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寛容性に着目して読み解く「調整」

第一節 ソーシャルワークの寛容さと「調整」

1)「調整」に必要な寛容性

それでは、実際に子ども虐待対応の「調整」がどのように特別な実践であるのかについ て、検証をしていきたい。ここでは、「調整」の特別さを、寛容性に見出だ すことを試み る。Gardner(1980)は、よい連携のパターンの一つとして、互いに寛容であることを経 験則から導いたという(野中 2014:154)。Johnsonら(=2004:487)は、違いを理解 することがそれぞれの専門職者のもつ個別の能力を認めることにつながり、この確認によ って、尊敬と寛容へと導くことができると指摘する。このように、寛容は多機関・多職種 連携やその「調整」にとって馴染みのある言葉といえる。寛容(tolerance/toleration)

とは、辞書には「心が広く、他人をきびしくとがめだてしないこと。よく人を受け入れる・

こと(さま)」(大辞林第 3 版)とあり、「異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした 意見の人を差別待遇しないこと」(広辞苑第 6 版)と説明されている。このように、他者 性を受け入れる様子を表す言葉として用いられている。多文化共生思想は経済的弱者から の経済的強者中心の公正さに対する不満に対応する形で徐々に整備され、寛容もこれと軌 を一にして「行き過ぎた正義」の是正を名目に再登場を果たしたといわれ(藤井ら 2013)、

近年では、多様性尊重とともに政治哲学や社会学、心理学、教育学、など様々な分野での 使用頻度が増えている。例えば、UNESCO(1995)は『寛容の行動原則(Declaration of

Principles on Tolerance)』を示し、その中で寛容は差異の調和であり、「私たちの世界の

文化 、表現の型、 人間の生き 方の豊かな多 様性に感謝し 、受け容れ 、尊ぶこと( 原文;

Tolerance is respect, acceptance and appreciation of the rich diversity of our world's cultures, our forms of expression and ways of being human)」と定義した。

UNESCO(1995)の定義に倣い、 本研究では 操作的に寛容性(寛容さ)を「多様性を 尊重する傾向、あるいは資質」と定義しておく。Richmond(=1991:89-96)の語りにも あるように多様性を扱うという側面をソーシャルワークは有しており、IFSW(2014)の グローバル定義にも多様性尊重は行動原理とされている。つまり、本研究が定義する寛容 性 は 、 ソ ー シ ャ ルワ ー ク の 一部 を な す性 質 で あ る と い える 。 政 治 哲学 者 の Walzer( = 2003:139)は、見知らぬ者たち(strangers)からなる世界を承認し、そうした見知らぬ 者を私たち自身の内に認めることが寛容の実現には必要だと述べている。しかし、「もし皆 が見知らぬものであったなら、誰も見知らぬ者でなくなる。というのも、私たちが何らか の強い形での<同>を経験するのでなければ、他者性を認識することすら出来ないからで ある。」(Walzer=2003:139)とも指摘した。このWalzer(=2003)の言葉は、多様性の 性質である、個別性と共通性のバランスのとれた状態に近いニュアンスを含んでいる こと がわかるだろう。

もともと寛容は日本由来の概念ではなく、英語 toleranceの訳語として井上ら(1884)

が「寛容、容任、任由」と紹介したことから広く用いられるようになった( 村上 2006)。

英語 tolerance/toleration の語源は「忍耐」「堅忍」といった意味であり、これが転じて

「相手を受け入れる」という意味を含むようになった。現代では道徳的価値というより多 文化社会における差異の共生を可能にするための方法論であり、実践とみなされてきた(向

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山 2013)。政治学や哲学、心理学、教育学など、様々な学際領域においてこの概念の使用

頻度は増えており、その背景には、全体主義の台頭を許したことへの悔恨があるといって よい。「私が私であること」を強調する思想は、最終的には他者への抑圧に帰結する(小阪 2004:270)。それが恐怖政治による支配であり、権力者の一意による意思決定であり、ア ウシュビッツの惨劇であった。UNESCO(1995)は、寛容は人権や多元主義(文化多元 主義を含む)、民主主義や法治主義を支える責任であり、教条主義や専制主義の拒否を含み、

国際的な人権ツールにおいて設定された基準を支持すると示した。「私とは違うということ」

との向き合い方が問われる現代において、寛容は一つの問題群となっている。

「正しさ」について異なる考え方や感覚を持つ人々が、それにもかかわらず共存してゆ くためにはどうしたらよいかという問題は、社会の存在とともに古い普遍的な課題であっ

た(岸本 2015)。そうした問題群を扱う概念として寛容が登場する契機となったのは 近代

ヨーロッパの啓蒙思想において形成された宗教的寛容論である(寄川 2009:27)。宗教的 寛容 論は、人間的 自由の漸次 的な発展をも たらした歴史 過程の一部 とみることが できる

(Kamen=1970:23)。その後、寛容は、18世紀後半のアメリカ独立戦争およびフランス

革命時の<人および市民の権利宣言>(1789)において、国家権力による強制からの良心・

信仰の自由に基づく基本的人権の一つとして規定された(森 1995:81)。そして、エス ニシティ、ジェンダー、慣習、法、教育など日常生活全般にわたって文化的多元主義が問 題となった現代では、国家のみならず、地域、学校、家庭、などにおける社会的寛容が問 い直されている(廣松ら 1998:297)。本研究では、子ども虐待対応の「調整」というレ ベルにおいて、寛容になるとはいかなることであるのかを問い直す。

その他にも様々な論者が寛容を定義している(表 26)。Habermas(=2014:283)は、

英語の tolerance は「振る舞いの性質または徳」であり、toleration は「法的な措置」と して独語の toleranzよりも厳密に区別されていると述べ、その上で両者が連続した関係に あることを指摘した。日本語の寛容は独語と同様に明確な区別はないのだが、本研究では 多様性尊重を実践上の課題として捉えているため、徳や価値の問題としてではなく、実践 として寛容を捉えたい。「正しくないがとりあえず存在を許す」といった消極的な寛容から、

互いの奉ずる価値を尊重するという積極的な寛容まで、あるいは権利観念に基づくリベラ ルな寛容論から「正しさ」の希釈化に基づく非リベラルな寛容論まで、その概念には幅が あるといわれる(岸本 2015)。岸本(2015)は、こうした無原則的な語であればこそ、特 定の型への固着を免れることもできるともいえると述べた。

英語 toleranceおよび toleration は耐える、辛抱する、我慢する、という意味を含むラ テン語(tolerare)を語源としている(Brown=2010:35)。語源的にみれば、寛容という 語は、忍び難いものをしのぶことを内包している(Brown=2010:36)。もともとの宗教 的寛容論においても、多様な宗派の共存を図る必要に迫られていた状況への打開策であり、

譲歩し難い心情の対立に対する処し方として、いうなれば問題の解決よりも問題の回避を 狙って展開されてきた(向山 2013)。英語 toleranceおよび toleration が前提とする「悪

(不快なもの、嫌悪すべきもの)」とは、まさに、他者性や差異が有する「思い通りになら ない感覚」そのものである。神谷(2010)は、多様性尊重は基本的にプラスのものとされ ているとし、多数者の専制に陥らないようにするためには、少数者の意見の尊重が必要で あり、多様性はリベラリズムの根幹となる要素である と指摘する。その一方で、異質なも のと接すること、多様なものと共存することは、「異文化体験」、「多文化共存」などといっ

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た 言 葉 で 気 軽 に 薦 め ら れ る よ う な 口 当 た り の 良 い も の だ ろ う か と 疑 問 も 呈 し た ( 神 谷

2010)。神谷(2010)は、まったく違った習慣や価値観の持ち主と接触することは、単な

る楽しい経験とは言えず、むしろ基本的には不快なことなのではないかと述べた。そうで あるがゆえに、多様性尊重、寛容は相応に難し い実践となる。

表 26 寛容の定義例

定義者 寛容の定義

Mendus & Ed-ward (1987)

寛 容 とは 、自 分が 重要 とす るも のか らか け離れ て いる にも かか わら ず、 そして 道 徳 的に 賛同 しか ねる にも かか わら ず、 他者の 意 見や 行動 に敬 意を 以っ て、自 身の 力の行使を慎 む徳である 。

UNESCO(1995) 寛 容 とは 、私 たち の世 界の 文化 、表 現の 型、人 間 の生 き方 の豊 かな 多様 性に感 謝し 、受け容れ、 尊敬するこ とである。

Walzer(=2003)

寛容 は『生』そのものを 支える。なぜな ら迫害(persecution)はおうお うにし て死 を招くのだか ら。さらに寛容 は共同の生(common lives)、つ まり私たちが 生 き てい る様 々に 異な る共 同体 を支 える 。寛容 は 差異 を可 能に し、 差異 は寛容 を必 要不可欠なも のにする。

Borchert et al.

(2006)

「 寛 容」 は、 好ま しく ない 、あ るい は賛 成しか ね る何 かが 存在 する 中で 忍耐強 く自 制する方策で ある。

村上 (2006)

「 機 能的 寛容 」① 自己 が一 つの 選択 肢と しての 、 ある 伝統 に依 拠し てい うこと を 自 覚す るこ とが でき 、そ れに 基づ いて 、②伝 統 に関 して ほか の選 択肢 の可能 性 を 認め 、か つそ れに 依拠 する 他者 の存 在を認 め 、ま た、 その 可能 性を 自ら検 討で きる、という 二つの能力 を有する

Julia( =2008) わ れ われ のも のと は異 なる 考え 方や 行動 の様式 、 およ び感 情を 受け 入れ ようと する 傾向

Brown(=2010

寛 容 とは 一般 に、 法に よっ て是 認さ れる かもし れ ない が、 それ によ って 正確に 成 文 化さ れる こと も、 規制 され るこ とも ない、 市 民的 もし くは 社会 的な 美徳で ある 。

間(2012) 政治 的寛容は、賛 同しがたい 考えや集団 に対して 我慢すること 。

2)寛容の抑圧的側面とその克服に向けて

多様性の取り扱いにおいて、他者性が有する「思い通りにならない感覚」が、抑圧を生 むことがある。これは寛容の議論においても、これまで指摘されてきた。寛容は、あまり にも自明に「よいもの」として、諸手を挙げて賞賛されているがゆえに(山本 2008)、他 者性の抑圧や排除を正当化する手段として用いられることさえあった。「調整」を検証す る上でも、多様性尊重という原理を掲げたとしても、それ自体が抑圧を正当化する可能性 があるということにも触れておかなければならない。 寛容批判の急先鋒として知られる政 治哲学者の Brown(=2010:5)は、広範囲の立場にまたがり、様々な目的のために無批 判に普及されているとし、自由主義世界における支配を正当化するための言説として機能