― 「実践コミュニティ」を手掛かりに―
224本章では、第二のリサーチクエスチョン「地方自治体における消費者教育の先行モデルの 成功要因は何だったのか?」を明らかにすることを目的とする。第 3 章で整理した Lave
and Wenger(1991)、Wenger(1998)、Wenger,McDermott and Snyder(2002)の実践
コミュニティ概念を援用し、地方自治体における消費者教育推進の阻害要因として最も大 きい消費者行政と教育行政との関係構築について、先行モデルから成功要因分析を行う。
ここでは教育行政との関係構築を行い、授業実践が広まっている二つの自治体を取り上 げ、これまで明示的でなかった実践コミュニティの存在とそれらをつなぐ役割等について 明確にし、成功要因を明らかにする。
第1節 分析の視点
本章では、第 3章で検討した実践コミュニティ概念に基づいて、次の3点に着目して分 析を行う。
第一は、実践コミュニティの「所在」である。実践コミュニティは、「一連の問題を定義 する知識の領域(ドメイン)、この領域に関心を持つ人々のコミュニティ、そして彼らがこ の領域内で効果的に仕事をするために生み出す共通の実践(プラクティス)」の3つの基本 要素の組み合わせである225。ここで領域は「教育行政」「消費者行政」「消費者教育」等と して状況によって置き換えられるが、それに関心を持つ人たちのコミュニティと実践が生 み出されている状況である実践コミュニティがどこに存在しているのか、という点につい て着目する。
第二は、実践コミュニティの「意味の交渉」における、物象化の形(共有レパートリー)
に着目する。実践コミュニティ内部では、参加と物象化の相互作用によって「意味の交渉」
が行われており、相互の関与によって共同の営みを行うことを通じて、コミュニティのメン バーが、明示的又は暗示的な人工物等の共有レパートリーが理解できるようになるという 特性を持っているものである。そこで、その実践コミュニティによって物象化によって明ら かになった人工物(あるいは明らかになっていない暗黙知)に着目し、それを通じて、そこ での事象を分析する。
224 本章の事例1については柿野(2006b)、(2017b)、事例2については柿野(2017a)に実践コミュニテ ィ理論を援用する形で加筆修正した。
225 Wenger et al.(2002)63頁 再掲
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第三に、実践コミュニティへの「関与」である。実践コミュニティ間を越境するナレッジ・
ブローカー226や、実践コミュニティ内でのコーディネーターの存在を明示的にし、その果た す役割について注目する。
上記3点を中心に、以下、先行事例の成功要因分析を行う。
第2節 分析の枠組み
本章では、多くの自治体で阻害要因として挙げられた教育委員会との関係性を構築し、他 の自治体に先行して事業を実施している中核都市A市と政令指定都市B市をモデルとして 取り上げる。
事例に取り上げる理由としては、A市の場合、1995年にいち早く消費者教育の専門的人 材である「消費者教育相談員」を配置し、それ以前に教育行政や学校現場と「消費者教育推 進連絡会」を設置して、現在まで継続して実践を蓄積している他に類を見ない事例であるこ とから、先行事例として取り上げた。
またB市は、消費者教育推進法の施行後、消費者教育推進法に基づく基本方針(閣議決定)
を受けて動き出した比較的新しい事例である。推進法施行後は、全国各地に法に基づく消費 者教育推進計画の策定が都道府県、政令市を中心に広がったが、ここでは中でも、阻害要因 を乗り越えるために、消費者教育推進会議小委員会でもそのあり方を議論していた学校現 場とのつながりをもつ「消費者教育コーディネーター」を他市に先駆けて配置し、この数年 のうちに、特に学校教育分野で様々な成果をもたらした事例であることから、先行事例とし て取り上げる。
調査分析においては、エスノグラフィー調査、文献調査、ヒアリング調査を組み合わせて 行う。エスノグラフィー(Ethnography)とは、「人びとが実際に生きている現場を理解す るための方法論」であり、文化人類学の分野で中心的な調査研究方法として発展してきたも のである227。また、社会学や、近年では教育学、看護学、心理学、経営学、歴史学などさま ざまな分野で注目を浴び、応用されるようになっている手法である。本論文で事例とするA 市については、2002年に初めて消費者教育推進連絡会の夏の研修会の講師として訪れてか ら、B市については、消費者教育推進計画策定のための事業支援を行った2013年から、い ずれも継続的に訪問して消費者行政担当者と意見交換を行ったり、事業の様子について観 察を重ねたりしてきた。文献調査では、A市については各年度の事業報告書、関連の書物を 参考にした。B市では、消費者教育推進計画や会議でのプレゼン資料、関連の報告書等を分
226 本論文では、Wenger(1998)で示された「Broker(ブローカー)」を「ナレッジ・ブローカー」の名 称で統一的に用いる。その理由として、先行研究の石山(2013b)(2016)等において、企業内の組織 内専門人材が越境して学ぶという行動の側面をナレッジ・ブローカーとして表現しており、これは Wenger(1999)で「多重成員性を有する人々は、境界を越えてナレッジ・ブローカーとして行動でき る」と述べていることを理由に挙げている。本論文においても、同様の意味内容と捉え、「ナレッジ・
ブローカー」の表現に統一する。
227 小田(2010)ⅰ-ⅴ
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析した。ヒアリング調査では、A市、B市それぞれの該当者に半構造化インタビューを行っ た。実施時期は、A市は2015年12月~2016年3月に3回ヒアリングを行い、①当時の担 当職員K 氏、②当時の担当職員 Y氏及び当時の消費者教育相談員W氏、③現在の消費者 教育相談員K氏と教員委員会担当指導主事を対象とした。時間は各2時間程度である。B 市は2017年7月に、当時の担当職員T氏、W氏、当時の消費者教育コーディネーターO 氏に対して、グループインタビュー2時間を行った。
以上の枠組みのもと、A 市及びB市について実践コミュニティ概念に基づく視点を用い て事例検証を行う。
第3節 A市のケース
1.取組みの概要
A市は東京都心から30kmのベットタウンとして発展し、人口約40万人、17万世帯が
図表5-3-1 A市における消費者教育推進の歩み
年 出来事
1970(S45) ・消費生活モニター制度発足(S63廃止)
・消費生活苦情相談員制度発足(現在の消費生活相談員)
1972(S47) ・第1回消費生活展開始(H16廃止)
・経済部商工課消費対策係新設
1975(S50) ・消費生活センター(課内出先機関)新設
・消費者講座開設
1976(S51) ・消費者行政推進協議会発足
・消費生活通信講座開設(H9廃止)
1977(S52) ・移動消費者講座開催(H18から消費者講座の統合)
1979(S54) ・経済部消費生活課新設
1981(S56) ・石けん利用推進協議会発足(H22から休止)
1988(S63) ・消費生活コーディネーター制度発足
1991(H3)
・A市消費者教育推進連絡会要領を制定し、連絡会を設置。
・「人間性豊かな生活文化都市を担う自立した消費者の育成―第 3 次総合計画に基づ く消費者行政推進のための指針」の作成
1995(H7)
・A市消費生活センター条例施行
・A市消費者教育相談員規則施行、教員経験者を委嘱。
・消費生活センター内に消費者ルーム新設
2005(H17) ・子ども向け消費者教育出前講座を開始(H27廃止)
2007(H20) ・消費者教育実践事例集の発行(H18・19年の消費者教育推進連絡会の研究成果を掲
載)、以後継続して2年毎に発行
2016(H28) ・消費者安全法に基づく消費生活センター条例施行
2017(H29) ・文部科学省主催消費者教育フェスタを開催
(出所)「A市消費者行政の概要」各年をもとに加筆して筆者作成
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暮らす面積114.9 万平米の市である。2008年には中核市に移行している。サッカーJリー グのホームタウンや、国立大学等の教育研究機関が集積する地区の開発も特徴的である228。
A市では、1972年に市経済部商工課内に消費対策係を設け、1975年に消費生活センター を設置した。1979年には専管課として消費生活課を新設している。
1970年には、消費者の声を行政に反映させる一つの手段として全国的に導入された「消 費生活モニター制度」を設けて18年間継続したが、1988年にはそれを発展的に解消し「消 費生活コーディネーター制度」を独自に設置した229。これは、市と地域社会相互のパイプ役 として位置づけられ、地域の消費者啓発、消費者問題の解決、自立した消費者の育成等、地 域の消費者リーダーとして活動するものである。消費者課題の拡大により、事務分掌が増え ているにもかかわらず職員は増えない現状から、地域の中に協力者をもとめ、一体的に消費 者行政を展開しようとした手法であり、画期的な制度としてマスコミにも注目された。
A市の学校における消費者教育の取組みについては、木村(1993),柿野(2006b)、小板 橋(2012)、齋藤(2014)、消費者委員会(2016)等で紹介されるように、1991年に設置さ れた「消費者教育推進連絡会」と1995年に設置された「消費者教育相談員」の存在が特徴 的である。それ以前にも、A市では、学校における消費者教育を積極的に推進していく必要 性は、「かなり早い時期から考えられてきた」が、「教育委員会や教員等とのコンセンサスが 得られないなどの問題のほか、消費者行政側から、見通しのあるビジョンが示せないことも あり、遅々として進まないできた」という230。このような中、1989年の学習指導要領の改 訂、1990年の消費者教育支援センターの設立、さらに市全体の第三次総合計画策定作業の 時期とも重なって、総合計画の中に「自立した消費者の育成」を基本のひとつとする目標を 掲げ231、続いて1991年を初年度とする実施計画に学校における消費者教育支援事業を1990 年7月には予算化の方向を決定した。
消費者教育推進連絡会の設置をめぐっては、A市では1976年より消費者行政の方向と運 営について各界各層から意見を反映させる組織として「消費者行政推進協議会」を設けてい たが、その委員として小中学校校長会の代表を1990年4月に加え、学校における消費者教 育推進の手がかりとした。そこから、同年7月に実施計画として提出、同10月に1991年 度予算査定で承認、同11月、正式に教育委員会へ「決裁合議」という形式で消費者教育推 進組織設置の判断を仰いだ。当然、それまでは教育委員会担当者や部課長との話し合い、情 報・資料の提供をたびたび行った。1991年2月に第1回準備検討会、同年4月に「A市消
228 市Webサイトに基づく。http://www.city.kashiwa.lg.jp/(2017年7月1日閲覧)
229 消費生活コーディネーターは地域コミュニティ単位で推薦制とし、地区単位で組織的に活動する。こ の制度は、現在も一部形を変えて継続している。
230 木村(1993)21頁
231 当時の記録の中には、次のような記述がある。「新しい事業を展開するには、まず消費者教育に関する 情報収集からはじめる。職員が担当制で外部組織の情報収集に当たったほか、書籍・報告書等を取り寄 せ、学識者を招致して研修会を積極的に開いた。1990年にはこれらを「学校における消費者教育に関 する資料集」(B5版80頁)に及ぶ冊子にまとめ、教育委員会や関係部局に提示すると共に、総合計画 の素案にも掲げた。」(同上より抜粋)