このように人格の全体的な構造と社会的環境がそれぞ れ独自の内部的論理をもち,部分的に結びついて発達の 社会的状況を構成しているとするならば,その影響関係 は一方向的ではなく,双方向的になるものと予想され る。すなわち子どもの人格の構造的な変化が社会的環境 の変化に結びつく可能性である。実際,Vygotsky (2002a) はこの方向の影響関係に注目し,それを年齢時期区分 における安定期と危機の関係の理解に結びつけている。
Vygotsky (2002a)における論の展開に戻って検討する。
すでに述べたようにVygotsky (2002a)は年齢的新形 成物の交代によって区分される各年齢時期を安定期と危 機に分類する。安定期において年齢的新形成物の発生に 向かう変化は「一定の限界まで蓄積されたのち,突発的 に」その成果を表出させる。この急激な年齢的新形成物 の出現によって年齢時期は安定期から危機へと移行する ことになる。
この移行は安定期において成立し維持されてきた発達 の社会的状況が,潜在的に進行していた子どもの人格の 構造的な変化によってもはや成立しなくなることによっ て生み出される。たとえば幼児期から3歳の危機への移 行は次のようなかたちで生じる。幼児期を通して一般化 の構造が一定程度発達し,それに伴い「意識の意味的・
体系的構造」が年齢的新形成物として発生することは,
「子どもにとって,対象自体もかれ自身の活動もことば において意味づけされ始める」ことであり,これによっ て「他の人々との意識的なコミュニケーションが可能に なる」(Vygotsky, 2002b)。すなわち子どもは周囲の事物 や他者から独立した能動的な存在としてそれらと関係す るようになる。その結果,子どもは幼児期の当初から持 続してきた大人とのコミュニケーションにおける受動的 な位置取りを突然放棄し,それまでとは非常に異なる態 度で大人と関係するようになる。このため「反抗癖」「強 情」など幼児期にはみられなかった大人との激しい対立 的な関係が顕在化することになる。このような唐突な「教 育困難性」の発露に直面して周囲の大人は,それまで安 定して維持してきた発達の社会的状況を変化させること を強いられる。すでに述べたように危機も一つの年齢時 期であるため,それは年齢的新形成物によって前後の安 定期と区別される。3歳の危機の場合,「状況自体の内容」
ではなく「他の人々との関係」によって行為を方向づけ
る動機が年齢的新形成物として極めて不安定な発達の社 会的状況から生み出される(Vygotsky, 2002c)。この新 しい動機に基づいて人格と社会的環境の関係が再調整さ れ,安定した発達の社会的状況に整えられることによっ て次の安定期である就学前期への移行が可能になる。
このようにVygotsky (2002a)の年齢時期区分論にお ける安定期と危機との交代は,安定期に維持されている 発達の社会的状況自体が,そこに安定して位置づくこと のできない年齢的新形成物を子どもの人格に発生させる ことによってもたらされる。社会的環境と人格という異 なる二つの構造が部分的かつ密接に結びつくことで,一 方もしくは双方の内的な構造変化を生み出し,その変 化が従来の関係の崩壊と新たな関係の生成をもたらす。
Vygotsky (2002a)における人格と社会的環境の関係お
よび,それを通した発達的変化の発生の構図は概ねこの ようなものであると理解することができる。
Vygotsky の年齢時期区分論の現代的意義
Vygotsky (2002a)では,さらに,このような人格と
社会的環境の関係をふまえ,より適切な発達の社会的状 況を生み出すために必要な子どもの発達状態の理解とい う実践的な視点から,最近接発達領域の概念をめぐるい くつかの議論が行われている。この部分も非常に興味深 いものであるが,Vygotskyの年齢時期区分論の現代的 意義に焦点化している本論文の問題設定の範囲を越える 部分もあるため検討を割愛し,ここまでの整理と検討を ふまえて本論文の最初に設定した問題について考えてい くことにしたい。
まずVygotskyの年齢時期区分論が個体的な水準に
もっぱら定位し,文化普遍的な対象把握の視点をもって いるという解釈の妥当性である。個体的な水準への定 位については,Vygotsky (2002a)の理論構成が,発達 的現象の理解を個体的な水準に閉じ込めてしまう個体主 義的な図式ではなく,年齢的新形成物の発生という個体 的な水準の心的現象が人格と社会的環境の「可動的な関 係」を通して生成されるとする唯物論的な図式であるこ とが記述から確認できる。Vygotsky再評価運動の担い 手たちが採用した脱中心化方略においては,個体的な水 準が埋め込まれている歴史的,文化的,社会的水準の諸 現象に注目し,それを緻密に記述することによって逆照 射的に個体的な水準の現象を理解することが目指されて いた。これに対してVygotsky (2002a)が提示する図式 は,やはり個体的な水準が埋め込まれている外部を射程 に入れるものであるが,個体的な水準と外部の水準の位 置づけは脱中心化方略とは大きく異なるものであった。
個体的な水準に位置する人格と,それが埋め込まれてい る社会的環境をそれぞれ異なる内的な構造や展開の論理 をもつ独立したシステムとして捉え,それらの部分的な
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L.S. Vygotskyによる発達の年齢時期区分論の特徴と現代的意義
接続関係が生み出す双方向的な変化に注目するという図 式である。これによって心的過程の形成と変化における 歴史的,文化的,社会的な水準の本質的な役割を認めつ つ,人格という個体的な水準にみられる発達的変化であ る年齢時期区分を捉えることが可能になる。たとえば
Vygotsky (2002a)による各年齢時期の特徴づけに従え
ば,幼児期以前の年齢時期に知覚が十分に発達している ことや,言語的コミュニケーションの基盤が整っている ことが,幼児期において一般化された知覚が成立する前 提条件になる。このような発達の順序性は個体的な水準 の閉じた論理に属するものであり,そこに歴史的,文化 的,社会的な水準が介入し,その順序を自由に入れ替え るようなことはできない。しかし幼児期に大人と言語を 用いたコミュニケーションを行うことがなければ,子ど もが一般化を経験することはなく,その構造の発達も生 じないだろう。果実が実る前には受粉が必須であるとい う順序性は植物に内在的な論理であり,外部からそれに 介入することは困難であるが,植物自身が受粉を行うこ とはできず,他の動物や風のような物理現象など外部の 介入に頼らざるを得ないのと,ちょうど同じ構図である。
Vygotsky (2002a)における個体的な水準の位置づけは,
このように発達的変化のメカニズムも所産も独占して収 容する特権的な内的空間ではなく,また歴史的,文化的,
社会的水準から逆照射的に把握される影のような消極的 な存在でもなく,独自の論理で運動しつつ,その運動の 不可欠の条件として外部と密接に結びつく「閉じつつも 開かれた」システムであると言うことができる。
次にVygotsky (2002a)における文化普遍的な現象の
把握について検討する。文化による発達的な方向づけは,
Vygotsky (2002a)の理論構成においては,人格と社会的
環境の関係すなわち発達の社会的状況を通して行われる と考えられる。したがってVygotsky (2002a)が発達の 社会的状況としてどのようなものを想定しているのかを 検討すれば,発達の文化的多様性に対する立場も確認す ることができる。これまで検討の対象にしてきた幼児期 の場合,発達の社会的状況は言語を用いた一般化を基盤 としたコミュニケーションであった。Vygotsky (2002a) が指摘しているように言語的コミュニケーションには必 然的に一般化が含まれ,また1歳から3歳の子どもに対 して言語的コミュニケーションを一切行わない個別文化 の存在はおよそ想定できないことから,この発達の社会 的状況は文化普遍的な水準で設定されているものと解釈 できる。他の安定期においても,これは同様である。
Vygotsky (2002a)において,発達の社会的状況がこの
ように文化普遍的な水準で設定されていることは,この 年齢時期区分論の理論構成からみても必然的なものであ る。個体的な水準への定位の問題を検討した際に指摘し たように,人格は社会的環境などの外部が直接的に介入
することのできない独自の内的な構造や展開の論理をも つシステムとして理論のなかに位置づけられている。社 会的環境はこの人格のシステムにおいて部分的に外部に 開かれている箇所に接続し,それを通して人格のシステ ムの発達的変化に間接的に介入することになる。人格の 接続可能部分は人格の内的な構造と展開の論理によって,
歴史,文化,社会の水準とは独立に個体的な心的メカニ ズムの水準で決定される。このため人格と社会的状況の 基本的な接続様式は必然的に文化普遍的なものとなる。
Vygotsky再評価運動の担い手たちは,Rogoff (2003) による年齢時期区分論の批判にみられるように,心的過 程の発達が文化によって極めて多様に構造化されるこ とを強調してきた。しかし,これらのケースにみられ る個別文化ごとの独自な心的過程の構成力と,Vygotsky
(2002a)にみられる社会的環境と人格との普遍的な結び つきは,矛盾する関係にあるのではない。果実を成長さ せるには受粉という介入が不可欠であるが,具体的にど のようにして受粉を行うのかということについては自然 の風にまかせることから,蜂の飼育,人手による作業ま で極めて多様な選択肢が存在する。Vygotsky (2002a)に みられる社会的環境と人格の結びつきは,果物の成長の ために受粉という介入が不可欠であることと同じ普遍性 の水準で両者の関係を捉えるものである。一方,Rogoff
(2003)にみられる文化的多様性の指摘は,受粉の方法 の多様性と同じ水準で,人格と社会的環境の結びつきを 実現する具体的様式に焦点をあわせている。心的過程の 発達に対する外部からの介入は,心的システムが内的な 構造と展開の論理に基づいて外部に対して開く発達時期 ごとに異なる接続箇所と様式を根本的な制約として,文 化的に極めて多様な具体的接続様式を歴史的に構築して きたと考えることができるだろう。
このように人格という個体的な水準に対して唯物論的 な発生モデルでアプローチすることを試み,人格と社会 的環境の年齢時期ごとに異なる普遍的な接続様式に注目 するVygotsky (2002a)の年齢時期区分論は,Vygotsky 再評価運動以降の認知発達研究および学習研究の文脈に おいて,再訪すべきなんらかの意義をもつ歴史的参照点 となることができるだろうか。当然のことながら,この 年齢時期区分論において示されている子どもの発達過程 の具体的詳細については,現在の発達研究の成果に照ら した場合,雑駁すぎる場合や,不正確なものや誤りも多 く混入している可能性があるので,この論をそのまま現 代の研究の文脈に持ち込むことはできない。しかしこ の年齢時期区分論が示している基本的構図は,Vygotsky 再評価運動以降の文脈においても大きな意味を持ちうる と考えられる。まず人格と社会的環境の関係を部分的な 接続を通した双方向的な変化の過程としてとらえる視点
は,Vygotsky再評価運動以降,主要な検討対象から排