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最も美しき又最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説

相当に開けて居た諸民族も亦一般には前條に述べたような 考の立場に踏み 止って居た︒

の生れる前の時代に於てローマは既に高い文化を 有って居たに 拘らず︑その当時にオヴィディウスが世界の起源に 就て書いて居る事は︑七〇〇年前にヘシオドスの書いて居る事と 殆ど同じことなのである︒此れから見ると此の永い年月の間に於て自然の研究は一歩も進まなかったかと思われるのであるが︑ 尤も︑後に述べるように︑此の期間に多くの研究者︑思索家の間には︑此の宇宙の謎に関する一つの考え方が次第に熟しつつあったので︑その 考は今日吾々の時代から見ても実に驚嘆すべきものであったのである︒ 併し此の研究の成果は 若干の少数な選ばれたる頭脳の人々の間にのみ保留されて居たようである︒誰でも大衆に対して述べようという場合となると︑国家の利害に対する責任上︑数百年来の昔から伝わり︑そして公認の宗教と合体し︑従って神聖にして犯し難いものになって居る在来の観念を唱道しなければならなかった︒恐らく又多くの人々は︱︱︱ルクレチウス

の想像に 拠ると︱︱︱自然研究の諸結果は詩的の価値が 餘りに少ないと考えたのかも知れない︒此のように科学の成果が一般民衆の思考過程中に浸潤し得ないで居たという事が︑他の 如何なる原因よりも以上に︑古代の文化が野蛮人の侵入の為にあれ程迄にかたなしに破壊された原因となったのかも知れない︒又︑多分︑エジプト僧侶の中に 若干の思索家があって︑ 其等は前述のエジプトの創世伝説に現われたような原始的な立場を 疾に脱却して居たであろうと考えられる︒ 併し彼等は此の智識を厳重に 唯自分等の

51 第三章 最も美しき又最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説 階級の間にのみ保留し︑それによって奴隷的な民衆に対する彼等の偉大な権力を獲得して居たのである︒ところが︑西暦紀元前約一四〇〇年頃に︑アメンホテプ四世(AmenhotepIV)と名づくる開けた君主が現われて一大改革を施し︑エジプト古来の宗教を改めて文化の進歩に適応させようとした︒彼は可なり急進的の手段を採った︒ 即︑古来の数限りもない神々の 眷属は一切此れを破棄し︑唯一の神アテン(Aten) ︑ 即︑太陽神のみを認めようという宣言を下した︒そして古い神々の殿堂を破壊し︑又忌まわしい邪神の偶像に充たされたテーベ(Thebe) の旧都を移転してしまった︒ 併しそれが為に当然彼は権勢に目のない僧侶たちから 睨まれた︒そして盲目な民衆も亦疑いもなく彼等の宗教上の導者達に追従したに

相違ない︒それで此の 折角強制的に行われた真理の発揚も此の賢王の死後 跡方もなく消滅してしまった︒

而して其王婿アイ(Ai) は﹃余は余の軽侮する神々の前に膝を屈しなければならない﹄と歎ずるようなはめに立到ったのである︒アメンホテプ︱︱︱又クト・エン・アテンス(Chut-en-atens) 即﹃日輪の光輝﹄︱︱︱の宗教の偉大であった点は︑天然の中で太陽を最高の位に置いたことである︒此れは吾人の今日の 考と 殆ど一致する︒地球上に於けるあらゆる運動は︑ 唯僅少な潮汐の運動だけを除いて︑全部そのエネルギーを太陽に仰いで居る︒又ラプラスの仮説から云っても︑地球上のすべての物質は︑ 唯其中の比較的僅少な分量が小さな隕石の形で天界から落下しただけで︑他は全部其の起源を太陽に 有って居る︒それで︑云わば︑太陽は﹃ 凡ての物の始源﹄であって︑此れは野蛮人の考えるように地上の物だけに 就てもそう云われ︑又全太陽系に

就ても云われ得る事である︒以下に太陽神に対する美しい賛美歌を挙げる︒ 此処では此の神はラー(Re)

及びアトゥム(Atum)という二つのちがった名で呼ばれて居る︒

汝をこそ拝め︑あわれ︑ラーの神の昇る時︑アトゥムの神の沈む時︒

汝は昇り︑ 汝は昇る︒ 汝は輝き︑ 汝は輝く︒光の冠に︑ 汝こそ神々の王なれ︒天の︑地の君にて 汝は在す︒

汝は︑ 彼処に高く星︑ 此処に低く人の数々を作りぬ︒

汝こそは︑時の始めに既に在せし唯一の神なれ︒地の国々を 汝は生み︑国々の民を 汝は作りぬ︒

汝は大空の雨を︑やがてナイルの流れを我らが為に作り 賜いぬ︒河々の水を 汝は 賜い︑その中に住む生物を 賜いぬ︒山々の尾根を 連ねしは 汝︑かくて人類と此の地上の世を作りしは 汝にぞありし︒ラプラスの仮説によっても︑ 矢張︑太陽がエジプト人の最も重要な星と 見做したもの︑ 即︑遊星の創造者であると 見做す事が出来る︒もし遊星を神的存在であるとするならば︑太陽は当然一番始めに存在した唯一の神と云ってもよい訳である︒それから百年 乃至二百年の後に現われたツァラトゥストラ

(Zarathustra) の宇宙観は 正に此のアメンホテプのそれを想出させるものである︒此の 考によると︑無窮の 往昔から︑ 所謂 渾沌に該当する︑無限大の空間が存在し︑又光と闇との権力が存在して居た︒そして︑光の神なるオルムズド(Ormuzd)

53 第三章 最も美しき又最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説

は当時有り合わせた材料によって︑次のような順序で︑万物を形成した︒此の順序を︑バビロニア及びユダヤの伝説による創造の順序と比較してみよう︒

オルムズドマルドゥクエロヒム︵創世記︑一︶1 アムシャスパンデン

6地と生物6人間6人間 5水5動物5動物 4火4植物4諸天体 3太陽︑太陰及び星3地3植物 2天2諸天体2地 1天1天 1

(

(Zervaniten)中で次第にツァラトゥストラの帰依者の大多数を従えるに到ったゼルヴァニート教の人たち 時代の移ると共に︑ペルシアに於けるツァラトゥストラの教えは変化を受け︑数多の分派を生じた︒その 神崇拝から太陽礼拝に移って行ったので︑其一例は日本人である︒ 事は︑丁度バビロニア人に於ける太陽神マルドゥクと同様であった︒他の色々の民族でも又本能的に多 ツァラトゥストラの信徒に取っては︑太陽が︑最も重要な光として︑其の崇拝の主要な対象であった )(Amschaspanden)1

説いた所によると︑世界を支配する原理は無窮の時“zervaneakerene”であって︑此れから善(Ormuzd)の原理も又悪︵アフリメンAhrimen︶の原理も生じたというのである︒ツァラトゥストラの教理は 回々教

及びグノスチック教

の要素と融合して更に別の分派を生じた︒ 即︑イスマイリズム(Ismailismus) と称するものであって︑一種の哲学的神秘主義の匂いをもったものである︒その教えによると︑世界の背後には或る捕えどころのない︑名の付けようもない︑無限の概念に該当する存在が控えて居る︒此の者に関しては吾々は云うべき言葉を知らず︑従って又此れを祈念し礼拝することも出来ない︒此の者から︑一種の天然自然の必要によって︑ 所謂放射(Emanationen) と称するものが順次に出て来る︒ 即︵一︶全理性(Allvernunft) ︑︵二︶全精神(Allseele) ︑︵三︶秩序なき原始物質︑︵四︶空間︑︵五︶時間及び︵六︶秩序組織の整えられた物質的の世界︑此中の最高の位置に人間が居るのである︒此の宗教では物質︑空間及び時間の方が︑秩序立った組織を有し︑従って知覚され得る感覚の世界よりももっと高級な存在価値のあるものとしようというのであるらしい︒此れは 恰も物質︑空間及び時間を無限なりとする近代の 考に相当して居るのである︒又 所謂全精神なるものにも同様な属性があるものとされて居る︑此れは同じ 考を生命の方へ其 儘引き写しに持ち込んで行ったものと見る事が出来よう︒ツァラトゥストラ教に従えば︑アストヴァド・エレタ(Astvad-ereta) が 凡ての死者を呼びさまし︑そして 凡てが幸福な状態に復するということになって居る︒イスマイル教徒に云わせると︑此の復活並びに最後の審判に関するゾロアスター教の教えは︑単に宇宙系に於ける週期的変転を表現する影像に過ぎ

55 第三章 最も美しき又最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説 ないというのである︒此の後者の 考は事によるとインド哲学の影響によって成立ったのかも知れないと思われる︒東洋の諸民族の中で︑インド人はその古い宗教を 有つ点で他民族の中に独自の地位にある︒此の宗教は永い間に僧侶階級によって段々に作り上げられ︑永遠に関する一つの教理となった︒此の教理は哲学的に深遠な意義のあるものであり︑又現代の自然科学研究の基礎を成す物質並びに勢力不滅の観念と本質的に該当し︑又︑その永遠に関する概念は現代の宇宙 開闢説の主要な部分を成すものと同じである︒世界万有の中に不断の進化の行われて居るという事は誰が見ても明らかである︒それで︑此の進化は週期的に行われるものであって︑何度となく同じ事を繰返すものだという事を仮定して︑始めて此の世界の永遠性という事が了解される︒昔のインドの哲学者等が此の過程をどういう風に考えて居たかという事は次の物語から分るのである︒マヌ︵Manuヴェーダの歌謡の中に現われるマヌは人類の元祖︑ 即︑一種のノアである︶はじっと 考に沈んで居た︒ 其処へマハルキーン(Maharchien)がやって来て︑ 恭しく 御辞儀をしてこう云った︒﹃ 主よ︑もし 御心に 叶わば︑どうか︑物の始まりが 如何なる方則によって起ったか︑又それが混り合って出来た物は 如何なる方則に支配されたか︑事 細かに︑順序を立てて御話して下さるように願います︒ 主よ︒此の普遍な方則の始まり︑それの意味又其結果を知って居るのはあなたばかりであります︒此の根元の方則は捕え所もなく︑その及ぶ範囲も普通の常識ではとても測り知る事が出来ません︒ 唯ヴェーダであらせられる貴方だけが御わかりでありましょう︒﹄此れに対して此の全能なるものの賢い返答は次の通

りであった︒﹃では話して聞かそう︒此の世界はその昔暗黒に包まれて︑捕え所なく︑物と物とを差別すべき目標もなかった︒悟性によって其の概念を得るという事も出来ず︑又それを示現する事とも出来ず︑全く眠りに沈んだような有様であった︒此の溶合の状態︵宇宙は 此処では完全に均質に溶け合った溶解物のように考られて居るのである︶が其の終期に近づいたときに︑ 主︵ブラーマBrahma ︶︑ 即︑此の世界の創造者でしかも吾人の官能には捕え難い 主は︑五つの元素と他の原始物質とによって此の世界を知覚し得るようにした︒彼は至純な光で世を照らし闇を散らし︑天然界の発展を始めさせた︒彼は自己の観念の中に思い定めた上で︑様々の創造物を自生的に発生させる事とした︒そして第一に水を創造し︑その中に一つの種子を下ろした︒此の種子が段々生長して︑黄金のように輝く卵となった︒それは千筋の星の光のように光って居た︒そして其れから生れ出たのが︑万物の始源たる︑男性︑ブラーマの形骸を 具えた至高の存在であった︒彼が此の卵の中で神の年の一年間︵人間の年で数えると約三〇︑〇〇〇億年餘︶休息した後に︑ 主は 唯自分の観念の中で此の卵を二分し︑それで天と地とを作った︒そして両者の中間に気海と八つの星天︵八九ページ第六図︶と及び水を容るべき測り難い空間を安置した︒かくして︑永遠の世界から生れた此の無常の世界が創造されたのである︒﹄なお 主なる彼は此の外に 沢山の神々と精霊と時期とを創造した︒此の永遠の存在にも又同時にあらゆる生ける存在にも覚醒と安息との期間が交互に週期的にやってくる︒人間界の一年は霊界の一日に当り︑霊界の一︑二〇〇年︵此の毎年が人間の三六〇年を含む︶が神界の一紀であり︑此の二千紀が一ブラーマ日に当る︒此の︱︱︱八六億四︑〇〇〇万年の長きに当る︱︱︱日の後半の間はブラーマも又 凡ての生命も眠って居る︒ 而して彼が眼を覚