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成功要因分析モデルとしての「実践コミュニティ」概念の理論的検討

ドキュメント内 著者 柿野 成美 (ページ 70-92)

本章では、前章までの検討で明らかとなった消費者教育推進の阻害要因とされる行政組 織内部の問題点を克服する視座から、他の自治体よりも早い段階から学校消費者教育を充 実させてきた先行モデルを分析する理論的枠組みとして、1991年にLave and Wengerが 提唱した「実践コミュニティ」概念の検討を行う。

まず、第 1節で実践コミュニティ概念を整理し、第 2節でそれを用いて行った先行研究 を整理した上で、第3節では本分析で用いる分析の枠組みについて検討する。

さらに第 4節では、第1 章からの先行研究の検討を踏まえ、本論文のリサーチクエスチ ョンを整理する。

第1節 「実践コミュニティ」概念

1.実践コミュニティ(community of practice)とは163

「実践コミュニティ」の源流は、Lave and Wenger(1991:邦訳1993)の「状況に埋め 込まれた学習:正統的周辺参加」にある。学習者は否応なく実践者のコミュニティ(共同体)

に参加するのであり、また、知識や技能の習得には、新参者がコミュニティ(共同体)の社 会文化的実践の十全的参加(full participation)へと移行していくことが必要だとする考え 方である。「正統的周辺参加」とは、新参者と古参者の関係、活動、アイデンティティ、人 工物(artifacts)、さらには知識と実践のコミュニティ(共同体)などについての1つの語 り口を提供するものとなる164

これは、「学習」を個人の知識の獲得(内化)の過程として捉える伝統的な考え方を批判 し、学習が「実践コミュニティ」への「参加」によって実践されるものとして説明する考え 方である165。石山(2013a)は、Lave and Wenger(1991:邦訳1993)で示された実践コ ミュニティについて、「知識が内化する過程を学習とみなす視点から、参加そのものをみな す視点に鮮やかに切り替えた」166と指摘する。

Wenger et al.(2002)は、実践コミュニティを「あるテーマに関する関心や問題、熱意 などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」

と定義する167。Wenger et al.(2002)の監修者の一人である野村恭彦は同書の中で、日本

163 community of practiceの日本語訳については、実践コミュニティの他に、実践共同体、コミュニティ

オブプラクティスのように論者によって異なる訳語を用いている。ここでは、実践コミュニティの訳語 を用いることにする。なお、引用文献の中で実践共同体と使っている場合には、原文のまま記載する。

164 Lave and Wenger(1991:邦訳1993)1-2 「正当的周辺参加」については後述。

165 樋口(2015)76

166 石山(2013a)64

167 Wenger et al.(2002)33

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でも多くの企業が、現場が遠いこと、組織の壁が高いといった大企業病を背景に、実践コミ ュニティを核とした社内革新運動を立ち上げていることを紹介している。また、組織の縦割 り、分業化が進むことで、部分しか任されず全体の見えない、孤立して働く社員が増えてい ることから、社内に実践コミュニティを立ち上げることは新しい働き方であり、実践コミュ ニティは「もう一つの組織図」であるという168

Wenger et al.(2002)はビジネスパーソン向けに書き下ろした実践コミュニティの手引 書であるが、その鍵となるメッセージの 1 つに「結局は人が、人と人をつなげる」とし、

「想いを持って人と人をつなげるコーディネーター役を果たす社員」の存在が重要だと指 摘する。組織をつなぐコーディネーターの想いや働きかけの強さが、組織の壁を越えられる かどうかの決め手となるのである169

Wenger et al.(2002)では、実践コミュニティは作ることができるとしているが、論者 や時期により多少考え方が異なっているように見受けられる170。Lave and Wenger(1991:

邦訳1993)では社会的歴史的文脈に埋め込まれている(すでにある)、Brown and Duguid

(1991)は公式組織の中に実践コミュニティを見いだす、発見する存在であるとしている。

さらにWenger(1998)は、社会では古くから仕事に従事し、社会関係を構築することを含

む実践の結果として集合的な学習が行われてきた、その実践の追及の結果として生じたコ ミュニティが実践コミュニティであると説明している。先に紹介したWenger et al.(2002)

においても、組織に本来備わっているものだが、公式組織と併存可能な概念として、企業内 外に作ることができると説明していることから、実践コミュニティの存在については「公式 組織の内側と外側にあり、形として見えるものと見えないものがある」と考えてよいであろ う。

では、実践コミュニティは何によってその存在が規定されるのであろうか。Wenger et al.

(2002)では、実践コミュニティには多様な形態があるが、基本的には「一連の問題を定義 する知識の領域(ドメイン)、この領域に関心を持つ人々のコミュニティ、そして彼らがこ の領域内で効果的に仕事をするために生み出す共通の実践(プラクティス)」の3つの基本 要素の組み合わせだという171。この 3 つの基本要素がうまくかみ合って初めて、実践コミ ュニティは「知識を生み出し、共有する責任を負うことのできる社会的枠組み」となるので ある。

このように実践コミュニティは基本要素が明示されているものの、明確に類型化されて いないため、「研究者間の議論において齟齬が生じている可能性がある」との指摘もあるが

172、実践コミュニティはあらゆる場所にあり、我々は誰もが家庭や仕事、学校、趣味あらゆ

168 同上 22

169 コーディネーターの最大の敵は「時間」であり、コーディネーター役を正式に認め、できるだけ多く の時間をコーディネーターがコミュニティのために使えるようにする必要があると述べている。

170 松本(2012b)(2012c)

171 Wenger et al.(2002)63

172 中西(2015)60頁。中西は先行研究に当たり、日常的協働が存在する「協働型実践共同体」、知識共

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る場面で実践コミュニティに複数所属しており173、また組織によって名称も形態もまちま ちであり、それを生み出した状況やそれに属する人々と同じように多様であるから「認識す る」ことが重要であると言われている174

2.状況論的学習観の3つの分析概念

LaveとWengerが執筆した「状況に埋め込まれた学習」により、状況論的アプローチに

よる学習観、いわゆる「状況論的学習観」が宣言されたが175、実践コミュニティを正確に理 解するためには、Wengerが執筆した1990年の博士論文、1998年の単著、2002年の共著 から、全体像を把握する必要がある。そこで以下では、「実践コミュニティ」概念に加え、

「正統的周辺参加」と「文化的透明性」について検討を行う。

(1)正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation:LPP)

Lave and Wenger(1991:邦訳1993)の正統的周辺参加論の中心的な主張は、学習を個

体による知識、技能の習得過程としてだけでなく、実践コミュニティへの参加過程として理 解、叙述するということにある176

正統的周辺参加の概念では、正統的と非正統的、周辺的と中心的、参加と非参加といった 三つの対照的な対語をひとつの全体としてとらえ、コミュニティ(共同体)の成員性

(membership)についての1つの景観を生み出す不可分の側面として位置づけている。変 わりつづける参加の位置と見方こそが、行為者の学習の軌道(trajectories)であり、発達す るアイデンティティであり、また成員性の形態である。

周辺的参加が向かっていく先を、十全的参加(full participation)と呼び、コミュニティ

(共同体)の成員性の多様に異なる形態に含まれる多様な関係を正当に扱おうと意図した。

周辺性は「ことのはじまりを意味しており、しだいにのめり込んでいくことにより理解の資 源へのアクセスをふやしていくこと」とし、十全的参加は周辺性の一側面を浮き彫りにした

有の場としての「勉強会型実践共同体」、日常的に協働が生じている複数の部分集合によって構成され ている「複合型実践共同体」に3分類した。さらに各実践共同体を分析する視点として、①協働の発生 頻度、②組織境界との関係(越境の有無)、③成員間の紐帯の強さ、④公式制度との関係、⑤共同体が 意図的に作られたものか自然発生したのか、⑥共同体の存在場所とし、中でも①協働と②越境の有無が 重要な属性だと指摘している。

173 Wenger(1998)6

174 Wenger et al.(2002)59

175 伊藤他(2004:82頁)によれば、Lave and Wenger(1991:邦訳1993)は端々に重要な指摘が多く 書かれていたものの、それは決して分かりやすい記述ではなかったという。さらに、この本は徒弟制に ついて書かれたものだとか、共同体の周辺から中心に向かっていくことが学習過程なのだという「誤解 が生まれてしまう危険性」も付きまとっていた、と指摘している。

176 高木(1999)3

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言葉に過ぎず、周辺性という言葉の反対語としては、無関係性や非関与性だという177。 学習を実践コミュニティへの参加への度合いの増加と見ることは、世界に働きかけてい る全人格(whole person)を問題にすることであり、学習を参加とみなすと、それが進化し、

絶えず更新される関係の集合であるという在り方に注目することになる178。またこのよう な考え方は、人、行為、さらに世界を関係論的に見る社会的実践の理論と軌道を一にし、「社 会的実践を徹底的に歴史的に見る理論からすれば、人間の生産を歴史化(historicize)する 営みは必然的に学習過程の焦点化に至るものだ」と指摘している179

(2)文化的透明性(cultural transparency)

伊藤他(2004)によれば、WengerはLaveとの共著を出版したのち博士論文を執筆し、

そのキー概念として「文化的透明性(cultural transparency)」という概念を加え、「正当的 周辺参加」と「実践コミュニティ」の3つを状況的学習論の分析概念としたという。

Wenger はこの概念について一義的定義を与えることはせず、「むしろ諸概念同志を相互

に関連づけながら、実践共同体とそこでの学習の姿を包括的に描くという研究戦略をとっ ている」というが、あえて定義的に記述するとすれば、「実践共同体の具体的な活動の意味 や、共同体としてその活動の指すことの意味が、実感として理解されてくること。道具との 関わり、そして周りの他者との関わりにおいて展開される実践活動を通じて、そこから立ち 上がった実践共同体としての活動の意味をしること」として理解できる180

また伊藤他(2004)に掲載されている高木光太郎の寄稿文によれば、概念は次のように 整理される。すなわち、正統的周辺参加は「周辺」「参加の軌道」「隙間」など空間的なメタ ファーを用いた概念であり、実践共同体をそのなかに人びとが住み込んでいる社会空間(ネ ットワーク)としてとらえる。一方、文化的透明性は、「可視性‐不可視性」という知覚的 なメタファーを用いて構成され、当事者の視点からの世界(意味)の見えに定位した概念と してとらえるのである。すなわちWenger論文では、「社会空間論と知覚論という2つの異 なる理論平面によって概念系が構成され、それらをベースにして学習論が展開されている」

という181

伊藤他(2004)は、この概念は、人と人工物との関係を問題としたテクノロジー研究と、

人々の社会的実践を分析する社会学、政治学的関心とを架橋するという、極めて今日的意義 をもち、「実践に埋め込まれた学習を読み解く上で、これらの3つの概念はどれが欠けても 不備となる鼎の足として機能する」ものと重要性を指摘している182。この他に、実践共同体

177 Lave and Wenger(1991:邦訳1993)10-12

178 同上 25

179 同上 27

180 伊藤他(2004)146

181 同上 153

182 伊藤他(2004)86

ドキュメント内 著者 柿野 成美 (ページ 70-92)