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:先住民教育とキリスト教

第 2 章 :パイン・リッジ保留地のカトリック・ミッション

第2節 :先住民教育とキリスト教

2-1:平和政策と各宗派

連邦政府は先住民の文明化、すなわち白人化を進める中で、先住民をキリスト教化するこ とも欠かせない要素だと考えていた。新大陸へやって来た白人植民者はキリスト教を信仰 しており、キリスト教徒であることは文明人の証であり、異教を信じる者は野蛮人だと見な していた。キリスト教各宗派の宣教師たちは、布教を兼ねて先住民に教育を行ってきたが、

それは教育を通じて彼らをキリスト信者にすることが文明化、すなわち白人化を進めるた めの一歩だと考えていたからだった。先住民を文明化し、白人らしい生き方を学ばせるため には、彼らにキリスト教を教えることも必要であり、文明化、白人化、キリスト教化は同義 語のように捉えられていた。先住民のキリスト教化が本格化したのは、連邦政府の政策によ るところが大きかった。

1868年に大統領に就任したユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)にとって、この土地 本来の居住者である先住民への扱いは、重要な懸案事項であった。グラント大統領は先住民 の文明化と市民権付与に尽力すると宣言し、キリスト教各宗派に各保留地の管理を割り当 て、助成金を与えて教育を委託することで、先住民問題を平和裏に解決しようと、「平和政 策」(Peace Policy)を実施した。グラント大統領の内務長官であったコロンバス・デラノ

(Columbus Delano)は、この政策の目的は、先住民を保留地に住まわせ、キリスト教組織 の援助の元で文明化を進め、市民化していくことだと発言している30。しかし「平和政策」

の名の下で、先住民を保留地に留め置くことによって植民者と引き離し、植民者との接触か ら生まれる争いを回避しようとした狙いや、キリスト教各宗派に委託することで、連邦政府 の負担を減らす意図があったことは明らかである。

植民者たちの多くが先住民たちと反目し合ってきた中で、闘争や暴力を否定し、平和主義 を主張してきたクエーカー教徒たちは、ペンシルバニアに移住した当初から、先住民と争う ことなく友好的に暮らしてきた。リチャード・ヘンリー・プラットが、ペンシルバニアにカ ーライル実業学校を開校した理由の一つとして、先住民に対して友好的だったクエーカー 教徒たちが近隣に住んでいたことを挙げている。グラント大統領はクエーカー教徒による 先住民への対応を踏襲して、キリスト教精神に基づいた平和的な対応による先住民政策を 提唱した31。先住民と植民者との戦いを終わらせる為にも、軍隊によって暴力的に先住民を 排除するのではなく、キリスト教的価値や知識を教えることによって、先住民社会を内側か ら変化させていくことを期待して行われた政策だった。

この平和政策によってキリスト教各宗派は、先住民の管理と教育を委託されることとなっ た。合衆国政府から保留地を割り当てられた各宗派は、監督官を選び、合衆国政府と宗派と の契約によって、布教と教育の権利を与えられることとなった。しかし各地域における布教

30 Prucha, op.cit., The Great Father, pp.481-482.

31 Ibid., p.515.

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宗派 監督地数 先住民数

カトリック(Catholic) 7 17,856

メゾジスト(Methodist) 14 54,473 クエーカー:正統派(Friends, Orthodox) 10 17,724 クエーカー:ヒックス派(Friends, Hicksite) 6 6,598 長老派(Presbyterian) 9 38,069 監督派(Episcopal) 8 26,929 バプテスト(Baptit) 5 41,800 改革派(Reform Dutch) 5 8,300 会衆派(Congregational) 3 14,476 独立カトリック(Christian)32 2 8,287 ユニテリアン(Unitarian) 2 3,800 アメリカン・ボード(American Board) 1 1,496 ルター派(Lutheran) 1 273

13宗派 73地域 239,89人

[図表7] 各キリスト教宗派への先住民管理の割り当て。

Francis Paul Prucha, The Great Father, pp.517-519より作成。

の状況や、その地における各宗派の活動に関する情報が乏しかったこともあって、連邦政府 による宗派への割り当てに関しては、各宗派だけでなく先住民側からも不満の声があがっ ていた。この平和政策によって、カトリック教会を含む13宗派に73地域が割り当てられ、

対象となる先住民数は239,899人となった[図表7] 33。最大の割り当てを確保したのはメゾ ジスト派で、14地域に54,437人を対象とすることになった。平和政策の一端を担ったクエ ーカー教は、既にヒックス派と正統派に分裂しており、両派合わせて中西部を中心に16地 域、24,322 人を割り与えられた。割り当て地域の数では勝るものの、割り当てられた先住 民の数は、バプテストの41,800 人、長老派の38,069 人に及んでいない。アメリカのプロ テスタント主流派と言われているメゾジスト、バプテスト、長老派は、当時から影響力を持 っていた宗派だった。一方、カトリック教会は過去における布教活動の実績から、38 地域 の割り当てを期待していたが、実際に割り当てられたのは7地域のみ、17,856人に過ぎな かった34。プロテスタントには様々な宗派もあったことから、必然的にプロテスタントへの 割り当て数が多くなるのは当然であるが、それまでカトリック教会が宗教活動を行ってき

32 カトリック教会を自称しているものの、ローマ教皇からの承認を受けていない宗派。

33 Prucha, op.cit., The Great Father, pp.516-519, p.523.

34 Ibid., p.523.

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た地域も、プロテスタント宗派に委託されることとなった。布教の基盤と、先住民との関係 を築いてきた場を奪われる形となったカトリック教会は、このような割り当てに対して、当 事者である先住民に宗派を選択させるべきだと主張した35。ラコタ族側も、カトリック神父 たちと親しい関係を築いてきたことから、カトリック教会に委託されるものだと思ってい た。しかしグランド・リバーとデビルス・レイク以外のテリトリーは、プロテスタントの宗 派に割り当てられたことから、カトリック教会と同様に、不満の意を示した。カトリック教 会が主張したように、この政策には先住民側に宗派選択の自由は認められておらず、グラン ト大統領が語った誠意と正義とは一方的な押し付けであり、先住民の主体性はまったく無 視されたものであった。

2-2:ワシントン訪問と教育への関心

ラコタ族に布教を行い、親交の基盤を築いてきたカトリック教会であったが、パイン・リ ッジ保留地とローズ・バッド保留地に割り当てられたのはプロテスタントの監督派だった。

しかし割り当てに従って監督派が開校した学校では、英語の読み書きができるようになっ た児童が見当たらないといった状況に、チーフたちは不満を募らせていた36。第1章で述べ たように、「子弟を寄宿学校で学ばせれば、英語の読み書きが出来るようになる」とのリチ ャード・ヘンリー・プラットの勧誘を受けて、スポッテッド・テイルやレッド・クラウドは、

子弟をカーライル校に入学させた[写真17,18 ]。

プラットの言葉に従って、英語力の獲得を期待して、子弟のカーライル校への入学を決め たスポッテッド・テイルやレッド・クラウドだったが、英語の習得状況以前に、親として問 題視したのは、軍隊式の厳しい躾だった。軍隊の制服を着せられた先住民児童が軍事訓練を 受けている場面に出くわしたスポッテッド・テイルは、「白人の軍人にするために入学させ たのではない」と憤慨した。そしてカーライル校で行われている厳しい躾が、子供たちの魂 をも傷つけてしまうことを心配したスポッテッド・テイルは、そのまま子弟を保留地に連れ 帰った。カーライル校での躾に批判的な態度を示したスポッテッド・テイルやレッド・クラ ウドは、「当校の躾に批判的で偏見がある」とプラットから強くなじられることとなった37。 プラットの言葉を信用して、自らの子弟をカーライル校に入学させたスポッテッド・テイル やレッド・クラウドは、カーライル校での教育にすっかり失望してしまった。この失望感に よって、かねてから親交のあったカトリックによる教育を望む気持ちが、より強くなってい くこととなった。

1870 年にスポッテッド・テイルとレッド・クラウドは、他のチーフたちとワシントン DC に招待され、ホワイト・ハウスで行われる式典参加や、グラント大統領との面会を果たす機

35 Ibid., p.516

36 Foley, op.cit., p.13.

37 Pratt, Utey(ed.), op.cit., pp.236-239.

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[写真19] スポッテッド・テイル。 [写真20] レッド・クラウド。

出典)http://www.legendsofamerica. 出典)<https://indiancountrymedia com/ na-spottedtail.html.> network.com/history/events/ redcloud- (2016年10月8日) a-life-in-images/> (2016年10月8日)

会を得た38。レッド・クラウドはニューヨークのクーパー研究所で演説を行い、その真摯な 態度や身振り手振りを交えた熱意ある話しぶり、そして詩のような響きをもった語り口は、

通訳を通さずとも白人の聴衆を魅了した39。レッド・クラウドが、「あなたたちの子供と同 じように、自分たちの子供も健やかに育てたい」と語りかけた言葉は、多くの子供を想う白 人たちの心を打った40。レッド・クラウドの演説は、彼の人間的な魅力もあって、白人社会 に先住民への対応に対する関心や支援を促す契機となった。

また首都への訪問中に、レッド・クラウドは他のチーフたちと汽車に乗り、数えられない ほど大勢の白人や建物、中には今まで見たこともない数階からなる高い建物を目にし、兵器 庫では新旧ありとあらゆる銃を見せられた。このような白人の多さ、高い建物さえ建てられ る技術や、多種にわたる殺傷力の高い武器を目の当たりにしたレッド・クラウドは、先住民 側に不利となる白人との戦争は避け、友好的な関係を築いていくことが得策だと考えるよ うになっていった41。その後も何度かワシントンDCを訪れる機会を得たレッド・クラウド

38 Hyde, op.cit., pp.173-174.

39 Robert Hays, The Indian Problem-The New York Times on Native Americans, 1860-1900, Carbondale, IL, Southern Illinois University,1997. pp.94-95.

40 Ibid., pp.101-103.

41 Hyde, op.cit., pp.174-176.