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内場山墳丘墓の内容とその検討

ドキュメント内 方墳の研究については長い歴史がある (ページ 31-34)

第9章 タニワ(兵庫)の長刀と墳墓

第1節 内場山墳丘墓の内容とその検討

内場山墳丘墓は、弥生時代終末期(庄内式期)後半の方形の墳墓である。出土土器からみれば、

三角縁神獣鏡の副葬が開始される古墳時代開始期直前の時期にあたるであろう。

位置と立地 所在地は篠山盆地の西部に位置し、篠山市東木之部字内場(旧多紀郡西紀町東木 之部)に所在する。

発掘調査は近畿自動車道舞鶴線建設事業に伴い 1985 年兵庫県教育委員会が実施した。

内場山墳丘墓は南東方向に尾根線を延ばす独立丘陵の南東の尾根先端に立地しており、標高は 231m、平野部との比高差は約 24mを測る。南側に広がる平野部の眺望はきわめて良好である。な お、この丘陵の南麓には古代山陰道が走っている。

墳丘は中世末の山城の築造により、若干改変を受けているが、比較的良好に遺存しているとみら れ、大きな改変を免れたと捉えて差し支えないであろう。

墳丘の築成 墳丘は風化した岩盤の地山を削り出すことによって長方形に造り出している。そ の手法は、尾根側の北西部分は、尾根筋を切断し浅い掘り割り状に成形する。その遺構は浅い溝状 を呈して、基底を形作る。よって、北西の基底と墳頂の差は 0.8mと高くない。他の三方の基底は、

調査時には山城の帯郭となっていて 3m前後の平坦面が認められた。帯郭を造成するために外側に 1.0~1.5mに盛土を行っており、それを差し引くと、墳丘墓の基底平坦面の幅は 1.5~2.0mあたり と推測できる。丹後地域の墳丘墓を参考にしても、これぐらいの平坦面は造りだしていたと捉えて おきたい。この前提で、調査時の三方の基底と墳頂の差は、南東側で 2.6m、南西側で 2.8m、北東 側で 3.0mを測り、中世の墳頂面の削平を考慮すると、おそらく 30~50 ㎝前後上回るものと捉えて よいであろう。

墳丘の規模 墳丘の規模は、前述した基底から計測すれば、北西―南西軸で 21.6m、南西―北 東軸が 19.5mである。墳頂平坦面はきわめて広く造られており、その上端の規模は、北西―南西軸 で 18.5m、南西―北東軸で 14.2mを測る。このようにみれば、墳丘の形態は、正確には方形ではな く、長方形を示しており、その長辺/短辺の比は、基底部で 1.11、墳頂平坦面で 1.30 となる。

墳丘斜面の斜度をみれば、北西斜面を除く三方、特に南西―北東軸の長辺側がきつく成形されて いることは、丹後地域の金谷 1 号墓、今井赤坂墳丘墓の弥生後期後半から終末期初めの墳丘墓と同 じ傾向である。

埋葬施設のあり方 埋葬施設は墳頂平坦面に、大形の木棺墓6基(SX9~14)、小形の木棺墓1

基(SX15)、土壙墓 3 基(SX16~18)、土器棺墓 3 基の計 13 基が確認されたと報告される。

土壙墓 3 基については、報告者も埋葬施設かどうか疑問を抱いているのだが、ほかの埋葬施設の 位置関係から、埋葬施設と報告している。私は埋葬施設とするには大いに疑問で、SX16 と SX17 は 中心埋葬 SX10 の墓壙長辺に近接平行して約 2m の間隔で配置されており、式台的な性格をもつ遺構 と把握してはと考えている。SX18 は前2者と形態も規模も異なり、中心埋葬 SX10 にの短辺である 北東約 3m の位置に単独に存在しており、幡的な性格の遺構ではとみている。

以上のように捉えると、墳頂平坦面には 10 基の埋葬施設があることになる。

その内、報告者が言う大形木棺 6 基の配し方をみれば、中心埋葬 SX10 を中心に、いずれも墳丘長 辺に平行に配置されている。配置状況からみて、当初から計画的とあったと捉えられる。

すでに、中心埋葬と前述しているが、SX10 が墳頂平坦面中央に位置すること、墓壙や木棺の規模、

副葬品の豊富さからいっても、SX10 が中心主体部=中心埋葬であると理解することに問題はないで あろう。言い換えれば、内場山墳丘墓は SX10 の被葬者である首長(王)の墳丘墓として築造された と言える。

中心埋葬 SX10 の墓壙の一端が重複する埋葬施設として、SX11 と SX9 がある。両者とも中心埋葬 より南東の位置、すなわち、丘陵先端の方に配されている。丹後地域における弥生墳丘墓の複数埋 葬のあり方を分析した野島永により、「中心埋葬重複周辺埋葬」(野島・野々口 1999)と分類・呼称 されている埋葬施設のあり方である。

SX12~SX14 は中心埋葬 SX10 の墓壙と重複せず、丘陵頂部側の北西の位置に配置している。この ような重複しない埋葬施設のあり方を「墳頂周辺埋葬」と分類・呼称して、野島は墳頂平坦面の周 辺埋葬のあり方に二者があることを指摘する。この分類は内場山墳丘墓でも有効であり、第1表の 一覧表や第1図に示しているように、両者は墓壙・棺の規模に大小が認められ、前者の規模が大き い。また、副葬品の有無や多寡にも両者は違いがあり、この段階の「墳頂周辺埋葬」には副葬品を 納めないことが基本的であるようである。

このようにみれば、内場山墳丘墓には、SX10 の王とも目される中心首長を頂点に、「中心埋葬重 複周辺埋葬」の被葬者、「墳長周辺埋葬」の被葬者という支配階級内部に三つの階層差が埋葬施設の 中に反映されていると指摘できる。これら 5 基の木棺墓が埋葬中核構造(野島・野々口 1999)を構成 していり、これは、生前の支配構造の形態を墳墓に投影されていると捉えていいのであろう。

他の墳頂平坦面の埋葬施設をみれば、小形の木棺墓 SX15 は中心埋葬重複周辺埋葬 SX9 の墓壙北隅 角近くに近接して埋葬され、SX9 とは直交の関係に配置される。SX15 は墓壙の長さでさえ 1.12m し かなく、小児棺であろう。木棺は両側辺に側板を立てたとみられる堀り込みが認められ、大形木棺 とはその構造が異なっていたのであろう。

2 号土器棺は中心埋葬 SX10 の墓壙の西隅角に接して埋葬されており、墳頂周辺埋葬 SX13 とも近 い位置ではある。2 号土器棺の棺身は山陰系複合口縁壺形土器で、搬入土器と捉えており、蓋とみ られる土器は東海系の高坏形土器と丹後・但馬系高坏形土器である。

3 号土器棺は中心埋葬重複周辺埋葬 SX11 の墓壙の東隅角に接して埋葬されており、棺身は讃岐産

4 号土器棺の棺身も 3 号土器棺と同じく讃岐産複合口縁壺形土器で、墳頂周辺埋葬 SX17 の墓壙西 隅角近くに埋葬されている。

土器棺は小児棺とみられ、大形木棺墓の墓壙の隅角付近に埋葬される法則性が看取され、その関 係性が読取れる。そして、土器棺の棺身はいずれも他地域からの搬入土器で、これを如何に解釈す るかは課題として残る。

なお、墳丘基底の平坦面には埋葬施設は検出されていないが、内場山墳丘墓とほぼ同じ時期の土 器棺墓 3 基が墳丘外の丘陵上(丘陵周辺埋葬)に確認されている。その内、1号土器棺の棺身の土 器は興味深い現象を示しており、讃岐産複合口縁壺形土器を在地の胎土で模倣を試みるのだが、3 号土器棺の土器のように精良なつくりにはならず、外面には平行タタキ痕や粘土接合痕を遺す粗製 土器になってしまっている。これがこの土器の模倣の限界なのであろう。

埋葬施設の構造 大形木棺墓群の墓壙の形態をみれば、中心埋葬 SX10 のみ四辺とも二段墓壙 に形作っている。中心埋葬重複周辺埋葬 SX11・SX9 と墳頂周辺埋葬 SX12~SX14 は、ともに墓壙長辺 側のみ二段に墓壙を形作っている。中心埋葬が重厚で、墓壙の規模や形態が周辺埋葬と格差をもつ あり方は、丹後地域の墳丘墓である浅後南 1 号墓、金谷 1 号墓、赤坂今井墳丘墓などの墳頂埋葬施 設のあり方と共通している。

木棺構造は報告書では、大形木棺 6 基とも組合式木棺と記載されており、6 枚の板材から構成さ れる箱形木棺をイメージしているものと想定される。調査直後の速報等では、中心埋葬 SX10 を割竹 形木棺直葬と報告されていたときもある。木棺はすでに腐朽しており決定的なその構造の把握には 困難を伴うことは致し難いところである。しかし、SX9や SX11 の二段墓壙の底面が U 字形を呈して いること、SX10 の副葬品の鉄器を含む赤褐色土の横断面も U 字形を呈していること、なによりもこ の墳丘墓に丹後地域の王墓とも目される方形墳丘墓に系譜を引く諸要素が多くみられることから、

舟底形木棺(舟形木棺)の可能性が高いと把握したいところであり、今後の検証が必要であろう。

その一例として、舟底形木棺と把握される丹後地域の大風呂南1号墓第3主体部と内場山墳丘墓中 心埋葬重複周辺埋葬SX9 の埋葬施設の比較を図 3 と図4で提示している。

供献土器 中心埋葬 SX10 の墓壙埋土上部に供献土器とみられる土器破片の一群が検出されて いる。棺の腐朽に伴って落ち込んだとみられる出土状況であり、赤色顔料の付着した砥石片や炭化 米も共伴している。SX10 の遺体埋葬後に共食儀礼を行い、破砕して SX10 の墓壙上面に載置したも のであろう。共食儀礼を行った埋葬施設は SX10 のみである。供献土器には甕形土器を含まず、二重 口縁壺形土器、小形脚付壺形土器、大形有段高坏形土器、椀形高坏形土器、小形鉢形土器の器種で 構成され、丹後系土器の様式で占められている土器群である。二重口縁壺形土器は北陸系の系譜を 引くものであるが、弥生後期後半以降の両地域の親密な土器の交流関係から丹後地域に定着した土 器とみなしてよいであろう。土器棺の土器がもつ搬入土器とは好対照をなす現象である。この関係 をどう理解するか今後の課題である。

図 6 は内場山墳丘墓の中心埋葬SX10 の供献土器が、丹後地域の有力首長墓の供献土器と同じ系 譜上にあることを示している。

副葬品 副葬品目の内容・多寡と埋葬施設のあり方とは相関関係にあることが指摘できる。副

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