第 2 章 先行研究の概観
2.2 情意要因について
2.2.3 心理的欲求と動機づけ
これまでの研究から、不安によって第二言語の遂行や学習が阻害されるということが実 証されている。さらに、不安は動機づけにも負の影響を及ぼすという因果モデルが提示さ れている(Laronde & Gardner,1984)。つまり、不安が高まることによって動機づけが低く なるのである。元田(2005:125)によると、これからの議論は、主に不安から動機づけを 捉えたものであるが、逆に動機づけから不安を捉えると、動機づけの高さによって目標意 識が高まり、不安が低くなるのである。すなわち、不安と動機づけは相互に影響すると考 えられる。
2.2.3.1 第二言語教育における動機づけ
動機づけは、言語適性と同様に、第二言語習得に大きく関与する重要な情意要因である
(Gardner & Lambert,1959; Gardner et al., 1976)。小嶋(2010)は第二言語を学ぶ上で 代表的な学習動機について述べているが、それを表としてまとめたものが表 2-2 になる。
廣森(2006)はこれまで数多く提案されてきた動機づけに関する理論を「目標」に関連 した理論、「期待×価値」に関連した理論、「自己決定」に関連した理論の 3 つに分類して いる。
それぞれの動機づけの理論に演劇的活動はどのような働きかけができるのか、以下では 動機づけを高める要因の観点から順に検討していく。
(1)「目標」に関連した動機づけ理論
「目標」に関連した動機づけ理論には、目標設定理論(Goal Setting Theory; Locke &
Latham,1990)がある。この理論のプロセスは、図 2-5 のようになる。
本理論では目標をどのように設定するのかが、達成度に大きな影響を与えると考える。
目標設定に当たっては、3 つの条件が重要とされている。明確であること、適度な困難度を 伴うこと、設定に至るプロセスには学習者を参与させることである(廣森 2006:5)。特
目標設定 動機づけ 活動 動機づけ 目標の達成度評価
図 2-5 目標設定理論をもとに筆者が作成した
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に、目標が教師によって課されるのではなく、学習者自身の選択によって設定される場合、
その後の課題に対する取り組みや興味・関心は大きく異なるという (Epstein,1989;
Macaro,2003 )。
(2)「期待×価値」に関連した動機づけ理論
「期待×価値」に関連した動機づけ理論(Expectancy Value Theory;Eccles, 1983;
Rheinberg, Vollmeyer, & Rollett, 2000)では、学習者の動機づけは、課題遂行の努力が 何らかの個人的報酬をもたらすであろうという期待とそのような報酬に対して彼らが持つ 主観的な価値の積によって規定されるとする。
(3)「自己決定」に関連した動機づけ理論
「自己決定」に関連した動機づけ理論では、自律(autonomy)という概念が重要視される。
その中核に据えた動機づけ理論が自己決定理論(Self-Determination Theory)である。自 己決定理論とは、人間の動機づけの根源に焦点を当てた動機づけ理論であり、この理論で は人間が生得的に持っている成長への性向や生理的、心理的欲求が、まわりの社会文化的 要因とどのように相互作用しながら発達、あるは衰退するのかといった問題をと取り扱う
学習動機または その関連要因
第二言語社会やその文化に同化・
Gardner (1985 ) 統合しようとする態度
Gardner & Lambert (1972 ) 就職や経済的成功など、何らかの 実利的目的を達成しようとする態度
Clément (1980) 第二言語を首尾よく学ぶことができる
Clément,Dӧrnyei, & Noels (1994) とする信念
Atkinson &Raynor (1974) 基準や目標を立て、それに到達しよう
Wigfiele & Eccles (2001) とする動機
Weiner (1986) 過去の成功や失敗に対する主観的な
Williams & Burden (1997) 理由づけ
Deci & Ryan (1985,2002) 第二言語を学ぶこと自体が目的となる
Noels, Pelletier, Clément, ような動機
& Vallerand (2000) 第二言語を学ぶことは手段であり、
それ以外に目的があるような動機
MacIntyre, Clément, 第二言語で自発的にコミュニケーション
Dӧrnyei, & Noels (1998) を図ろうとする意思 Yashima (2002)
Csizér & Dӧrnyei (2005) 第二言語を使う 第二言語学習を「なりたい自分」に近づく
Dӧrnyei & Ushioda (2009) 理想な自己 手段として捉える態度 外発的動機
他者と対話する意思 言語に対する自信
達成動機 道具的動機
原因帰属
研究例 具体的な内容
統合的動機
内発的動機
表 2-2 学習動機を構成する代表的な要因(小嶋 2010:48)
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(Reeve,Deci,& Ryan,2004)。
廣森(2006:6)は自己決定理論に関する研究をまとめ、学習者の動機づけが高まる前提条 件として、3 つの心理的欲求(psychological needs)の充足を提示している。
① 自律性(autonomy)の欲求:自身の行動がより自己決定的であり、責任感を持ちたい という欲求。
② 有能性(competence)の欲求:行動を自信や自己の能力を示す機会を持ちたいという 欲求。
③ 関係性(relatedness)の欲求:周りの人や社会と密接な関係を持ち、他者との友好 的な連帯感を持ちたいという欲求。
自己決定理論では、この 3 つの心理的欲求が満たされれば、学習者は内発的に動機づけ られ、学習課題に対しても自ら積極的に取り込むようになるという(廣森 2006:6)。
自己決定理論は内発的動機・外発的動機という概念を核とする理論である。内発的動機
(intrinsic motivation)と外発的動機(extrinsic motivation)は以下のように定義さ れている(八島 2004:53)。
内発的動機:それをすること自体が目的で何かをすること、それをすること自体から喜 びや満足感が得られるような行動に関連した動機。
外発的動機:金銭的な報酬や他者に認められることなど、何らかの具体的な目的を達成 する手段として行う行動に関連した動機。
2.2.3.2 動機づけを高めるプロセス
Dӧrnyei & Csizér(1998)では、言語教師 200 名を対象とした調査から、「第二言語学習者 を動機づける 10 か条」をまとめている(表 2-3)(小嶋 2010:68)。
1. 教師自身の行動によって、見本を示すこと
2. 教室に、楽しく、リラックスした雰囲気を作り出すこと 3. タスクを適切に提示すること
4. 学習者と良い人間関係を築くこと 5. 学習者の言語に対する自身を高めること
6. 授業を学習者の関心を引くようなものにすること 7. 学習者の自立を促すこと
8. 学習プロセスの個人化を計ること 9. 学習者の目標志向性を高めること
10. 学習者に目標言語文化に慣れてもらうこと
表 2-3 第二言語学習者を動機づける10か条(Dӧrnye&Csizer,1985:215)
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D ӧ rnyei (2001) で は 、 動 機 づ け の 可 変 性 を 重 視 し た プ ロ セ ス モ デ ル ( D ӧ rnyei & Ottó,1998)の観点から、動機づけストラテジーの整理を試みている。具体的には、動機づ けを行動前段階(pre-actional stage)、行動段階(actional stage)、行動後段階(post- actional stage)といったプロセスからなるものとして捉え、各段階に影響を与えると想 定される動機づけ要因を体系的にまとめている。
行動前段階においては、動機づけはまずもって生み出さなければならない。したがって、
そこでは目標設定や実際の行動開始を支援するような働きかけが必要となる。次に行動段 階においては、生み出された動機づけが維持、あるいは保護されなければならない。ここ では学習を阻害すると考えられる要因をできるだけ排除し、逆に、促進すると考えられる 要因を積極的に活動に取り込んでいく必要がある。最後に行動後段階においては、学習の プロセスが回顧的に評価される。従って、そこではのちの行動につながるような振り返り を支援する働きかけが必要となる。図 2-6 は、以上のような動機づけのプロセスと動機づ けストラテジーとの関連を概略的にまとめたものである。
基礎的な動機づけ環境の創出 ・適切な教師の行動
・教室内の楽しく、協力的な雰囲気 ・適切な集団規範と団結力
肯定的な自己評価の促進 学習開始時の動機づけの喚起
・動機づけを高める原因帰属 ・第二言語に対する価値観や態度 ・動機づけを高めるフィ-ドバック ・成功への期待感
・学習者の満足感 ・目標への志向性
・動機づけを高める報酬や成績評価 ・教材と学習者の関連性 ・現実的な学習者信念 動機づけの維持と保護
・刺激的で楽しい学習
・動機づけを高める課題の提示 ・明確な学習目標の設定 ・自尊心の保護や自信の促進 ・肯定的な社会イメージの維持 ・自律性の促進
・自己動機づけストラテジーの促進 ・仲間同士における協力の促進
図 2-6 動機づけを高める指導実践の構成要素
(Dӧrnyei 2001b:29)(小嶋 2010:70)
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教育者は、授業が思うように進まないと感じた時や、自らの指導法を振り返りたいと感 じた時などは、こういった要素が指導実践にうまく取り入れられているかどうか、確認す ることが重要となる。
ライアン(1995)は、動機づけの発達過程を、他律的な学習から自律的な学習へと進む プロセスととらえ、このプロセスを概念的に 5 段階に分けている。第二言語習得の初期の 段階では、教授者が与えた目標、文型練習、宿題が行動を方向づける(外的調整)。日本語 につての知識が身に付いてくると、日本の映画を見たり、日本に関する本を読んだり、日 本文化を取り入れるようになる(取り入れ)。次の段階で、日本に留学したい、日本人とコ ミュニケーションしたいという日本文化・日本人との同一化感情が生じる(同一化)。この 段階では、自ら学びたいから学ぶ、学ぶ必要があるから学ぶという学びの自律化が進んで いる。地球人の一員となるために、共生のために日本語学習をする(統合)段階では、言 語習得が自分のアンデンティティに統合されている。最終的な自律段階である内発的に動 機づけられた学習段階とは、学びそのものに意義を見出し、自ら学んでいく段階である。