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工業等制限法における大学に対する規制の変遷

‐ 1960 年代の法改正を中心に

白川優治

(早稲田大学)

本稿は、1959年に制定されて以降、2002年に廃止されるまでの間、東京都特別区および その周辺都市において大学の新増設を規制してきた「首都圏の既成市街地における工業等 の制限に関する法律(以下、工業等制限法)」を対象に、その法制度の制定の背景及び1970 年代前半までの制度改正の特徴を確認することを通じて、1960年代の工業等制限法と大学 との関係の整理を試みたものである。工業等制限法の制定は、制定当時の都市部における 人口集中を背景にするものであり、その防止を目的とするものであることが改めて確認さ れた。他方、1962年、1964年、1972年の工業等制限法の改正を確認したところ、大学の 新増設制限は、既存の大学との関連、その時代の大学に関する政策課題との関連の中で調 整されており、制限区域内において必ずしもすべての新増設が原則として禁止されてきた わけではなかったことが示された。例外をもたずに、一定規模の「教室」の新増設が原則 として禁止となるのは1972年法改正であり、それまでは高等教育の政策環境との調整がな されてきたことが確認された。

1.はじめに

東京都特別区およびその周辺都市においては、1959年に制定されて以降、2002年に廃止 されるまでの間、「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(以下、工業等 制限法)」によって、大学の新増設に対して制限がなされてきた。工業等制限法による都市 部における大学の新増設の制限は、文部省による高等教育政策である「高等教育の計画的 整備について(昭和50年度前期計画)」1における高等教育機関の地域配置計画において前 提とされているなど、高等教育計画の前提とされてきたものである2

このように首都圏の都市部の大学立地に対して長期にわたり影響を与えることになる工 業等制限法については、「この法律によって、首都圏整備法(昭和 31 年制定)により既成 市街地と指定され、さらにその下級の政令で工業等制限区域と指定された地域内では、1500

㎡以上の教室の建設は不可能となった。(…引用者中略…)しかし、工業等制限区域となっ た東京23区内と武蔵野市の全域・川口市・三鷹市・横浜市・川崎市の一部などでの大学の 新設は不可能となった」3とされ、他方、「高等教育計画には、行政上も、財政上も担保が何 もない。ただあれ(訳者注:工業制限法)だけだった。だから、東京では 5 年間は新増設 を認めないということが生きたんです」4とされているように、その影響が指摘されてきた。

しかしながら、管見の限りにおいて同法と大学の関係を直接検討した研究は少なく、同法 についてこれまで必ずしも十分検討がなされてきたとはいえないところである。

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工業等制限法は、「この法律は、工業等制限区域について、大規模な工場、大学その他人 口の増大をもたらす原因となる施設の新設を制限し、もつて既成市街地への産業及び人口 の過度の集中を防止することを目的とする」5とされ、都市部への人口集中を防ぐことが制 度の目的であるとされていた。しかしながら、近年、工業等制限法の制定は、1950年代末 から60年代の政治情勢を背景に「東京圏、大阪圏の特定地域での新増設禁止措置が大規模 工場と大学キャンパスを狙い撃ちしたものであることを考え合わせれば、これら 2 法が公 害よりは、『国民全体の左傾化を阻止する』という政治的思惑に基づいて制定されたことは 明白」6とする指摘がなされ、政治的背景が要因であったとする指摘がなされている。

そこで、本稿は、工業等制限法の制定及びその1970年代前半までの制度改正の特徴を確 認することを通じて、1960年代の工業等制限法と大学との関係の整理を試みるものである。

2.工業等制限法の法制度上の位置づけとその概要

工業等制限法の制定と制度改正の特徴をみるにあたっては、まず同法の法制度上の位置 づけとその概要について確認しておく必要がある。指定された区域において工場と大学の 新増設を制限する工業等制限法は、1956年に制定された首都圏整備法を根拠にするもので あった。そこで、以下では、最初に、首都圏整備法について確認し、次いで、工業等制限 法の概要を確認することにしたい。

2.1 首都圏整備法と首都圏整備計画

首都圏整備法は、「首都圏の整備に関する総合的な計画を策定し、その実施を推進するこ とにより、わが国の政治、経済、文化等の中心としてふさわしい首都圏の建設とその秩序 ある発展を図ることを目的」7に 1956 年に制定されたものである。このような首都圏整備 法は、1950年に制定された首都建設法を沿革にもつ。首都建設法は「東京都を新しく平和 国家の首都として十分にその政治、経済、文化等についての機能を発揮し得るように計画 し建設する」ことを目的に制定されたものであり、同法では、建設省の外局として首都建 設委員会を置き、「首都建設計画」を立案されることとされていた。しかしながら、「首都 建設法の目的とする機能的な首都建設の課題を合理的に解決するためには、東京の都市機 能が単に東京都という狭い行政区域の範囲を遙かに超えた広域に於いて営まれているとい う現実から、法の目的とした課題を解決するためには、その広い広域を行政対象として計 画をたて事業を実施する」8ことが必要であることから、首都建設法は1956年に廃止され、

新たに首都圏整備法が制定されることになった。

首都圏整備法は、総理府の外局に首都圏整備委員会を置き、首都圏整備計画を立案する ことが規定されており、首都建設法の基本的枠組みが踏襲されていた。しかしながら、両 法の異なる点は、首都圏整備法においては、東京都及びこれと連接する枢要な都市を含む 区域のうち政令で定める市街地を「既成市街地」、既成市街地の秩序ある発展を図るため緑 地地帯を設定する必要がある既成市街地の近郊について政令で定める区域を「近郊地帯」、

既成市街地への産業及び人口の集中傾向を緩和し、首都圏の地域内の産業及び人口の適正 44

な配置を図るため必要があると認められ、工業都市又は住居都市として発展させることを 適当とする既成市街地の周辺地域内の区域を「市街地開発区域」として設定し、それぞれ の区域に対して異なる整備方針を採ることとしたことである(首都圏整備法2条、24 条1 項)。そして、さらに同法は 27 条において「既成市街地への作業及び人口の過度の集中を 防止するため、大規模な工業その他人口の増大をもたらす原因となる施設の新設又は増設 を制限する必要があるときは、別に定める法律により、当該施設の新設又は増設を制限す る必要がある既成市街地内の区域を工業等制限区域として指定することができる」とし、

「工業等制限区域内における施設の新設又は制限に関し必要な事項は、別に法律で定める」

としていた。工業等制限法は、この規定を具体化する法制度として制定されたものである。

このような首都圏整備法に基づいて、首都圏整備委員会では1958年には首都圏整備に関 する基本計画を策定し、公表している9。このときの首都圏整備の基本的関心は、都市部で ある「既成市街地」における人口増加問題に対して、適正収容人口に対する都市施設の整 備を行うことにあった。具体的には、既成市街地については「東京都区部(三鷹市、武蔵 野市を含む。)においては必要な区域について人口増の原因となる大規模な工場、大学等の 新増設を制限することとし」10、他方、「既成市街地の周辺の地域内において既成市街地へ 流入し、又は既成市街地より分散する人口及び産業等を吸収しその定着化を図るため、適 当な間隔に既成都市を核として市街地開発区域を指定し、その育成を図る」11ことが政策手 段として採用された。そして、前者が工場等制限法として 1959 年に具体化され、後者は 1958年に制定された首都圏市街地開発区域整備法によって推進されることとなった。

ここで首都圏整備法における大学の位置づけを確認しておくと、法条文上においては、

「大学」が制限施設として新増設の制限の対象と明記はされていなかった。しかしながら、

同法の制定過程においては、すでに、所轄庁の政府委員より大学を工業等制限区域におけ る制限の対象と一つとすることが言及されており12、首都圏整備法の制定時点から大学を対 象とするものであることが想定されていた。そのため、1958年の基本計画においては、「人 口増加の原因となる大規模な工場、大学等の新設または増設を制限すること」として具体 的に大学が対象とされることが明文化されている。つまり、指定区域において大学の新増 設の制限することは、首都圏整備法において既に規定されたものであり、工業等制限法は その具体的な制度的枠組みを定めるものであったとみることが妥当であろう。

2.2 1959 年制定時の工業等制限法の概要

それでは、工業等制限法では具体的には、大学に対してどのような制限がなされたので あろうか。その内容をみておきたい。

工業等制限法は、「首都圏の既成市街地中特に人口増加の著しい東京都区部、武蔵野市及 び三鷹市の区域を工業等制限区域として定め、この制限区域内において人口増加の主たる 原因となる大規模な工場、大学及び各種学校の新設を制限し、これらの地域への産業及び 人口の過度集中の防止することを目的」13とするものである。制限施設としては、人口増の 主たる原因となり、且つ必ずしも制限区域内に立地することが必要でないと考えられる施

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