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播磨灘に面する古墳 1.東播磨海岸の古墳

ドキュメント内 方墳の研究については長い歴史がある (ページ 63-69)

第9章 タニワ(兵庫)の長刀と墳墓

第4節 播磨灘に面する古墳 1.東播磨海岸の古墳

明石海峡をすぎると播磨灘に至る。明石川河口は『万葉集』に明石の浦、明石潟、明石の湖と呼 ばれた古代の港津である。この管掌者は前述した五色塚古墳や多聞・舞子古墳群の被葬者であろう。

明石川から加古川までの東播磨海岸は洪積段丘が海岸までせまり、開析谷を流いるいくつかの小 河川があり、その河口に『万葉集』には藤江の浦、摂播五泊のひとつの魚住泊、『播磨国風土記』に 阿閇津という港津が知られている。

この地域にはきわめて古墳の少ないところ(註 5)で、幅 15km の間に 15 基ほどの小古墳が知ら れているのみである。そのすべてか沿岸部の古墳というわけではないが、注目される古墳としては 明石市魚住町にある幣塚古墳をあげることができる。瀬戸川の東岸の段丘上に位置し、海岸まで約 2km である。

幣塚古墳(註6)は径 34m円墳で、段は設けないが、基石を用いた葺石を施し、葺石の外側に鰭付 円筒埴輪と鰭付朝顔形埴輪を 1.8mの間隔で樹立していた。この埴輪が五色塚古墳の埴輪とは同形 同大といってよいほど極めて類似しており、同一工人による製作とみて間違いなく、五色塚古墳と 密接な関係か指摘できる。埋葬施設は流紋岩質溶結凝灰岩(竜山石)の板石を用いた竪穴式石室であ る。付近に古墳はなく、独立した形で存在している。

これらのことから幣塚古墳が単なる在地勢力の自立的伸長の帰結として築造したとは捉えがたく、

海上交通の掌握に関与した拠点の確保といった政策的意思がその背景にあったことが窺われる。幣 塚古墳は明石海峡と加古川河口の中間点に位置している。

幣塚古墳の約 1.8km 西に播磨町愛后塚古墳がある。海岸までの距離は約 2、5km であり、周壕をめ ぐらす径約 22mの円墳で、埴輪が採集されている。他にも幣塚古墳や愛后塚古墳と同じような立地 の後期古墳が2、3みられるが内容が不明でその性格づけは明確にしがたい。

2.加古川河口付近の古墳

加古川河口には、『日本書記』応神 13 年の条に「鹿古の水門」が、『万葉集』には「可古の湖」や[可 古の島]が、『播磨国風土記』には仲哀天皇と神后皇后が筑紫に向かうとき碇泊したという「印南の浦」

や「印南之大津江」の港津の記述がみえる。加古川河口が古くから港として利用されたことを示して おり、鹿古の水門は加古川の東岸部、印南の浦がその西岸部にあたるであろう。

加古川河口にある臨海性の古墳としては、東岸部に聖陵山古墳が、西岸に日笠山古墳と竜山古墳 群がある。

聖陵山古墳(北山 1986)は、旧海岸線から約 2km 入った標高3mの平地に立地する。円長寺という 寺院か建立されており、墳丘は著しく改変を受けているが、墳長約 70mの前方後円墳とみられ、葺 石はみとめられるが、埴輪は採用されていない。円長寺の境内に竪穴式石室の天井石や側壁に使用 したとみられる流紋岩質溶結凝灰岩いわゆる竜山石の石材があることから埋葬施設は竪穴式石室と 推定している。この石材は聖陵山古墳の北方にある日岡古墳群の南大塚古墳や竜山5号墳の竪穴式 石室と同じ石材である。

日岡古墳群は5基の前方後円墳と3基の円墳からなる有力な前期古墳が集中している播磨地域で は唯一の前期の主要な古墳群であり、竪穴式石室の構造、複数埋葬のあり方、三角縁神獣鏡などの 副葬品の内容などからヤマト王権と親縁な政治的関係を結び、その政権の一翼を担っていた有力な 首長墓群と捉えている(山本 1983)。この古墳群と同質の石材を使用していることは、聖陵山古墳も 日岡古墳群との関係のなかで捉えられ、この首長層の中に港津や航路を管理する役割を担った首長 が聖陵山古墳の被葬者とみることが可能であるかもしれない。

日笠山古墳は加古川河口の西岸の丘陵頂に築かれている。公園造成のためその改変が著しく、墳 形や規模は明確でないが、地形等の観察から 60m前後の規模の前方後円墳と推定しており、竪穴式 石室に利用された吉野川流域に産出する紅簾片岩と埴輪が散乱し、採集している。この古墳は日笠 山丘陵の裾部は海岸であり、印南の浦とは至近の距離であったであろう。

竜山古墳群(山本、北山、真野 1978)は、「石の宝殿」のある竜山と隣接する伊保山や宝殿山に築 かれた6基の古墳からなる。伊保田や宝殿山に所在する竜山1~4号墳はいずれも小規模な古墳で、

横穴式石室をもつ古墳である。竜山に竜山5・6号墳が築かれている。竜山5号墳は墳長約 35mの 前方後円墳であり、葺石や埴輪は使用していないが、埋葬施設には竪穴式石室が採用されており、

小型の舶載内行花文鏡、鉄製武器類(剣、刀、槍先)、鉄製工具類(短冊形鉄斧、鍬先)、ガラス小玉 が副葬されていた。竜山6号墳は見晴らしのよい丘陵頂に築かれた径 35mの円墳である。この山塊 にも眼下まで海が入っていたとみられる。

この地域は大王の棺と称される長持形石棺、後期の首長の棺である家形石棺の産出地であり、大 和や河内・山城等に運ばれている。これら大型石棺は海路を通じて運搬されたとみられ、加古川河 口はその積出し港でもあった。

3.市川河口付近の古墳

摂播五泊の韓泊を姫路市的形とするのは千田稔である。的形は旧印南郡域であり、韓泊と推定さ れている背後の丘陵の東側は旧飾磨郡にあたる。『播磨国風土記』飾磨郡美濃里の条に「継ぐ湊」の 記載がみえ、八家川河口付近に推定されている。市川西岸には『万葉集』には「飾磨江」や「都太の細 江」がみえる。

①姫路市的形付近の古墳 この地域には目立った古墳はない。八家川河口の海側に突出した東 丘陵に姫路市木庭山古墳群がある。小規模な円頂3基からなり、いずれも横穴式石室をもつ後期古 墳である。的形の海岸に張り出した岬的な位置に梅本古墳があるが、小規模な円墳という以外の情 報はない。

基の古墳が知られている。御旅山6号墳が最初に築かれた古墳で、前方後円墳とみられていたが、

測量調査の結、前方後方墳の可能性が高くなった。墳長約 48mで、布留式期の二重口縁壺形土器が 採集されている。葺石はみられるが、埴輪は使用されていない。御旅山3号墳は小規模な円墳であ るが、竪穴式石室から三角縁神獣鏡や銅鏃などが出土している。御旅山1号墳は径 10m前後の小規 模な円墳で、箱式石棺から仿製獣形鏡が出土している。御旅山 13 号墳も径 10~15mの小規模な円 墳であるが、仿製変形獣形鏡、珠文鏡、多数のガラス小玉、古式の須恵器などが出土している。ま た、御旅山古墳群では、横穴式石室をもつ小円墳6基が確認されており、古墳から遊離した8個の 家形石棺がこの丘陵付近に存在している。この古墳群の中では御旅山6号墳が傑出した規模をもつ が、その後は小規模な古墳を連綿とし築造している古墳群である。丘陵頂部に立地する御旅山6・

2・1・13 号墳などからは播磨灘が一望でき、家島群島や四国島も望見できる。この丘陵裾部まで 海辺が当時せまっていたとみられる。

他に、夢前川河口付近の両岸の丘陵上にも旧海辺に面した付城山古墳群や直則古墳群などが散見 できるがいまひとつ実態が明らかでない。

4.揖保川河口付近の古墳

『播磨国風土記』揖保郡の条に「宇須伎津」がみえる。風土記によれば、神后皇后か朝鮮遠征の途 中この津に泊ったとみえ、天日槍もここに碇泊したとみえる。風土記では、揖保川を宇頭川と呼称 しており、この津は揖保川河口にあった港津であろう。揖保川河口における古墳時代の海岸線を想 定すれば、現在の海岸線よりも 2km 以上北に入り込んだ複雑な入江状の地形を形成していたとみら れる。

①大津茂川下流の古墳 揖保川の東側に大津茂川が南流している。大津茂川下流右岸の標高5 m前後の沖積地に丁瓢塚古墳が築かれている。沿岸部の古墳とするには、その前面に丁柳ケ瀬遺跡 やその北側に川島遺跡の拠点的集落が展開しており、周辺環境の様相が五色塚古墳群とは異なるが、

両遺跡からは弥生時代終末期の庄内併行期に、きわめて多量の讃岐系土器や丹後・但馬地域を含む 広義の山陰系土器という他地域の土器が出土しており、港近くにおける市的機能をもつ集落で、丁 瓢塚古墳はその近くに築かれた古墳であると捉えられる。

丁瓢塚古墳は墳長 101m 前後の規模で、前方部が撥形に開く最古形式の前方後円墳であり、その平 面形態は、大和東南部にある箸墓古墳と相似形墳と捉えられており、その約1/3の設計に基づいて 築造されていると捉えられているが、その段築を含む縦断形は異なっており、検討を要する。

後円部墳頂平担面の南東にかたよって割石積の小形竪穴式石室の存在が知られているが、中心の 埋葬施設ではない。墳丘からは広義の山陰系土器が出土している(岸本 1988)。

丁瓢塚古墳に先行する古墳出現前夜の弥生終末期後半の前方後円形墳丘墓が、その南側の丘陵頂 那に築かれている。山戸4号墓である。墳長は約 25mで、後円部に方形の竪穴式石室と箱式石棺状 の小石室が構築され、いずれも壺棺が埋置されていた。前者の壺棺は、讃岐産の大形複合口縁壺形 土器である。 この壺は胎土に角閃石と雲母片を多く含み、いわゆるチョコレート色を呈するため、

明らかに播磨産の土器と区別できる。この壺棺は香川県、岡山県、兵庫県に分布しており(岸本 1996)、

山戸4号墓と至近の壇特山1号墓(前方後円形墳丘墓、52m)の中心埋葬にも壺棺として採用している。

ドキュメント内 方墳の研究については長い歴史がある (ページ 63-69)