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予算の審議過程

ドキュメント内 予算制度成立史研究 (ページ 47-55)

第1章 「王政復古」期における予算審議と財政統制の漸次的拡大

第1節 予算の審議過程

まず, Web 上で利用しうる史料

50

)を利用して, 「王政復古」期,とりわけ,そ の中でも「第 2 次オランダ戦争」 Second Dutch War期(1665 年~1667 年 )に限定

して, ( 1)イングランド議会における予算の審議過程,及び( 2)そのような審

議過程を経て制定されたいわゆる「援助金及び議定費」法 Act of‘aids and

supplies’において初めて導入されてくる

51

)「借入及び割当条項」の内容を具

体的に明らかにすることにしたい

52

49

) 正式には, 「後見裁判所,直属土地保有

騎士奉仕土地保有,及び徴発権を廃止す るため,またそれの代りに陛下に収入を設定するための法律」An Act for taking away the

Court of Wards and Liveries, and Tenures in Capite, and by Knights-Service, and Purveyance, and for settling a Revenue upon his Majesty in lieu thereof(12 Chas.II,c.24)

) 。

50

) すなわち,

British History Online

(http://www.british-history.ac.uk/subject.aspx?subject=6)における『庶民院議事 録』Journal of the House of Commons, 『貴族院議事録』

Journal of the House of Lords,

及び『英国制定法』

Statutes of the Realm

である。

本書ではこれらの史料に関する限り,紙幅の制約上また関係箇所の個別的列挙による煩 雑さを避けるために,個別的な典拠箇所を明示せずに利用していることを予めお断りして おきたい。

51

) Cf. G.Reid,

op.cit.

,p.56;G.F.M.Campion,

op.cit.

,p.27.

52

) 予め, 「借入条項」との関連で,金銭の借入利子について,その歴史的推移を確認 しておきたい。

(1) 早い時期に,金銭のための全ての利子,或いは当時呼ばれたように高利は違法であ

ると普通に述べられているが,それは教会法

ecclesiastical law

によって禁止されたよう である。高利を禁止する明示的制定法は,1486年の法律(3 Hen.Ⅶ,c.6)であった。

(2)このような禁止に対して,利子の受領を承認する最初の制定法は,1545

年の「高利

王政復古期の議会として,周知の『コベットのイングランド議会史』

53

この第2議会の第1会期 (1661 年5月 8日~1662 年5月 30 日) , 第2 会期 ( 1663 年 2 月 8 日~同年7月27 日) ,第 3 会期( 1664 年 3 月 16 日~同年 5 月 17 日)

の後に, 「第 2 次オランダ戦争」 ――公式的な国王の対オランダ戦争宣言 King’s Declaration of War against the States of Hollandの期日は 1664 年 2 月 22 日であるが, (後述するように) その前にいわば開戦準備期がある。他方,その終 結は 1667 年 7 月 31 日の「ブレダ条約」 Treaty of Bredaによってである――に 関連する議会会期として, ( 1)第 2 議会第4 会期(1664 年 11 月 24 日~1665 年 ) によ れば, (国王の召集状なしに召集された) 「仮議会」 Convention Parliament ( 1660 年 4 月 25 日~同年12 月 24 日解散)に続いて,翌 1661 年春に召集され 1679 年 に解散されるまで続く新議会,通常,恩給議会 Pensionary Parliament,又は騎 士議会 Cavalier Parliamentと呼ばれる「チャールズ2 世 Charles IIの長期議 会」が開催された。

禁止法案」A Bill against Usury (37 Hen. Ⅷ,c.9)であり,それは罰則付きで利率を年間

10%に制限した。

(3)この1545年法は1552年法(5 & 6 Edw.Ⅵ,c.20

)によって撤廃されたが,この1552 年法は,続く

1571

年の「高利禁止法」

An Act against Usury(13 Eliz.,c.8

)によって 撤廃され,最大利子10%を認めた1545 年法が1571 年

6月25

日から復活した。

(4) 続いて,1623

年の「高利禁止法」

An Act against Usury(21 James 1,c.17)によっ

て法定利子率が

1625

6

24

日から7年間,

8%

に引き下げられた。本法は,

1627

年に

「種々制定法の継続と撤廃のための法律」An Act for Continuance and Repeal of divers

Statutes (3 Charles I,c.4)の第5

条によって永続的にされた。

(5) 1651年,共和国の時期に,利率は6

%に引き下げられた。そしてこの利率が,王政

復古で

1660年に「高利制限法」An Act for the restraining the taking of excessive Usury

(12 Charles II,c.13)によって確認され,利子率は1660年

9

29

日から6 %に引き下 げられた。

(なお,続けていえば,(6) その後

1714

7月9

日に成立した法律,正式には「議会担保 の侵害なしに利子率を引下げる法律」

An Act to reduce the Rate of Interest, without any Prejudice to Parliamentary Securities (12 Anne,Stat.2,c.16)によって,5 %に引き

下げられるのである。 )Cf.

H.W.Chisholm’s Notices

,pp.85-86.

留意すべきことは,

17

世紀の諸法下の最大利子が「金銭の借入のための・・・どんな契約 においても」超過されないことになったのであるが,これらの制定法は国王を拘束しなか ったこと,彼はその債権者が要求するどんなものであれ利子を提供することが自由だった ことである。Cf.P.G.M.Dickson ,

The Financial Revolution in England:A Study in the Development of Public Credit, London,1967

,p.39.

53

Cobbett's Parliamentary History of England, from the Norman Conquest, in 1066, to the Year 1803, Vol.IV.

表 3 「 第 2 次 オ ラ ン ダ 戦 争 」 期 ( 1 6 6 5 年 ~ 1 6 6 7 年 ) に お け る 予 算 審 議 の 期 日 と 成 立 し た 法 律 の 一 覧 表 表 3 - 1   1 6 6 5 年 度 予 算 審 議 (1)第2議会第4会期(1664年11月24日~1665年3月2日):開戦準備期   年月  日  成立した法律等 1664年11月 24 勅語King’s Speech 1665年2月

9

1665年援助金法,正式には「3年の期間内に[1664年12月25日から36カ月間 査 定 税 によって]調達され賦課され支払われる,  2,477,500ポンドの国王援助金を国王陛下に譲与するための法律」(c.1) 22 「国王のオランダ諸州に対する戦争宣言」 22 「議会で聖職者に課税するための法律についての説明」    3月 2 会期閉会 表 3 - 2   1 6 6 6 年 度 予 算 審 議 (2)第2議会第5会期(1665年10月10日~1665年10月31日):開戦期   年月  日  成立した法律等 1665年10月 10 会期開始の勅語 31 1665年議定費法,正式には「現在の追加的議定費のため,[2年の期間内に][1665年12月25日クリスマスに開始する 月毎 査 定 税 への比例的追加によって調達される]1,250,000ポンドの金額を陛下に譲与するための法律」(c.1) (「借入及び割当」条項を含む) 31 1665年査定税,正式には「陛下に[1667年12月26日開始し1668年1月26日終わる]1カ月 査 定 税 を譲与するための法律」(c.9) 31 閉会 表 3 - 3   1 6 6 7 年 度 予 算 審 議 (3)第2議会第6会期(1666年9月21日~1667年2月8日):終戦期   年月  日  成立した法律等 1666年9月 1‐4 「ロンドン大火」Great Fire of London 21 会期開始の勅語 1667年1月 28 1667年人頭税法,正式には「現戦争継続のため, 人 頭 税 そ の 他 によって金銭を調達するための法律」(c.1) (借入及び割当規定を含む)    2月 8 1667年査定税法,正式には「現戦争持続のため,[1667年1月26日に始まる11か月期間内に 査 定 税 によって] £1,256,347.13s.の金額を国王陛下に譲与する法律」 (借入及び割当規定を含む→追加的な特定の割当条項:割当規定の特定化=限定化) 8 閉会    7月 31 「ブレダ条約」Treaty of Breda [各年度の関係する,

Journal of the House of Commons,Journal of the House of Lor

ds,及び

Statutes of the Realm

等から作成。]

3 月 2 日) , (2 )第 2議会第 5 会期 ( 1665 年 10 月 10 日~1665 年 10 月 31 日) , (3 ) 第 2 議会第 6 会期( 1666 年 9 月 21 日~1667 年 2 月 8 日)が開催された

54

したがって,以下,この 3 つの会期について,国王の「通常の」支出

) 。

55

) とは 異なる,戦争等のいわゆる「通常ならざる」支出のための経費を,国王がどのよ うに要求し,それに対して議会,とりわけ庶民院がどのように対応してくるのか という観点から,順次,予算の審議過程及び制定された援助金又は議定費法にお ける「借入及び割当条項」を検討していくことにしたい。 (なお,必要により,

表 3「第 2 次オランダ戦争」期 (1665 年~1667 年) における予算審議の期日と成 立した法律の一覧表」参照。 )

(1)1664 年 11 月~1665 年 3 月会期:開戦準備期

まず, 「第 2次オランダ戦争」の開戦準備期といえる第 2 議会第 4 会期( 1664

年 11 月 24 日~1665 年 3月 2 日)の場合について検討していきたい。

< 勅語と議定費譲与の議決 >

1664 年 11 月 24 日,貴族院での会期開始のため「勅語」 King’s Speech にお いて国王は,防衛準備としてロンドン市からの( 借入)援助等により£800,000 に も値する 1 艦隊 a Fleet を用意したこと, そして今や全ての可能な遠征艦隊 all

possible Expedition を用いるために「議定費が実際的でかなりのものになる」

ことを求めた。これに対して貴族院は「オランダに対する準備のため国王への感 謝」と「国王への援助金のためロンドン市への感謝」を決議した。

翌 25 日,庶民院は,本会議において,その決議に同意する旨を決議した。続 いて(予め,ここで指摘しておくならば,後に議事規則化されるように,事前に

54

) 予算審議面で,以上の3 つの会期の開始期日が,いずれも各年のミカエルマス(

9

29

日)の前後になっていることが注目されるが,これは, 「ミカエルマスに終わる1年」

について「毎年の会計」(=決算書)が作成され,それを受けて(「3月

25

日に終わる

1

年」という)次年度の予算審議のために会期が開始される,という方向を示しているとい えよう。

55

) この「通常の」支出のために, 「王政復古」直後の

1660

9

4

日 に仮議会は,

チャールズ

2世に,

全治世の間, 「年間£1,200,000」 の収入を 「議決」 していた。

Cf.Cobbett's Parliamentary History of England, Vol.IV,p.118.

「全院委員会」での「決議」に基づくことなく,直ちに「本会議」において) 「議 定費」Supply について,パストン Sir Robert Pastonが「現議定費は敵を国王に 対して恐れさせるほどのものたるべきである」 との観点から, 陛下に£2,500,000 を与えることを提案し

56

) ,討論後, 「陛下のため£ 2,500,000 の議定費が3 年間 で調達され, オランダ戦争の援助に適用されること」 を172対102票で決議した。

このように,本会議において£2,500,000 の議定費が「オランダ戦争の援助に適 用される」 (つまり,割り当てる )ことが「決議」された事実に留意しておきたい。

< 議定費調達 (財源) の議決 >

翌 26 日, 「財源」Ways and Means について,まず本会議において「本院が,

陛下のため£2,500,000 の議定費を調達する方法 Method and Manner を審議する ため,全院委員会 a Committee of the whole House に移行すること」を決議し て,議長退席後,ブランプストン Sir John Brampston が委員長席に就いて審議 を行い,それを受けて 28 日,本会議において, 「全院委員会が,£2,500,000 の 議定費を調達することを一定の臨時税の方法で in a regulated Subsidiary way 審議し;不動産又は動産をもついかなる人も免除されないように,全てのカウン ティでそれを確実なものにすること」を決議した。

これを受けて,調達方法を具体化するためまず, 12 月 1 日,全院委員会に移 行して審議をした後,その委員長アトキンズ Sir Robert Atkyns からの報告に 基づいて,本会議において「 (法務長官 Mr. Solicitor General,他 42 人,又は そのうちの5 人からなる) ある委員会に, £400,000 の臨時税の査定額 Rates

57

),

それぞれの船舶税 Ship-Rates,£1,260,000 の査定額

58

56

Ibld.

,p.306.

) , 4 つの最近の臨時税

57

) 具体的には,王政復古後の

1660

8

29

日に制定された「陸と海双方によるこ の王国の軍隊を解散し支払うための金銭を迅速に支給するための法律」An Act for the

speedy provision of money for disbanding and paying off the forces of this Kingdome both by Land and Sea(12 Charles Ⅱ,c.9)において,地位によって累進化された「人頭

税」Poll Tax で調達することを意図した「£400,000」である。

しかし,王国で施しを受けない16 歳以上のあらゆる人が6ペンスを賦課され,また高い 税率が有産者と高位者に賦課されたとしても,徴収が非常に怠慢だったので,この人頭税 は結局,1660 年

11

月までに£252,167 にしか結果しなかったようである。Cf.

H.W.Chisholm’s Return

,p.417.

58

) 具体的には,

1661

12

20

日に制定された「18 ヶ月間,月毎に£70,000 の査定

税によって査定されて賦課される,£1,260,000 を陛下に譲与するための法律」

An Act for granting unto the Kings Majestie twelve hundred and threescore thousand pounds to

の査定額

59

更に調達方法を具体化するため, 12 日,委員長アトキンズによる全院委員会 からの報告に基づいて,本会議において, 「 (アトキンズ他 30 人,又はそのうち の 7 人からなる)ある委員会が,陛下のための£ 2,500,000 を調達するために,

それぞれのカウンティに対する割当を設定するため,£400,000 の臨時税, 1639 年における船舶税及び£ 70,000 の〔月割査定〕税 Tax per mensem から,中位 a

medium を抽出するために,設置されること」を決議した。

),及び適切と考えるその他の査定額を審議し,そしてそれぞれのカ ウンティに対するそれらの割当 Proportionsとともに, それらを本院に報告する ことが付託されること」を決議した。 6 日,この委員会からの報告を受けて,本 会議は更に,これらの査定額の「概要と見積り」 an Abstract and Estimateを作 成することをも先の委員会に付託した。8 日,この委員会からの報告を受けて,

本会議は, 「本院は全院委員会に移行すること;この全院委員会は本院に報告さ れたそれぞれの査定額の概要の審議に,それらが述べられた順序で着手するこ

と;£ 2,500,000 の金額とそれの調達のために限定された期間に関する本院の諸

議決に基づいて。 」と決議し,全院委員会に移行して審議を続行した。

以上のような審議と決議を経て, 12 月 15 日,本会議において「法務長官に直 ちに,£2,500,000 を調達するための法案を作成し上程することが付託されるこ と」を決議したのである。

< 法案審議と成立>

12 月 17 日, 「議定費法案」 Supply Bill として,本会議において「陛下のため に£2,477,500 の議定費を調達するための法案」が第1読会を読まれた。 19 日に はその第 2 読会を読まれたのち, 「本法案が全院委員会に付託されること」を決 議した。

翌 1665 年 1 月 12 日,委員長アトキンズの全院委員会からの報告に基づいて,

本会議において,法案の最初の制定する条項の「修正」として, 「オランダに対

bee assessed and levied by an assessment of threescore and ten thousand pounds by the moneth for eighteene moneths(13 Charles Ⅱ,c.3)によって,18ヶ月間,月毎に

£70,000の査定税Assessmentで調達することを意図した「£1,260,000」である。この場 合,調達されるべき総額を,共和政下に採用された仕組みに従って,カウンティ間に割り 当ていたことに留意しておきたい。Cf. A.Browning,ed.,English Historical Documents 1660-1714,1966,p.318.

59) 後述する1663年7月27日に制定された法律によるものである。

ドキュメント内 予算制度成立史研究 (ページ 47-55)