京 大 学 史 料 編 纂 所 図 書 室 蔵 本 を 中 心 に
︱
︵一
︶ 織
田 信 長 が 中 国 の 毛 利 討 伐 の た め
︑ 羽 柴 秀 吉 を 播 磨 に 向 か わ せ た の は
︑ 天 正 五 年
︵ 一五 七 七
︶ で あ っ た
︒ 以 後
︑ 秀 吉 は 三 年 を 費 や し 播 磨 諸 氏 の 強 い 抵 抗 に 苦 戦 し な が ら も
︑ 抗 う 東 播
︒西 播 の 城 を 一 つ 一 つ 着 実 に 攻 略 し て い っ た
︒ 播 州 宍 粟 郡
︵兵 庫 県 宍 栗 市
︶ 長 水 城 を 拠 点 に 近 隣 五 郡 を 治 め て い た 赤 松 氏 末 流 の 宇 野 氏 も
︑ 秀 吉 に 抵 抗 し 滅 ぼ さ れ た 豪 族 で あ る
︒ 信﹃ 長 公 記
﹄ 巻 十 三 に は
︑ 庚
辰 四 月 廿 四 日
︑ 播 州 の 内 し そ 郡 に 宇 野 民 部 楯 籠 る
︒ 彼 者 の 親
・伯 父 構
︑ 羽 柴 筑 前 守 秀 吉 押 詰 め 乗 取 り
︑ 二 百 五 十 余 討 捕 り
︑ 夫 よ り 宇 野 下 野 居 城 へ 取 懸 け
︑ 是 又 責 破 り
︑ 震 に て も 数 多 切 捨 て
︑ 其 後
︑ 宇 野 民 部 構 は 高 山 節 所 に 候
︑ 麓 を 焼 払 ひ ︑ 塞 々 に 取 出 を 三 ッ 申 付 け
︑ 丈 夫 に 人 数 入 れ 置 き
︑ と
︑ 天 然 の 要 害 長 水 城 に 籠 る 宇 野 一族 を 攻 め 囲 む 秀 吉 軍 の 様 子 が 記 録 さ れ て い る
︒ し か し こ の 後 の 戦 に 関 し て 信﹃ 長 公 記
﹄ は 何 も 書 か ず
︑ た だ 長 水 城 落 城 に つ い て
︑ 播
州 し そ 郡 に 楯 籠 る 宇 野 民 部
︑ 六 月 五 日 夜 中 に 退 散
︒ 木 下 平 太 輔
・蜂 須 賀 小 六 追 懸 け
︑ 心 ば せ の 侍 共 帰 し 合 せ で
︑
︑ 愛 か し こ に て 相 戦 ひ
︑ 歴 々 の 者 共 数 十 人 討 捕 り
︑
と 簡 単 に 触 れ る の み で
︑ 城 主 宇 野 政 頼 の 安 否 さ え も わ か ら な い
︒ 信﹃ 長 公 記
﹄ に は 見 え な い 長 水 城 攻 防 戦 の 詳 し い 有 様 は
︑ 宇 野 方 の 立 場 か ら 書 か れ た 戦 国 軍 記 長﹃ 水 軍 記
﹄ に よ っ て 知 る こ と が で き る
︒ 国﹃ 書 総 目 録
﹄ の 長﹁ 水 軍 記
﹂ の 項 に は ︑ 一種 二 本 の 伝 本 の 記 載 が あ る
︒ 東﹁ 京 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 事 務 所 蔵 本
﹂ と
︑ そ れ を 写 し た 東﹁ 京 大 学 史 料 編 纂 所 図 書 室 蔵 本
﹂ で あ る
︒ と こ ろ が
︑ 東﹁ 京 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 事 務 所
﹂ 及 び 本 山 の 岡 山 県 岡 山 市 妙 善 寺 に 問 い 合 わ せ た と こ ろ
︑ 現 在 は 所 蔵 し て い な い こ と
︑ 戦 災 で 焼 失 し た 可 能 性 も あ る と の 返 事 を 頂 い た
︒ 原 本 が す で に 所 蔵 者 の 手 元 に な く 行 方 不 明 で あ る こ と か ら
︑ 今 回 は そ の 謄 写 本 で あ る 東 京 大 学 史 料 編 纂 所 図 書 室 蔵 長﹃ 水 軍 記
﹄
︵以 下 東 大 本 と 略 す
︶ を 翻 刻 し
︑ 資 料 と し て 本 論 に 掲 載 し た
︒ 国﹃ 書 総 目 録
﹄ に は な い が
︑ こ の 他 に
︑ 平 成 六 年
︵一 九 九 四
︶ 八 月 に 宍 栗 市 の 伊 和 神 社 宮 司 安 黒 義 郎 氏 が 翻 刻 発︒ 刊 な さ っ た 長﹃ 水 軍 記
﹄
︵以 下
︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 と 略 す
︶ が あ る
︒ 奥 書 な ど は な く
︑ そ の 伝 来 は 明 ら か で は な い
︒ 両 伝 本 の 章 段 名 を 対 比 さ せ 次 に 掲 げ た
︒ 川
戸 合 戦 の 事 井 秀に 吉 狭 戸 阪 を 越 へ 玉 ふ 事
祐 清 狭 戸 へ 向 ふ 井 狭 戸 香 山 合 戦 之 事
討 手 之 勢 下 向 ふ 之 事
秀 吉 之 使 者 長 水 へ 来 る 事 政井 頼 姫 路 へ 出 仕 之 事
宇 野 下 総 守 処 領 之 事 井 宇 野 家 譜 尽 之 事
東
大
本
川 戸 合 戦 並 秀 吉 狭 戸 坂 ヲ 越 給 事
狭 戸 香 山 合 戦 之 事
祐 清 狭 戸 へ 向 フ 事
討 手 勢 下 向 之 事
秀 吉 之 使 者 長 水 へ 来 ル 並 政 頼 姫 路 へ 出 仕 事
宇 野 家 所 領 之 事
安 黒 氏 翻 刻 本
‑177‑
長 水 落 城 之 事 付た 岡り 城 豊 後 之 守 血 戦 討 死 之 事
石 田 佐 吉 安 積 将 監 を 説 事
政 頼 再 び 毛 利 へ 救 ひ を 乞 ひ し 事
春 名 修 理一 之 太 夫 光 俊 討 死 之 事
宇 野 祐 政 が 備 と 長 浜 甚 吉 三 沢 が 備 べ と 合 戦 之 事
宇 野 帯 刀 祐 長 血 戦 討 死 之 事
上 町 表 大 合 戦 之 事
城 兵 秀 吉 の 陣 へ 寄 る 事
五 月 五 日 城 よ り 討 出 る 事
五 月 三 日 城 攻 附た 寄り 手 城 へ 夜 討 之 事
溝 口 城 中 へ 使 節 の 事 併 城 中 諾 将 会 合 の 事
翔 手 の 合 戦 付 た り 祐 清 山 片 表 退 口 之 事
寄 手 城 之 麓 へ 寄 る 付た 城り を 取 囲 ふ 事
城 兵 夜 討 た付 後り 詰 之 勢 長 水 へ来 る 事
十 六 日 合 戦 之 事
長 水 初 度 合 戦 之 事
城 よ り 出 は り 之 事
香 山 の 勢 引 退 く 附た 政り 頼 籠 城 之 事
五 月 九 日 長 水 落 城 之 事 附 安 積 小 林 返 忠 之 事
城 兵 秀 吉 卿 之 陣 へ 寄 ル 事
五 月 六 日 城 ヨ リ 打 出 ル 事
寄 手 城 中 へ 夜 討 ノ 事
五 月 三 日 城 攻 之 事
城 ヲ 取 囲 ム 事
寄 手 城 之 麓 へ 攻 メ 寄 ス ル 事
後 詰 之 勢 長 水 へ 入 ル 事
城 兵 夜 討 之 事
十 六 日 合 戦 之 事
長 水 初 度 合 戦 之 事
城 ヨ リ 出 張 ノ 事
政 頼 籠 城 之 事
香 山 勢 引 退 事
政 春 君 を 守 護 し て 剛 力 の 事
庄 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 付た 忠り 義 之 事
政 頼 井に 一族 郎 従 大 森 に て 血 戦 討 死 之 事
宇 野 下 総 守 政 頼 井 族一 良 従 大 森 ニ テ 自 害 ノ 事 東
大 本 は 一
︒ 二
・下
︑ そ れ ぞ れ の 巻 の 始 め に 目 録 を 置 く が
︑ 目 録 と 実 際 の 章 段 名 は 致一 し な い
︒ こ こ に 挙 げ た 章 段 名 は 本 文 中 の も の で あ り
︑ 網 か け を し た 章 段 は 各 巻 の 始 め の 目 録 に は な い も の で あ る
︒ 網 か け を し た 章 段
︑ つ ま り 目 録 に 見 え な い 章 段 は
︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 に も な い 章 段 で あ る
︒ ま た
︑ 東 大 本 で は 一章 段 に ま と め ら れ て い る も の で 安 黒 氏 翻 刻 本 で は 二 章 段 に ま た が っ て い る 章 段
︑ 例 え ば 東 大 本 で は 五﹁ 月 二 日 城 攻 附 た 寄り 手 城 へ 夜 討 之 事
﹂ と な っ て い る 章 段 が
︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 で は 五﹁ 月 三 日 城 攻 之 事
﹂ と 寄﹁ 手 城 中 へ 夜 討 ノ 事
﹂ と 二 つ に 分 け ら れ て い る が
︑ 東 大 本 の 目 録 で は
︑ 安 黒 氏 翻 刻 本 の よ う に 二 つ の 章 段 に 分 け て 載 せ て い る 場 合 が あ る
︒ 東 大 本 は
︑ も と に し た 長﹃ 水 軍 記
﹄ の 一伝 本 の 目 録 を ほ ぼ そ の ま ま 写 し な が ら
︑ 本 文 に は 新 し く 章 段 を 設 け た り
︑ 章 段 を ま と め た り な ど 大 幅 に 手 を 加 え た た め に
︑ 日 録 と 本 文 の 章 段 が 一致 し な い 状 態 に な っ た の で あ ろ う
︒ こ の こ と か ら
︑ 東 大 本 は 安 黒 氏 翻 刻 本 よ り 後 出 の 伝 本 で あ る と 推 測 で き る
︒ た だ し
︑ 傍 線 を 施 し た 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 付 た り 忠 義 之 事
﹂ の 章 段 だ け は
︑ 本 文 に 入 れ 込 ん だ 後
︑ 巻 始 め の 目 録 に わ ざ わ ざ 書 き 加 え た よ う で あ る
︒ こ れ は
︑ 後 述 す る よ う に こ の 章 段 が 東 大 本 に と っ て 特 別 な 意 味 を 持 つ 章 段 だ か ら で あ る
︒ 章 段 名 が 同 じ で も 東 大 本 と 安 黒 氏 翻 刻 本 を 比 較 し て み る と
︑ 多 く の 異 文 が 散 見 さ れ
︑ 更 に 安 黒 氏 翻 刻 の 長﹃ 水 軍 記
﹄ で は 脱 落 し て い る 箇 所 を 東 大 本 で 補 う こ と が で き
︑ 東 大 本 が 貴 重 な 伝 本 で あ る と 認 め ら れ る
︒ こ の 節 で は
︑ 典 型 的 な 地 方 戦 国 軍 記 で あ る 長﹃ 水 軍 記
﹄ を 東 大 本 中 心 に 紹 介 し
︑ 見 て い き た い と 思 う
︒
‐179‑
︵一 一︶ 東
大 本 長﹃ 水 軍 記
﹄ は
︑ 巻﹁ 之
﹂一 巻﹁ 之 二
﹂ 巻﹁ 之 下
﹂ の 三 巻 一冊 か ら 成 る
︒ 墨 付
Ⅲ 丁
︒ 奥 付 に は 天﹁ 保 十 二 丑 年 龍 野 藩 中 藤 江 氏 に て 借 用 閏 正 月 写 之 筆 者 青 木 村 小 林 山 内 茂 作
﹂ 右﹁ 長 水 軍 記 東 京 市 麻 布 区 本 村 町 日 蓮 宗 不 受 不 施 派 事 務 所 妙 覚 寺 蔵 本 明 治 二 十 七 年 十 月 謄 写
﹂ と あ り
︑ 龍 野 藩 藤 江 氏 所 蔵 の 本 を 天 保 十 二 年
︵一 八 四 一︶ に 青 木 村 の 山 内 茂 作 な る 人 物 が 借 り て 書 写 し
︑ 更 に そ の 本 を 明 治 三 十 七 年
︵一 九
〇 四
︶ 十 月 に 写 し た 伝 本 で あ る
︒ 巻 之 下
︑ 本 文 が 終 っ た す ぐ 後 に
︑ 宇﹁ 野 一家 井に 長 臣 之 面 々 居 前 之 次 第 本 主 広 岡 庄 氏 本 家
﹂ と あ り
︑ 続 い て 長 水 城 城 主 宇 野 政 頼 を 始 め と す る 宇 野 一族 九 人 と 春 名 氏 ら 七 人 の 重 臣 た ち の 居 所 が 書 か れ て い る
︒ 重 臣 の 七 人 目 に は
︑ 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 一九 五 十 波 村 居 後 一両 下 上 之 の 下 居 す 今 俗 構 と 云
﹂ と 見 え る
︒ こ れ ら の 記 述 は 安 黒 氏 翻 刻 本 に は な く
︑ 庄﹁ 政 春
﹂ は
︑ 東 大 本 の 性 格 を 考 え る 上 で 重 要 な 意 味 を 持 つ 人 物 で あ る
︒ 東 大 本 と 安 黒 氏 翻 刻 本 と の 大 き な 違 い の 一 つ に
︑ 東 大 本 に は 安 黒 氏 翻 刻 本 に は な い 落 城 後 の 後 日 談 の 見 え る こ と が 挙 げ ら れ る
︒ そ の 後 日 談 と は
︑ 東 大 本 巻 之 下
︑ 長﹁ 水 落 城 之 事 付た 岡り 城 豊 後 之 守 血 戦 討 死 之 事
﹂ の 部一
︑ 及 び
︑ 最 後 の 二 章 段 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 付た 忠り 義 之 事
﹂ と 政﹁ 春 君 を 守 護 し て 剛 力 の 事
﹂ で あ る
︒ 城 を 出 て 秀 吉 軍 と 戦 っ て い た 長 水 城 城 主 宇 野 政 頼 は
︑ 秀 吉 の 内 応 者 に よ っ て 城 に 火 が か け ら れ た と 聞 き
︑ 急 ぎ 奥 方 お 時 の 方 の も と に 向 か う
︒ 落 城 を 覚 悟 し た 政 頼 は
︑ 自 分 と 共 に 逃 げ る の は 危 険 だ か ら
︑ 末 子 慶 之 助 を 連 れ て 城 を 落 ち
︑ 高 下 に い る 庄 太 郎 左 衛 門 政 春 を 頼 る よ う に と
︑ お 時 の 方 に 命 じ る
︒ 同 じ 道 に
︑ と す が る 奥 方 を 説 得 し
︑ 政 頼 は 都 多 村 を 目 指 し 落 ち て い く
︵以 上
︑ 巻 之 下 長﹁ 水 落 城 之 事 付た 岡り 城 豊 後 之 守 血 戦 討 死 之 事
﹂ 94
オ
〜 95
オ
︶︒ 庄 太 郎 左 衛 門 政 春
は
︑ 智 仁 勇 を 備 え た 宇 野 家 の 重 臣 で あ っ た
︒ 多 く の 戦 功 を た て 厚 遇 を 与 え ら れ て い た が
︑ あ る 時
︑ 加 増 を 辞 退 し 高 下 の 地 に 五 百 石 を 賜 り
︑ そ の 後 は 土 民 と な っ て 暮 ら し て い た
︒ 長 水 城 の 危 機 を 知 っ た 政 春 は
︑ 出 陣 の 支 度 を し
︑ す ぐ に 城 に 駆 け つ け よ う と し た が
︑ 老 母 が 何 度 も 自 害 を 試 み た た め
︑ 孝 心 か ら 出 陣 を 取 り や め 老 母 の 側 に 付 き 添 っ て い た
︒ 五 月 八 日 暮 れ 方 に 老 母 は 自 害 を 遂 げ て し ま っ た の で
︑ 翌 日
︑ 政 春 は 弔 い を 済 ま せ
︑ 午 の 刻 に は 若 党 十 人 ほ ど を 連 れ て 長 水 城 に 向 か っ た
︒ す で に 城 は 猛 火 に 包 ま れ
︑ そ の 中 を 政 春 は 主 君 を 捜 し 求 め る
︒ ち
ょ う
ど そ の 時
︑ 慶 之 助 と 城 を 脱 出 し よ う と し て い た 奥 方 と 出 合 い
︑ 政 春 は 政 頼 を 追 う の を 諦 め
︑ 二 人 を い っ た ん 高 下 へ と 連 れ て 帰 り
︑ そ の 後
︑ 奥 方 の 実 家 但 馬 竹 田 城 へ と 送 り 届 け る た め に 高 下 を 出 発 す る
︵以 上
︑ 庄﹁ 太 郎 左 衛 門 政 春 由 来 た付 忠り 義 之 事 し
︒ し か し
︑ こ の 事 は
︑ 宇 野 氏 を 裏 切 り 秀 吉 方 に つ い た 安 積 泰 昌 の 知 る と こ ろ と な り
︑ 政 春 た ち は 安 積 に 襲 わ れ る
︒ 奥 方 と 慶 之 助 を 乗 せ た 輿 を 先 に 逃 が し
︑ 政 春 は 一人 で 安 積 の 兵 た ち を 相 手 に 奮 戦 す る
︒ 安 積 を 掴 み 上 げ
︑ 田 に 投 げ 捨 て た 政 春 は
︑ す ぐ に 奥 方 た ち に 追 い つ い た
︒ 慶 之 助 は 政 春 の 忠 義 ぶ り を 讃 え
︑ 宇 野 家 伝 来 の 小 柄 を 与 え た と い う
︒ 竹 田 城 に 無 事 逃 れ た 慶 之 助 は
︑ そ の 後 明 智 光 秀 に 従 い
︑ 一 万 石 を 領 し た
︒ 光 秀 が 滅 ん だ 後 は
︑ 秀 吉 に 仕 え
︑ 関
ヶ 原 の 戦 い で は 東 軍 に 味 方 し 一万 五 千 石 を 領 す る よ う に な っ た が
︑ 乱 心 し た た め 領 地 は 召 上 げ ら れ た
︒ 子 の 右 近 は 千 石 を 与 え ら れ
︑ 宇 野 を 称 し て 江 戸 城 下 に 住 ん だ と い う
︒ 是
誠 に 庄 太 郎 左 衛 門 政 春 の 功 也
︒ 愛 時 政 春 斯 せ ず ん ば 宇 野 家 の 珍 ら し き 忠 心 也
︒ 政 春 は 夫 よ り 但 州 を 立 て 播 州 一九 粟 郡 高 下 に 有 と 言
︵以 上
︑ 政﹁ 春 君 を 守 護 し て 剛 力 の 事 し
︒ 庄
政 春 の 活 躍 を 讃 え る 文 章 で 後 日 談 の 最 後 を 締 め く く る 安︒ 黒 氏 翻 刻 本 で は 本︑ 文 大 尾 近 く に
︑
残 る 事 は 有 ま じ き に 古 今 帰 り 土 民 と 成
︒ 今 に 其 家
…181‐