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ドキュメント内 『宗教研究』233号(51巻2輯) (ページ 38-44)

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使    

用  法  の  の  し 

し  の  中  と  ま 

き 山衆徒の内六角 坊 ︑ 去ル寅ノ 四月遷化仕儀 二 付 ︑後  二 御座 候故 ︑衆徒示談左上六角 坊 後住 二 仕儀︑依 両地 

御 奉行所 

と 記している如く ︑ 正しい 脈統 を承けた弟子に 限って こ 

芸道・技術等にも影響を及ぼして行くのであっ た ︒ ム @ :  住 立義門 林寺 弟子達 全 ︑受戒︑密教等伝受 任 ︑ 血 脈 相続 之僧 

殿御達中上條以上午正月立山別当岩崎 寺 

衆徒車寺社 

れを伝えるというものである︒これは次第に ︑色 々 な 十五山 WW 卍 ・ 

山伏御内証でも前述の如く他見を禁じた多くの 教 叢 書を有す  うう 4 そ せ ︶ 伝授︵血脈相承︶する﹁ 濯頂 ﹂は絶対で﹁後住 顕一件﹂︵文政七年以降︶に ︑  と 記されており︑これは更に同行の内に於ても 此 一大事 ハ夫 シテ同行人 雄成 ルトコク ヨク 異心 ヲ見定テ許シ可ク 

と ・極めて厳しいものとなって︑封鎖的宗教 活 動を行っているので  をなしているのは︑秘密のうちに法門を伝え︑ 秘 事書を秘蔵してい  ぅ 事に於ても・弾圧を受 け 隠す慣習が出来上が った 事も事実である  よ る神秘性等と絡み付いての心理的なものに 由 録 するものが多分に 

流れているといわなければならないであろう︒ 

此の様な点で︑当然出て来るのが前述から見て 来 た真言密教であ  中ス音也 

  

ある︒所謂︑特殊念仏に於て第一の最も強い 根 幹  る 秘密結社である︒ 又 ・こうした結社の秘伝 と    が ︑一方隠していた方が尊いとする宗教的特質 ケ @ し  考えられ︑日本の古い宗教観念・系譜的考え方 が 

る ︒真言宗にあっては︑此の宗の奥義を秘密裏 .    ヒス ベシ此儀ヲ 下心 ノ内 二次スベシカイスカイ ス ヒス ベシ          此の御エシニアツカ リ申セ バ来世 ハ 弥陀如来 ノ 本願一休 ニ シテ神力自在二コクヨ クツ ︑シム ベシ ヒス ベシ ヒス ベシ     

るが︑代々の相伝は口伝となっていた 0 こうし た 密教の要素を多分に含んでいる修験道関係の成 文 聖典には︑﹁口伝﹂ 

の略 符 である﹁ p イ ﹂というものが出て来る様に ︑本来は口授伝法として文字化しなかった︒ 所 が ︑次第に文面化さ  れる傾向になって来るが︑飽く迄口伝として 明 文 を避けるものもあった︒ 

然し ︑ 何はともあれ修験道の本領は︑ 峰中 十界 修行の後に正 潅 頂の秘法が伝授され︑即身仏を証 得するのである︒ 

つまり︑此の様な学問的経論を習熟するよりも︑ 山間に於て︵入峰︶激しい実践苦行︵試練︶を 積み︑一つの 呪 験 力  を 身に付ける事であった︒そして︑こうした 峰 中での色々な呪文や手印の作法等は︑師家たる 先 達 ︵知識︶から秘密  裡に 伝授され 法 燈を相続したのである︒かくし て 伝法は︑神聖祖され権威化され︑其の威力が現 在の我々の中に其の  磁 活かされ︑新たなる﹁人格神﹂的存在が出来 上がるとするのである︒更に︑﹁入峰の前にも密室 である 龍 堂︵行屋︶ 

で 秘密の伝授があったことは・出羽三山の入峰 儀 礼 に現在も見ることが出来る︒吉野大峰入峰に 金峰山神の気抜重 と ︵ 仰 ︶ い う 密室で行道するものもこれである﹂と︑五来 教授も指適している如く︑密室の申で 堕 地獄の 責苦 を受ける事に ょ  って 罪微 もとれ︑清浄な生命に生れ変るという 日 本 古来からの具体的・実践的 賄 罪と滅罪的な一 種の擬死再生儀礼で 

ある︒ 

こうして︑山伏の創始する御内証と真宗の一般的 特殊念仏の間には︑師伝崇拝や秘密事 電 という 真言密教を通して 

の 宗教的神秘主義の系譜が認められる︒ 内証 御 五 と 伏 

      

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真宗一点・無題詞八点となっている︒これ等は ・真言密教・陰陽道・禅宗等諸種の方面から 雑 参な思想が入り込ん  で︑実に混雑を極めている︒其の中でも最も重鎮 をなしているのは・前からしばしば触れている 此の御内証の中核を 

なしている三教一致の思想である︒ 

これは︑日本に早くから論争されていた 儒 ・ ム ・ 道の関係に変り︑ 神 ・ 儒 ・仏を 一 網に入れて︑ そこに相通の原理  を 発見しょうとしたもので︑鎌倉時代以後民間 に 勢力を有し︑江戸期に最も旺盛に伸張し︑﹁清水 物ま 幅 ﹂・﹁祇園物語﹂ ︵月照︶ ︐﹁大和物語﹂・﹁礼物語﹂等の物語類の中にも 説 かれ︑講釈師にも語られていた︒然し︑本来的 思想の分析︵吉田 兼 

倶 唯一神道・渡唐天神思想・石田梅岩心学・ 森 庫塾 護法賢治 論 ・武田大大和三教論等︶は少数で ︑多数は正統な教学  からは甚だ低俗・浅学ではあるが・より良好な感 化を人心に及ばしたのである︒それは︑文保元 年の伊勢大瀧編にな  る ﹁三賢一 嘉玖 ︵ 重目 め ︶二名三界一心  証 ︶に顕著に見 られ・男女陰陽の道を基礎として神儒仏の二 

済 

を 解釈し︑特殊な世  界 観を立てたもので︑ コ生下 未分諸口も其の一つ であるが︑彼等はこれに念仏信仰を摂取して 一 つめ 教義的創作を試  みている︒此の思想は︑大概の秘事 党 に行き渡 って存している様で︑最も著しいのは日蓮如大概 銀目 と 称する彼等の  聖典である︒これは外題には﹁秘録﹂と置 き︑内 題の下に注記し﹁一向宗秘中文極地﹂という︒ 内容は︑﹁生干未分  語 ﹂や﹁三界一心証﹂の陰陽合体の説を受け︑ 処 々に コ 心血脈抄しの文句を其の届引用して﹁ 天 地 陰陽の二 つを 一心  にして信心決定すべし﹂という如き︑立川流の影 響 が著しく現われている︒殊に後半は︑禅宗の 六祖忌能の喝を説明  し ﹁五行根本 抄 ﹂というものを引用して即身成 仏の義を語っている︒文よ聖人 御 袖裏口も世界を 一心で説いている︒ 

更にここで注目すべ き は︑今触れた様に真宗の 安心と真言宗・陰陽道を混合した中で︑特に陰陽 二元万物生成の思想  を 受け︑陰陽和合を以て即身成仏の秘 決 なりと する左道密教立川流の混入が見られる﹁心血脈 抄 ﹂︵﹁八万枯芝 抜 善阿  字統文木 味 ﹂︶である︒これは︑古来から特殊 念 仏の根本聖典とされ極めて尊重流布され︑現在 でも東北のかくし 念 

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仏や  ・北陸・中国の秘事法門の信者の間で広範  囲  に用いられている︒一般に此の書は︑異本も多  く  殆ど同一のものは  ないが︑秘事法門の開祖とされる善鸞の子知信  が  親鸞  よ  り  密  広口授されたものであるとして︑  畑道︵下拝秘事の始  祖  ︶の  作  ともいわれ︑偶像的教祖的存在がある  事で正当化権威付けようとしたもので明白には  決  定  しがたい︒  又  ︑  こ  れが畑道と同門の越前高田派松樹  院  ︵弘法大師  像  をも蔵する︶や・越中本願寺派浄水手に伝わっ  ている事例もある︒ 

  

ハ  ︵中略︶真言  ノ  立川流  ノ  邪毒  ヲ  打込  ミテ伝ヘタ 

  

モノナリ﹂としたり︑更に三門徒の直流をくみ 

  

加州二俣に住した  善 

填む︑  ﹁反故  裏 重日日︵ 8  4  ︶  は  ・﹁法流の外なる  世芸  を事  とし外道の秘術をまな  び  ︑かの抗議も様  衣  にわか  れ  ければ﹂と︑畑道  以来の立川流的即身成仏の様相の流れを暗示し  た  史料を上げている︒  ︵  g 4  ︶  では︑此の越後地方の立川流を見てみると︑  樺  五万年中親鸞の作とする偽書﹁一宗行儀鈴口  にょ  ると  ・越後頭城都 

岡田  郷  の長道坊の事を記して︒ 

去  正治年中越後園  頸城ノ  邨岡田  郷二  長連  坊トテエ  エ  川流  ノ  外法  ノ  学匠  アり  ︒仕入  ハ  出羽国土局面  ト  天皇  ノ  考ト  聞伝タ  リ  ︒彼  是  連が外法  ヲ  世間二流布シテ  広め  大智生  剛二話シテ︒  仏ヲ会テ  梓ム  ベカラズト謂シケル  ︒  と  ︑長連の徒が乱行を敢行した事を記している  が︑  他の処々にも仏を拝まずと出て来るのは︑  所  謂  秘事書のい  う  事と 

時  大変似通った所がある事は注目すべぎであ  る  ︒  又  ︑ 

  

生国  ハ  佐渡  レ国ノ  モノ  ナリシ  細長連ガ外法  ノ  終り悪業  ノツ  モリ  二  柏崎二  ‑  ア肚ヲサ  ラシ  候ト  ︒天下二風聞  侯  越と  ︑地理的近接が認められるが︑然し全部  それ等を信ずる事は出来ないとしても︑一つの  参  考  となろ  う  ︒一方法然の 

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ここに此の様な立川流は︑平安期末に醍醐の三宝 院 流から発生して一時諸方へ影響したが 

が 苦心して撲滅した結果︑今日では残っておら ぬのであるけれども︑それが特殊念仏等の中 

を 生み出す等多少其の痕跡が認められるという 事である︒所謂︑修験道には修行の意味付け 

多く︑修験道書にも極めて目立つのである︒ つ まり︑山伏の原始宗教性と世俗的生活が強く 

考えられよ う ︒ 尚 ・此の様な陰陽和合思想の現 美的 土 践行として・﹁ 帯解 仏法﹂︵雑魚寝︶ と ︵ 訂 ︶ 年と 寛文四年に︑日向と国東半島今在家に活動 していた事も特筆しておきたい︒ 

かくして・ 今 見た様な数々 な 宗教的・社会的背 旦 尽の元に誕生して来た秘事の教義も︑実践 

教学の発達に伴って発展体系化し︑御内証の如 ぎ 色々な秘事聖典が出来上って来るのであっ 

は︑ 有らゆる宗派の教義内容を取り入れ︑自分 達の主張に都合よく変容して摂取して行くと 

となっている︒それ故︑これ等は非論理的で学 問 的には程遠いもので は あるが︑そこに何ら 

に 現実に適応して行くという庶民的精神生活の 一 端を窺い知る事が出来る︒と同時に ︑ 一つ ︵㏄︶ ﹁談義本﹂的役割を果し︑其の結社なり知識を支 える動脈路ともなっていた︒  後に至って密教の学匠 に混入して︑山伏御内証 を陰陽和合で現わす事が 影響し合っているものと いう秘事法門が寛永十三 行の衰退と近世に於ける た︒そしてそこに 拾 いて 

い う 多神教的傾向が顕著 

の矛盾・葛藤をも生ぜず 

の唱導の手段としての  ︵㏄︶ 時 ︑﹁越中の光明 肩 にっかは す御 返事﹂の中で︑ 

一念してのちは︑文倉せすといふとも十悪五逆な な さはりをなさす・いはんや余の小罪をやと 信 すへぎ也 といふ 

︵中略︶をよそかくのことぎの人は・陀仏法の外 適地・師子身中のむし地文 う たがふらくは︑ 天 魔 波旬のために︑ 

その正解を ぅ ははれたるともからの︑もろもろ の 往生の人をさまた げ んとするか・もともあやし むへし︑ ふかくを 

そるへし ︑ことごとく筆端にづくしかたし 

と 出て来る如く︑一念義の邪義も立川流同様異 の 重要な影響を考えなければならない︒ 

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ドキュメント内 『宗教研究』233号(51巻2輯) (ページ 38-44)

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