本研究冒頭で 死者性 の転倒現象と呼んだものの始まりは、おそらく戦国時代に見ることが でき、本章ではそれが扱われることになる。ただ、その過程で今まで充分に触れる機会を持たな かった「厲鬼」というカテゴリーの死者について論じていく必要がある。
結論を先取りすると、戦国時代における 死者性 の変化とは「厲鬼」の大量出現ということ
。 。
につきる このことは戦国時代以前にその類の死者が存在しなかったと解される必要はあるまい 第二章で論じたように、殷周時代の宗教的世界観は祖先を大きな軸とするものであったため、厲 鬼が文献に現れる機会が相対的に少なかったと推測できる。例えば、金文は祖先祭祀に用いる彝 器に鋳込まれた文書であり、祖先の恩寵を祈願するものという資料上の性格のため、厲鬼型の死 者が登場する機会がないと考える方が妥当である。逆に言えば、厲鬼の出現という事態は当時の 社会と世界観の変化ために、それが記載されるようなテキストが生まれてきた結果であると言え る。
ここでは、戦国から秦代にかけての二つの出土文献から厲鬼の存在について考えたい。
第一節 戦国時代の楚の「卜筮祭祷記録」竹簡
「卜筮祭祷記録」竹簡とは、中国湖北省、戦国時代の楚の都である紀南城の郊外の幾つかの墓 葬から出土している竹簡の内、共通した文章構成を持つ占いと祭祀に関する文書のことを指す。
時代はいずれも紀元前四世紀末から三世紀初頭であり、墓主の身分は卿から士までを含む。この 文書は決して一般的に広く見られる訳ではなく、どちらかと言えば、かなり特殊な性格のもので あるが、それを通して戦国楚国の祭祀の実態を垣間見ることができる資料として貴重なものであ る。
現在まで出土した「卜筮祭祷記録」は、湖北省江陵天星観1号墓(1978年発掘)の70数枚(『考
古学報』1982 1ー 。墓主は邸君番(潘)勅、上卿に相当。時代は楚宣王〜威王期 、荊門包山2号)
墓(1987年)の54枚(『包山楚墓』1991、『包山楚簡』1991)、湖北省江陵望山1号墓(1966年)
の219支(一九六六年発掘、墓主:悼固、楚威王〜懐王初期 『望山楚簡』、 1995、『江陵望山沙冢楚 墓』1996)、湖北省江陵秦家咀1号墓(1986年)等3墓の計41支(『江漢考古』1988 2ー )がある。
370 1992 2002
この他に湖北省江陵磚瓦廠 号墓( 年 6支も同類とされたことがあったが 工藤元男) 、 ( 年度歴史学研究会大会報告「祭祀儀礼より見た戦国楚の王権と世族・封君 )によると、誤りで」 あるらしい。
このうち、最大の出土は天星観1号墓のものであるが、簡報があるのみで正式な報告はなく、
秦家咀も同様である。望山一号墓の竹簡は破損がひどく、復元不可能なので(この難問に挑んだ 研究として浅原達郎「望山一号墓竹簡の復元 、小南一郎編『中国の禮制と禮学 、二〇〇一があ」 』 る 、この文献に関する研究は包山二号墓に大きく依存せざるを得ないといえる。)
湖北省荊門包山二号墓は、一九八七年発掘、墓主は左尹昭(左尹は令尹の助手、司法官 、) 竹簡からは楚懐王十三(紀元前三一六)年に死んでいることが分かる。出土竹簡二七八枚中の多く は司法関係文書である。包山の卜筮祭祷記録は「宋客盛公公聘於楚之歳 (発掘報告は紀元前」 三一八年に比定 「東周之客許歸於胙於栽郢之歳 (同三一七年 「大司馬悼滑将楚邦之師徒以) 」 )
第四章 戦国時代の 死者性 の変化――厲鬼
救之歳 (同三一六年)の三年間に渡り、二十六条の各々完結した内容を持つ文章から構成さ」 れるが、大きく卜筮類(二十二条)と祭祷類(四条)に分けることができる(詳細については、工藤 元男「簡帛資料から見た楚文化圏の鬼神信仰」、『日中文化研究』10、一九九六。同「祭祀儀礼よ り見た戦国楚の王権と世族・封君 、池澤優「祭られる神と祭られぬ神:戦国時代の楚の『卜筮」 祭祷記録』竹簡に見る霊的存在の構造に関する覚書」、『中国出土資料研究』創刊号、一九九七。
同「古代中国の祭祀における 仲介者 の要素――戦国楚の卜筮祭祷記録竹簡・子弾庫楚帛書と
「絶地天通」神話を中心に 、田中文雄ほか編『道教の教団と儀礼 、二〇〇〇。同「宗敎學理論」 』 における新出土資料――聖俗論と仲介者概念を中心に――」、『中國出土資料研究』第六号、二〇
〇二、参照 。)
二十二条の卜筮類は全てが異なる日に占われた記録ではなく、同一日に同一事について複数の 占い師が順次占い、各々当該の事柄につき異なる判断を下している。発掘報告はこの占い師を貞 人と称するが、それは占いの内容(命辞)を「貞」として提出するからである。卜筮類は「…の 歳、…月、…の日、貞人の某が某を以て(卜亀または筮竹のような占具を表す用語が入る)某の 為に(占貞主体、包山の場合は昭、望山では悼固)貞す」という語で始まり(前辭 、次に占) 貞の内容があげられる(命辭 。占貞の内容には二つの情況があり、一つは「出入して王に事え) るに、夏の月より以て集歳(一年を指す)の夏の月に庚(賡)るまで、集歳を盡して、躬身尚いた お咎あること毋きや (包山」 209 211〜 )のように、一定の時間内における災禍の有無を占うもの
(歳貞類 、もう一つは「既に病あり、心疾を病みて、少気、食を入れず、尚お恙あること毋き) や (包山」 223)のように、現実化している災禍(病気)に対して治癒の可能性を占うものである
(疾病貞類 。その後に占いの結果に対する判断が提示される(占辭)が、筮占の場合は卦がそ) の前に示される。占いの内容が一定の時間内の吉凶である場合には「恒貞吉、少しく躬身に憂い あり、且つ爵位は遅く践む (包山」 201 204〜 )、病気の場合には「貞吉、少しく未だ已まず (包」
山207 208〜 )のように、長期的には吉であるが、短期的には問題があるという判断が降され、ま
た「恒貞吉、たたりあり、親王父と殤に 見 る (包山あらわ 」 223)のように、その災禍がどの神霊の祟りで あるのかが示される。これに次いで災禍を解除するための祭祀儀礼が提案される(祷辭 。祷辞) は通常「以其故(または)之 、つまり占辞の結果を受けて、その悪い予兆を祓うために以下」 の儀礼を執行するという言葉で始まり(「」は「解除」の義 、そこに提起する解除儀礼の有効性) を問う貞辞の意味を持っていたと思われ、続いて「これを占うに、吉に尚(当)る、期中喜びあら ん のように提起された儀礼の効果が判断される 第二次占辭」 ( )。一部の卜筮類では最後に 新(親)「 父既に城(成)り、新(親)母既に城(成)る (包山」 204反)のように、祭祀を行なったことに関する 付記をつける。
224 祭祷類は某年某月某日に「攻尹の執事人(官名 、夏挙・衛、子左尹のために (包山) 」
・225)のように、祭祀執行役の人物が祭祀主体者のために儀礼を執行することを言う部分(前 辭、但し包山205 206・ では祭祀執行者の名を記さない)の後に 「親王父司馬子音に擧祷して、
」( ) ( )、「 、 」( )、 牛してこれを饋り 包山224 のように祭祀の内容を描写し 祷辭 昭吉 位を為す 包山205 即ち祭祀の儀節を準備する者(為位者)の名を記して 「既に祷り、福を致す (包山、 」 205)とい う付記で終わるという体裁をとる。
包山楚墓竹簡「卜筮祭祷記録」釋文
底本は工藤研究室編「包山楚簡データベース β version」 を用い、同データベースのフォントを使用した。
宋客盛公(聘)於楚之(歳)、(之月)乙未之日、吉以保爲左尹(貞)、自(之月)以庚 A1
(之月) 出内(入)事王(盡)(歳)(躬身)、 、(尚)毋又(有)咎。占之、(恆)(貞)吉 少又(有)(憂)、 於(躬身) 志事少(遅)得 以其古(故)之 攻解於人。占之當吉 期(中)又(有)憙 。 宋
<197> 、 。 。 、 <198> (
客盛公楚に聘さるるの歳、の月、乙未の日、吉は保を以て左尹のために貞う、の月より以て
の月に庚(賡)るまで、出入して王に事え、盡く歳を(卒)うるに、躬身尚お咎あることなきや、と。これを占 うに、恆貞吉、少しく躬身に憂いあり、(且)つ志事は少しく遅く得ん。其の故を以てこれをす。人に攻解 せしめん。これを占うに吉に當り、期中に憙びあらん )。
宋客盛公(聘)於楚之(歳)、(之月)乙未(之日)、石被裳以訓爲左尹(貞)、自(之月) A2
、 。 、 、 、
以庚庚(之月) (盡)(歳)(躬身)(尚)毋又(有)咎 占之 (恆)(貞)吉 少外又(有)(憂) 志事少(遅)得。以其古(故)之。祷於邵(昭)王牛饋之。祷文坪夜君・公子春・司馬子音・(蔡)
<199>
<200>
公子各・酉(酒) ;祷於夫人。志事得、皆賽之。占之、吉、(月)・(夏)又(有)憙。飤
(宋客盛公楚に聘さるるの歳、の月、乙未の日、石被裳は訓を以て左尹のために貞う、の月より 以ての月に庚(賡)るまで、盡く歳を(卒)うるに、躬身尚お咎あることなきや、と。これを占うに、恆貞吉、
少しく外に憂いあり、志事は少しく遅く得ん。其の故を以てこれをす。昭王に祷して牛もてこれを饋り、
文坪夜君・公子春・司馬子音・蔡公子に祷して各・・酒 もてし、夫人に祷して・もてせん。志飤 事(兼)ねて得れば、皆な(兼)ねてこれを賽さん。これを占うに、吉なり、月・夏に憙びあらん、と )。 宋客盛(聘)於楚之(歳)、(之月)乙未(之日)、會以央爲子左尹(貞)、自之月以庚 A3
之月、出内(入)事王(盡)(歳)、(躬身)尚毋又(有)咎。。占之、(恆)(貞)吉、少又(有)(憂)於
(躬身)、雀(爵)立(位)(遅)、以其古(故)之。祷於宮(主)一;於新(親)父(蔡)公子
<201>
飤 飤 飤
・・酉(酒) 、饋之;新(親)母肥・酉(酒) ;祷東陵連<202>囂肥・酉 (酒)。石被裳之、祷於邵
<203>
(昭)王牛、饋之、祷於文坪(夜)君・公子(春)・司馬子音・(蔡)公子各・酉 (酒)、夫人飤
・酉(酒) 。占之曰、吉、至九月憙雀(爵)立(位)。飤 凡此也、既(盡)。<204>新(親)父既城(成)。
新(親)母既城(成)。<202反>(宋客盛公楚に聘さるるの歳、の月、乙未の日、會は央を以て子左尹の ために貞う、の月より以ての月に庚(賡)るまで、盡く歳を(卒)うるに、躬身(尚)お咎あることなき や、と。(易の豫と兌)。これを占うに、恆貞吉、少しく躬身に憂いあり、(且)つ爵位は遅くまん、と。其の 故を以てこれをす。宮主に祷して一もてし、親父蔡公子にして・・酒 もてこれを饋り、親母飤
飤 飤
にして肥・酒 もてし、東陵連囂に祷して肥・酒 もてせん。石被裳のをして(以前の貞人の占いを 採用すること)昭王に祷して牛もてこれを饋り、文坪夜君・公子春・司馬子音・蔡公子に祷して各
飤 飤
・酒 もてし、夫人に・酒 もてせん。これを占いて曰く、吉なり、九月に至り爵位に憙びあらん。
凡そ此れ(遍?)くし、既に盡く(移)す(前の占い結果を実行すること? 。親父既に成り、親母既に成る )) 。 東[周]之客(許)(歸)(胙)於栽(栽)郢之(歳)、冬(之月)癸丑(之日)、祷於邵(昭)王・大
B4
、 。 ( 、 、 、 、
() 饋之 邵(昭)吉爲(位)、既祷至(致)福。<205> 東周の客許 胙を栽郢に歸るの歳 冬の月 癸丑の日 昭王に祷して(牛)・大もれこれを饋る。昭吉位を為し、既に祷りて福を致す。)
東周之客(許)(歸)(作)於(栽)郢之(歳)、冬(之月)癸丑(之日)、祷於文坪夜君・()公 B5
子春・司馬子音・(蔡)公子各、饋之。邵(昭)吉爲(位)、既祷至(致)福。<206>(東周の客許、胙を栽 郢に歸るの歳、冬の月、癸丑の日、文坪夜君・公子春・司馬子音・蔡公子に祷して各もてこれを饋 る。昭吉位を為し、既に祷りて福を致す。)
第四章 戦国時代の 死者性 の変化――厲鬼
東周之客(許)(歸)(胙)於(栽)郢之(歳)、遠(之月)癸卯(之日)、苛光以長()爲右[左]尹 C6
邵(貞)、腹疾 以少、尚毋又(有)咎 占之、 。 、(貞)吉 少未已、以其古(故)之、 。於埜(野)(地)(主)
、 飤 、 、 、 。 ( 、
一、宮(地)(主)一 <207>賽於行一(白犬)酉(酒) (食) 占之曰 吉 (且)見王 <208> 東周の客 許が胙を栽郢に歸るの歳、遠の月、癸卯の日、苛光(占い師の名前)が長(占いの具)を以て左尹邵の 爲に貞う、腹疾を病みて、以て氣少なし、尚お咎有ること毋きや、と。これを占うに、貞吉、少しく未だ已まず、
( )。 、 ( ) 、
其の故を以てこれをす 祓いの義 野地主に一を(薦)め、宮地主に一 行に賽 感謝の祭 して一白犬 酒食をもてせん。これを占うに曰く、吉なり、[の月]且に王に見えん )。
東周之客至(致)(祚)於(栽)郢之(歳)、(夏)之月乙丑之日、五生以丞悳爲左尹(貞)、
D7
出内(入)(侍)王、自(夏)之月以庚(集)(歳)之(夏)之月、(盡)(集)(歳)<209>(躬)身 尚毋又(有)咎。占之、(恆)(貞)吉、少又(有)於(躬)身與宮室、外又不訓、、以其古(故)之。
、
飤 飤
祷一全;祷社一全;祷宮・一白犬・酉 ;(會)之、賽祷東陵<210>連囂豕・酉
<211>
蒿之。攻解於、敍於宮室。五生占之曰:吉。 三(歳)無咎、(將)又(有)大憙、邦智之。
東周之客(歸)(作)於(栽)郢之(歳)、(夏)之月乙丑之日、吉以爲左尹(貞)、
D8
出内(入)(侍)王、自(夏)之月以庚(集)(歳)之(夏)之月、(盡)(集)<212>(歳)(躬)身 尚毋又(有)咎。占之、(恆)(貞)吉、少又(有)亞於王事、又(有)於(躬)身、以其古(故)之。
、 、 、 、 、 、 。
古(故) 賽祷備玉一環 土・司命・司 各一少環 大水備玉一環 二天子<213>各一少環 山一
(會)之、賽祷宮土一。石被裳之、至(秋)三月、賽祷邵王牛、饋之;賽祷文坪夜君・
公子春・司馬子音・(蔡)公子各、饋之。賽祷新母<214>、饋之。吉占之曰:吉。
・<215>
土・司命・司・大水・二天子・山既皆城。 期又(有)憙。
東周之客(歸)(作)於(栽)郢之(歳)、(夏)之月乙丑之日、苛嘉以長爲左尹(貞)、
D9
出内(侍)王自(夏)之月以庚(集)(歳)之(夏)之月、(盡)(集)<216>(歳)(躬)身尚毋又 (有)咎。占之、(恆)(貞)吉、少又(有)於(躬)身、外又(有)不、以其古(故)之。祷楚先老僮
<217>
・祝(融)・各一、攻解於不。苛嘉占之曰、吉。
東周之客 於 郢 、月己酉之日、 吉以保 爲左尹邵
E10 (許) (歸) (胙) (栽) (之歳) (許) (家)
(貞)、以其下心而疾 少、 (氣)、(恆)(貞)吉 甲寅之日。 、(病)良(瘥)、又(有)、見琥 以其古、 (故)
(避) (歸) (且) (巫) ( ) (佩玉) (速) (地)
之 壁。 琥、良月良日 之、<218> 爲挂 繃 、 挂(巫)之厭 一於、
(主)、賽禱一白犬、(歸)(冠)(帶)於二天子。甲寅之日、逗於昜(陽)。<219>(東周の客許、胙を 栽郢に歸するの歳(317 BCE)、月(楚暦11月)己酉の日、許吉は保家(占具)を以て左尹邵の爲に貞うに、其 の下心にして疾み、氣少なきを以てす。[これを占うに]恆くは貞吉、甲寅の日に、病良瘥えん、 有り、
なが やや い たたり
。 。 、 、
(神霊の名)琥を見す(義未詳) 其の故を以てこれを()す 琥を避くるに 良月良日を擇びこれを歸りおく
(義未詳) (神霊の名) (神霊
且つ巫に繃佩玉を爲せば、速やかに巫はこれに厭かん 。地主 に一 もてし、行
あ おすぶた
の名)に一白犬を賽 し、冠帶を二天子禱 (神霊の名)に歸れ。甲寅の日は陽に逗せよ。)
東周之客 於 郢之 、月己酉之日、苛光以長 爲左尹邵 、
E11 (許) (歸) (胙) (栽) (歳) (則) (貞)
以其下心而疾、少(氣)、(恆)(貞)吉、庚辛又(有)(間)、(病)(速)(瘥)、不逗於昜(陽)、同
。<220>(東周の客許、胙を栽郢に歸するの歳、月己酉の日、苛光は長則(占具)を以て左尹邵の爲に
貞う、其の下心にして疾み、氣少なきを以てす。[これを占うに]恆くは貞吉、庚・辛に 間 有り、病はなが ややいゆる
瘥えん。 )
速やかに 陽に逗せざるも、を同じくす。
東周之客 於 郢 、月己 、以少寶爲左尹邵
E12 (許) (歸) (胙) (栽) (之歳) (酉) (之日)
、 又 = 心疾、少 、不内 飤 。月期 尚毋又 。
(貞) (既) (有) (病、病) (氣) (入) (食) (中) (有) (恙) <221>
占之、(恆)(貞)吉。又(有)見新(親)王父、以其古(故)之、(擧?)祷、( 牛)戠 饋之。(入)其