第 2 章 研究背景
2.1 先行研究
2.1.3 日本語の可能表現
2.1.3.4 日本語可能表現の文法化
36 2.1.3.3.5まとめ
以上の先行研究の検討を踏まえ、本研究では日本語の可能表現が表す意味を(46)のよ うに整理する。
a. 実現可能(出来事の実現/非実現を表すもの)
b. 動作主内的可能(参与者の内部に可能となる条件が存在するもの)
c. 動作主外的可能(参与者の外部に可能となる条件が存在するもの)
d. 属性可能(述語動詞が表す動作の対象となるものの性質を表すもの)
e. 評価的属性可能(人や物の属性に対する話し手による評価を含むもの)
f. 潜在的可能性(一般的事実やその場の状況に内在する条件から理論的に導き出され る、ある出来事や状態が発生する可能性の有無を表すもの)
渋谷(1993b, 2005, 2006)では、心情可能、能力可能、内的条件可能を分けているが、
本研究では、出来事の実現を可能とさせる条件が動作主体の内部にあるか、外部にあるか という点で分けることにする。
属性可能は、述語動詞が表す動作の対象となるものの性質を表すものとする。2.1.3.3.3 に挙げた先行研究では、(43a,c)のように動作を行う主体の属性を表すものも「属性可 能」とされていたが、これはつまり能力可能であり、動作主内的可能と重複する。そこ で、本稿では(43b)のように能動文においてヲ格で表示される対象が主語として取り上 げられるものを属性可能とし、(44)のように評価的な意味を含む用法を「評価的属性可 能」と呼ぶことにする。
「える/うる」によって表される(20)のような意味は、認識的可能性としてではな く、一般的事実やその場の状況に内在する条件から理論的に導き出される、ある出来事や 状態が発生する可能性の有無を表す「潜在的可能性」として扱うことにする(「潜在的可能 性については、英語可能表現に関して2.1.4.2.2.8でも再度検討する)。この用法は話し手 の判断への傾倒が見られるが、完全に話し手の主観的判断を表すまでには至っていないと 考えられる。
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のように発展してきたのか、その通時的な変化過程に関する先行研究を整理する。
渋谷(2006)によると、日本語諸方言における可能表現には、2.1.2の(11)に挙げた 世界の可能表現の起源のうち、全てのパターンが観察されるが、大きく分けると「自発→
可能」という自発起源型と、「完遂→可能」という完遂起源型の、二つの流れが見られる。
現代語の「られる」「できる」及び「ことができる」は自発起源型、「える」は完遂起源型 とされている。以降では、現代日本語の可能表現の起源について渋谷(1993b, 2005, 2006)の研究を中心にまとめる。
2.1.3.4.1自発起源型
2.1.3.2.2.2で自発構文の定義について述べたが、可能表現の起源となるのは、(35)の
広義の自発文である。渋谷(2006: 54-55)は、この広義の自発を、動作主体(または話し 手)があらかじめ期待しているかどうかという前提の違いから、(47)の三つのタイプに さらに分けている。
a. 動作主の期待に反して事態が自然生起することを表す(期待逸脱型自発)
b. 動作主体の期待するところに沿って事態が(他力本位的に)自然生起することを表 す(期待成就型自発)
c. 動作主体の期待の有無とはかかわらない事態が自然生起することを表す(期待不問 型自発)
このうち、「られる」は(47a)「期待逸脱型自発」、「できる」「~ことができる」は
(47c)「期待不問型」である。以降でそれぞれの歴史的起源を詳しく見ていく。
2.1.3.4.1.1 られる
「られる」は古代日本語の「らる」が起源であるとされている。古代日本語でも「ら る」は自発、可能、受身、尊敬を表しており、現存する文献資料ではその起源をはっきり と証明することができないため、自発を起源とする説、可能を起源とする説、受身を起源
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とする説と諸説あるが、概ね自発を起源とする説が優勢である23。渋谷(1993b, 2005, 2006)は、「られる」を(47a)「期待逸脱型自発」起源とする。古代日本語の「らる」に よる自発は現代語の「られる」によるものより広く用いられていた。川村(2012: 177-182)によると、古代日本語の「らる」は①知覚・感情・認識の、意図を伴わない成立、
②生理現象、情動、感情に触発された不随意的行為、③偶発的行為を表していた。(48a)
は現代語の自発用法と同様に、「思われる」という非意図的な思考の発動、(48b)では
「(するつもりはなかったのに、自然と)くしゃみがでた」という非意図的な生理現象、
(48c)では、不注意ですずりに髪の毛が入ってしまったという偶発的行為を表す24。これ らは、2.1.3.2.2.2に挙げた広義の自発の定義(35)に相当する。(48d)は外部条件によっ て「住むことができる」という外的条件可能を表していると解釈できる。
a. 瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ何処より来たりしものそ眼交にもとな 懸かりて安眠し寝さぬ(万葉集5巻802) (川村2012: 178)
b. 其レヲ取ッテ焼テ食ツルニ、極ク甘カリツケレバ、「賢キ事也」ト思テ食ツルヨリ、
只此ク不心ズ被舞マ ハ ルル也(今昔物語集28巻28話) (渋谷2006: 55)
c. にくきもの………すずりに髪の入りてすられたる。(枕草子28段)(川村2013: 180)
d. 家の作りやうは、夏をむねとすべし、冬はいかなる所にも住まる(徒然草55)
(渋谷 2006: 55)
Narrog (2010) も四つの用法のうち自発を起源とする発展を主張し、「られる」の意味変
化の過程として図 5のような流れを示している。
図 5 「られる」の意味変化 (Narrog2010: 77)
23 特に渋谷(1993b)をはじめとする日本語可能表現の共時的、通時的整理が行われて以降、
自発起源説を採用する研究が多いようである。
24 偶発的(不随意的)行為と受身、可能の多義関係は日本語だけではなく、タガログ語などに も見られる(大上2004)。
PAS. HON.
SPO. POT.
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自発はもともと動作主の意図によらない、または反する出来事の発生を表すため、「られ る」が可能の意味を獲得した時点では、(48d)のように動作主の外部にある条件による可 能・不可能を表し、そこから、徐々に動作主の意図による動作を表す動詞にも使用される ようになったと考えられる。渋谷(1993b, 2005)は、可能の内部で意味変化が進む場合 は(49)の流れが一般的であると述べている。
状況可能 → 能力可能 → 心情可能
また、日本語では認識的モダリティへの変化はそれほど一般的ではない(渋谷2005)
が、(50)のように許可や禁止を表す用例は見られる。
a. どなた様でもお使いになれます。
b. ここには入れません。
ただし、渋谷(2005: 42)が指摘するように、許可用法よりも禁止用法のほうが多く用 いられる。また、許可・禁止については「てもいい」「てはいけない」という迂言的形式が 主に用いられ、動詞によっては許可・禁止の意味として解釈しにくいものもある。以下の 例(51a)の許可の意味での「とめられる」は、許容はできるものの、許可という文脈で は「とめてもいい」を用いる場合のほうが多いと思われる。(51b)「食べられる」では、
許可の意味での「られる」の使用はより不自然さが増す。
a. ここに自転車をとめてもいいですか。(とめられますか。)
とめてもいいです/とめてはいけません。(とめられます。/とめられません。) b. これ、食べてもいいですか。(??これ、食べられますか。)
食べてもいいです/食べてはいけません。(??食べられます。/?食べられません。)
このように、「られる」による許可及び禁止「られる」に関しては、許可及び禁止の意味 を獲得しているというよりも、文脈による語用論的解釈の域にとどまっているように思わ れる。
40 2.1.3.4.1.2 できる
「できる」は(47c)「期待不問型」のタイプである。「できる」は「いでく(出来)」が 変化した形で、2.1.3.2.2.2の(34)にも挙げたように、もともと物事の出現を表す動詞で あった。以下の(52)は渋谷(2005)に挙げられている用例であるが、(52a)は酒が出 来上がるという意味での使用であるのに対し、(52b)では可能の意味が読み取れる。
a. [酒が] ようできたかあしうできたか、心みをいたさう(虎明本狂言集 川原太郎)
(渋谷 2006: 55)
b. 踊と申すものは、おちいさい内から御奉公ができてよろしうございますねへ(浮世 風呂二・上) (渋谷2006: 55)
c. 江戸へ金を持て帰ることは出来ません(浮世風呂四・上) (渋谷1993b: 152)
d. いかにも金談できぬから(夢粋独言) (渋谷1993b: 152)
渋谷(1993b: 152-153)によると、「できる」が可能表現化したのは江戸時代後期に入 ってからで、(52a)のように「が」を介入した形が先に現れ、次に(52c)「~ことができ る」という形式が現れ、現代語のサ変動詞に接続する形式(52d)の出現は最も遅い。
「できる」は認識可能への発展はなく、許可・禁止用法への発展に関しては「られる」
と同様の状況であると考えられる。
2.1.3.4.2 完遂起源型
渋谷(2006: 34)は完遂起源型の可能表現には「補助動詞ウ・キル・オーセル、副詞エ など」があるとしている。これらのうち、現代日本語に残されているのは補助動詞「う」
を起源と持つ「える/うる」、及び接辞「える」である。「える/うる」は2.1.3.3.4で述べ たように現代日本語では生産性を失っているが、その起源となる補助動詞「う(得・能)」 は、古典日本語において、可能(特に実現可能)を表す形式として古くから生産的に用い られてきた。接辞「える」の起源には諸説あるが、渋谷(1993a, 1993b)では補助動詞
「う」がその発生に関わっていると考えている。
2.1.3.4.2.1 「える/うる」
渋谷(1993b)によると、副詞「え」及び補助動詞「う」による可能表現は上代から見