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ピアジェ発達段階論の意義

ドキュメント内 麻生 武 加藤 義信 (ページ 41-47)

それでは,全体構造に含まれるもう1つの構造である INRC群はどこから来ているのであろうか。ピアジェは 具体的操作期に見出される2タイプの思考の可逆性にそ の源泉を見出している。1つは否定に基づく可逆性,も う1つは相補性に基づく可逆性である。INRC群を思考 の可逆性という観点から見た場合,INRC群は否定に基 づく可逆性と相補性に基づく可逆性とを1つの構造に 統合している。つまり,INRC群の否定Nは具体的操作 期における加法的クラスの群性体に,相補Rは反対称 的関係の群性体にすでに存在していて,INRC群はクラ スの群性体に由来する可逆性と関係の群性体に由来する 可逆性という2タイプの可逆性を1つの構造に統合し ている。この意味で,形式的操作の全体構造に含まれる INRC群は具体的操作より豊かな構造であると同時に,

INRC群も先に築かれた操作の上に築かれる高次の操作 的構造であることが示唆される。

以上の発生的分析で重要なことは,形式的操作期の知 的構築の全体が,外部から新しい能力をこっそりと持ち 込むことも成熟などの内在的要因にやむなく訴えること もなく,発生的に説明できる可能性が発生的構造主義の アプローチによって切り開かれる点である。それ故,子 どもの思考から青年の思考への移行の道筋を明らかにす るためには,具体的操作の全体構造から形式的操作の全 体構造への再構築過程における構造を取り出し,その構 造に含まれている心理学的含意を分析することであろう

(その1つの試みとして,中垣(2010)を参照のこと)。

ピアジェ発達段階論の意義

以上のようなピアジェの発達段階論および形式的操作 理論から,発達心理学の諸問題に対してどのような示唆 を得ることができるであろうか。ピアジェ発達段階論の 意義と射程をもう少し具体的に理解していただくため に,前節までの議論を踏まえて,発達心理学の古典的問 題である発達の連続性・不連続性の問題,最近の認知発 達理論の一大潮流である理論説が提起する認知発達の領 域固有性・領域普遍性の問題,そしてこの特集号の編集 責任者から提起された形式的操作期の一般性・普遍性の 問題をここで検討する。

発達の連続性・不連続性をどうとらえるか

この特集号の責任編集者から執筆を依頼されたとき,

「いわゆる発達段階といったものを設定することの妥当 性,意義,その根拠などに関して大いに議論してほし い」という旨の要望があった。しかし,この問いかけは ある意味で非常に奇妙である。カイコのライフサイクル を解説するのに卵期,幼虫期,蛹期,成虫期という成長 段階に分けて記載したとき,それに対して「『なぜ成長 段階に分けて記載するのか』,成長段階に分けることの 妥当性を示してほしい」という類の質問をする人はまず

いないであろう。記載対象のカイコが有機体として構造 的変換(変態)をすることを誰もが知っているからであ る。構造的変換に対応しない,便宜的な発達段階を設定 したとき,初めてどのような便宜や都合でそのような段 階分けをしたのか説明してほしいという要望が出てく る。ピアジェの発達段階論は,有機体の構造的変換とし ての発生過程を行為の構造的変換としての心理過程に延 長した,いわば精神の変態論である。「知的操作の特権 性」で指摘したように,知的操作の発達には,時間的な ものから非時間的なものへ,経験的なものから先験的な ものへ,有限なものから無限なものへ,という質的飛躍 が発達の要所要所で見られるのであるから,精神発達を 記載するのに発達段階を設けない方が知的怠慢の誹りを 免れないであろう。

この点は認知発達の諸問題を考える上で非常に重要で ある。認知発達を構造変換としてとらえない者にとって は,発達段階は単に便宜的な区分でしかない。実際,あ る発達心理学の教科書(Siegler, DeLoache, & Eisenberg, 2006)では「発達は連続的か非連続的か」と問うて,「こ の問題は如何に発達を見るか,どれほどしばしば発達を 見るかに依存している」と自ら回答している。例えば,

人間の身長の発達は連続的に見えるが,身長の変化率で みると思春期あたりに山が来るので非連続的に見えるこ とや,子どもの成長は毎日顔を突き合わせている親に とっては連続的に見えるが,年に1回ほどしか顔を合わ せない遠い親戚にとっては不連続的に見えることを挙げ ている。つまり,発達が連続的に見えるか非連続的に見 えるかは研究者の見方次第だというわけである。アメリ カ合衆国を代表する発達心理学者の見解が如実に示して くれるように,認知というものを要素論的にアプローチ する限り,発達の連続性 ・ 非連続性の問題は,従って,

発達段階の問題は擬似問題となってしまう。

それに対し,ピアジェは発生的構造主義のアプローチ を取るので,発達の連続性 ・ 非連続性の問題は研究対象

(この場合は,人の認知機能)に属する,優れてリアル な問題となる。既に指摘したように,知的操作の発達段 階は子どもの発達を語るために便宜上設定するのではな く,自然な区切りに対応したものである。この観点はピ アジェの発達段階基準の1つである「全体構造」に反映 されていて,この意味ではピアジェの発達観を発達の不 連続説とみなすことができる。

しかし,ピアジェの発達観を単純な不連続説と見なす ことはできない。具体的操作は感覚運動的知能の獲得物 を表象の水準において再構築したものである。また,形 式的操作は具体的操作の獲得物を二次的操作の水準で再 構築したものである。このように,ある段階の達成物は 前段階において獲得したものの分化と統合によるという 発達の連続性を絶えず強調している。この観点はピア

ジェの発達段階基準の1つである「統合性」に反映さ れている。したがって,新しい構造は古い構造から抽象 される再構築であるという観点から見れば,発達は連続 的である。しかし,新しい構造が古い構造には還元し得 ない創発的特性を持つという観点から見れば,発達は不 連続的である。それゆえ,ピアジェの発達観は発達の連 続説でも不連続説でもなく,両者の対立を止揚した弁証 法的発達観である。このように,ピアジェの発達段階論 は「発達は連続的か,不連続的か」という古典的問題に 対して首尾一貫した説明を与えることができる(Piaget, 1970 / 2007, p.59)のである。 

認知発達の領域普遍性・領域固有性をどうとらえるか ピアジェは知能一般の発達段階ではなく, 知的操作 の発達段階を設定したことをすでに指摘した。われわれ は 知能 といわれると,知能テストで測られるような 能力を想起する。しかし,知能テストでは知的操作だけ ではなく,知覚的分節化能力,記憶力,注意力,言語能 力,常識など様々な認知機能を測っている。このように 知的操作は日常的意味での知能と同一視できないにもか かわらず,知能の発達段階論としてピアジェ理論が紹介 されると,ピアジェが知的操作の発達段階を問題にした という観点が見失われ,「ピアジェは人間の認知機能全 体をカバーする発達段階を設定した」という評価が生ま れる。この評価がさらに「ピアジェは認知発達の領域普 遍性を唱えた」という解釈を生むことになる。

それでは,ピアジェ理論は認知発達の領域普遍性論な のであろうか。認知発達の領域普遍性論に対立する立場 は理論説と呼ばれている。理論説というのは,子どもは 知識領域ごとに特有の素朴理論を持っていてそうした理 論の変遷として子どもの認知発達をとらえる見方であ る。素朴理論が 理論 と呼ばれるのは,特定の領域に 関して存在論的区別が可能なこと,領域固有の因果性を 備えていること,知識に凝集性が見出されることが挙げ られる(Wellman & Gelman, 1992)。理論説は物理学的 領域,生物学的領域,心理学的領域など認識対象の存在 論的領域毎に,領域固有の知識や因果的説明図式を持つ とするので,認知発達の領域固有性論であり,認知発達 の領域普遍性論の「典型」たるピアジェ理論を批判のター ゲットとしている。しかし,既に見たように,ピアジェ は知的操作の発達を問題にし,この領域でのみ5つの段 階基準を満たすような普遍的段階設定ができると主張し ている。見方を変えて,ピアジェの発達段階論における 各時期固有の認知構造を仮に理論と呼ぶなら,ピアジェ 発達段階論は知的操作の領域に関する理論説ということ も可能である。同一の認知構造から導かれる知識の相互 連関性のことを知識の凝集性と見なせば,理論と呼ばれ るための1基準である知識の凝集性という条件も満たし ている。ピアジェ発達段階論の中核は知的操作の構造変

換にあるから,理論の変遷を主張する理論説とこの点で も共通である(中垣,2007)。

それでは,ピアジェ発達段階論は認知発達の領域固有 性論に与しているのであろうか。ここで,知的操作のと らえ方が見解の分かれ目となる。領域固有性論者のよう に,物理学的領域,生物学的領域,心理的領域などと同 じ資格において,知的操作を認識の一領域と見なす限り においてその通りである。しかし,既に指摘したように,

知的操作は精神活動のもっとも一般的な形式であり,ど のような認識活動においても知的操作が介入してくる。

幼児が日常生活において素朴物理学を築くにしろ,素朴 生物学を築くにしろ,認識対象を分類し,関係づけ,対 応を取るといった知的操作活動を欠かすことができない であろう。知的操作のこのような領域普遍的浸透性のゆ えに,知的操作以外の認知機能の発達もまた知的操作の 制約を受けることになる。別の言い方をすれば,知的操 作は認識活動における汎用の道具なのであって,どの存 在論的領域の認識活動であれ,この道具の発達水準に よって獲得される認識が制約される。この意味で,ピア ジェ発達段階論は認知発達の領域普遍性に与している。

それでは,ピアジェ理論は認知発達の領域普遍性論な のであろうか。このとらえ方も正確ではないであろう。

領域固有な認識の獲得が知的操作の発達水準によって完 全に決定されているわけではないからである。知的操作 以外の領域の認知発達に関して,知的操作と同じ発達段 階を設定できるかどうかはアプリオリに決められること ではない。素朴物理学が物的存在を対象とし,素朴生物 学が生物的存在を対象としている以上,領域ごとに異な る対象の特性が認識獲得において重要な役割を演ずるこ とが当然予想される。物的存在であれば,大きさ,形,

位置,運動など考慮すればよかったのに対し,生物的存 在では代謝,成長,自発性,目的性なども考慮しなくて はならない。対象一般を同化するために必要な知的操 作(行為の一般的協応)は同じものであったとして,物 的存在を同化するための特殊的協応と生物的存在を同化 するための特殊的協応とは違ってこざるを得ないであろ う。したがって,認知発達が認識対象の存在論的領域ご とに違った様相を呈するという限りでの認知発達の領域 固有性論はピアジェ発達段階論に矛盾しないどころか,

それから期待されるところである。それゆえ, ピアジェ 発達段階論は知的操作という特殊な領域での発達を問題 にしたという意味では認知発達の領域固有性論ではある が,知的操作の領域普遍的浸透性のゆえに知的操作を発 達段階の中核に据えたという意味では領域普遍性論なの である。ここでも,ピアジェの発達観は認知発達の領域 固有性と領域普遍性の対立を止揚した弁証法的発達観な のである。

ドキュメント内 麻生 武 加藤 義信 (ページ 41-47)