議 126
第3節 小括: 「名誉革命」期における予算審議と財政統制の漸次的拡大
「名誉革命」期における以上の考察を概括しておきたい。
(1 )まず,市民革命の政治的な基本的課題である主権についていえば, 1689 年
「権利章典」により「議会主権」が成立する,またそれにより宗教面では国王の
「一元的支配体制」もいわば「立憲体制」化したといえる。
(2 )その上で,王政の物的基礎をなす財政=国制面では,封建王政下の 3 身分 のうち今や「貴族」身分に関して, 1693 年「地租法」の成立に至って,封建王 政以来の「貴族」身分の譲与金の審議と譲与の会議としての「貴族院」の独自の 自己課税権能を最終的に剥奪され, 「庶民」の譲与金の審議と譲与の会議として の「庶民院」の権能の下へ包摂=一元化されるに至った。
(3 )歳出入,予算審議面について
① 会期開始「勅語」について,庶民院による議定費の排他的譲与原則の漸次
的実現を反映して, 1692 年,会期開始「勅語」で国王が「庶民院議員達」に向か って議定費要求することが慣例化した。
② 「歳出予算」について, 対フランス=ファルツ継承戦争遂行のため, 1693 年度に,今や 3 軍事「歳出予算」が同時に提出され,またそれに対する「 1 年間,
援助金譲与法」制定により,年度毎の予算審議が定着した。
③ 通常の支出に対する統制として, 「シビル・リスト」についていえば,王政
復古期の先例を受けて, 「名誉革命」=「権利章典」以後, 「民事統治」と防衛支 出を別々に見積ることになり, 1689 年 3 月に平時費用として£ 1,200,000 を議決 した後,4 月に民事統治として£ 600,000 を議決した。
そして対フランス=ファルツ継承戦争後の 1698 年,最初の「シビル・リスト
法」が制定され,同法は,国王ウィリアム 3 世のシビル・リストとして, 「王室
と王家のため,またその他必要な経費と要求のための」必要額として年間
£700,000 を支給し,それを賄う「収入」たる「シビル・リスト資金」として,
(1)国王の世襲的収入(具体的には,①世襲的消費税,②世襲的郵便局税,③世 襲的収入の小諸部門) ,(2) (1660 年法により国王の生涯間譲与される)一時的 消費税,(2)(本法により国王の生涯間譲与される)追加的トン税とポンド税の 形態の新臨時税を規定した。
こうして,議会は,今や「シビル・リスト」として(軍事支出と区別して)民 事統治の支出を新国王の即位時に,全治世の間,譲与した。
④ 通常ならざる支出としての軍事費に関して 「抗命処分法」 についていえば,
1689 年 4 月,軍事費議決に続いて最初の「抗命処分法」が制定された。以後,
毎年,軍事費議決に続いて,同様の法律が制定される慣行が成立してくる。
⑤「信用議定費」の開始として, 1689 年 11 月,追加的議定費が最初の(使途 を限定しない,一括額での) 「信用議定費」として譲与された。以後,大戦争の ために議決されてくる。
⑥ 割当=支出統制の進展として, 「借入及び割当条項」について, 1691 年, 4
年間に限定しての「追加的消費税譲与法」において,£1,000,000 もの借入条項 が規定されるのみならず, 同法と同時に同会期のその他の援助金又は議定費法に よって支払われる金銭すべてをも厳格に割当てる, 包括的な特定の割当条項が規 定された。
⑦ 庶民院の財政的手続きの進展として, 「全院委員会」での財政負担の予備的
審議に関する 1668 年「決議」が,1707 年, (国王に支払われるべき負債の「示 談」を求める)頻繁な請願を統制するために,今や「議事規則」化された。これ は「厳格に固執」された。
⑧ 軍事費の「特定割当」の開始として, 1712 年「割当法」により, (従来の
「1つの金額」に代わり)陸軍費に限定して「特定割当」が規定された。
⑨ 歳入面で国王大権課税について, 1689 年「権利章典」により,国王の大権
にもとづく課税賦課が破棄された。この時以来,国王の公的収入は(税外収入面 での王領地収入等をなお残しつつも)議会に依存してくる。
⑩ 収入部局の「会計」についていえば, 1700 年頃,収入部局間でのみならず
同一部局の会計間でも相違していた。このような会計面での不一致は,歳入面に
おける関税と消費税の比重増加とともに一定の解決を不可避にしてくるのであ
る。
(4 )国債,国庫,決算審議面について
① 税収を先取りしての短期借入制度の拡大として, 1690 年の「一時的消費税」
関係法,及び「トン税・ポンド税の臨時税」関係法により, (従来の査定税や人 頭税という直接税に加えて) 対フランス戦争遂行とアイルランド鎮定のため議定 費の「即金」での必要性により,1690 年度国王収入 (財源) としての「一時的消 費税」と「トン税・ポンド税の臨時税」という間接税に,税収を先取りしての短 期借入制度が拡大された
② 「国債」創設について, 1693 年,対フランス戦争遂行のための「追加的
消費税」法(=「トンチン年金」創設関係法)により,議会が起債を承認し,そ の利払を保証した最初の「国債」が創設された
③「イングランド銀行」創設について, 1694 年,対フランス戦争遂行のため いわゆる「トン税法」により, 「イングランド銀行」を創設し,£1,200,000 を 貸付けさせて 8%利子と管理費用を支払うことを規定した。こうして,永続年金 の形態での有基債が成立したのである。この方法は以後,1698 年法で「新東イ ンド会社」に,また 1711 年法で「南海会社」に適用された。
④ 無基債(短期債)として, 1696 年法(7 & 8 Will.Ⅲ,c.31)により, 「財務 府証券」の発行が開始した。
⑤ 国庫金の取扱について, 1689 年革命後,いわゆる「基金制度」を反映する
「受取と支出の公的会計」の記帳様式として,単にすべての別々の受取項目のみ ならず,すべての特定の税の収入が,法律によって,支出の特定項目の支払に,
特別に割当られ, また別個の会計項目の下に記帳されるという独自の様式が定着 した。この様式の下では,その後の基金の新たな増加ともに,記帳上のその複雑 さが行政費用を増加させてくるのである。
⑥ 基金の統合として,これらの基金の多くが,その後,それに対する負担を
支払うためには不足した結果として, このような基金の統合が実際に絶対的に必 要になった。こうして, 1697 年~1710 年に,公債の支払のための基金の統合が 開始した。続く戦争のための新たな基金の増加は,結局,それらの統一化を不可 避にしてくるのである。
(5 )国王との関係について
庶民院は 1706 年に,国王から勧奨されるものを除いて,国務に関連して金銭
額を求める請願を受理しないことを「決議」し,それを 1713 年に「議事規則」
とし,こうして国家の歳出・歳入に関する「発議権」を国王の大臣達を通して国 王に委ねるに至った。
このように, 「名誉革命」期に予算審議と財政統制を更に拡大した。
こうして,予算制度面では,この市民革命( 前後) 期に, 「国王の家計」から「国 家の財政」への基本的移行が実現し,予算制度の全体について「立憲体制」が基 本的に成立したといえる。
< イングランド「立憲王政」の成立>
以上のことを,従来のイングランド「封建王政」 , 「絶対王政」期における財政 的=国制的統治体制との関連で,イングランド「立憲王政」について,次のよう に指摘しておきたい。
すなわち,この市民革命 ( 前後)期に,
① まず,経済面で, 1660 年「軍事的土地保有態様廃止法」により,軍事的土
地保有=封建的土地所有が原則的に廃止された。
② それを基礎として主権面で, 1689 年「権利章典」により「議会主権」が成
立する,またこれにより宗教面では国王の「一元的支配体制」がいわば「立憲体 制」化した。
③ このような体制の形成とともに, 王政の物的基礎をなす財政=国制面では,
まず 1665 年に「聖職者」身分,次に 1693 年には「貴族」身分の自己課税権能を 剥奪し, 「庶民」身分の「庶民院」の譲与権能の下へ包摂して最終的に一元化し た。
③ こうして,イングランド「立憲王政」は,その物的基礎をなす財政機構の
面から,18 世紀初頭に「庶民院」が 1671 年と 1678 年の決議により「貴族院」
を排除して,単独で譲与する形態で,また 1706 年の決議とそれの1713 年議事規
則化により「発議権」を国王に限定する形態において, 「成立」した,といえる
のである。
ドキュメント内
予算制度成立史研究
(ページ 180-185)