か れ て い る

︒ 重 臣 の 七 人 目 に は

︑ 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春   一九 五 十 波 村 居 後   一両 下 上 之 の 下 居 す   今 俗 構 と 云

﹂ と 見 え る

︒ こ れ ら の 記 述 は 安 黒 氏 翻 刻 本 に は な く

︑ 庄﹁ 政 春

﹂ は

︑ 東 大 本 の 性 格 を 考 え る 上 で 重 要 な 意 味 を 持 つ 人 物 で あ る

︒ 東 大 本 と 安 黒 氏 翻 刻 本 と の 大 き な 違 い の 一 つ に

︑ 東 大 本 に は 安 黒 氏 翻 刻 本 に は な い 落 城 後 の 後 日 談 の 見 え る こ と が 挙 げ ら れ る

︒ そ の 後 日 談 と は

︑ 東 大 本 巻 之 下

︑ 長﹁ 水 落 城 之 事 付た 岡り 城 豊 後 之 守 血 戦 討 死 之 事

﹂ の 部一

︑ 及 び

︑ 最 後 の 二 章 段 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 付た 忠り 義 之 事

﹂ と 政﹁ 春 君 を 守 護 し て 剛 力 の 事

﹂ で あ る

︒ 城 を 出 て 秀 吉 軍 と 戦 っ て い た 長 水 城 城 主 宇 野 政 頼 は

︑ 秀 吉 の 内 応 者 に よ っ て 城 に 火 が か け ら れ た と 聞 き

︑ 急 ぎ 奥 方 お 時 の 方 の も と に 向 か う

︒ 落 城 を 覚 悟 し た 政 頼 は

︑ 自 分 と 共 に 逃 げ る の は 危 険 だ か ら

︑ 末 子 慶 之 助 を 連 れ て 城 を 落 ち

︑ 高 下 に い る 庄 太 郎 左 衛 門 政 春 を 頼 る よ う に と

︑ お 時 の 方 に 命 じ る

︒ 同 じ 道 に

︑ と す が る 奥 方 を 説 得 し

︑ 政 頼 は 都 多 村 を 目 指 し 落 ち て い く

︵以 上

︑ 巻 之 下 長﹁ 水 落 城 之 事 付た 岡り 城 豊 後 之 守 血 戦 討 死 之 事

﹂ 94

〜 95

︶︒ 庄 太 郎 左 衛 門 政 春

︑ 智 仁 勇 を 備 え た 宇 野 家 の 重 臣 で あ っ た

︒ 多 く の 戦 功 を た て 厚 遇 を 与 え ら れ て い た が

︑ あ る 時

︑ 加 増 を 辞 退 し 高 下 の 地 に 五 百 石 を 賜 り

︑ そ の 後 は 土 民 と な っ て 暮 ら し て い た

︒ 長 水 城 の 危 機 を 知 っ た 政 春 は

︑ 出 陣 の 支 度 を し

︑ す ぐ に 城 に 駆 け つ け よ う と し た が

︑ 老 母 が 何 度 も 自 害 を 試 み た た め

︑ 孝 心 か ら 出 陣 を 取 り や め 老 母 の 側 に 付 き 添 っ て い た

︒ 五 月 八 日 暮 れ 方 に 老 母 は 自 害 を 遂 げ て し ま っ た の で

︑ 翌 日

︑ 政 春 は 弔 い を 済 ま せ

︑ 午 の 刻 に は 若 党 十 人 ほ ど を 連 れ て 長 水 城 に 向 か っ た

︒ す で に 城 は 猛 火 に 包 ま れ

︑ そ の 中 を 政 春 は 主 君 を 捜 し 求 め る

︒ ち

ょ う

ど そ の 時

︑ 慶 之 助 と 城 を 脱 出 し よ う と し て い た 奥 方 と 出 合 い

︑ 政 春 は 政 頼 を 追 う の を 諦 め

︑ 二 人 を い っ た ん 高 下 へ と 連 れ て 帰 り

︑ そ の 後

︑ 奥 方 の 実 家 但 馬 竹 田 城 へ と 送 り 届 け る た め に 高 下 を 出 発 す る

︵以 上

︑ 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 た付 忠り 義 之 事 し

︒ し か し

︑ こ の 事 は

︑ 宇 野 氏 を 裏 切 り 秀 吉 方 に つ い た 安 積 泰 昌 の 知 る と こ ろ と な り

︑ 政 春 た ち は 安 積 に 襲 わ れ る

︒ 奥 方 と 慶 之 助 を 乗 せ た 輿 を 先 に 逃 が し

︑ 政 春 は 一人 で 安 積 の 兵 た ち を 相 手 に 奮 戦 す る

︒ 安 積 を 掴 み 上 げ

︑ 田 に 投 げ 捨 て た 政 春 は

︑ す ぐ に 奥 方 た ち に 追 い つ い た

︒ 慶 之 助 は 政 春 の 忠 義 ぶ り を 讃 え

︑ 宇 野 家 伝 来 の 小 柄 を 与 え た と い う

︒ 竹 田 城 に 無 事 逃 れ た 慶 之 助 は

︑ そ の 後 明 智 光 秀 に 従 い

︑ 一 万 石 を 領 し た

︒ 光 秀 が 滅 ん だ 後 は

︑ 秀 吉 に 仕 え

︑ 関

ヶ 原 の 戦 い で は 東 軍 に 味 方 し 一万 五 千 石 を 領 す る よ う に な っ た が

︑ 乱 心 し た た め 領 地 は 召 上 げ ら れ た

︒ 子 の 右 近 は 千 石 を 与 え ら れ

︑ 宇 野 を 称 し て 江 戸 城 下 に 住 ん だ と い う

︒ 是

誠 に 庄 太 郎 左 衛 門 政 春 の 功 也

︒ 愛 時 政 春 斯 せ ず ん ば 宇 野 家 の 珍 ら し き 忠 心 也

︒ 政 春 は 夫 よ り 但 州 を 立 て 播 州 一九 粟 郡 高 下 に 有 と 言

︵以 上

︑ 政﹁ 春 君 を 守 護 し て 剛 力 の 事 し

︒ 庄

政 春 の 活 躍 を 讃 え る 文 章 で 後 日 談 の 最 後 を 締 め く く る 安︒ 黒 氏 翻 刻 本 で は 本︑ 文 大 尾 近 く に

残 る 事 は 有 ま じ き に 古 今 帰 り 土 民 と 成

︒ 今 に 其 家

…181‐

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