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戦国諸子思想の死生観

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前章で扱った戦国時代の変化が、宗教(あるいは民俗)自体の変化であるとすれば、これと平 行してより重要な変化が世界観に起こっていたことはよく知られている。いうまでもなく、諸子 百家と総称される思想運動のことである。これらの思想運動は伝統的な世界観を一方では継承し ながら、それに対して新しい解釈をほどこし、あるいは全く別の考え方を提出していった。従っ て、彼らの死に対する捉え方は、多かれ少なかれ、前章までに論じた宗教的な世界観に対するア ンチテーゼ、否定、革新、再解釈なのであって、そのような世界観が提出され、受容されていく ことで、宗教的世界観も変容を迫られ、 死者性 も変化していくと考えることができる。

ここでは、最初に古代の霊魂観一般とその変化を概観し、続いて、生と死に対して対照的な立 場を採る儒家と道家の思想を死生観に即してみてみたい。

第一節 魂・魄

紀元一〇〇年頃に編纂された許愼『説文解字』に「魂、陽气也。从鬼、云聲」、「魄、陰神也。

从鬼、白聲」とあるように、中国で古来、魂と魄という二つの霊魂が信じられ、それが陰陽二元 論と結びついて、魂は精神−気、魄は肉体−土という二元論を構成したことはよく知られている Yu, Ying-shih , Life and し 研究も多い ここでは、 ( 銭穆 霊魂與心『 』、聯經出版 一九七六、 。 余英時

同「中国古代死後 immortality in the mind of Han China",Harvard Journal of Asiatic Studies25, 1965.

“O soul, come back: a study in changing conceptions of 世界観的演変」、『明報 一八−九 一九八三 同』 、 。

袁陽『生死 the soul and afterlife in pre-Buddhist China.” Harvard Journal of Asiatic Studies47-2, 1987.

事大 、東方出版社、一九九六。蕭登福『先秦兩漢冥界及神仙思想探原 、文津出版社、一九九〇。大』 』

。しかし、魂魄 形徹『魂のありか――中国古代の霊魂観 、角川書店、二〇〇〇、などを参照した』 )

の霊魂観を霊肉二元論と解することは問題があるし、またそれを単純に人間の死を説明するもの と考えるのも問題である。この概念に関する文言を順次検討していきたい。

( )魂魄をペアとする最初の言及は 『左傳』昭公七年の有名な逸話の中に現れる。1 、

『左傳』昭公七年「鄭人相驚以伯有有至矣。則皆走、不知所在。鋳刑書之歳二月、或夢伯有 介而行、曰『壬子、余將殺帶也。明年壬寅、余又將殺段也 』及壬子、駟帶卒。國人益懼。。 齊燕平之月、壬寅公孫段卒。國人愈懼。其明月、子産立公孫洩及良止、以撫之、乃止。子大 叔問其故、子産曰『鬼有所歸、乃不爲厲、吾爲之歸也。』(中略)及子産適晉、趙景子問焉曰

『伯有猶能爲鬼乎 』子産曰『能。人生始化曰魄、既生魄、陽曰魂。用物精多、則魂魄強、。 是以有精爽、至於神明。匹夫匹婦強死、其魂魄猶能馮依於人、以爲淫厲。況良霄我先君穆公 之冑、子良之孫、子耳之子、敝邑之卿、從政三世矣。鄭雖無腆、抑諺曰、蕞爾國、而三世執

、 、 。 、 。 、 、 。』」

其政柄 其用物也弘矣 其取精也多矣 其族又大 所馮厚矣 而強死 能爲鬼 不亦宜乎 簡単に事件の背景を紹介するなら、伯有とは名は良霄、鄭穆公の曾孫であって、襄公三十年に政 争で戦死した(その子が良止である 。駟帯は、鄭穆公の曾孫、公孫段は鄭穆公の孫で、共にそ) の時の政争の勝利者であった。つまり、かつての政争で敗れた伯有が亡霊となって怨みを晴らし

(と民衆は信じた 、執政であった子産が伯有の子を登用することで安撫したというのが話の骨)

( )叔孫 :昭子、魯の大臣。樂祁:宋の大臣。1 ( )趙同:原叔。2

第五章 戦国諸子思想の死生観

格である(公孫洩は鄭穆公の孫で、襄公十九年に政争で死亡した子孔の子である 。)

問題は、子産が亡霊の出現という現象を魂・魄で説明している点である。ここから幾つかの特 徴を見ることができる。

形体―→魄(肉体的知覚能力)―→魂(精神活動能力 〈魂魄〉は肉体に付属し、後から派

a )。

生するものであり、しかも魂の方が魄より遅れて現れる。子産の説明は魄が知覚に関するもの、

魂が思考活動にかかわるものであることを示唆し、魂=陽とされるものの、陰陽説的な二元対立 であるかことは明示されない(杜預は『説文』にならって陰陽に配置するが 『春秋正義』の理、 解の方が正確である 。魄は単純に肉体に等置できるのではなく、知覚と思考という人間の精神) 活動の二面性に関わる概念であることを示している。

杜預『春秋經傳集解』(ca. 282 CE)は「魄、形也。陽、神氣也」

『春秋正義』(ca. 640 CE)「人之生也、始變化爲形、形之靈者、名之曰魄也。既生魄矣、魄内 自有陽氣、氣之神者、名之曰魂也。魂魄、神靈之名、本從形氣、而有形氣既殊、魂魄亦異。

附形之靈者、爲魄、附氣之神、爲魂也。附形之靈者、謂初生之時、耳目心識、手足運動、啼

、 。 、 、 、 。 、

呼爲聲 此則魄之靈也 附氣之神者 謂精神 性識漸有所加 此則附氣之神也 是魄在於前 而魂在於後 」。

死後、魂魄が分離するとはされていない(「魂魄猶能馮依」 『左伝』の他の例でも魂魄の分

b )。

離が死であるとか説明されることはないし、魄によって精神活動一般を表している例もある。

『左伝』昭公二五年「春、叔孫 聘于宋、……宋公享昭子、……飲酒樂、宋公使昭子右坐、 語相泣也。樂祁佐、退而告人曰 『今茲君與叔孫其皆死乎。吾聞之、哀樂而樂哀、皆喪心也。、

( )

心精爽、是謂魂魄。魂魄去之、何以能久。』」

1

宣公一五年「晉侯使趙同獻狄俘于周、不敬。劉康公曰 『不及十年、原叔必有大咎、天奪之、

( )

魄矣。』」

2

襄公二十九年「鄭伯有使公孫黒如楚。辭曰、楚鄭方悪、而使余往、是殺余也。……伯有將 使之、子晳怒 (中略)裨諶曰、……天又除之、奪伯有魄 」。 。

魂魄は固定的ではなく、成長するもの、環境によって異なるものである。この話は祖先祭祀 c

の機能を前提として( 鬼有所歸、乃不爲厲 、死者の救済は「所歸」=祭祀にある 、死者の祟り「 」 ) を説明するものであり、死後存続自体は肯定しているが、それは生前の残存として存在するもの で、肉体から独立した存在としての霊魂を論じているわけではない。

ここからは、死者は漠然と二元的にとらえられるとは認められるが、その分離は殆ど意識化さ れず、「祖先」となることに重点があると言える。

( )『禮記』祭義「宰我曰『吾聞鬼神之名、不知其所謂 』子曰『氣也者、神之盛也。魄也者、鬼2 。 之盛也。合鬼與神、敎之至也。衆生必死、死必歸土、此之謂鬼。骨肉斃于下、陰爲野土。其

、 、 、 、 。 、 、 、

氣發揚于上 爲照明 焄蒿悽愴 此百物之精也 神之著也 因物之精 制爲之極 明命鬼神

、 、 。 、 、 、 、

以爲黔首則 百衆以畏 萬民以服 聖人以是爲未足也 築爲宮室 設爲宗祧 以別親疏遠邇

、 。 、 。 、 。 、

敎民反古復始 不忘其所由生也 衆之服自此 故聴且速也 二端既立 報以二禮 建設朝事 燔燎羶(馨)薌(香) 見(覵)以蕭光 以報氣也 此教衆反始也 薦黍稷 羞肝肺首心 見間(覵)、 、 、 。 、 、

( )「1 : 雜 「 :さけがめ。

まぜる

( )延陵季子:呉の公子、季札のこと 「羸 「博 :地名。齊にあり 「輪 :縱 「可隱 :手で触れる高さ。2 以俠甒、加以欝鬯、以報魄也。敎民相愛、上下用情、禮之至也。』」

これも有名な文章であり、鄭玄の注を参考にするなら、次のように要約できよう。

発揚→上−天――気(魂)−神(−陽)―――――朝事(血)

人 二端−二禮

帰 →下−土――魄(形)−鬼(−陰)―――――薦黍稷(食)

「 、 。 。 。 。」「 、

鄭玄(d.200)注 氣 謂嘘吸出入者也 耳目之聡明爲魄 合鬼神而祭之 聖人之敎致之也 焄

謂香臭也。蒿、謂氣蒸出貌也。上言衆生、此言百物、明其與人同也、不如人貴爾。」「明命、

。 、 。 、 。 、 。 、 。

猶尊名也 尊極於鬼神 不可復加也 黔首 謂民也 則 法也 爲民作法 使民亦事其祖禰

、 。」「 、 、 。 、 。 、 。

鬼神 民所畏服 二端既立 謂氣也 魄也 更有尊名 云鬼神也 二禮 謂朝事與薦黍稷 朝事、謂薦血腥時也。薦黍稷、所謂饋食也 (中略)燔燎馨香、。 覵以蕭光、取牲祭脂也。光、

猶氣也 (中略)。 覵以俠甒、雜之兩甒醴酒。相愛用情、謂此以人道祭之也。報氣以氣、報魄

( )

以實、各首其類 」。

1

魂魄は完全に陰陽二元的枠組みで説明されているが、ここでの重点は祭祀の要素(薦血・饋食)

を説明し、それを為政の方法に転化する点にある。人間が天−気−魂、土−形−魄からなる二元 的存在であり、死によって結果的に分離することを言うが、死の説明や死後存在それ自体を論じ るものではない。類似の例として、以下のようなのがある。

王肅『孔子家語』(ca. 256 CE)哀公問政「宰我曰於孔子、曰、吾聞鬼神之名、而不知所謂、敢 問焉。孔子曰、人生有氣、有魂。氣也者、人之盛也。夫生必死、死必歸土、此謂鬼。魂氣歸 天、此謂神。合鬼與神、而享之、敎之至也。骨肉斃于下、化爲野土。其氣發揚于上者、此神 之著也。聖人因物之精、制爲之極、明命鬼神、以爲民之則、而以猶以是爲未足也、故築爲宮 室、設爲宗祧、春秋祭祀、以別親疏、敎民反古復始、不敢忘其所由生也。衆人服自此、聴且

。 、 、 。 、 、 、 、

速焉 敎以二端 二端既立 報以二禮 建設朝事 燔燎羶薌 所以報魄也 此教民修本反始 崇愛上下用情、禮之至也 」。

『禮記』郊特牲「此魂氣歸于天、形魄歸于地。故祭求諸陰陽之義也 」。

禮運「夫禮之初 (中略)及其死也、升屋而號、告曰、 某復、然後飯腥而苴孰。故天望而地、 藏也、體魄則降、知氣在上、故死者北首、生者南郷、皆從其初 」。

( )『禮記』檀弓下「延陵季子、適齊、於其反也、其長子死、葬於羸博之間。孔子曰、延陵季子、3 呉之習於禮者也。往而觀其葬焉、其坎深不至於泉、其斂以時服、既葬而封、廣輪揜坎、其高 可隱也。既封、左袒、右還其封、且號者三、曰 『骨肉歸復于土、命也。若魂氣、則無不之、

( )

也、無不之也 』而遂行。孔子曰、延陵季子之於禮也、其合矣乎 」。 。

2

この文言の主眼は葬儀の意味づけ(豪華な墓葬と墓祭の否定)にある(後世 「無不之也」は薄、 喪を主張する言説の中で引用される 『漢書』楚元王伝、劉向の上書など 。死を「骨肉は土に歸。 ) 復」し「魂氣のごときは則ち之かざるなき」として説明していると認めてもよいと思われるが、

骨肉(魄)の面での存続は想定されているとは思われず、厳密には二元的霊魂観を構成しない。

死後の存続は魂気のレベルで捉えられているが、それがリアルなものなのか不明であり、むしろ 死における 自由 ( 若魂氣則無不之也 )というロマンティシズムを示唆している。この点は「 」 後に儒家の思想を論じる際に考えたい。

ドキュメント内 untitled (ページ 60-79)