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大学と「都市―地域」のダイナミズム 知識経済における「組織間関係」の戦略性

北川 文美

(国立教育政策研究所)

1.はじめに

大学は、現在、グローバル化する知識経済の中で、多様化する地理的空間のダイナ ミズムの中に置かれている。グローバル化する知識経済の中で知識の生産とその商業 化をいかに経済的競争力に結びつけるかが、各国政府の主要な政策関心となっている。

このような観点から、知識経済における主要なアクターとして、高等教育機関、特に 大学が、研究活動、科学技術とイノベーション、高度技能者の教育と訓練などの多様 な活動を通じて果たす都市や地域への経済的・社会的・文化的貢献についての関心が 高まっている。

本報告書の他の章が示しているように、工場等制限法廃止に関わる議論をはじめ、

これまでの経済産業政策、都市・地域経済政策と大学の立地政策には緊密な緊張関係 がある。大学キャンパスの郊外移転、より近年の都市への回帰、サテライトキャンパ スの設置や部局単位の移転等、マクロな政策的動向の中で大学という組織空間が地域 経済や雇用、学生の教育、地域の研究開発活動等に与えた様々な影響を理解すること は、各大学の独自のミッションや組織運営にとり重要であり、さらに、経済開発・社 会開発、さらに文化政策といった、公共政策の一部として大学の立地状況を分析する ことは、国のレベル、地方自治体のレベルともに重要である(1)

本稿では、特に科学技術政策・イノベーション政策という側面から、大学が「地域 科学政策」においてどのような役割を果たしうるのか、という観点から議論を行う。

議論の枠組みとして、科学技術・イノベーション政策の「マルチ・レベル・ガバナン ス」に関する理論に拠り、高等教育のマルチ・レベル・ガバナンスに関して国別に類 型化した政策的モデルを提示する。

日本の大学政策のガバナンスは、2004年4月の国立大学法人化により大学の自立性 が強まったことで、大きな転機を迎えた。また、18歳人口の減少、学生の多様化を背 景に、国という枠組みだけではなく、より地域や国際性を重視した大学のあり方が模 索されるようになってきた。国立大学、私立大学、公立大学という異なる設置形態の 大学が混在する日本のシステムの中で、それぞれの大学の設置形態と地理的特徴がマ ルチ・レベル・ガバナンスの枠組みの中でどのようにとらえられるのかは、分析的な枠 組みだけではなく、政策的・マネジメントの観点からも重要な視点となると考えられ る。本稿は特に、海外の異なる政策モデルと具体的な事例を紹介することで、日本の

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状況を相対化し、その中での大学の位置づけ、諸問題について考える材料を提供した い。

本稿は以下のように構成される。第一にグローバル化する知識経済における科学技 術政策の地方分権化の動向、知識生産の担い手として、多層化する地理的空間におけ る大学の戦略的な位置づけについて、経済地理学、地域経済学などの文献に依りつつ、

近年のマルチ・レベル・ガバナンスに関するいくつかの異なる国の政策的動向のレビュ ーを行う。第二に、これらの理論と政策の実例を事例から検討したい。多層的な政策 が展開するヨーロッパ(イギリス)の都市地域の事例として、マンチェスターを取り上 げる。異なる政策的な空間が、大学というアクターに及ぼす影響、大学の組織として の戦略と資源獲得のためのさまざまな空間的なプロセスを明らかにすることが目的で ある。日本の大学と都市地域との関係性について、海外事例から得られる知見をまと め、最後に、今後の課題を明らかにする。

2.高等教育のマルチ・レベル・ガバナンス

2.1 科学技術政策のマルチ・レベル・ガバナンスの議論

これまで「マルチ・レベル・ガバナンス」に関する議論は経済開発・社会開発に関 する政策において蓄積されてきたが、これらの議論は、これまで各国において「国家」

のレベルで考えられることが多かった科学技術政策や高等教育の「ガバナンス」に関 して、一石を投じることになった。近年の科学政策やイノベーション政策のマルチ・

レベル・ガバナンスに関する議論は特に、「サイエンス型産業」(後藤・小田切2003)

の興隆と、クラスター政策等に見られる、新たな経済開発モデル(Porter1990、1998)

とに拠っている。このような文脈において、高等教育機関、特に大学は、知識経済に おける主要なアクターとして、各国政府、さらに地方政府により政策的な焦点になっ ている。

科学技術政策のガバナンスと高等教育政策が「地域」レベルにおいて持つ意味、そ の影響の度合いは、それぞれの国の高等教育システムの性格と地方分権の度合いによ り規定される部分が多い。科学技術政策のマルチ・レベル・ガバナンスに関する議論 は、近年、「ヨーロッパ研究圏(European Research Area)」等、超国家レベルでの連携 と統合、さらに地域レベルでの経済社会開発など、ヨーロッパ連合の多様な政策展開 が 進 む ヨ ー ロ ッ パ で さ ま ざ ま な 角 度 か ら 議 論 が な さ れ て い る ( 北 川 2005a; Sanz-Menendz and Cruz-Castro2005)。ここでは、それらをレビューすることは紙面の都 合上行わないが、重要なのは、マルチ・レベル・ガバナンスの構造には各国違いがあ るが、共通して見られるのは、国あるいは地域レベルのどれかひとつのシステムが支 配的なのではなく、超国家レベル(例:ヨーロッパ連合)の政策、国レベルの政策、

地方レベルの政策が互いに影響を与え合い、異なるレベルの政策システムが相互依存

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関係を強めているということである(Kaiser and Prange2004)。

2.2 大学ガバナンスのモデルと地理的なマルチ・レベル・ガバナンスの関係

大学ガバナンスのモデルと地理的なマルチ・レベル・ガバナンスの関係を考えるた めに、いくつかの国ごとの類型化が役に立つ。国レベルでの大学のガバナンスが主流 の国はイギリス(イングランド)、日本、韓国などだが、大学自身がもつ自立性の度合 いにはかなりの相違が見られる。一方、地域分権化の進んだ国としては北米(アメリ カ合衆国やカナダやオーストラリアがあげられるが、ヨーロッパ大陸の国々の中には、

スペインのように分権化が進んでいる国、ドイツのように地域分権に加え、国家レベ ルのシステム強化が進んでいる場合もある。大学のガバナンスを考える際に、財政と そ の 他 の 政 策 的 な 側 面 と に 分 け て 考 え る と 以 下 の よ う な 類 型 化 が 可 能 に な る

(Charles2006)。

表1 大学のガバナンス(財政と各種政策)における政府のマルチ・レベル度の相違

(Charles2006 より作成・加筆)

政策的分権化 弱い 強 い

地方・州政府 オーストラリア↓ スペイン → USA

両方 ドイツ ← カナダ

国 UK(イングランド)

日本 韓国

国 両方 地方政府・州政府 弱い 財政的 分権化 強い

以下、それぞれのモデルの特徴を簡単に述べる(2)。 1) イギリス

イギリス型の大学の財政とガバナンスのモデル」の特徴は、国レベルと地方レベル の混在である。イングランドでは、高等教育財政協議会(Higher Education Funding Council for England)が大学の財政と各種の政策に関して国レベルで行っている。スコ ットランドとウェールズ、北アイルランドでは、度合いは異なるが分権化をしており、

大学のガバナンスと財政は地方レベルで行われている。日本との一番大きな違いは、

各大学がもつ自立性がイギリスの方が強いこと。1992年以前は、ポリテクニック(職 業教育の強い高等教育機関)は、地方行政の管轄だったが、大学に昇格後は、高等教 育財政協議会が一括する仕組みに変わった。近年の産学連携の流れの中で、地域開発 公社(RDA)から大学への資金が増えている。

2) オーストラリア

大学の設置認可等各種の規制において州政府が強い権限をもつ。財政については連

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邦政府の権限が強いが、州政府は科学技術のインフラ、研究所の設置等において財政 的な支援を強める傾向がある。また新たな学位設置のための資金や、地域貢献などに おいても州政府の財政的影響が強い。州政府は、大学が国際レベルの優位を得るため、

また地域レベルの戦略を実現するために大学に資源を配分するという傾向が見られる。

3) カナダ、アメリカ合衆国

連邦制をとるこれらのシステムでは、州政府が高等教育を管轄する。連邦政府は研 究資金の配分を通じ、大学への影響力を強めている。カナダでは、研究資金のほか、

連邦政府が高等教育を含めた社会政策に関する予算の再分配 Canada Social Transfer

(CST)(3)を行っており、高等教育の財政的ガバナンスは連邦政府と州政府との2層構造

となっている。

4) ヨーロッパ大陸での傾向

多くのヨーロッパ大陸諸国では大学教員の国家公務員としての扱いや財産が国有で あることなど、伝統的に国家レベルのガバナンスが強いことで知られる。ギリシア、

フィンランド、アイルランド、オランダは、高等教育財政は国家レベルにおいて運営 されている。

しかし、多くの国々において、高等教育の運営において、地方政府の関与が急速に 強まっている。スペインではカタルニアやバスクをはじめとして、1997年までに地方 自治政府が確立した。スペインでは大学は地方政府の管轄で、教育に関する財政は地 方政府が管轄するが、研究資金に関しては国レベルの政府が担当している。いくつか の地方政府(例:カタルニア)は、地方レベルでの研究資金を大学に提供することで、

地域レベルでの影響力を強めている。

ドイツは、連邦制をとり、大学は州政府(Lander)の管轄にある。しかし連邦政府 からの科学支出の伸びはわずかで、大学は連邦政府からの資金以外に産業からの収入 増加を余技なくされている。1970年代以降、ドイツにおける大学の新設は、地域開発 政策と密接に結びついていた。近年、大学間の統合、大学の自治の強化、連邦レベル の競争的資金など、これまでとは異なる環境が大学間の競争を強めている。

フランスでは近年急速に分権化が進んだ。大学は国家の管轄にあるが、その自治は 非常に強まり、地方政府からの補助金が国家予算を補填する形で重要性を高めている。

クラスター政策等を通じ、地方間の競争が高まる一方、国家レベル、地方レベル、よ り下位の地域レベルでの協力関係が強化されつつあるのが、現在のフランスのイノベ ーション政策をめぐる新たな環境である。

以上、各国の高等教育をめぐるマルチ・レベル・ガバナンスの政策状況に単純化して

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