第 2 章 中国における内藤湖南研究の動向
第 2 節 学術研究の復興と湖南研究(1980 年代-現在)
1 日本の「中国学」の紹介
この時期、日本では、筑摩書房が1969年から『内藤湖南全集(14巻)』の出版を
7 「内部」とは、一般公開されないこれらの訳書の出版事情の背景にあった。
8 中国科学院近代史研究所资料编译组编译:《宫崎市定论文选集・前言》,商务印书馆,1963 年,1-11页。
9 李华瑞:《20世纪中日“唐宋变革”观研究述评》,《史学理论研究》,2003年第 4期。
李华瑞のいう「唐宋変革」は単なる内藤湖南の「宋代以降近世説」ではなく、東京大学の
「宋代中世説」、中国における「唐宋変革」の学説も含まれている。
10 雷海宗は《断代问题与中国历史的分期》(清华大学《社会科学》第2巻第1期,1936年
に掲載)において、文化史を基準に、中国の歴史を「2 大周」に分けた。第1周は、歴史 の当初から383年の淝水之戦までであり、純粋の華夏民族が文化を創造する時代であり、
外来の血統と文化はあまり重要な位置を占めていなかったとした。いわば「古典の中国」
である。第2周は、383年から今日に至るまでの期間であり、北方の異種民族が華夏地域 に侵入し、インドの仏教が浸透し、中国文化に大きい影響を与えた時代であり、異種民族 と漢民族が混合・融合し、インドと中国文化が互いに同化していった「総合的中国」であ る。中国は従来の個性を保ちながら、外来文化も重要な位置を占めていた時代であるとし た。
37 はじめ、ほぼそれが完結していた頃であった。
この期の中国における湖南研究の状況を論じる前に、中国において湖南研究を 促進した背景ともいうべき日本の「中国学」に関する紹介状況について指摘して おく必要があろう。
1991年、《东方文化(東方文化)》という「叢書」の第 1 巻として《日本中国 学史(日本における中国学の歴史)》が刊行された。この「叢書」の編纂目的につ いて、この著書の「总序(総序)」に次のように記されている。
「人類の歴史は、次のような事実を証明している。すなわち、文化交流は人 類の文化の発展を促進して、人類の社会を前進させてきた。すべての人類史上 においては、国家の大小にかかわりなく、民族の存在時期の長短に関わりなく、
すべてあるいは多かれ少なかれ、あるいはこれまでであろうとこれからであろ うと、人類の文化宝庫に対して、自ら貢献してきたし、今後も貢献していくこ とはまちがいない。人類の文化的発展が今日の時点に至っていることは、全世 界がもはや存在していない民族と国家といまなお存続している民族と国家との 共同の努力の結果であること、文化交流がそのうちにおいてきわめて重要な役 割を果たしていたことを意味しているのである。
現在、世界を席巻している文化は、西洋の資本主義国家がこれまで数百年の 間に創造し発展させてきたものであることは否定しようもない。だが、他方、
社会主義文化がすでに生まれ、注目すべき成果を築き上げているのも事実であ る。しかし、社会主義文化は資本主義文化の有益な部分に学び、これを吸収し、
より高い形態の社会文化を創造し、発展させていかなければならないのである。
…(中略)…
とはいえ、西洋から学ぶと同時に我々自身の頭脳を覚醒させる努力を怠って はならない。我々はより先の未来に目を向けなければならない。これまで我々 は、数千年の歴史を往き来し、縦横に数万里を渡り歩いてきたが、つまり、人 類の全歴史、全世界を見てきたが、いま西洋と東方の文化の体系を良く見比べ る必要がある。そうすると、両文化体系のそれぞれの消長や相互に学び合って きた関係を理解することができるのである。ただ、ここ数百年の状況は、最近 数百年の発展を代表しているにすぎない。以前のことは以前のことであって、
状況も異なるし、後のことになれば、なおさら状況は異なるであろう。宇宙に 目を向けさえすれば、しっかりと客観的にこうした事実を見極めることができ る。客観的に事実に即して「西洋文化」を了解し、東方文化を了解し、中国文 化を了解することによって、複雑に錯綜して真の姿を見抜くことができない状 況下においても、正確に「西洋文化」に対応できるし、正確に東方文化のある べき地位を把握でき、我々の文化の発展戦略のありようを正確に定め、「西洋
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文化」に学んだ成果を確実に自分のものとすることができるのである。」11
以上のように、編纂目的から窺えることは、いまや「イデオロギー的批判」の 地平を越えて、歴史事実や文化の役割を客観的に理解することを求め、相互に学 習しあうことの意義を改めて強調していることである。「イデオロギーからの脱 却」を果たすことが学術上の責務であり、文化交流こそ人類文化の発展において 重要な意味を持つコンセプトであることが指摘されたのである。「西洋文化」に 学ぶことによって、「東方文化」の客観的な理解が深まり、「東方文化」の地位 と役割を理解することができるとしたのである。
このような「認識」の下で刊行された「叢書」の第1巻、《日本中国学史(日本 における中国学の歴史)》は、严绍が15年間を費やして、1000人もの日本の「中 国学」の研究者を収録した 100 万字にも上る厖大な資料集であった。同書の一節 において、内藤湖南を実証主義学派の一人として紹介し、「内藤湖南与内藤史学(内 藤湖南と内藤史学)」において、「内藤仮説―中国史三分法、中国文化中心移動説、
中国史資料の収集と整理」について紹介した。
严绍の1600年来の長い歴史にわたる日本での「中国学」の「総括」とは別に、
明治以降に期間を限定し、150年来の近代日本における「中国学」の展開を詳しく 調査し、2010年に出版されたのは、李庆の《日本汉学史(日本漢学史(全 5 巻))》
であった。内藤湖南については、詳述されていないが、「支那論」を論じた内藤 湖南と津田左右吉の中国文化理解の違いについて言及している。
この時期、日本の「中国学」についての著書が多数出版、紹介された。中国の 研究者が日本の「中国学」についていかに注目しているかを示しているが、こう した資料の豊富化は、さらにこの研究を加速させていった。近年、湖南研究が盛 んなのは、こうした中国における日本の「中国学」ブームと無関係ではないよう に思われる。
表2 各出版社の世界及び日本における「中国学」の学術書の出版状況
出版社 叢書名 期間 巻数 日本の訳書
中 华 书 局 96卷
《世界汉学论丛》 2000-2010年 41 16
《日本学者中国法制史论著选》 2016年 4 4
《日本学者中国史研究丛刊》 2008-2017年 7 7
《日本中国学文萃》12 2005-2011年 21 21
《日本学者研究中国史论著选译》13 1992-1993年 10 10
11 严绍:《日本中国学史》,江西人民出版社,1991年,1-3页。
12 内藤湖南の『中国絵画史』が叢書の一巻として 2008年に出版されている。
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《近代日本人中国游记》14 2007-2012 13 13 上
海 古 籍 出 版 社 102卷
《日本中国史研究译丛》15 2008-2017年 10 10
《海外汉学丛书》16 1997-2018年 16 9
《早期中国研究丛书》 2007-2015年 18 4
《日本宋学研究六人集》 2005-2017年 17 17
《上海史研究译丛》 2003-2004年 13 2
《觉群佛学译丛》 2004-2017年 21 3
《域外汉学名著译丛》 2003-2010年 7 4
江苏人 民出版 社 176卷
《海外中国研究系列》17 1988-2018年 176 19
(アメリカ 116)
ここに示した表2は、改革開放以来の中国で翻訳出版された世界及び日本の「中 国学」に関する著作である。この時期の「中国学」について出版された翻訳書を 全般的にみると、これらの著書出版に力を尽くした出版社は中华书局、上海古籍 出版社、江苏人民出版社などが挙げられる。この表 2 から、各出版社がどれほど
「中国学」に関心を持っていたかは歴然としている。多数の著書が翻訳・出版さ れたからこそ、「中国学」の研究ブームに多くの「資料」を提供し、それがさら に日本の「中国学」の研究を盛り上げていったのである。
では、これらの日本の「中国学」に関する著作は、なぜこんなに多くの出版社 から注目されたのだろうか。一部の「叢書」出版の「緒言」をみれば、多少この 問題が解けるかもしれない。次に挙げた文章は、《近代日本人中国游记(近代にお ける日本人の中国旅行記)》の「総序」からの引用である。
「当時の日本人の中国への旅行についていえば、総体として、日本の大陸政 策と関連している。このため、彼らが書いている『旅行記』の多くは、純粋な 古跡探勝でもなければ、大自然を観賞するといったことを目的とした『観光記』
ではなかった。むしろ中国の政治・経済・文化・軍事・地理・風土・人物等を
13 第1巻に内藤湖南の「概括的唐宋時代観」が翻訳されている。
14 内藤湖南の『燕山楚水』は 2007年に再び出版されている。
15 内藤湖南の『中国史学史』が叢書の一巻として 2008年に出版されている。
16 内藤湖南の『中国史学史』が叢書の一巻として2017年に再び出版されている。
17 Joshua A.Fogel,Politics and Sinology:The Case of Naito Konan,1866~1934は叢書 の一巻として《内藤湖南:政治与汉学:1866-1934》という題名で2016年に出版されてい る。
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調査・探査することを目的とした『視察記』ないし『実地調査記』であった。
まさにこの一点からして、今日からみれば、これらの『旅行記』は文学的範疇 をはるかに超え、歴史地理学・中外関係史学・経済史学・文化史学等の多くの 分野に及ぶ、さまざまな専門学科の総合科学ともいうべきものであり、近代中 日両国の社会・経済・政治・軍事・外交・思想・文化等を研究する際に不可欠 の重要な資料集である。
…(中略)…
筆者は近代の日本人の中国旅遊記を収集して考察するに際して始終下記のあ りふれたような問題を痛感し、思考していた。すなわち、小にあっては一個人 ないし一組織、大にあっては一民族ないし一国家についていえば、自己認識し て、評価し、相手方を理解して、熟知し、同時に教訓を吸収し、これまでの累 積を重視して、日々の進歩を求めることがいかに重要なことであるかというこ とである。賢明な読者たちは、この一連の叢書のうちから多くの啓発と思考を 学び得るものと信じている。これもまた筆者がこの叢書を企画し、編纂した主 要な動機、目的の 1つである」18。
以上のように、「総序」によれば、これら著作の出版目的の 1 つは、当時、中 日両国の状況を理解するための「重要な研究材料」であること、もう 1 つは、自 己認識や自己啓発と同時に相手への理解を深めることが大事だということであっ た。
いま1つ、《日本学者研究中国史论著选译 (日本の中国史研究学者の論著選訳)』
の編者長である刘俊文は、「前書」に当たる《编者识语(編者識語)》で編集目 的を次のように述べている。
「現在、日本は、世界において、中国を除くと、最大の中国史研究の研究者 を抱えており、その研究成果もきわめて多い。理論上においても、方法論上に おいても、また学風上においても、それぞれにおいて自己の独特な風格を作り 上げている。その研究水準においても、総体的にいって、欧米をはるかに超え ており、多くの分野においては、すでに中国と肩を並べるまでに至っている。
いまだ中国が手を付けていない分野では独り占めの感があり、世界の先端を行 っている。…(中略)…こうした状況(つまり中国人研究者の驕りと中国史学界 の日本に対する浅薄な理解)は、日本から学び、日本の中国研究の成果を利用し、
その教訓をもって自らを戒め、自らの学問水準を向上させることを阻害してい るだけではなく、今後ますます盛んになる中日両国の学術交流の実質的内容を
18 张明杰:《近代日本人中国游记・总序》,《近代日本人中国游记丛书:燕山楚水》,中华书
局,2007年,9-10页。