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使
用 法 の の し
し の 中 と ま
き 山衆徒の内六角 坊 ︑ 去ル寅ノ 四月遷化仕儀 二 付 ︑後 二 御座 候故 ︑衆徒示談左上六角 坊 後住 二 仕儀︑依 両地
御 奉行所
と 記している如く ︑ 正しい 脈統 を承けた弟子に 限って こ
芸道・技術等にも影響を及ぼして行くのであっ た ︒ ム @ : 住 立義門 林寺 弟子達 全 ︑受戒︑密教等伝受 任 ︑ 血 脈 相続 之僧
殿御達中上條以上午正月立山別当岩崎 寺
衆徒車寺社
れを伝えるというものである︒これは次第に ︑色 々 な 十五山 WW 卍 ・
山伏御内証でも前述の如く他見を禁じた多くの 教 叢 書を有す うう 4 そ せ ︶ 伝授︵血脈相承︶する﹁ 濯頂 ﹂は絶対で﹁後住 顕一件﹂︵文政七年以降︶に ︑ と 記されており︑これは更に同行の内に於ても 此 一大事 ハ夫 シテ同行人 雄成 ルトコク ヨク 異心 ヲ見定テ許シ可ク
と ・極めて厳しいものとなって︑封鎖的宗教 活 動を行っているので をなしているのは︑秘密のうちに法門を伝え︑ 秘 事書を秘蔵してい ぅ 事に於ても・弾圧を受 け 隠す慣習が出来上が った 事も事実である よ る神秘性等と絡み付いての心理的なものに 由 録 するものが多分に
流れているといわなければならないであろう︒
此の様な点で︑当然出て来るのが前述から見て 来 た真言密教であ 中ス音也
ある︒所謂︑特殊念仏に於て第一の最も強い 根 幹 る 秘密結社である︒ 又 ・こうした結社の秘伝 と が ︑一方隠していた方が尊いとする宗教的特質 ケ @ し 考えられ︑日本の古い宗教観念・系譜的考え方 が
る ︒真言宗にあっては︑此の宗の奥義を秘密裏 K . ヒス ベシ此儀ヲ 下心 ノ内 二次スベシカイスカイ ス ヒス ベシ 此の御エシニアツカ リ申セ バ来世 ハ 弥陀如来 ノ 本願一休 ニ シテ神力自在二コクヨ クツ ︑シム ベシ ヒス ベシ ヒス ベシ
るが︑代々の相伝は口伝となっていた 0 こうし た 密教の要素を多分に含んでいる修験道関係の成 文 聖典には︑﹁口伝﹂
の略 符 である﹁ p イ ﹂というものが出て来る様に ︑本来は口授伝法として文字化しなかった︒ 所 が ︑次第に文面化さ れる傾向になって来るが︑飽く迄口伝として 明 文 を避けるものもあった︒
然し ︑ 何はともあれ修験道の本領は︑ 峰中 十界 修行の後に正 潅 頂の秘法が伝授され︑即身仏を証 得するのである︒
つまり︑此の様な学問的経論を習熟するよりも︑ 山間に於て︵入峰︶激しい実践苦行︵試練︶を 積み︑一つの 呪 験 力 を 身に付ける事であった︒そして︑こうした 峰 中での色々な呪文や手印の作法等は︑師家たる 先 達 ︵知識︶から秘密 裡に 伝授され 法 燈を相続したのである︒かくし て 伝法は︑神聖祖され権威化され︑其の威力が現 在の我々の中に其の 磁 活かされ︑新たなる﹁人格神﹂的存在が出来 上がるとするのである︒更に︑﹁入峰の前にも密室 である 龍 堂︵行屋︶
で 秘密の伝授があったことは・出羽三山の入峰 儀 礼 に現在も見ることが出来る︒吉野大峰入峰に 金峰山神の気抜重 と ︵ 仰 ︶ い う 密室で行道するものもこれである﹂と︑五来 教授も指適している如く︑密室の申で 堕 地獄の 責苦 を受ける事に ょ って 罪微 もとれ︑清浄な生命に生れ変るという 日 本 古来からの具体的・実践的 賄 罪と滅罪的な一 種の擬死再生儀礼で
ある︒
こうして︑山伏の創始する御内証と真宗の一般的 特殊念仏の間には︑師伝崇拝や秘密事 電 という 真言密教を通して
の 宗教的神秘主義の系譜が認められる︒ 内証 御 五 と 伏
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真宗一点・無題詞八点となっている︒これ等は ・真言密教・陰陽道・禅宗等諸種の方面から 雑 参な思想が入り込ん で︑実に混雑を極めている︒其の中でも最も重鎮 をなしているのは・前からしばしば触れている 此の御内証の中核を
なしている三教一致の思想である︒
これは︑日本に早くから論争されていた 儒 ・ ム ・ 道の関係に変り︑ 神 ・ 儒 ・仏を 一 網に入れて︑ そこに相通の原理 を 発見しょうとしたもので︑鎌倉時代以後民間 に 勢力を有し︑江戸期に最も旺盛に伸張し︑﹁清水 物ま 幅 ﹂・﹁祇園物語﹂ ︵月照︶ ︐﹁大和物語﹂・﹁礼物語﹂等の物語類の中にも 説 かれ︑講釈師にも語られていた︒然し︑本来的 思想の分析︵吉田 兼
倶 唯一神道・渡唐天神思想・石田梅岩心学・ 森 庫塾 護法賢治 論 ・武田大大和三教論等︶は少数で ︑多数は正統な教学 からは甚だ低俗・浅学ではあるが・より良好な感 化を人心に及ばしたのである︒それは︑文保元 年の伊勢大瀧編にな る ﹁三賢一 嘉玖 ︵ 重目 め ︶二名三界一心 証 ︶に顕著に見 られ・男女陰陽の道を基礎として神儒仏の二
済
を 解釈し︑特殊な世 界 観を立てたもので︑ コ生下 未分諸口も其の一つ であるが︑彼等はこれに念仏信仰を摂取して 一 つめ 教義的創作を試 みている︒此の思想は︑大概の秘事 党 に行き渡 って存している様で︑最も著しいのは日蓮如大概 銀目 と 称する彼等の 聖典である︒これは外題には﹁秘録﹂と置 き︑内 題の下に注記し﹁一向宗秘中文極地﹂という︒ 内容は︑﹁生干未分 語 ﹂や﹁三界一心証﹂の陰陽合体の説を受け︑ 処 々に コ 心血脈抄しの文句を其の届引用して﹁ 天 地 陰陽の二 つを 一心 にして信心決定すべし﹂という如き︑立川流の影 響 が著しく現われている︒殊に後半は︑禅宗の 六祖忌能の喝を説明 し ﹁五行根本 抄 ﹂というものを引用して即身成 仏の義を語っている︒文よ聖人 御 袖裏口も世界を 一心で説いている︒更にここで注目すべ き は︑今触れた様に真宗の 安心と真言宗・陰陽道を混合した中で︑特に陰陽 二元万物生成の思想 を 受け︑陰陽和合を以て即身成仏の秘 決 なりと する左道密教立川流の混入が見られる﹁心血脈 抄 ﹂︵﹁八万枯芝 抜 善阿 字統文木 味 ﹂︶である︒これは︑古来から特殊 念 仏の根本聖典とされ極めて尊重流布され︑現在 でも東北のかくし 念
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仏や ・北陸・中国の秘事法門の信者の間で広範 囲 に用いられている︒一般に此の書は︑異本も多 く 殆ど同一のものは ないが︑秘事法門の開祖とされる善鸞の子知信 が 親鸞 よ り 密 広口授されたものであるとして︑ 畑道︵下拝秘事の始 祖 ︶の 作 ともいわれ︑偶像的教祖的存在がある 事で正当化権威付けようとしたもので明白には 決 定 しがたい︒ 又 ︑ こ れが畑道と同門の越前高田派松樹 院 ︵弘法大師 像 をも蔵する︶や・越中本願寺派浄水手に伝わっ ている事例もある︒
ハ ︵中略︶真言 ノ 立川流 ノ 邪毒 ヲ 打込 ミテ伝ヘタ
モノナリ﹂としたり︑更に三門徒の直流をくみ
加州二俣に住した 善
填む︑ ﹁反故 裏 重日日︵ 8 4 ︶ は ・﹁法流の外なる 世芸 を事 とし外道の秘術をまな び ︑かの抗議も様 衣 にわか れ ければ﹂と︑畑道 以来の立川流的即身成仏の様相の流れを暗示し た 史料を上げている︒ ︵ g 4 ︶ では︑此の越後地方の立川流を見てみると︑ 樺 五万年中親鸞の作とする偽書﹁一宗行儀鈴口 にょ ると ・越後頭城都
岡田 郷 の長道坊の事を記して︒
去 正治年中越後園 頸城ノ 邨岡田 郷二 長連 坊トテエ エ 川流 ノ 外法 ノ 学匠 アり ︒仕入 ハ 出羽国土局面 ト 天皇 ノ 考ト 聞伝タ リ ︒彼 是 連が外法 ヲ 世間二流布シテ 広め 大智生 剛二話シテ︒ 仏ヲ会テ 梓ム ベカラズト謂シケル ︒ と ︑長連の徒が乱行を敢行した事を記している が︑ 他の処々にも仏を拝まずと出て来るのは︑ 所 謂 秘事書のい う 事と
時 大変似通った所がある事は注目すべぎであ る ︒ 又 ︑
生国 ハ 佐渡 レ国ノ モノ ナリシ 細長連ガ外法 ノ 終り悪業 ノツ モリ 二 柏崎二 ‑ ア肚ヲサ ラシ 候ト ︒天下二風聞 侯 越と ︑地理的近接が認められるが︑然し全部 それ等を信ずる事は出来ないとしても︑一つの 参 考 となろ う ︒一方法然の
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ここに此の様な立川流は︑平安期末に醍醐の三宝 院 流から発生して一時諸方へ影響したが
が 苦心して撲滅した結果︑今日では残っておら ぬのであるけれども︑それが特殊念仏等の中
を 生み出す等多少其の痕跡が認められるという 事である︒所謂︑修験道には修行の意味付け
多く︑修験道書にも極めて目立つのである︒ つ まり︑山伏の原始宗教性と世俗的生活が強く
考えられよ う ︒ 尚 ・此の様な陰陽和合思想の現 美的 土 践行として・﹁ 帯解 仏法﹂︵雑魚寝︶ と ︵ 訂 ︶ 年と 寛文四年に︑日向と国東半島今在家に活動 していた事も特筆しておきたい︒
かくして・ 今 見た様な数々 な 宗教的・社会的背 旦 尽の元に誕生して来た秘事の教義も︑実践
教学の発達に伴って発展体系化し︑御内証の如 ぎ 色々な秘事聖典が出来上って来るのであっ
は︑ 有らゆる宗派の教義内容を取り入れ︑自分 達の主張に都合よく変容して摂取して行くと
となっている︒それ故︑これ等は非論理的で学 問 的には程遠いもので は あるが︑そこに何ら
に 現実に適応して行くという庶民的精神生活の 一 端を窺い知る事が出来る︒と同時に ︑ 一つ ︵㏄︶ ﹁談義本﹂的役割を果し︑其の結社なり知識を支 える動脈路ともなっていた︒ 後に至って密教の学匠 に混入して︑山伏御内証 を陰陽和合で現わす事が 影響し合っているものと いう秘事法門が寛永十三 行の衰退と近世に於ける た︒そしてそこに 拾 いて
い う 多神教的傾向が顕著
の矛盾・葛藤をも生ぜず
の唱導の手段としての ︵㏄︶ 時 ︑﹁越中の光明 肩 にっかは す御 返事﹂の中で︑
一念してのちは︑文倉せすといふとも十悪五逆な な さはりをなさす・いはんや余の小罪をやと 信 すへぎ也 といふ
︵中略︶をよそかくのことぎの人は・陀仏法の外 適地・師子身中のむし地文 う たがふらくは︑ 天 魔 波旬のために︑
その正解を ぅ ははれたるともからの︑もろもろ の 往生の人をさまた げ んとするか・もともあやし むへし︑ ふかくを
そるへし ︑ことごとく筆端にづくしかたし
と 出て来る如く︑一念義の邪義も立川流同様異 の 重要な影響を考えなければならない︒
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