第2章 特 に中国か らわが国への大黄の輸入状況の変遷
第4節 明治4期 における大黄の輸入量 と価格の変遷
して貿 易 関係 は入超 を 示 して い る.特 に関税 収入 につ いて は か な り安 定 した値 を 保 って い るこ とが うかが え る129).
大 黄 の年 度 別 輸入 数 量 並 び に輸入 原価 につ いて展 開 した の が表16に 示 した とお りで あ る130).
関税 も第 二次 増税 計 画 の 中で 第 一次3。8%か ら3.6%に 引 き下 げが あ り131),わ が 国薬 業界 の 生 産 性 を上 げ るの に も役 立 った ようで あ る.大 黄 の通 年 の 輸 入 業 績 と して は前 第3期 とはパ タ ー ンが 違 ってお り戦 役後 半(1905年,明 治38)に は 戦 役 申 に過剰 に輸 入 したた め9万5千 斤 減 少 した実績 と して 集 計 されて い る 。輸 入 原 価 の 面で は1905年(明 治38)の 最 も輸 入 量の少 なか った翌年1906年(明 治39)が 最
も高 くそ の後 は安 定 した値 と して 受 け止 める こ とがで き る。
3、 大 黄 の 関税
日露戦 役後 は関税定率法の改正があ り1903年(明 治36)に 制定された。当時 の 関税定率法 は外国条約 の束縛に よ り国定税率の有利な輸入適用 は充分徹底 され活 用 で きる状 態 で はな か っ
表。17大 黄の関税表 た、
大 黄 の 輸 入 関 税 に つ い て は 第6類 〔盈OUPW,薬 材 化 学 薬 類 爆 発 薬(D㎎s, Che皿icalsMedicines, C卿omdsorPreparations Theseof&E)軽)10sives)̀こ 分 類 さ れ て い た 。 第6類
の 輸 入 関 税 並 び に 大 黄 単 独 の 輸 入 関 税 は 表17に 示 し132),実 績 は5年 間 隔 で
年 号(元 号)横 鰍 繭 第6類鰯 入鰍 斤当たけ(銭) 1882年(明 治15)
1887年(明 治20) 1892年(明 治25) 1897年(明 治30) 1901年(明 治34) ユ907年(明 治40) 1911年(明 治44) 1912年(大 正 元)
2。66
3。18
2。78
2.48
9。96
2.29
1.93
4.32
4.28
4。65
4.99
4.82
9.92
6.30
5.46
5.04
12.07
10.09
12。27
12.67
13.92
ユ4.81
14.23
13.72
注)単 位:%
と らえた.大 黄 について1901年(明 治34)を 除いては概 略順調 な課税率であ ると 思われ る.第6類 との関係では 日露戦役の処理 として物価上昇 に ともな うインフ レー シ ョンの影響 に よって多少乱高気味 が第6類 で み られ るの が1907年(明 治 40)以 降であ る.そ の後1920年(大 正9)の 関税率改正に よって税表番号(130) 輸入税 法の改正点が示され,従 来 関税 として大黄は旧税法百斤 当た り2円60銭 課 税 されて いたが,今 次の改正によって新 しく無税 とな った生薬 の中に大黄が含ま れ る.し たが って従来 に も増 して輸入 に拍車 がかか り,安 価 な大黄の需要 が高
まったと思われ る.
4.輸 入港 別 の大 黄 の実績
輸入港別 に大黄の輸入量,原 価 を表18に示 した.当 該期のわが国の開港場 は6 港であるが,函 館,新 潟の両港 は大黄の輸入実績がなか ったので省略 した.5力 年 間隔(一 部短縮)の 統計資料133)か ら検討する とやは り日露戦役 中に先物買い 契約 による需要見込み買いを行 った結果の持越 品で在庫過剰 をかかえた。大阪薬 種仲買商組合のデータにあ るように年度別 にみて も異常なほ ど輸入量が多 く各港 年度別輸入量 を比較 して も独 り大阪港が1907年(明 治40)に は,140.254斤 と各港 平均値 が2桁 に対 し3桁 になってい るため在庫 過剰 になった こ とが うな ずけ る.
在庫過剰 にな る と販 売競争 にな りダンピングが行われ,市 場流 通が乱脈 に落 ち いって採算 が とれな くな り,結 果 として品質管理確保がお ろそかにな る.輸 入業 者 は経営上赤字 を埋め るために他 品の当該 品を安価な他の無 関係 の偽 りの粉末な どで増量 して大黄な ど高価 なものに置 きかえ不良 医薬品 と して市場に横行 させた.
大阪では大黄やそ の他生薬について,時 期 を同 じくして不良医薬 品の問い合わせ が 関係 官庁 にあ ったこ とか らも明 らかであ る.そ の内容は熊 本県庁の事例 につい ての文章が残 っている134).そ れによると1911年(明 治44)8月 付けをもって大阪 薬種卸仲買商組合総取締 によ り組合員に対 して粉末薬 品の取 り扱 い方法 について 内務省衛生局 か ら受け取 った通牒を照会 して大阪府衛生課において も同様,当 該
表.18大 黄 の年 度 別 ・港 別 輸 入 推 移 年 号
(元 号)
横浜 神戸 大阪
纏(斤) 原価(円) 数量(斤) 瓢(円) 数量(斤) 朧(円)
1897年 (明 治30)
23004 3365,850 (14.36)
3397 364,200 (10.72)
93059 11403,950 (12.25)
1902年 (明 治35)
15830 2900,600 (18.32)
26555 4085,930 (15。38)
86151 12367,750 (14.35)
1907年 (明 治40)
17860 3884,000 (21。74)
49809 '6600 .000 (13.25)
140254 15730,000 (11.21)
1911年 (明 治44)
10438 1821,000 (17.44)
13782 1587,000 (11。51)
98199 14010,000 (14.26) 1912年
(大正 元)
11222 2084,000 (18、57)
25605 2815,000 (10。99)
113772 15761,000 (13.85) 合 計 78354 14055,45⑪
(17.93)
119148 15452,130 (12.96)
531435 69272,700 (13.03)
平 均 51567112811
・090 2383。i3090.4261 106287 13854,540
長崎 そ の他 総計
年 号
・(元 号) 獺(朗 原価㈲ 数量(斤) 脳(円) 数量(斤) 原価(円)
}1897年
(明 治30)
明 。
ヨ
倉 0 119460 15134,000 (12.66)
1902年 (明 治35)
o {⑪ o o 128536 19354,280
(15.05)
1907年 (明 治40)
2228 461,000 (20。69)
19 4,000 (21.05)
210170 26679,000 (12.69)
1911年 (明 治44)
0 0 0 0 122419 17418,000
(14.22) 1912年
(大 正 元)
0 0 0 0 150599 20660,000
(13.71) 合 計 2228 461,000 19 4,000 731184 99245,280
(13.57)
平 均 446 92,000 4 0,800 146237 19849,056
注)O内 は平 均 単 価(単 位:銭)
品の取 り扱 いについて も十分厳重な御達 しとして注意怠 りない よう取 り扱 うべ き 通知 を した.こ れに よると熊本県知事川路利恭が内務省衛生局 長小橋一太宛,下 記の薬品は 日本薬局 方の甘草,義 速,大 黄,桂 皮な どを粉末 とな したるもの と認
め薬品営業 並びに薬 品取 り扱い規則第26条 を適用 し取 り締 ま りしな くて よいか ど うかの問い合わせ を した.
以上 を医師 または売薬業者 らにおいて該品 を 日本薬局 方の甘草,義 迷,大 黄, 桂皮な どを粉末 とな した るもの と誤解 もしくは安価 な る故 をもって故意 に購入 し
ようとして いる もの と思われ るので試買品を添 えて検査 を申 し入れ送付 した.回 答 として原 文を左記 に示 した.
すなわち 日本薬局方品の販売価格 と熊本地方での販 売価格 とを1斤 当た りで比 較 し熊本地方 品があ くまで安価な唐大黄であるこ とを強調 したものであ る.今 日, 厚生行政 または公正取引委員会で取 り締 まってい る二重価格表示に当たる と して
不良医薬品扱 いで処 理された。このように局外唐大黄,局 方大黄な どは繁用生 薬 であ 撃一般 に普及率が高 くな り,し か も流通価格 が高価で利潤が良 いもの は悪 質 な業者がイ ミテー シ ョンを大量に販売する傾向が 当時医薬品 にあ った。西洋 医学 が普及 した明治第4期 にな って漢方療法が徐々に後退 した と言われてい るに もか かわ らず量 的に多 く使 用 されていた。この ように大 黄は売薬業者 間にお ける,い わゆ る売薬 として,ま た配置業者 らによる配置薬 として 日本全国あるいは アジア の各地に販売 され た記録 がある ところか ら下剤 としての普及度 が高か った もの と 思われ る135)。
5、 清 国 な ら び に そ の 他 港 か らの 大 黄 の輸 入 状 況
当該期 で は 日清 戦 役 も終 了 し,10年 以上 も経 た こ ともあ り,一 般 貿 易 も清 国 の 港,香 港 と活 発 にな った 。 したが って輸 入金額 的 に 少な い とは い え,神 戸 港 に は 清 国始 め7港 の 外 国 港 か ら大 黄 の輸 入 が行われ た こ とが 挙 げ られ る.特 に 日露 戦 役 前 後 にお いて は 一般 貿易 が 国内の 物価 上昇 な どの影 響 か ら外 国 に安価 良 品 を求 め る輸入 品 が多 くな って きた136)。大 黄 の輸入量 につ いて は継 続 して年 次 毎 に輸 入 実績 が求 め られ るが,わ が 国の輸 入 港別 に輸入 原 価 に差 異 があ る こ とが前 項,表 17に よって理 解 で きる.そ こで 本項 で は神 戸港 にお け る輸 入 相 手 国別 に仕 出 し港 に よってC.1.F.,F.0。B.条 件 な どの輸入条件 は不 明で あ るが 輸入価 に どの よ うな 影 響 を及 ぼ したかの 実例 につ いて述 べ る137).
神 戸 港 の総輸 入 額 に 占め る清 国か らの輸 入 額 は表19に よ る と平 均 して13%と な り,他 の 開港 地 に比 して 占有 率 は 高 い.さ らに第4期
中に輸 入 した大黄 の年 度別 輸 入状 況 につ いて も表20に 示 した とお り で あ る1謝.大 黄 の 輸 入 量 は19(睦年(明 治 37)よ り1908年(明 治 41)に か けて は増 加 傾
向 にあ るが1909年(明 治42)よ り減 少 して い
る.輸 入 量の 最 も多 い 1908年(明 治41)は1 斤 当た り1α銭代 で 安価 に値 歩 みがな され て い
表.19神 戸 港 の輸 入 総 額 年 号
(元 号)
神戸港の輸入額(A)清 国より神戸港 占 有 率 への輸入総額(B)(A/B) 1903年(明 治36)
1904年(明 治37) 1905年(明 治38) 1906年(明 治39) 1907年(明 治40) 1908年(明 治41) 1909年(明 治42) 1910年(明 治43) 1911年(明 治44)
15453401325234141 17485520134014141 22861400525167287 19219016626013798 22343756623965070 19108086621302855 18422477918809714 23192535833728164 25848865027578322
16%
19%
11%
12%
12%
11%
10%
15%
11%
表20大 黄の清国か ら神戸港に輸入 した推移
年 号(元 号)輸 糧(斤) 輸入額(円)平 均単伍(銭)
1903年(明 治36) 1904年(明 治37) 1905年(明 治38) 1906年(明 治39) 1907年(明 治40) 1908年(明 治41) 1909年(明 治42) 1910年(明 治43) 1911年(明 治44)
37780 7335 27998 36333 43122 47776 12143 10250 13782
5590 1097 3925 5805 5297 5140 1246 1180 1957
14。80 14.96 14.02 15.98 12.28 10.76 10.26 11.51 14.20
る.輸 入実 績 が1904年(明 治37)で 従 来 の輸入価 は14銭 代で あ った.1906年(明 治 39)に は15銭9厘8毛 で 最 も高 価 で あ った.こ の こ とは,こ の 時期,戦 後 で 国 内 で の 財 界が 大 い に 潤 い,ま た世 界 市場 も活 況 を呈 して い た.ま た清 国産地 相 場 も ア ジア 市況 原価 生 薬相 場 全 体 が高 値 を呼 んで い たの で大 黄 も高 値 を示 して い た も の と思 われ る139).
次 に各 国 か らわ が 国各:港へ の大 黄 輸 出 にあ た り国 内 景 気 は1905年(明 治38)初 頭 は輸 入増 加 率 も高 く入超 であ り,大 き く経済 も伸 長 した.戦 局 拡大 と ともに軍
費 が放 出され 金 融 も緩 和 され た.し たが って物価 の 上昇 も来 た した時期 で あ り1⑩, ま た大 黄輸 入 量 も増 加 の 兆 しがみ えて きた.こ れ に反 して1904年(明 治37)は 輸 入 を全般 に 手控 え た の で結 果 と して 市場 品が払 底 した.1905年(明 治38)7月 以 降,非 常 特 別 輸 入 税141)の 増 課 に伴 い増 課 以前 に とい う大 黄の 著 大 な 見越 輸 入 を 誘 致 した とい え よ う.当 時 バ 表。21大 黄 の清国か ら神戸港に輸入 した推移
年 号(元 号)数 量(斤)原 価(円)銭/斤(銭)ル チ ッ ク 艦 隊 全 滅 に 続 き 講 和 1903年(明 治36)37780559014.80
1904年(明 治37)7335109714.96 1905年(明 治38)2799839251402 1906年(明 治39)36333580515.98
合 計10944616417 平 均27362410414,99
表.22大 黄 の 香 港 か ら 神 戸 港 に 輸 入 し た 推 移
年 号(元 号)数 量(斤)願(円)銭/斤(銭)
19⑪3年(明 治36)1留47180014.12 1904年(明 治37)28826465616.15 1905年(明 治38)18749233012.43 1906年(明 治39)560283214.85
合 計659249618 平 均1648124051459
注)清 国 産 の 香 港 を 経 由 し て 輸 入 し た も の
表.23大 黄 の 上 海 港 か ら神 戸 港 に 輸 入 し た 推 移
年 号(元 号)数 量(斤)原 衝(円)銭/斤(銭)
1903年(明 治36)25663379114.77 1904年(明 治37)173426515.28 1905年(明 治38)10759159514.82 1906年(明 治39)603991415.13
合 計441956565 平 均11049164114.85
の 風 聞 も伝 わ り,前 途 の 好 況 を 予 測 し思 惑 輸 入 の 多 か っ た こ とが 挙 げ られ る 。戦 勝 の 一 時 の 活 況 もそ う長 く と は 続 か な か った 。1908年(明 治41)末
には漸 く沈衰 の傾 向が生 じ1909 年(明 治42)に 至 っ て は 不 景 気 が ま す ま す進 み,さ ら に 銀 塊 の 暴 落,北 清 の 恐 慌 な ど,
この 時期 に起 っ た 日貨 排 斥 運 動 な ど不 安 因 子 が か な り累 積 さ れ,一 般 景 気 は委 縮 の 状 態 とな っ た経 緯1鋤 を 背 景 と し て 各 国 か らの 輸 入 状 況 を 判 断
した い.
表21に は清 国か ら,表22に は 香 港 か ら,表23に は 上 海 か ら の 大 黄 を神 戸 港 が 輸 入 し た 年 度 別 に展 開 した 一 覧 表 を 示 し た143).
つは欧州産大黄が英 国, 仏 国 の 貿 易 関係 者 に
よって香 港 に持 ち込み, 清国産 と混合 して清 国 産大黄 として高い値 を つ け,再 び 自国,欧 州 に逆輸入 するケー ス も
日露 戦 役 の前 年 と戦後1年 間 の 時期 を と らえ た輸 入 量 と輸入 原 価 を比較対 象 と した場 合,量 的 に4力 年 合 計 で は表21か ら清 国各 港 か らは約50%を 占め る.輸 入 斤 数109446斤 は第1位 で あ り,次 いで表22か らの香港,表23か らの上 海 とな る.占
有 比 と して清 国港 は109盟6斤 で輸 入全体 の49.85%を 占有 した.上 海港 は44195斤 で 輸 入全 体 の20.13%占 有 した.香 港 は65924斤 で輸 入 全 体 の30.02%の 占有 とな った.
ま た3港 の 輸 入 港 の 量,単 価 を ま とめ る と表24の ご と くに な る 。1905年(明 治 38)以 外 は平 均14銭8厘4毛 で輸 入 されて い る.表22の 大 黄 の香 港か らの輸 入 単 価 平均 が 最 も安価 で あ るが,香 港相 場で の大黄 最低 輸 入原 価 と最 高輸 入原 価 が と
も に同時 期 の 清 国各 港 上 海港 と比較 して もその 差 が 大 きい ・香 港 の相 場 が か く も大 き く動 く原 因 の一
表.24大 黄の清国,上 海,香 港 からの輸入量並 びに価格
年 号(元 号)鞭(斤)原 価(円)銭/斤(銭)
1903年(明 治36)76190 1904年(明 治37)37895 1905年(明 治38)57506 1906年(明 治39)47974
1118114.68 601815.88 785013.65 755115.74
計均
合平 21956532600 54891.25815014.84
多 か った よ うであ る.そ の間 の一部 が香港 か らわが 国へ 輸 入 され た記録 があ るユ44).
香港 で は清 国 の生 産 量 と需要,供 給の 関係 の他 に欧 州 産 の 輸入 に よ って,か な り変動 す る大 黄 の相 場 値 が あ った ため最高,最 低 の 輸 入 原価 と して 変則 的 な統 計 記 録 が得 られ た と思 われ る.
記録 に よ る と1867年(慶 応3)仏 国の領 事 は 且oガfo∫ ηa1θの苗 を大 黄 産 地 よ り自国へ 持 ち帰 り,こ れ を栽培 し清国産大 黄 に 変わ らな い根 茎 を得 た との報 告 も あ る.