第九章 中国仏教における救済の思想
死者を弱い苦しむ存在に変容させたのが、もともと仏教の教義ではなかったにせよ、前章の分 析からも明らかになったように、仏教の最大の貢献は苦しむ死者を救済する方法と儀礼(供養)
を明瞭な形で規定した点にある。ここでは死者救済の儀礼の中で最も代表的なものである盂蘭盆 について、ごく簡単に述べておくことにしたい。
第一節 仏教の地獄と天界
仏教の他界観自体、極めて多層的であって、地獄(niraya:泥犁、泥犁耶、本義は「無有 、喜」 楽がないこと。naraka :捺落迦)の説もその中の一つにとどまる。しかも訳經によって新旧多様 な他界説が比較的短時間に中国に流入するから、中国での状況は一層錯綜している。
奈良康明( 死後の世界−アヴァダーナ文学を中心にして 『講座仏教思想』七、一九七五)に「 」 よれば、バラモン教の『リグ・ヴェーダ』中には地獄の思想はなく 『アタルヴァ・ヴェーダ』、
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では始めて悪魔の居所としてのnarakaが登場 死者の世界としての地獄の観念に発展するという 紀元前六・七世紀以降 輪廻する主体「我」を前提とする輪廻説の中に地獄は組み込まれていく ヤ、 ( マ王による審判、刑罰の内容により名付けられた二十一種の地獄など 。)
仏教の地獄は当然、インド固有の思想に由来するが、仏教では輪廻する主体を認めない訳だか
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ら 仏教教理と矛盾する要素であった 仏教は原初的には死後存在を否定するという立場であり それは宗教エリート層の考え方でもあった。しかし、西暦初頭の数世紀の間、幾つかのパターン の輪廻説が一般仏教信者に浸透していく。
、 ( ) 。
一つのパターンは人は死後すぐに他世界に輪廻転生するという 五道 六道 の考え方である 基盤になっているのは「民間信仰」的考え方――生前の行為の善悪に基づき、地獄・天界に転生 する――であり、エリート側は教化のための手段として摂取し、解脱をそれらを超越した所に位 置付けることで一体化を図った。地獄はこの中で最悪の世界であり、永遠の純粋苦の世界という 描き方をされる。付言しておかなければならないのは、六道輪廻の考え方は生の世界と死の世界 を対置するのではなく、原則的に死者は存在しない(または他界観の宇宙論への転化)というこ とである。
第二は 人は死後 死霊(、 、 preta)になるという考え方である 死霊は仏教の中では 餓鬼 (。 「 」 preta)
、 ( 、
と称せられたが もとは紀元前三世紀以降のインドの祖霊観念 人は死によって先ず死霊になり Origin and 団子と水を供える祖霊祭(sraddha)を行うことで、祖霊(Pitr)に転化する。Shastri,
)に由来するものであった。仏教では、人界や地 development of the ancestor worship in India, 1963
獄と並ぶ六道輪廻の一世界(餓鬼道)と、ヤマ(閻羅)により支配される死者がおもむく冥界とい う、二重の性格を持っている。重要なのは、後者の捉え方において餓鬼となった死者を救済する
「供養」儀礼という考え方が発展し(死者の肉親から仏または比丘に供養することによって、その 功徳を死者に回向する)、『盂蘭盆經』の思想的な基盤となったことである。
・仏陀の弟子である目連(Maudgalyayana)が餓鬼界を遊歴すると、餓鬼が現われて自分を救済す るための方法(布施)を親族に伝えてほしいと頼む。目連は現世に戻って言われた通りにした が、回向する対象の餓鬼の姿を見つけられない。仏陀の力によって回向が可能になり、餓鬼
は天界に転生する ( アヴァダーナ・シャタカ )。『 』
・ある人が餓鬼界に迷いこみ、餓鬼の苦痛の有様を見聞し(または自分の親族が餓鬼界におち て苦しんでいるのを発見し 、餓鬼から布施をして自分を救うように頼まれる。彼が布施し) た衣服・食物などは餓鬼のものとなる ( 根本説一切有部毘那耶 『ペータ・ヴァッツ )。『 』 』 ここには生人が死霊に対し供物をささげて祖霊となることを祈るというインド古来の考えと、僧 伽に布施することが転生に良い影響を及ぼすという仏教的意味づけが融合していることを看取で きる。
第三の輪廻に関する考え方は、人は死後、一定の猶予期間(中有・中陰)の間、「中有」「食香」
、 。
(乾闥婆gandharva)として存在 それが女性の胎内に入ることによって転生するというものである
この考え方はgandharvaという輪廻の主体を認める点でバラモン教に接近するが、それは輪廻にお ける倫理的責任の主体という意識を表したものと言える(丸井浩・護山真也「インド:輪廻思想 の種々相 、関根清三編『死生観と生命倫理 、一九九九 。」 』 )
簡単にまとめるなら、仏教の死生観には、死者世界を設定しない輪廻説と、死後存在を認める 救済説の二方向を持ち、中国に決定的な影響を及ぼしたのは後者の救済を軸とする他界観である と言える。
第二節 盂蘭盆の歴史と文献
言うまでもないが、盂蘭盆は夏安居(四月十六日から七月十五日までのインドの雨期に相当す る期間に世俗から離れ研鑽に努める)終了後の七月十五日、自恣(安居中の罪科を懺悔する)の 時にあたり、仏僧に供養することによって得られる功徳を死者に廻向し、死者の救済を願う儀礼 である。ここではTeiser, Stephen, The Ghost Festival in Medieval China, 1988に依拠して、盂蘭盆の 歴史と文献について概観したい(他に、金岡照光「中国民間における目連説話の性格 『仏教史」 学』7-4、一九五九。岡部和雄「盂蘭盆經類の訳経史的考察 『宗教研究』」 37-3、一九六四。小川 貫弌『仏教文化史研究 、一九七三。岩本裕『仏教説話研究四―地獄巡りの文学― 、一九七三、』 』 を参照した 。)
(一)盂蘭盆の歴史
法琳(572 640〜 )『辯正論』は南齊高帝(479 482〜 )の時代に、志磐(13 c)『佛祖通記』は梁武帝 大同四年538に、共に帝室による盂蘭盆が行われたことを記載するが、証拠はない。確実な記載 は六世紀前半から見え、唐代には帝室から民間に至るまで広く行われた。
梁、宗懍(498 561〜 )『荊楚歳時記 「七月十五日、僧俗道尼、悉營盆、供諸仙(初學記・御』 覧「諸寺」)。」隋、杜公瞻・注(605 617〜 頃)「按『盂蘭盆經』云 『有七葉功徳、並幡花歌鼓、 果食送之 、蓋由此也。經又云『目連見其亡母生餓鬼中、即以鉢盛飯、往餉其母、食未入口、』 化成火炭、遂不得食、目連大叫、馳還白佛、佛言汝母罪重、非汝一人所奈何、當須十方衆僧 威神之力、至七月十五日、當爲七代父母厄難中者、具百味五菓、以著盆中、供養十方大徳、
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佛勅衆僧 皆爲施主 祝願七代父母 行禅定意 然後受食 是時目連母 得脱一切餓鬼之苦 目連白佛、未來世佛弟子、行孝順者、亦應奉盂蘭盆供養、佛言大善 』故後人因此廣爲華飾、。 乃至刻木割竹、飴蝋剪綵、模花葉之形、極工妙之巧 」。
第九章 中国仏教における救済の思想
北周、顔之推(595頃卒 『顔氏家訓』終制「若報罔極之徳、霜露之悲、有時齋供及七月半盂) 蘭盆、望於汝也。」(ただし、この部分は衍文とする見解もある)
『旧唐書』楊烱(650 694〜 )伝「如意元年(692)七月望月、宮中出盂蘭盆、分送佛寺、則天御 洛南門、與百僚観之、烱献盂蘭盆賦 」。
『唐六典』22(玄宗739成立)少府監・中尚署「七月…十五日進盂蘭盆 」。
『旧唐書』王縉伝「 代宗大暦三年(( 768))七月望月、於内道場、造盂蘭盆、飾以金翠、所費
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百萬 又設高祖已下七聖神座 備幡節・龍傘・衣裳之制 各書尊号于幡上 以識之 舁出内 陳於寺観。是日、排儀仗、百僚序立於光順門以俟之、幡花鼓舞、迎呼道路、歳以爲常 」。
『冊府元亀』52「七月特賜章敬寺盂蘭盆、時寺宇新成、帝増罔極之思、勅百官詣寺行香 」。 徳宗建中元年780『旧唐書』本紀「秋七月丁丑、罷内出盂蘭盆、不命僧爲内道場 」。
『唐会要』27「貞元七年(791)…七月、幸章敬寺、賦詩 」。
代宗大暦三年の盂蘭盆会では、高祖以来の神示が太廟から大明宮の内道場に移されて儀礼が行な われたほか、章敬寺(長安城東北に前年建設、代宗の母の名により命名)でも官僚参加の儀礼が 行われている。代宗個人が実母のために行った私的な儀礼という性格が強いものの、帝室の儀礼 に組み込まれていることが分かる。円仁『入唐求法巡礼行記 (会昌四年』 844)によると、武宗会 昌法難の間は当然帝室の盂蘭盆会は行われず、供物を仏寺ではなく道観に献納するようにとの勅 命が出されている。しかし、この命令は民間における盂蘭盆会には影響を与えず、例年と同じよ うに行なわれている。また、仏寺から道観への変更という命令は、帝室は仏教の盂蘭盆と道教の 中元は相互交換可能と認識していたことを示している。
(二)盂蘭盆文献
盂蘭盆文献は( )経典『盂蘭盆經 、( )注釈書、( )変文の三種からなる。A 』 B C ( )経典A
①『盂蘭盆經』、『報恩奉盆經 (後者は前者の節本)』
本書は僧祐(445 518〜 )『出三蔵記集』に「盂蘭經一巻」として著録され 『經律異相』(、 516)、
『荊楚歳時記』(561)、杜台卿『玉燭寳典』(581) 『法苑珠林』(、 668)に引用されているので、中 国では五世紀頃に成立(漢訳 )し、六世紀中葉までには広く流布していたことが分かる。ただし? 訳者は不明である( 歴代三寳記』は竺法護『 265 313〜 とする 。その実際の来歴については、紀元) 四百年頃のインド起源説(小川貫弌『仏教文化史研究』)、中央アジア起源説(岩本裕『地獄巡り の文学 )と六世紀中国起源説(牧尾締良『疑經研究 )の三説がある。』 』
[あらすじ]大目乾連が六通(神通力)をえた時、父母を済度して乳哺の恩に報いようと思っ た。そこで「道眼」で捜求すると、母は餓鬼に転生していた。母を救うために飯を送っても 火炭になってしまい、食べることができない。目連は悲しみ、仏に訴えると、仏は汝の母は 罪報が深く、汝一人の力では無理だし、天神・地神・邪魔外道・道士・四天王神でもどうす ることもできないが、十方諸衆僧の威神の力を以てすれば解脱できるとし、その方法を次の ように教示した。七月十五日、自恣の時に七世の父母、現在父母、厄難中の者のために、飯 百味五果・汲潅盆器・香油錠 ・床敷臥具を盆中に入れ、世の甘美を尽くして十方の衆僧に爥 供養する。夏安居にあった衆僧が、心を一つにして自恣の食を受ければ、その徳は無限であ り、供養した者の父母・七世父母・六種親属は皆解脱して天界に転生し、父母が生きている 場合には、その福楽は百年続くであろう。ここにおいて仏は衆僧に命じて、先ず、仏塔の前