第 6 章 シミュレーションによる SET パルスの LET 依存性の要因解明 86
6.3 実際的な電子正孔対生成モデルの導入
6.3.1 Kobetich と Katz の理論
KobetichとKatzの理論とは重イオンが水に入射した時に発生する δ線の数(n)を半 径方向の距離(t)の関数で表す解析式のことをいい,入射物質のパラメータを加えること によって水以外の物質内での線量分布を求められるようにしたものである [36, 37].6.7 式にKobetichとKatzの式を示す.
n(t) = 2πN Z∗2e2 mv2t2
·
1−β2 t
tm + πβz 137
µ t tm
¶1/2µ 1− t
tm
¶¸
(6.7)
n: δ線の数.
m: 電子の質量 [9.11×10−31kg].
c: 光速 (真空中) [2.99792458×108m/s].
N: 水中の電子密度 [electrons/cm3].
e: 電気素量 [1.602×10−19C].
Z∗: 実効電荷 (effective charge). tm: δ線の最大飛程.[g/cm2]
ここでZ∗ は実効電荷 (effective charge)と呼ばれるもので,入射粒子のZ(原子番号)と β から,以下の式で求められる.
Z∗ =Z[1−exp(−125βZ−2/3)] (6.8)
以下に示す式は,Waligorski等がアルミニウム中での線量分布(D [Gy])を求めるため に6.7式を拡張した式である[38].
D1(t) = N e4Z∗2 αmc2βt
·(1− Tt+θ+θ)1/α t+θ
¸
(6.9)
t: イオン経路に垂直方向の半径 [nm].
m: 電子の質量 [9.11×10−31kg].
c: 光速 (真空中) [2.99792458×108m/s].
β: v/c(v: 入射イオンの速度 [m/s]).
N: 水中の電子密度 [electrons/cm3].
e: 電気素量 [1.602×10−19C].
Z∗: 実効電荷 (effective charge).
θ とT は,以下に示すアルミニウム中の電子の飛程r (g/cm2)とエネルギーの関係を 用いて表されている.
r=kwα (6.10)
ここでk は定数(6×10−6 [g/cm2keVα] ),wはδ-線の運動エネルギー,
α =
(1.079 w <1 keV
1.667 w >1 keV (6.11)
である.また,入射物質のイオン化ポテンシャルをI,δ-線が入射物質をイオン化するま での飛程をθまた,δ-線の最大エネルギーをW とおくと6.10式の関係よりT とθ はそ れぞれ,
θ =kIα (6.12)
T =kWα (6.13)
と表せる.以上がWaligorski等によってアルミニウム中での線量分布を求めるために拡 張された式である.Fageeha等はシリコン中での線量分布を求めるため,以下のように修 正項k(t)を加えた.この修正された式は,多くの実験データやモンテカルロ計算との比較 によって,その有用性が確認されている [29, 40–42].本シミュレーションでは,Fageeha 等によってさらにシリコン中での線量分布を求めるために拡張された6.14式を用いて電 子正孔対分布を求めた [39].
D(t) =D1(t)[1 +k(t)] (6.14)
修正項k(t)は以下に示す通りである.
k(t) =AβB(t−0.1)exp(−t/c) (6.15) ここで,B = 0.215,C = 3.127−0.434β,
A =
0 β <0.0081のとき
112β−0.899 0.0081< β <0.091のとき 0.674β+ 0.921 β >0.091のとき
(6.16)
である.この修正式を用いる場合,水中の電子密度 N を以下の式に基づいてシリコンの 電子密度に変更する必要がある.
N =AvρZ
A (6.17)
Av はアボガドロ数(6.02×1023 [mol−1]),ρ,Z,Aはそれぞれシリコンの密度,原子番 号,質量数である.以上の式から重イオンによるシリコン中の線量分布を求める.重イオ ン入射による電子正孔対分布は,半径 tでの線量(Gy)をシリコン単位体積辺りのエネル ギー付与(eV/cm3)に変換し, 付録B.1式のようにシリコン中での電子正孔対生成エネル ギーで除することで単位体積辺りの電子正孔対密度(cm3)が導出できる.
図6.7に6.14式によって求めた実際的な電子正孔対生成モデルと,6.3式を用いて求め たガウス関数型電子正孔対生成モデルの例を示す.電子正孔対生成モデルは,電子正孔対 生成密度をイオン経路に垂直な半径の関数で表される.実線は,実験で用いたXe がシリ コン中に作る電子正孔対の密度分布を表す実際的な電子正孔対生成モデルであり,破線は LET 105 MeV·cm2/mgのイオンがシリコン中に作る電子正孔対の密度分布を 6.3式で 表したガウス関数型の電子正孔対生成モデルである.両者は,同じ量の電子正孔をシリコ ン中に生成する.Xe 289 MeVのイオンがシリコンへ付与するLETは66 MeV·cm2/mg であるが,電子正孔対生成モデル上では,LET 105 MeV·cm2/mg相当の電子正孔対をシ リコン中に生成する.これは,6.14式を導出する際に参照した実験値とモンテカルロ計算 の精度の限界からきた誤差であると考えられる.10 keV以下の電子の検出は非常に難し く,精度の良い実験結果は皆無であり,その結果,実験結果を参照するモンテカルロ計算
の精度も10 keV以下では保証されていない.そのため,今回シミュレーションに用いる
実際的な電子正孔対生成モデルは,総生成電子正孔対量から算出した LET相当のイオン として扱った.
実際的な電子正孔対生成モデルにおける電子正孔対密度の最大値は,1024 (1/cm3)に達
10
1710
1810
1910
2010
2110
2210
2310
2410
250 100 200 300
C h a rg e D e n si ty (1 /cm
3)
Radial Distance (nm)
400 Realistic
(289 MeV Xe)
Gaussian
(105 MeV • cm
2/mg)
図6.7 実際的な電子正孔対生成モデル(実線)と,ガウス関数型の電子正孔対生成モデル(破線).
値に対して1/20程度である.価電子を考えると ,Si原子の価電子数は4で,Si 1 (cm3) 当たりの価電子数は2×1023 (electrons/cm3)となるが,この価電子が全て電離したとし ても1024 (1/cm3)に対して1/5である.ここで,イオン経路からの半径方向の分布を考 える.イオン経路からの半径1 〜 5 ˚A までの実際的な電子正孔対生成モデルにおける電 子正孔対密度は,1024 〜1022 (1/cm3)にわたって分布している.しかし,Siの格子定数 は5.43 ˚Aであるため,イオン経路からの半径1 〜5 ˚A間に上記のような電子正孔対の大 きな密度勾配は存在しないはずである.そこで,イオン経路からの半径1〜5 ˚Aまでの実 際的な電子正孔対生成モデルにおける電子正孔対密度1024 〜 1022 (1/cm3)を積分しイ オン経路からの半径で除すことで得られる平均値(約1023 (1/cm3))を最大電子正孔対密 度とみなすことにする.すると,Si 1 (cm3)当たりの価電子数2×1023 (electrons/cm3) と一致し,イオン経路からの半径 1 〜 5 ˚A における実際的な電子正孔対生成モデルに よる電子正孔対量は妥当な値であると考えられる.ただし以降では,簡単の為に,イオ ン経路からの半径1 〜 5 ˚Aまでの密度分布を平均化せずに,計算を行う.この場合,電 子正孔対密度の最大値 1024 (1/cm3)に対して,Si 1 (cm3)当たりの価電子数2×1023 (electrons/cm3)と両者の差が1/5程度と小さいことと,1024 (1/cm3)の電子正孔対密度 の領域が非常に短いため,後のシミュレーション結果に対して大きな影響を与えることは ないと予想される.