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明治初期における大黄の輸入量 と価格の変遷

第2章 特 に中国か らわが国への大黄の輸入状況の変遷

第1節 明治初期における大黄の輸入量 と価格の変遷

5)11月28日 にな っては じめて運 上所の呼称が税 関 と改め られた83).こ の間に貿 易統計 もその形 式がやや整 え られたが,調 査 内容お よびその表示方法の統一 を見 るまで にはなお,数 十回にわた る様式の変更,も しくは改良改善 を経て次第 に正 確 の度合 いが高 め られ た.こ の ように統 括官庁が数次 にかけて変更され,ま た統 計作成上 のそれまでの不統一や,加 えては じめての作業の こ とか ら運上所吏員の 取 り扱 い事務 の不慣れな どによ り当時の統計資料 は甚 だ不正確 であ ったと推測で きる鋤.他 の要件 について 当時未 だ無条約 国であ った清国か らの輸入量がかな り の比重 を占めて いたにもかかわ らず,そ の輸入量において過小に評価 されていた ように思 われ る.あ るいはまた,密 貿易による申告漏れな どによ り統計数値に集 計 され なか ったものがあ ったのではないだろうか と推測 しうる85).輸 入税の高額 な支払 いを避 ける意味で関税にあ りが ちな虚偽の 申告 による過 少評価 で集計され た結果 が統計 と して報告されたため,不 確実な資料 にな って しまったともいえ よ う.貿 易事務 の水際でのい くつかの案件下で作成され た明治初期 の統 計書の一つ にスポ ヅ トをあてて,当 時の統計 との相関関係 を調査 したのが この大黄に関す る ものであ る.ま たr各 開港場輸 出入物 品高』か ら1878年(明 治6)の 資料につい て輸 出入 品共 に数量 と課税 した税額 は明記 して あ るのに,そ の原価 は代 価不詳, 価格 不詳 として,こ れ を示 して いない大黄 その他 い くつかの品 目が散見 され る.

この ような現象か ら見 る と統計に収集された数値は税収 に重 きを置 き,貿 易金額 をい ささか軽視 している傾 向があった と推測で きる86‑87)。旧藩時代の運上事業 を 継 承し,各 種の営業免許税 があ ったに過 きない当時の背景で,酒 税や たばこ税 と い った間接税 が第2位 の 関税 とその地位 を入れ替 わ ったの は,明 治 も漸 く10年 (1877年)以 降 にな ってか らのこ とである88).次 に視点 を国内の通貨政策 に投 じ た時,そ の幣制で金 円を扱 ったのは1868年(明 治元)か ら1878年(明 治11)ま でで, 1879年(明 治12)以 降 は金銀 円混用 に よって計算 された もので,統 計 の算 出に混 乱 が生 じた とも考 え られ る。これ らを総合 して評価 を少な く見積 もるな ど,計 算 上の誤 りも多か ったこ とも否定で きない事実 と思われ る89).わ が国の貿易実態 に

っいて当時 の在留外国人の評価 をみ ると,駐 在 中の英 国領事 は本邦の貿易情報 を 状況報 告する資料 を運 上所 のものによ らず,各 開港場所在 の商業会議所が作成 し た情報 内容 によるか,あ るいは外字新聞所載の推定額 を実際に近 い もの として英 国本 国に報告 して いるgo).こ れ らを考 え ると,い かに運上所時代 の統計資料 が信 じられ ない ものであ ったか をうかがわせる.同 様 に上述事項 について さ らに究明 した資料に ㎞rユRat㎏enが 日本の経済 および財政 について述べ た著書 があ る91).

これにはや は り,わ が 国貿易統計 は1887年(明 治20)以 前 の輸 出額はやや信 ず る ことがで きて も,輸 入額は信 じがたい と述べているのは恐 ら くは適切 な評価 とう なずけるものがあ る.

貿易不振 の是正の ためにわが国は国を挙げて領事館 を海外 に設置 して領事 が外 国市場の状 況調査 に活躍 した。その情報 として,管 轄 区内にお ける商況,船 舶 の 出入港 に関す るもの,直 接通商上の利害に関す るこ とやgo),彼 らの輸出入 品の数 量および価格 を調査 し,こ れ を大蔵省に報告させて貿易助長政 策 におおいに役立 て た92)、中国関係の領事館 は1876年(明 治9)ま でに上海 を始 め福州,香 港,厘

門,天 津,営 口に6拠 点がおかれ たけれ ども,未 だ実務 に不慣れで数量,価 格 の 算 出には正確 さを欠 き信用で きない調査内容が多かった93)。

2。 調査 資 料 の検 討

明治年間におけ る外 国貿易額 の統計資料 として代 表的なもの に,次 の3資 料 が あ る.

すなわち,1)大 蔵省編纂発行:大 日本外国貿易年表,2)内 閣統計局長,花 房直三郎識:日 本帝 国統計年鑑,忠 愛社,3)東 洋経済新報社 編集発行,大 日本 外国貿易56年対 照表であ る.上 記1)は 毎年編纂 され累年表 として発行 され る大 蔵省編纂資料 がわが国では最 も信頼すべ きもの と考 え られ る.2)は 内閣統計編 纂資料 は1)の 大蔵省資料 と比較 してややこれ と異な る点 もあ るが,こ れ は集計 過程 で特別輸 出入 を併算 したもので,そ の差異が若干で たもの と思われ る.3)

の東洋経済新報社編纂資料 もやは り,大 蔵省編纂の大 日本外国貿易46年対照表 お よび大蔵 省発行のr貿 易年報乃至貿易月報』な どを原本 と して編纂 され たもので あ るため,あ くまで1)の 大蔵省編纂資料 を基 本 として作 成され たことはもちろ んであ る.他 に大黄の貿易輸入統計 を含んだ政府統計資料 で,大 蔵省編纂の もの を集約 した十九篇の一覧表 があ る%‑112).明 治初期の時代 区分を→ 鵬経済の変遷 と も関連させて,大 黄の貿易額を包含 した資料であ る.

3.政 府貿易輸入統計資料の検討

大黄の輸入数量並びに 表10

大黄の年度別輸入の推移 輸入原価 につ いては各種

統計デー タか ら大黄の輸 入統計数値 を得 ることが で きるが,年 度 別に比較 的時系列 的 に累計集計さ れている統計資料 は大 日 本各港輸 出入14力 年表で あ る(表10).

大黄 の輸入額 は1868年 (明 治 元)か ら1881年 (明治14)ま で に約3倍 になって い る.こ れは当 時の幣制 が混 乱 していた こ とか ら物価 高騰 とな っ て,そ の結 果輸入金額 の 増大 を招 いたこ とによる もの とい え よう.こ の輸

年 号 元 号 轍 纏(斤)輸 源 価(円)銭/斤(銭) 1868年(明 治 元)

1869年(明 治2) 1870年(明 治3) 1871年(明 治4) 1872年(明 治5) 1873年(明 治6) 1874年(明 治7) 1875年(明 治8) 1876年(明 治9) 1877年(明 治10) 1878年(明 治11) 1879年(明 治12) ユ880年(明 治13) 1881年(明 治14)

3856 3080 2115 27350

3605 47423 92933 139310 151376 130560 140539 217800 1ユ7995 123062

308479 239932 216801 4222349 453426 4921381 9540440 18165699 18003453 14689449 18374522 24718280 12918110 18201500

8.00

7.79 10.25

15.44 12.58

10.38

10.27 13。04

11.89

11.25 13.07

11.35

10.95 14.79

合 計 平 均

1201004144973821161.05 857861035527311.50

入金額の うち,中 国 との貿易輸入総金額は1868年(明 治元)か ら1881年(明 治14) までに約50%も の減 少にな ってい るが,中 国貿易の輸入統計 資料 明細分類で大 黄 は品名 区分 として薬材 お よび製薬類(DRUGS州m皿}ICI配S)に 属 し,こ の分類 中 にほ とん ど生薬類 が集 中 していて,輸 入生薬の輸入総額 において著 しい減 少はな い ようであ る.大 黄 につ いて年次輸入金額 を時系列的な統計 資料 であ る表10が 示 した ように年々その輸入量は増加の傾向にあ り,1881年(明 治14)ま で に中国貿 易が低迷 してい る期 間で あ ったが,実 に3.19倍もの伸 びがあ った.こ の ような現 象は年々人 口の増加 とともに疾病が多様化 して需要が広 が るいわゆ る自然増 にも 関連があ るに して も,経 済の発展,沈 滞,や がては不況 とい う貿易景気な どに関 係 な く,大 黄 がわが国医療 の需給 に対 し少なか らぬ貢献 を し,こ れ が医薬 品の輸 入事情 を好転 させ,流 通機構 に円滑 さを増大させた と解釈 す ることがで きよう。

国内の医薬 品流通の市場需要調査 が1873年(明 治6)に 行われた.文 部省通達 によ り市場調査表が各府 県下に出され,企 業体,薬 店な ど流通 市場での細部調査 が実施され た とき,製 薬業 の武田長兵衛か ら大阪府庁 に提供 した記録の 中に,取 扱品種量が全 医薬品にわ たって記載され,し か もその中で取 り扱 い状 況が最 も詳

しく記載 されている1870年(明 治3)の 主 たる買い入 れ事項 が詳細 に品 目ご とに 示されてい るが,そ の細 目の中に大黄の仕入量は5000斤 と記録 されている113)。

一方,政 府統計資料 と して 同年度は表10か ら1870年(明 治3)統 計編集 の輸入 記録での大黄 の輸入数量 は2115斤 とな ってお り,こ の数値 は もちろんわが国が外 国 との貿易 によって輸入 した大黄の総数量であ ることは間違 いない と考 え られ る.

武田長兵衛 が同年仕 入れた5000斤 との異差は2885斤以上にな る.同 年度 に一企 業 が原料 あ るいは製品 と して調剤ない し,製 造に利用 した斤数量の他 に も存在 す る 製 薬企業があ ったはずであ り,考 え られる国内使用量は さ らに多か った と思われ る.中 国産大黄以外 に国産和大黄が仮に混在 して いた として も,和 大黄 が大 量 に 生産がなされてい たとは考 え られない.大 黄の国内総需要は,必 要に応 じ疾 病 に 処方 され,月 別に年度別 に使用量が集計 され,必 要量が発注,購 入 され疾病 に処

方 され,あ るいは商品に製造される という大黄原料 としての流通の仕組み を判断 す る時,ま して在庫保存の難 しい大黄を前年度 に本年度必要量 として購入す るこ とは推測 しがたい.前 年度 に輸入 した3080斤を本年度輸入 した2115斤に加算 して 合計5195斤 とな るので通年 で一応 集計合 計が一致 しな い.こ れ はあ くまで 国内需 要 として購入 した大黄 の数 量が年間約5000斤であ り,1870年(明 治3)政 府が輸 入 した大黄の数量が2115斤 とい うことであ る.そ の差2885斤 は実に58%に お よぶ輸 入不足率 が生 じた ことにな り国 内総需要量 との間にこの ような大差があ るのは明 治初期の わが国 の経済,な かんず く貧困な貿易事情の背景を垣 間見 るような現象

と言わざ る得ない.