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戦時下在朝日基教会の一面

第 3 章 15 年戦争期における朝鮮の日本基督教会

5. 戦時下在朝日基教会の一面

(138) 五十嵐喜和は、第44回大会における「進言」の承認と鈴木高志が提出した「決議案」の否決の

理由に対して、内容の微妙な相違を上げている(前掲書、259~261頁)。しかし、内容より積極 性に理由があると判断される。鈴木高志は提出した決議案には決議の内容だけでなく、決議した 内容を「特別委員会を挙げ、最も有力なる方法を用いて、中外に声明し、趣旨の貫徹を期する」

など非常に積極的な、ある意味で「闘争」まで求めていたからだ。それに対して、大会はすでに ある「神社問題特別委員会」を用い、また当時のイッシューであった宗教法案の経過によって対 応することと決定した。『第四十四回日本基督教会大会記録』130頁。

(139) 『福音新報』1729号、1928.10.11日。五十嵐喜和、前掲書、253~254頁より再引用。

(140) 同書、283頁。

(141) 金田隆一『昭和日本基督教会史』新教出版社、1996年、297頁。

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今まで考察したところでは、15 年戦争期の在朝日基の存在は、日本の植民地支配の手足 だったと言っても過言ではない。しかし 3.1 独立運動中の朝鮮民衆と教会に対する報告、

1930年の神社問題に対する建議案の事例が示すように、在朝日基が一方的に植民地支配の 手先として動いたとする見方には限界がある。問題点はまず、そのような一方的な判断の根 拠になる資料は植民地当時に「出版」されたものであるということだ。植民地朝鮮において 出版は必ず総督府の検閲を受けなければならず、植民地統治に反する内容の出版はできな い状況だった。

もう一つは、その資料の裏面、ある意味では本当の意味を読めない場合もある。例えば、

崔徳成は戦時期に開校した朝鮮神学院に対してこのように述べている。「金在俊院長の就任 と共に日本人宮内彰が教授として就任した。専任講師として韓国人全聖天、姜子会、兪虎濬、

日本人花村芳夫、村岸清洙、山口太郎などが教えた。学生たちは学徒動員令に従い、1945 年4月から光復まで全校生が平壤船橋里所在化学工場で日帝のための労働を提供した」(142)。 ここでは花村美樹、村岸清彦、山口重太郎などの日本人の名前が誤記されてあり、また朝鮮 人学生が強制労働を強いられているように記されている。しかし戦時末期、日本人・韓国人 を問わず多くの学生と若者が徴兵されて、戦場に送られたことを勘案したら、京城貞洞教会 の長老であり、京城帝国大学の教授だった花村の影響で、朝鮮神学院の学生たちが徴兵され る代わりに工場で労働力を提供することになったと推測することも可能である。そうだと したら日本人キリスト者は朝鮮人キリスト者を利用したというより、彼らはできる限り朝 鮮人キリスト者を守ったと評価できる可能性もある。

ここでは少ない例でありながら、在朝日基と総督府の軍国主義との間にあった葛藤の事 例を挙げる。

(1) 釜山教会の事例

日基釜山教会のキリスト者の中では良心的行動によって日帝との葛藤を経験した事例が あった。釜山教会の長老だった合田初太郎に対して、元釜山教会の青年だった幸日出男はそ のような思い出を述べた。すこし長いが、釜山教会の生々しい状況に対する貴重な証言なの で引用する。

私と合田さんとの出会いは、私が中学校に入学した時ですから、今から六十年近く前 になります。そのころ、朝鮮半島は日本の統治下にありましたが、その最南端釜山の町 に日本基督教会の釜山教会があり、合田さんは、そこでキリスト教信仰を養われ、若く して教会の役員に選ばれ、中学生指導の任にあたっておられました。職業は銀行員でし た。小学生の時からこの教会の日曜学校に通っておりました私は、中学生になって、合

(142) 崔徳成『新版 韓国教会의 親日派 伝統』知識産業社、2006年、282~283頁。

104 田さんの指導を受けることになったわけです。

中学生の集まりは、毎日曜日午前六時で、賛美歌を歌い聖書講話を聞いて、そのあと、

広い礼拝堂の掃除をする鼓とになっていました。中学生の方は、それで一応終わりです が、合田さんは帰宅して朝食をとり、再び午前十時の教会の礼拝に出席されていました。

中学生に対しても礼拝出席をすすめられましたが、もちろん全く自由でした。しかし、

私は合田さんの熱意にひかれて、礼拝にも出席するようになり、やがて洗礼をうけるこ とになった次第です。

合田さんは、内村鑑三などの書物を愛読し、内村の弟子である矢内原忠雄に大変私淑 し、その個人雑誌「嘉信」を講読しておられました。聖書講話では、旧約聖書のイザヤ 書やエレミヤ書をテキストとすることが多く、人間の不義・不正・罪とそれをあばく神 の正義ということをよく語っておられました。そして、今戦われている戦争が国家的な 罪・不正であるということをくりかえし強調しておられました。

時はちょうど宣戦布告なき戦争であった日中戦争が拡大し、ついにアメリカ、イギリ スなどをも相手に戦うようになるという頃で、思想や言論の統制もきびしく、釜山教会 にも陸軍憲兵隊の手がのびて、合田さんとともに教会で活躍しておられた小川京市さ んという方が、拘留されるというような事もありました。合田さんも憲兵から日本刀を つきつけられて尋問されたという事です。(中略)

合田さんは正義・平和を強調する信念の人でありましたが、その日常生活は、実にや さしい愛の人でした。一人一人への愛情、配慮、それは合田さんの生涯をつらぬくもの でした。戦時下、朝鮮半島では、日本政府は、内鮮一体という美しいスローガンをかか げていましたが、その実は大変ひどい事をしていました。合田さんは、そのような中で 苦しみ困っている朝鮮の人たちのために、出来る限りの事をしておられました(143)

元釜山教会の青年のもう一人、入江幸男はこう述べた。

(前略)釜山YMCAの指導者であり且つ合田先生のパートナーであられた小川京一氏 に対する釜山陸軍憲兵隊による不法過酷な思想言論弾圧事件の経過と拘留された小川 さんの釈放を求め、平和主義を信仰の立場から毅然として斗われ、そのため憲兵隊員か ら日本刀を突きつけられながらも小川文書を擁護され釈放を勝ち取られた(中略)先生 の平和主義は、「聖書」のイザヤ書、エレミヤ書、内村鑑三、矢内原忠雄の既述、特に

「聖書の研究」「嘉信」中で述べられている信仰に基づく真の愛国主義(内村鑑三の二 つのJ)を基盤とする徹底した“それ”でありました。(中略)

(143) 合田初太郎追悼文集刊行会、『また会う日まで:合田初太郎追悼』、1998年、47~48頁。上月一

郎『釜山における日本人教会の起源と発展1876-1945:旧日本基督教会釜山教会を中心に』2013 年、高麗大学校大学院神学修士論文、160~161頁から再引用。この論文は韓国語で発表された が、著者の上月一郎さんから日本語文を入手した。引用文は日本語文章を引用する。

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YMCA での講話は、聖ポウロ、聖オーガスチン、ルター等の既述、旧約聖書のエレ ミヤ書、イザヤ書を中心にして行われ、「信仰によって義とされる」「義と愛の神」「罪 の赦しは唯キリストイエスを通じてのみ行われる」等が主要なテーマであり、その他、

①シュバイツアーのラムバレネにおける医療活動諸記録「生への畏敬」信仰、②クリス ティ「奉天三十年」(矢内原忠雄訳)植民地における医療奉仕活動、③トルストイの諸 著書、④ロマン・ローランの諸著書等を先生から頂戴して読む事が出来ました。

その後戦争が激化する中、先生は、朝鮮貯蓄銀行釜山支店の支店長代理として困難な 戦時経済の中、弱冠二十八歳余で活躍されました。私の父が七年間病床にあり昭和十九 年召天した際、合田先生が極めて懇篤な追悼の辞を述べて下さり、私の進学問題を含め 生活相談にも積極的に対応していただき、以来師父としての愛情を注いで下さいまし た(144)

合田は日本帰ってから無教会主義者になったが、かれの韓国へ対する思いは彼を偲ぶ韓 国人の弔辞からも伺える。

嗚呼哀しいかな、韓国ソウルの弟、李基俊は兄合田初太郎の御召天を心から悲しみこ こに弔辞を捧げます。(中略)何等の信仰に対する自覚もなかった私を無理に唐牛から うじ牧師の前に立たせ洗礼を受けさせました。それ以来、私はあなたの祈りと励ましに よって本日まで経済学徒として学問の道を歩き続けることができました。あなたのな い私の存在はありませんでした。(中略)あなたは短い日程にも拘らず、多くの無教会 の指導者を訪問なされました。特に臥病中の宋斗用先生をお見舞いする為何時間を費 やしました。(中略)「戦前の朝鮮における日本を思うと一面相当覚悟を要する渡韓であ ったが、終始見知らぬ人々の好意を受ける旅であった。そうして幼少時を過ごしたとこ ろを見たことは、我が生涯最良の日であることを失わない数日であった。「うさぎ追い しかの山・・・」の歌の通り、私を慰めてくれるものがあった。私は韓国との今後の交流 になんらかの力を尽くしたいと思う」。(中略)あなたは、主イエスキリストが授けられ た神様と人格との両方を兼有なされて、ひとえに世の光と塩として役割をなさんがた め、この荒野にて活躍なされ、そのすべての栄光を神に帰した方でした(145)

合田初太郎は、在朝日本人の中で良心的で朝鮮人を尊重したキリスト者の存在を証明す るのである。また戦時期釜山教会の状況に対して元釜山教会の長老だった江尻良一はこう 懐述した。

(144) 上月一郎、同上、161~162頁。

(145) 同上、148頁。