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:レッド・クラウド・インディアン・スクール の変化と現状

第 3 章 :レッド・クラウド・インディアン・スクールへ

第2節 :レッド・クラウド・インディアン・スクール の変化と現状

2-1:学校でのラコタの言語と文化教育

前節で述べてきたように、当時の全国的な先住民の連帯やマイノリティー・ムーブメント の隆盛を背景に、アメリカ社会の意識や、先住民を巡る環境に大きな変化が生まれた。こう した時代を背景として、レッド・クラウドによる建学への貢献に対する敬意を示し、文化共 生の精神を尊重する意味を込めて、ホーリー・ロザリー校は、1969年にレッド・クラウド・

インディアン・スクール(以後レッド・クラウド校と表記)と改名された46。事情を知らな い者にも、レッド・クラウドが当ミッション・スクールと関係していることが暗示され、レ ッド・クラウドが開校に尽力した事実が、学校名として明示されることとなった。ホーリー・

ロザリー校での教育の成果はそのままに、諸活動はレッド・クラウド校へ引き継がれること となった。

寄宿学校として開校したホーリー・ロザリー校から引き継がれたレッド・クラウド校は、

改名後の翌年、1970年から通学制学校へと移行された。レッド・クラウド校が改名と同時 に通学制に移行出来なかったのは、通学の足として欠かせないスクール・バスの確保など、

寄宿制から通学制に転じる為の体制作りに多少の時間が必要だったからだと考えられる。

一方、教会を校舎に改築し、1929年から教育を行ってきたルルドの聖母小学校(Our Lady

of Lourdes Elementary School)は、1931年にレッド・クラウド校の付属小学校となった。

幼い小学生が対象であった当校は、いち早く生徒の自宅と学校を結ぶスクール・バスを確保 し、1966 年には通学制に移行している47。通学制学校となったルルドの聖母小学校は、現 在もポキュパイン(Porcupine)集落周辺の児童が通う小学校として、スクール・バスによ る送迎、朝食サービスの提供など、通学制学校として行うことができるサービスを実施して いる[写真26 ]48。付属校と言うことで、このルルドの聖母小学校から RCIS の中学に進学 することもできる。

寄宿学校時代には、生徒の卒業後の就労を考え、また寄宿学校での衣食住を維持するため にも、職業教育と名付けられた労働に重きが置かれていた。しかし通学制に移行したことに よって、衣食住の確保が不必要となったことから、生徒は学業に専念できるようになった。

校名が改名された後には、職業教育は無くなり、ラコタ語やラコタ文化の授業が始まるよう になった。かつては先住民を文明化して白人のように変えていくことが、先住民にとっても

幸福なことだと考えられ、徹底した英語教育を行い、カトリックの文脈に合わないラコタ族

46 レッド・クラウド校スタッフ、ジェイミー・ビーハン(Jamie Behan)へのインタビュ ー。2010年10月7日、レッド・クラウド・インディアン・スクールにて。

47 Our Lady of Lourdes Elementary School HP, <http://www.redcloudschool.org/>

(2015年6月26日)

48 ピーター・クリンク神父(Peter Klink)へのインタビュー。2012年9月12日、

ルルドの聖母小学校にて。

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[写真28]

学校職員たちに見送られて、スクール・バスで家路に向かうルルドの聖母小学校の生徒たち。

(2012年9月12日、筆者撮影)

の宗教儀式を締め出した教育を行ってきた。しかし校名の変更にも見られるように、ラコ タ族への敬意を表すと同時に、ラコタ言語や文化を尊重する姿勢を取ることで、生徒にラコ タ族としての自覚を促し、部族の一員としての自尊心を育む教育へと方向転換が図られた。

その背景には、全国的な先住民の連帯や先住民運動の隆盛が影響していたと言うことだが、

それは 1 章で述べてきたように、アメリカ社会の意識が変化したことにもあった。従来の

「メルティング・ポット論」においては、多民族がアメリカ社会に融合していくことで、新 たなアメリカ人が生み出されると考えられていた。しかし1950年代以降の公民権運動やマ イノリティーの権利運動の隆盛を受けて、民族の多様性を認める「サラダ・ボウル論」が支 持されるようになってくると、アメリカ社会の中で先住民として、またラコタ族として誇り を持って生きていくことが当然なことだと考えられるようになっていった。

しかしラコタ・アイデンティティの習得に欠かせない言語と文化の授業を始めようとし たところ、当時の親世代は学校での英語教育によって、英語を流暢に話すことが出来ても、

母国語であるラコタ語での会話はままならない者がほとんどであった。当初はラコタ語を 教えられる人材を探すのも困難だった上に、規範となるようなラコタ語の教科書もなかっ たために、ラコタ語の歌を教材としてラコと語教育は始められた49。先住民性の維持と次世 代への伝承へと教育方針の転換を図ってはみたものの、かなり手探り状態で始まったこと を伺わせる。ラコタ語を習得することによって、ラコタ族としてのアイデンティティを取り

49 レッド・クラウド校スタッフ、ジェイミー・ビーハンへのインタビュー、2010年10月 12日、レッド・クラウド・インディアン・スクールにて。

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戻すと同時に、英語を流暢に話せない祖父母世代との関係を修復することにもなった。自分 の子供には言語や文化を伝えようとはしなかった祖父・祖母の世代は、孫にはラコタ言語や 文化を教えて伝授を試みた。学校の授業以外でラコタ言語や文化を学んできた生徒たちの 教師となっていたのは、自分たちの祖父や祖母であった50

一時期は消滅の危機にあったラコタ語は、現在では学校教育が率先して、言語の再生が試 みられている。レッド・クラウド校では、2010年からインディアナ大学のアメリカ・イン ディアン・スタディーズ研究所(American Indian Studies Research Institute)と提携し て、ラコタ語プロジェクト(Lakota Language Project)を展開している。このプロジェク トでは、ラコタ語の音声表記法や綴り方の開発、12 年生までのラコタ語の教科書、マルチ メディア用の補足教材、辞書、教師用のマニュアル、学習の評価材料の制作、ラコタ語の会 話と読み書きを学べるカリキュラム構成の作成など、ラコタ語学習を支える活動を行って いる51。またレッド・クラウド校の校舎内では、家具や備品といったものの名称がラコタ語 で表記されている。レッド・クラウド校の学生たちは、校内のあらゆる場所でラコタ語を目 にし、自然にラコタ語を覚えることができるようにとの工夫がなされている中で、学校生活 を送っている[ 写真27, 28]。

現在レッド・クラウド校の高校(以後レッド・クラウド高校と表記)でラコタ・スタディ ーズを受け持っているのは、ブラック・ヒルズ州立大学(Black Hills State University)を 卒業し、教育学士号を持つロジャー・ホワイト・アイズ(Roger White Eyes)である。レッ ド・クラウド高校では、ラコタ語を3年間にわたって6学期、社会科の一環としてラコタ・

スタディーズを1学期間、必修科目として履修が必要となっている52。ラコタ・スタディー ズの授業では、歴史、文化、宗教、芸術関連と言ったラコタ族に関することが幅広く教えら れており、同時に学校内外での活動も行なわれている。

筆者が聴講した授業では、ラコタの宗教儀式の一つである「サン・ダンス」(Sun Dance)

について教えられていた。サン・ダンスとは、聖なるハコヤナギの木を中心に円形に作られ た広場で、参加者の祈りを叶えるために、胸に串を刺すピアッシングを行い、その串をハコ ヤナギと紐で結び、一日中太陽を見つめながら四日間飲まず食わずで、胸の肉が引き千切れ るまで踊り続けるものである。これは祈りを叶える代償として、また感謝の御礼として、彼 らの信仰の対象であるグレート・スピリットであるワカン・タンカに、自らの肉体を捧げる とする宗教儀式である53。このピアッシングを野蛮な行為だと見なした連邦政府は、1881年

50 同上。

51 Lakota Language and Culture Central to School on Pine Ridge Reservation,

<http://blogs.edweek.org/edweek/learning-the-language/2013/12/Lakota_language_

and…> (2015年7月5日)

52 Red Cloud High School, Red Cloud high School-Student Handbook 2012-2013, p.20

53 The Lakota Sun Dance, <http://www.penn.museum/documents/publications/expedi tion/PDFs/~> (2015年7月1日)

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[写真29] 学校備品の椅子にもラコタ語での表記がなされている。

[写真30] ラコタ族の伝統文化には存在しなかった電気のスイッチにも、ラコタ語の表記が なされている。他にも階段やトイレの入り口など、あらゆる場所や備品にラコタ 語での表記が表示されている。(2012年9月12日、共に筆者撮影)

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に禁止を命じた。後に連邦政府からの要請に従って、公的にはピアッシングを伴わない、観 光客に向けたショーのようなサン・ダンスが行われていたこともあったが、正式な伝統儀式 であるピアッシングを伴うサン・ダンスは、秘密裡に保留地で連綿と受け継がれていた 4。

授業では、このサン・ダンスを歴史から紐解き、視覚的に理解しやすいように、模型を使っ て説明を行っていた[写真29, 30 ]。このようにサン・ダンスには禁止や変容の経緯があった こともあり、儀式を行う文化的背景から儀式の進行まで、宗教的に意味を持つ伝統儀式の正 しい知識を授業において伝えていくことは、生徒にとっても部族にとっても重要なことで ある。なお同行していたレッド・クラウド校スタッフのジェイミーは、伝統儀式の一つであ るサン・ダンスに参加したことも見たこともないとのことだった。言語同様に、祖父祖母世 代と孫世代の間に、言語や伝統文化の伝播が途絶えた世代が存在すると言われているが、ジ ェイミーはまさに、その世代に当たるのだろう。こうした世代であるジェイミーも、授業に 参加することで、伝統文化の知識を学ぶ機会を得ている。このように現在では、学校の授業 を通じて、伝統文化の伝承が試みられている。

ラコタ文化の伝承は授業だけではなく、生徒参加によるクラブ活動においても実践され ており、ドラム、歌、踊りを行うダンス・クラブである、テチャ・ワシピ・オコラキチエ(Teca Wacipi Okolakiciye、Young Dancing Organizationの意味)が結成されている。このダン ス・クラブは、パウワウに参加することで、日頃の練習成果を発表している。ドラムに合わ せて、伝統的な歌唱法による歌に合わせて、伝統的衣装を基盤としながらも現代風に華やか にアレンジされた衣装を身にまとい、様々な踊りが繰り広げられるパウワウは、単に先住民 による歌と踊りの祭典であるだけではなく、自らの先住民性を自覚し、かつ誇示する機会と して、アイデンティティを確認する場となっている。かつてパウワウは、部族単位で行われ ていたが、先住民が連帯を深めて行く中で、ダンスや衣装も部族同士で影響し合うようにな り、部族の枠を超えた全先住民としてのお祭りとなっている。現在は全米で年間 100 以上 開催されているパウワウは、遠方に住む親族や旧友に再会したり、新たな知己に出会ったり と、人脈を構築する機会にもなっている。生徒はパウワウに参加することで、ラコタ族の一 員であることを自覚すると同時に、その存在を周囲に認知させることにもなっている。通常 パウワウに参加するには参加費用が必要だが、レッド・クラウド高校のダンス・クラブは、

学校の代表として参加することで、費用の負担も免除されている54。毎年10月にラピット・

シティのシビック・センターで、3日間にわたる大規模なブラック・ヒルズ・パウワウ(Black Hills Powwow)が開催されているが、このパウワウにも参加し、日頃の練習の成果を発揮 している。

他にレッド・クラウド校では、中学生と高校生を対象に、屋外でのラコタ語キャンプ

(Lakota Language Camp)を行っている。このキャンプでは伝統的住居であるティピ(Tipi)

の建て方、パッファローの干し肉の作り方、赤ん坊を乗せて背負うことも立て掛けることも

54 前出、ジェイミー・ビーハンへのインタビュー、2010年10月12日。