第 1 節『新しい婦人雑誌 暮しの手帖』の「新しさ」
第 1 号から第 6 号までの『暮しの手帖』は「婦人雑誌」として編集発行されており、第 6 号までの表 紙のタイトルの傍らに「新しい婦人雑誌」という赤い文字が印刷されていた。『暮しの手帖』が「婦人 雑誌」として創刊された所以は、衣裳研究所設立時に立てた編集方針「女の人に役に立つ雑誌」、「な るたけ具体的に、衣・食・住について取り上げる雑誌」ということにあった1。誌面においても創刊期に は婦人雑誌を意識した記事、例えば「女の日記」や「服飾の讀本」などが掲載されていた。だが、その 新しさとはどこにあったのだろうか。花森安治がいう「小説とか」には小説のほかに何が含まれていた のだろうか。
第 7 号から「新しい婦人雑誌」という文字は削除されたが、1957 年に「婦人雑誌に新しい形式を生み 出した」として暮しの手帖編集部は第 4 回菊池寛賞を受賞している。その時の菊池寛賞選考委員の一人 であり、『主婦の友』の創刊者で 1946 年 4 月までその社長を務めた石川武美は、『暮しの手帖』はその 独創性ゆえに受賞に値すると語っている2。『暮しの手帖』の受賞についての石川武美の談話は以下の通 りである。
一つの雑誌が一つの性格をもち、自分の道を進むことはよういならぬことである。外国の場合を考 えても、雑誌にはおのおの性格があり、独創に力をそそぎ、同業者でも、他人の独創に敬意を払い、
まねはしない。わが国でも、かつてはそうであった。
ところが、このごろは、遠慮なくまねをする。以前は、出版が営利的に、容易に成立しなかったもの だが、最近では、営利的に有利になりはじめたために、もほうするものが続出しだした。こんど、『暮 しの手帖』に菊池賞がおくられることには、私も“独創”を重んじるという意味で賛成である。
菊池寛賞を受賞した 1957 年は確立期から完成期への移行を果たした時期であり、『暮しの手帖』の特 異な取り組みとしては「商品テスト」があるが、第1号から始められた企画ではなかった。この節では、
『暮しの手帖』が創刊からもっていた「婦人雑誌」としての新しさとはどこにあったのかについて考察 を行っていく。
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『暮しの手帖』が第1世紀 25 号附録としてつけた第1号から第 24 号までの「項目別索引」に使用さ れている分類は「一般」、「衣」、「食」、「住」、「こども」、「からだ」「教養・趣味」、「随筆」、
「雑」の 9 項目であった。
第1世紀刊行終了後に作成された「索引」の分類は「一般」、「きもの」、「たべもの」、「すまい」、
「こども」、「からだ」、「趣味・教養」、「随筆など」、「商品」、「暮しの技術」の 10 項目である。
第 24 号までの分類で「雑」に含まれていた記事は、新しい索引項目では主に「暮しの技術」と「趣味・
教養」に分類されていた。また第 5 号から掲載が開始された、三越デパート調べの便利な小物を紹介す る「買い物案内」は、第 24 号発行の時点でも掲載件数、掲載量とも少なく、これらは創刊期では項目「雑」
の「その他」に含まれていたが、第 1 世紀 1 号から 100 号までの索引では「商品」に含まれている。項 目名に若干の変更があるが、確立期以降に登場した新しいテーマである「商品」と「暮しの技術」を除 けば、すでに創刊期から準備された項目であり、『暮しの手帖』のテーマは、その創刊から一貫してい たということができる。
『主婦の友』と『暮しの手帖』は、同じ生活の実用を編集方針の一つとしたが、『主婦の友』は「婦 人の修養」というその編集理念から、主婦としての、あるいは女性としての生き方、つまり家庭や地域 生活における人間関係を大きなテーマの一つとしたのに対し、『暮しの手帖』にはそれがなかった。第 2章で考察したとおり、『暮しの手帖』が主要なテーマとしたのは「暮し」における物質的な生活環境 の改善、あるいはその改善方法としての生活技術であった。
『主婦の友社の五十年』によれば、創刊以来、一貫した編集方針をもっているという。その創刊号の
「読み物の記事」は「教養性、修養性の強さが感じられ (・・・) 主婦のあり方、それも改革された主 婦としてのあるべき姿が、精神的なものにとどまらず、はなはだ生活的、現実的、現世的な主婦のあり 方」が「どの記事にも主低音としてひびいている」とある3。
『暮しの手帖』第 2 号に「夢を染めたきもの」という随筆を寄せている藤原あき(当時の肩書は藤原 義江氏夫人)は、『主婦の友』昭和 4(1929 年)年 9 月号に「二人の愛児と夫を捨てて、愛人藤原義江 氏に走った家庭の反逆者松永秋子夫人の態度を社会は何と見るか?」という 23 ページにわたる特集で批 判された人物である。『主婦の友社五十年史』によれば、この特集は「「主婦の友」の歴史を語るうえ に、見のがしてはならないもので」、『主婦の友』は「その旗じるしを全国民の前に鮮明にした」もの であった。それは「社会の立場からみると、家庭道徳の反逆者としての秋子夫人の、人もなげなふるま ひは、なんと批判のことばもない、あきれはてた行為で」、「日本固有の家庭の美風を破壊するもの」
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であった4。この特集が組まれたのは戦前のことであるが、この社史が刊行されたのは 1967 年である。「家 庭道徳の維持」は、戦後の『主婦の友』の編集理念としても堅持されてきたということがわかる。
『暮しの手帖』との比較のために『主婦の友』の誌面構成をみてみよう。戦後の『主婦の友』の誌面 は印刷用紙の統制などのため、その誌面構成が完成するのは1949年以降であった。そのためここでは1950 年の誌面構成を取り上げる。1950 年誌面の構成は「口絵」・「面白くて教養を高める読物記事」・「生 活を豊かにする最新の実用記事」・「一流大家と新進作家の傑作小説」・「別冊附録」の5つから構成 されている。ここで使用されている分類項目名の変更はあるものの、この誌面構成は 1950 年代を通じて 変化はなかった。戦前期においても同様である。
『暮しの手帖』と共通する項目は「口絵」・「面白くて教養を高める読物記事」・「生活を豊かにす る最新の実用記事」であり、『暮しの手帖』になかったものは「一流大家と新進作家の傑作小説」と「別 冊附録」である。
しかし「面白くて教養を高める読物記事」は、『暮しの手帖』と『主婦の友』ではその取り上げ方に 違いがみられる。(表4-1)は 1950 年 9 月号の「面白くて教養を高める読物記事」という見出しのも とに記載されている記事タイトルである。中心的なテーマは主婦、あるいは母としての生き方や人間関 係を抒情的に捉えた記事である。
表4-1『主婦の友』昭和25 年 9 月号掲載の「面白くて教養を高める読物記事」(目次掲載順)
記事タイトル 執筆者
(巻頭言)朝鮮の戦火と日本婦人 鈴木文史郎
慈母観音縁起物語―戦争に四児を奪われた母の祈りと愛と涙の記録 本誌記者
特別寄稿 国連旗の下マッカーサー元帥と夫人 アーネスト・ホーブライド
(老夫婦巡り)穂積重遠博士夫妻を訪う 訪う人 平林たい子
母の句・母の絵 中村汀女・森田元子
南海の宝庫アンガウル島に働く日本人 篠原健三
星のロマンス詩画帖 安西冬衛詩 他
夫婦焼餅のやき方、やかれ方十カ条 澁沢秀雄
未亡人の明るい生活(ヴォーン婦人と植村環女史の対談)
(涙の実話)帰らぬ子を待つ母の涙痕記 市川欣哉
蘇る生命の園(結核療養の理想郷榛名荘訪問) 本誌記者
どんな女性に魅力があるか(山本嘉次郎司会) 池部良、岡本太郎他
石から布を作る人(倉敷ビニロン工場を見る) 本誌記者
人気者の珍家庭裁判(判事・徳川夢声) 三味線豊吉・玉川一郎他
ひとり残されて(異境の父に告げる孤独の少女の叫び) 上原ミチヨ
スポーツのホープ漫画訪問 亀井美惠子
(当選体験)自殺の一歩手前で救われた婦人の体験 柳井美佐子
(他に連載漫画3 件が含まれている)
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第1世紀『暮しの手帖』の総索引では「一般」、「趣味・教養」、「随筆」にあたる分野であるが、
そこには、母の「愛」も「涙」もなかった。甘い「ロマンス」も、若手映画俳優が女性の魅力を語るこ ともなかった。「婦人雑誌」を標榜していた時期においてさえ、テーマはあくまでも物質的な、具体的 な「暮し」、あるいはその「暮し」と「人」との関係にあった。
『主婦の友』9 月号には掲載されていないが、「恋愛」・「結婚」も『主婦の友』で多く取り上げられ てきたテーマであり、同年 10 月号の「面白くて教養を高める読物記事」にも、「幸福な結婚生活」の特 集がくまれている。そこで取り上げられているのは、「お仲人さんとお母さんの良縁の秘訣公開」、「(花 嫁の手記)婚期の晩れた私が幸福な結婚をするまで」、「嫁入り前のスピード垢抜け法」、「(一流デ パート調べ)最近の結婚支度案内」、「(家庭利殖道話)結婚資金の貯め方使い方」の 5 項目である。
『暮しの手帖』創刊期には、「結婚」や「幸せ」について書かれた記事がいくつか存在している。一 つは投稿記事「こんな結婚も」(第 6 号)であるが、この記事で描かれているのは結婚した二人の「質 実な暮し」方である。「幸福」というテーマでいえば「家庭の幸福」(第 2 号,小堀杏奴)、「幸せに なるための勇気」(第 4 号,羽仁節子)がある。「家庭の幸福」は、トルストイ、および太宰治、それ ぞれの書いた『家庭の幸福』と自分の父親である森鴎外などを題材に、なぜ「家庭の幸福」が「云いよ うもなく深く、底知れぬ力をもって人を惹きつけるのか」についての考察であり、また羽仁説子の「幸 せになるための勇気」は「生活に主張を持っていることが人間の気品」であり、「体裁を整えようとす る苦労は、内助の功だとか、夫への愛情だとか分別ありげなことを言っても賽の河原の石積みである。
(・・・) 生活の前進について、もっと積極的な考え方をすること」によって「幸せ」を獲得できるとい う内容で、良縁獲得の「秘訣」が語られるわけではない。
つまり『暮しの手帖』が創刊時からもっていた新しさとは、それまでは婦人雑誌の誌面の構成要素の 一部であった生活実用記事を「婦人雑誌」から掬いだして、それまでにはなかった新しい形式を持った
「生活雑誌」を創り出したということにある。
菊池寛賞受賞に際して『週刊朝日』が組んだ特集記事「私たちの雑誌評『暮しの手帖』論」の中で、
花森安治は、『暮しの手帖』という雑誌の形式によって「真、
生活運動」を行っていると語っているが、
「真、
生活運動」とは、今の苦しい生活を少しでも良くすることを目的としたものであった5。「真、 生活運 動」という表現には、当時新聞などでも盛んに取り上げられていた生活の合理化をめざした「新生活運 動」を意識し、かつ揶揄した表現でもあろうが、「真生活」という言葉は戦前から花森安治が好んで使 用した表現でもあった。『暮しの手帖』は、花森安治のいうところの「真、
生活」の実現を目指した「ラ