ラプラスの前述の研究は吾々の遊星系に限られていた︒又スウェーデンボルクやライトやカントも其他の天体に つい就ては ただ唯概括的な かんがえ考を述べているに過ぎない︒ もっと尤もライトが︑銀河の諸星も又吾々の太陽も運動していると考えたのは なかんずく就中顕著なものであった︒しかるにハーシェル︵Herschel 一七三三︱一八二二年︶に到っては ばくだい莫大な恒星界全部を取って彼の研究範囲としたのである︒此れより先ハレー︵Halley一六五六︱一七四二年︶は彼の観測の結果から︑ じゃっかん若干の恒星は数世紀の間には其の位置を変ずること︑そうして わず僅かティコ・ブラーエのときから十七世紀の終迄の間にさえ既に位置の変化が認められるということを発見した︒其後間もなくブラドリー︵Bradley一六九二︱一七六二年︶が従来には類のない精密な恒星表を編成した︒ハーシェルは此の表の助けによって恒星の位置変化に関する研究をすることが出来たのであるが︑其結果として︑此の位置変化が かなり可也 いちじる著しい程度に生じていることを発見した︒又諸恒星は天の一方の部分に向って互に近より︑又其れと反対の点から互に遠ざかるような運動をして居ることを認めた︒そうして此の現象の説明として︑物体の視角が其物に近寄る人には段々大きくなり︑遠ざかる人には小さくなるという事実を引用した︒ ここ此処で其物体に相当するものは恒星間を連結する線なのである︒ハーシェルは此の かんがえ考に もとづ基いて太陽と此れに属する諸天体が いか如何なる点に向って動いて居るかを決定することが出来た︒始めハレー︑後にハーシェルによって認められた恒星の此運動を名づけて其の固有運動と称する︒此
149 第八章 天文学上に於ける其後の重要なる諸発見。恒星の世界
さんかく
アンドロ メダ
うお おひつじ
b a
c
i
第二十五図 の運動を測定するには通例星空を背景として其れに対する恒星の変位を測るのであるが︑此の際背景となる星空には非常に遠距離にある たくさん沢山の恒星が散布されて居り︑ それら其等の星の大多数は其の距離の過大なために其の運動が認められないのである︒大発見というものは始めには たいがい大概抗議を受けるものである︒人もあろうにベッセルの ごと如き人でさえ︑ハーシェルの発見は疑わしいと言明した︒此れに反してアルゲランダー(Argelander) はハーシェルの説に賛同した︒此の人は︑恒星の位置及光度に つい就て綿密な測定をして偉大な功績を挙げた人である︒そうして彼の説は此方面に於ける すべ凡ての後の研究者によって たし確かめられた︒ なかんずく就中カプタイン(Kapteyn)の ごと如きは其 いちじる著しいものである︒以下に述べる所も一部分は此の人の叙述に依ることにする︒第二十五図は天の一部分︑ すなわち即︑さんかく︑アンドロメダ︑おひつじ︑及びうおの各星座附近に於ける恒星の運動を示すものである︒図の小黒圏は諸星の現在の位置を示す︒此の圏点から引いた直線は其星が最近三︑五〇〇年間に動い
a b
c d 第二十六図
た軌道を示すものである︒此れから分る通り︑三︑五〇〇年前には これら此等の星座は
よほど餘程今とはちがった形をして居た はず筈である︒ これら此等諸星の軌道は決して並行して居ないし︑又其の速度も決して一様でない︒ しか併し︑全体として見ると右上から斜に左下に向った方向が多いということだけは明らかに認められる︒今 これら此等の色々な方向の線を第二十六図のように︑同一の点から引いて見ると︑此の特に数多い方向が一層目立って認められる︒此の特異の方向を二重線の矢で示してある︒此のような運動方向の﹃合成方向﹄を天球の上に記入すると第二十七図のよう
北 極
向点 こと
ヘルクレス A
第二十七図 になる︒ これら此等の矢は皆天球上の或る一点から輻射するように見える︒此の特殊な点を﹃向点﹄(Apex) と名づける︒此の点は明らかに太陽の進行している目標点である︒何となれば すべ凡ての恒星は此の点から四方に遠ざかって行くように見えるからである︒ もっと尤も此れは もちろん勿論諸恒星の平均運動に つ就いてのみ云われることであって︑各自の星の固有運動に つ就いて云えばそれは此の平均とは多少ずつ皆ちがっているのである︒此れからも分る通り諸恒星も亦互に相対的に運動しているので︑恒星の群の中で特に太陽だけが運動しているのではない︒カプタインに よ拠る此の図は非常に明瞭な観念を与えるもの
151 第八章 天文学上に於ける其後の重要なる諸発見。恒星の世界 である︒此れを見ればハーシェルの かんがえ考の正しいということは到底否定する事が出来ない︒太陽は天上の︵A︶点︑ すなわち即︑ヘルクレス座中で︑こと座との境界に近い一点に向って進んで居る︒そうして此れと正反対の位置にあるおおいぬ座から遠ざかりつつあるのである︒銀河中の諸恒星が︱︱︱太陽系中の諸遊星の ごと如く︱︱︱同一方向に動いているというライトの説は︑シェーンフェルト(Sch¨onfeld) 並びにカプタインによって吟味せられた︒ しか併し此のような規則的な運動をしているような形跡は見付ける事が出来なかった︒此れに反してカプタインは此れとはちがった或る規則正しさを認めた︒ すなわち即︑彼の見るところでは︑ これら此等恒星の固有運動は︑二つの恒星群が存在することを暗示する︒其の一群はオリオン座中のカイ(
い筈である︒ はず 年一回ずつ大きくなったり小さくなったりするように見えるであろうという見込をつけても不都合はな が︑但し週期的ではあるが︑認められるだろうと豫期してもいい訳である︒即︑多くの星の大きさが毎 すなわち は他の季節に於けるよりも或る特定の恒星に近くなって居る筈である︒従って上に述べたと同様な現象 はず アリスタルコス及コペルニクスの説の通り地球は空間を動いて居るのであるから︑一年中の或る季節に 動く見掛け上の速度からして︑其の星の太陽からの距離を決定する事が出来るようになったからである︒ 此の現象が一層著しい興味を惹くようになったというのは︑此れに拠って︑恒星が天球上を一年間に いちじるひよ る発見が現われることであろう︒ 居るように見えるというのである︒尚︑今後の研究によって此の規則正しさに関して色々新しい興味あ なお )ξ星の方向に︑他の一群は此れと殆ど正反対の方向に進んで ほとん
しか併し此の期待は中々安易には みた充されなかった︒既にアリスタルコスは此の変化の見えないという事実から︑諸恒星の距離は あま餘りに大きい為に︑それが無限大であるように見え︑従って星座の視角の年変化が到底認め得られないのであると考えた︒コペルニクスも亦同じ意見であった︒ しか併しティコ・ブラーエには此の かんがえ考が信じ難く思われた︒そうして彼は此の事実をもって︑地球は静止し宇宙の中点にあるという説の論拠としたのである︒ しか併し其後︑天文学者等は此の期待された現象を発見しようとして いよいよ愈熱心に努力をつづけていた︒そうして︑ つい遂に一八三八年に到って︑ベッセルが白鳥星座の第六一番と称する星が一年の週期で わず僅かな往復運動をして居ることを たしか確めることに成功した︒この運動から此の恒星の距離を算定することがで来たが︑それは実に ばくだい莫大なものであって︑光線が此の星から太陽迄届くのに一〇年掛るということが分った︒それで此の距離を表わすのに一〇光年という言葉を使う︒一光年の距離は 9.5×10 12 すなわち即︑約一〇万億キロメートルであって︑地球から太陽への距離の六三︑〇〇〇倍に当るのである︒其後他の恒星の距離も益精密な方法で測定されるようになった︒ケンタウル座のアルファ星が一番太陽に近いものとなっているが︑それですら四・三光年の距離にある︒シリウス
︵
おおいぬ座なり︑従って地動説に対する最後の抗議が片付けられたわけである︒扨此のようにして恒星の固有運動︑ さて 下のものが五八個だけ知られて居る︒それで結局アリスタルコスとコペルニクスの考が正しかった訳に かんがえ 距離の平均は一〇光年より少し大きい位である︒二〇光年以内の距離にある恒星が二八個︑三〇光年以 八つの星の距離が一〇光年で︑此等が先ず近い方の星である︒星空中で吾々に近い部分では恒星間相互 これらまα
︶
も入れてすなわち即︑角速度が分り︑又距離が分れば︑それから容易に其の実際の速度を計算することが出来る︒但し視