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技術者の入国と滞在をもっと自由にしてもらいたい。

ドキュメント内 アジアの動向 シベリア 1966 (ページ 62-80)

これに対しソ連側はプロンスキー

科学技術国家委員会部長が立って「新

5ヵ年計画で科学技術を高めることと,外国からすぐれた技術を導入するこ

とを考えており,すでに米,英,仏,伊と技術交流の協定を結んでいる

o

今 後は日本とも共同して技術研究,機械の設計,工場建設など具体的な交流を

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進めたい。そのため技術者の滞在期間も 1年に延長することを希望している」

と述べた。続いて,足立,ネステロフ両氏が挨拶し,第1回日ソ経済合同委 員会の実質上の討議を終了したO

。 最 終 会 議

23日,午後,ホテノレ ・ニューオータニで、閃かれた最終会議において共問コ ミュニケが発表された。

〔共同コミ ュニケ〕 同ソ経済委鈴会の第i@I合|司会議は,日ソ聞の経済交 流促進のため広範かっ率直な意見の交換が行なわれ,双方の理解と親善を深 めるうえで画期的な成果をあげた。今会議で日本側

l

からは日ソ経済協力のあ り方,日ソ貿易の拡大などについて見解を述べ,極東およびシベリア開発問 題について見解を表明し意見の交換があった。両国の経済交流促進のために 両国政府間で調印された貿易支払い協定を円滑に推進し,双方の立場に合致 する協力のプロジェクトを具体的に進めることが最も肝要であると意見の一 致をみた。

当面の具体的案件として, 日本狽I]はサノ、リンの天然ガス開発,シベリアの 銅開発に関心を示し,このため技術調査団をソ連に派遣したい希望を表明し た。またソ連側は機械の対日輸出を促進するため,必要に応じてコマーシャ

jレクレジットを供与する用意のあることを表明した。今後,諸問題の解決の ために双方が努力することを申し合わせた。第2回の合同会議は1967年,双 方の都合のよい時期にモスクワで開かれる。

以上をもって, 14日以来の全日程を終了した。日本倶jlの山席者は,今回の 合同会議によって, 日ソ間の友好と相互理解が深められたことに,一様に満 足の意を表明してヤると伝え られる。

日ソ漁業交渉開幕

第10回日 ソ漁業委員会は3月 1日午後3時(日本時間|同9時〉から,モス クワのソピエッカヤ ・ホテルの広間で幕をあけた。開会式には,日本倶jlから 首席代表の藤田大日本水産会長,亀長水産庁生産部長,岡田外務省欧亜局参 事官の 3代表と随員および中川大使, ソ連側からはそイセーエフ首席代表以 下 3代表と随員,それにシャルチェンコ漁業省次官,スダリコフ外務省極東

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部長らが出席した。

02

日の会議

まず昨年と同じように資源科学小委員会と財政運営小委員会とを設けて,

同時に審議が開始された。

との日の資源、科学小委においてソ連側は昨年の漁獲実績を次のように報告 した。(カッコ内は計画量〉ベニザケ 4200トン(3500トン〉 自サケ 31500ト ン(28600トン〉 マス 47900トン(47400トン〉 多艮ザ、ケ 2900トン(4200ト ン〉 マスノスケ 1100トン(1300トン〉 合計8万7600トン(8万5α)0トン)

これに対し日本の昨年度漁獲高は11万9659トン(計画11万5000トン〉であ った。このように両国とも計画を上回る実績をあげたことは,農漁年の資源、

状態がかなり順調であることの現れであるとの見解を生んだ。

資源科学小委へは日本側から亀長委員ら 4人, ソ連側からクレンコフ委員 ら4人が出席することになっており,運営財政小委には岡田委員ら3人とオ ヨヱシヱヨフ委員ら 3人が双方から参加することになった。

03

日の会議

午後3時からオスタンキノ ・ホテノレで第3回本会議がひらかれた。そして

「昨年の両国漁獲実績,規制違反件数とその処理内容,共同調査計画

J

の 3 議題をそれぞれ通報した。ソ連側はこの会議で, 「ことしも日本船の違反が

あとを絶たない」と非難した由である。

04

日の会議

午前と午後の2回にわたって,資源科学小委員会の第 l回会合がひらかれ た。そして前日の本会議で報告された共同調査結果について双方から質疑応 答がおとなわれ,資源評価の方法について話し合った。この日の議長はクレ

ンコブ・ソ連代表。

0 5

日,

6

日の会議

資源科学小委員会は5' 6日と続いてひらかれエシンの資源評価を終った が,カニの資源評価で、双方の主張が喰い違ったまま一致せず, 9日の会議に 持ちこされた。(

7,  8

日は休日〉

09

日の会議

この日,午前中にひらかれた資源科学小委員会では, 「今年のカニ資源は

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シベリア開発(3月〉

保護のため充分注意をはらう必要がある」ということで合意に達した。こσ

カニの問題ではソ連側が資源の減少を主張したのに対し,

日本側はこれを否 定したので見解の対立を生じ,

3 回も会合を続けた結果,このような評価に

おちついたものである。

つづいて午後の合会でU、よいよマスの資源評価に入ったが,

ソ連側の資料 に対する質疑応答がおこなわれた。

OH), 

11日の会議

資源科学小委はマスと自サケの資源、評価を続けたが,予怨、通りソ連側が強 硬な態度を示し,「史上最低の資源状態

J

と主張したのに対し,日本側は「64 年なみの水準

J

と反論し会議は難航した。

012

日の会議

午前中,本会議が開かれ,さきに資源科学小委員会で、合意したカニとニシ

ンの評価を承認した。カエ資源に関しては「注意を要する状態」ニシンに関

しては「規制措置を緩和せず,さらに調査研究を継続する」という表現が使 用された。

一方,資源科学小委員会も午前中に会合をひらし、たが,白サケの資源評価 では「

65

年の水準に近い」という評価で合意に達したが,マス資源の評価で は依然として意見が一致せず,

14

日にもちこされた。

014, 15日の会議

ベニザケとマスの資源評価をおこなったが合意に達せず。

016

日の会議

この日,資源科学小委員会の第

17

回目の会合がひらかれ,ベニザケとマス の資源評価で次のような合意に達した。

1.  本年のマス資源は64年を若干下問る。

2. ベニザケにつし、てはアジア系は64,65

年の平均水準にある

米国系 は高い水準にある。

017,  18

日の会議

資源科学小委員会は

17

日の非公式会談でサケ

マスの一般資源状態の評価 について合意に達し,

18

日の科学小委と,そのあとの本会議において,資源 評価の合意文書を一括採択した。これで資源、に関する討議は終了した。

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019日以降の交渉

資源評価が終ったあと,藤田, モイセーエフ両首席代表ら, 両国委員の間 で漁獲規制,漁獲量に関して非公式会談がおこなわれたが,ソ連側は強硬な提 案をおこなった。とくに①B区域への九割j滅船,②48度以南の流し網を45。 以i布とする,③

B

区域漁期を半月短縮する,④その代りソ連側も禁漁措置を

とる一ーという昨年のモイセーエフ提案を再びもち出してきた。また,モイ セーエフ代表は「漁業条約の改訂」も提−案したと 23日,日本の政府筋から発 表された。一方,専門家会議においてもソ連側は「日本漁船の漁獲量は真実 でなし、」ときびしい態度を示した。またソ連側は新しい禁漁区の設置を提案 して日本側を緊張させた。しかし,交渉は両国委員が黒海沿岸へ保養へ出か けたため, 26日から 3〜4日間休戦状態となった。

しかし,月末から再開された交渉でもソ連側は強硬態度を崩さず, 日本倶jl も強硬方針を堅持しているため,妥結は4月まで持ちこされる事になった。

日本政府はサケ・マス漁獲量10万トンの大台は確保する方針を立てていると 伝えられる。

党中央委総会開催

3月26日,ソ連共産党中央委員会総会が関かれ, 29日からの第23回党大会 に提出する中央委報告を審議し,全会一致で承認した。この報告は党大会の 席上,ブレジネフ第一書記が行なうものであるという。

第23回ソ連共産党大会開幕

3月29日午前10時〈日本時間同 U午後 4時〉から世界86ヵ国諸党代表団〈北 ベトナム,北朝鮮を含む〉の列席のもとに, ソ連共産党第23回大会がクレム

リン内の大宮殿で開幕した。

開会第1日目には,ブレジネフ第一書記とムラピヨワ党中央委監査委員会 議長の報告がおとなわれた。

2日目の会議では,モスクワ市党委のエゴノレイチェフ第一書記と, ウクラ イナ共和国共産党のシエレス ト第一書記の両名がおこなった演説が注目され た。

AHU 一( 45)ー

, 

シベリア開発(3月〉

3日目の会議では,ポドゴノレヌイ最高会議幹部会議長の発言のあと, 出 席 した各国党代表の演説がおこなわれた。

3

月中の

3

日間の会議で提起された重 要 な問題は次の諸点、であった。

0

中央委幹部会を中央委政治局(ポリト ・ビ ユーロ}〉に改称する。

〈注〉 政治局は第191副党大会(1952)までは存在していたが,フ/レシチョフ古ij前相 によって廃止された。それが十数年ぶりに復活されたものであるU

0

中央委総会のほかに全連邦党会議を復活する。

(注〉 この全連邦党会議はレーニン時代から1941年までは聞かれてし、たが,その後,

立消えになっていたもの。

0

党中央委付属ロシア共和国ビューローを廃止する。

(注〉 これも1956年,フルシチ ョフの発案で設置されたもの。

0

入党の条件を厳格にし,制裁措置は除名処分のようなきびしいものに 宇る。

0

党幹部の任期制限の撤廃。

一一以上ブレジネフ報告一一

0

第一書記(ベールヴィ・セクレタリ〉を書記長〈ゲネラリヌイ ・セク レタリ〉に名称変更する。 一一エゴノレイチェフ演説一一一

0

「中ソの話し合い

J

と「世界党会議の開催

J o

− ブレジネフ演説一一

O

スターリ ン主義の復活反対。一一エゴノレイチェフ演説一一

〈注〉 その後の会議は5月にかかったので,次号に掲載する。

。利潤方式の導入,68年までに完了か

3月19日付イズベスチャはパイパコフ ・ソ連副首相兼ゴスプランi議長の発表を掲載 したが,それによると,今年4月に約200の工場が利潤制度を導入し, 7月には全産 業が新制度への転換を開始, 68年l)=J  1日までに全部の転換を完了する予定であると いう。

。市ソビエトの選挙を競争制に

アノレメニア共和国最高会議幹部会議長は, 今月はじめのアノレメニア共産党大会で演 説し,市会(ゴル・ソピエト〉議員の責任確立のため,選挙を複数候補者による 競 争制 にするよう提案した。

(注〉 ソ連の選挙はすべて単一候補者公認制による無競争選挙である。 一(46 )ー ‑242‑

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