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宇野三段階論と現代資本主義分析

ドキュメント内 はじめに (ページ 52-68)

第 2 章 資本主義の発展段階と世界システム 110 第1節 段階区分と段階移行

第2節 宇野三段階論と現代資本主義分析

宇野弘蔵は、イギリス資本主義を基準として重商主義・自由主義・帝国主義の三段階に区分してい る。『資本論』を原理論として純化し、プランの後半体系は段階論(世界史的発展を歴史・具体的な 研究対象)としたが、原理論と段階論とが断絶したままでその継続性は否定されている132。そればか りではなく、原理論は「商品経済の論理の自己展開の過程」として理論的(原理的)考察の対象とさ れるが、段階論は資本主義の世界史的発展を明らかにするための歴史的・類型的分析対象とされ、理 論的分析を放棄している。しかし、国家の世界経済における経済政策といった世界経済的視野が入っ ている。さらに段階区分は基軸産業・支配的資本・経済政策で構成されており、「生産力・生産関係・

上部構造の図式に該当」している点は優れている133、といえる。しかし宇野三段階論は、①重商主 義、②自由主義、③帝国主義までで終わっており、ロシア革命以後は社会主義への過渡期であり、現 代資本主義論は現状分析論とされて理論的分析が放棄されている。本節では、宇野三段階論を継承す る研究者たちの段階論の「修正」と、現代資本主義分析をめぐる研究を検討する。1970年代を境と する現代資本主義の転換については第7章の補論で検討する。

第 1 項 大内力の段階論と国家独占資本主義論

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宇野三段階論の「継承者」は、大内力に代表される「純粋資本主義派」(「クローズド・システム」

重視)と岩田弘に代表される「世界資本主義派」(世界システム・「オープン・システム」重視)と に分岐した。経済学の両体系(「クローズド・システム」と「オープン・システム」)のどちらを段 階論として重視するかは、非宇野派にも共通する対立点でもあった。岩田・「世界資本主義論」の検 討は後ほどの第3節においてすることにして、まずは宇野三段階論に立脚する系譜を検討してゆこ う135

1.段階論 宇野三段階論を基本的には継承しながら、大内力は原理論・段階論・現状分析論をつぎ

景気循環』で筆者が主張した内容と同じである。拙著は独占資本主義のもとでの景気循環の変容論 の視角から展開したが、唐渡はテーラリズムの科学的管理との関連で「生産様式」の変化(「組織 化」)として展開している。

132 すでに指摘したように、マルクスは『資本論』においてイギリス資本主義の中心性の永続化を 想定していたが、19世紀末から20世紀初頭にかけての資本主義の構造的変化(独占資本主義と帝 国主義への転換)を目撃した「マルクス後継者たち」(ヒルファディング、ブハーリン、ルクセン ブルグ、レーニンたち)は資本主義の未来展望をイギリス中心に考察できなくなり、世界経済全体 の帝国主義への転換として資本主義の新たな段階として認識した。宇野弘蔵はこの認識を出発点と してかつ戦前の日本での資本主義論争(「講座派」と「労農派」の論争)の一面性を克服しようと して、原理論・段階論・現状分析に経済学研究を分化させたことそのものは宇野の功績である。原 理論と段階論との間には当然継続と断絶の両面があり一方的に断絶のみを強調することはできな い。

133 馬場宏二『宇野理論とアメリカ資本主義』御茶の水書房、2011年、22頁。菅原陽心(「中間理 論としての段階論の課題と方法」『グローバル資本主義と段階論』)は、宇野には資本主義の歴史的 展開を労働力商品化の進展・確保・変容の段階との発想と中心国による世界的編成という発想があ ったのではないか、と指摘している(215~6頁)。

134 大内力『国家独占資本主義』東京大学出版会、1970年、同『帝国主義論上』(経済学体系第4巻)

東京大学出版会、1985年、同『世界経済論』(大内力経済学体系第6巻)、東京大学出版会、1991 年。

135 以下の、1・2・3・6は拙稿「資本主義の発展段階(1)」の第2節第3・4項を加筆修正したも のであり、4・5は新たに追加した。

のように関連づけている。まず、マルクスの世界市場観は市場の外延的な拡大のようであるが、「資 本主義の内部構造」は一国資本主義として解明されなければならない136。つづいて大内は「原理論 と段階論と現状分析論との関係」について、原理論や段階論は現状分析の基礎理論であるとする。

「ある現実を分析してそこに原理論なり段階論なりによって確定されている法則を確認すると言う ことは、原理論や段階論の誤用であるという点である。・・・もともと原理論や段階論は資本主義の 基本的な運動法則を明らかにしているのだから、資本主義社会である以上、どこでもいつの時代で もそれが基本的に貫徹しているのは当然のことである。」137。大内説では基礎理論はそのまま現代に も貫徹していることが大前提にされてしまっている。「貫徹」する機構なり形態が明らかにされなけ れば、観念的な願望に終わってしまうだろう。最近の宇野派の若いし世代(SGCIME)が法則の変 容論としての段階論を提唱するようになるまでは、宇野理論の支持者の多くは「原理論の貫徹」を 当然の前提してしまうか、あるいは「原理論」からの乖離はすべて「脱資本主義化」として処理し ようとしてきた。こうした「宇野派」が独占資本主義や国家独占資本主義(現代資本主義)の理論 的研究を放棄してきた背景には、宇野自身が、ロシア革命以後は社会主義への移行期として段階論 の理論的分析を拒否したことがあるが、旧社会主義の解体後はこのような段階論の規定は失効して いる。

大内は段階論の課題は、段階ごとの社会的・経済的構造の解明と移行の必然性を説くことだとす るが、構造の解明と移行の必然性との関連は積極的には説かれていない。そして段階論が現状分析 の「基礎理論」ないし「基準」となるというが、資本主義の法則の扁奇の摘出ができても、法則の 変容論そのものにはならない。レーニン『帝国主義論』のように「資本論」と独占資本主義との共 通項を摘出する方法は「重ね餅」だと批判し、型態論Typenlehreを提唱する。典型国を基軸とし て世界経済が編成されるといいたいのだと理解できる。しかし宇野三段階論では世界経済システム が後退してしまっているために、類型論に終わってしまっているのが多い。大内の積極的展開は基 軸資本主義国と後発資本主義国との「複線型」の論理構成であり、レーニン的な国際的不均等発展 を一般化しようと構想していたのかもしれない138。「中心」と「周辺」の関係はについては大内力は、

帝国主義段階になって支配=被支配の関係として固定されるという139。この主張では、第2次大戦 後の植民地の政治的独立や1980年代以降のアジアを中心とした新興工業諸国の登場を説明できな い。

2.国家独占資本主義論

宇野の段階区分(基軸産業・支配的資本・経済政策)のうちの「支配的資本の蓄積様式」視点か ら、戦後資本主義は「自立性」を喪失し国家機能を外部的に組み込んだシステムであり、現状分析 の対象とすべきだとしたのが大内力と侘美光彦である。河村哲二は、大内「国家独占資本主義論」

の特徴は戦後資本主義は社会主義への過渡期にあり、社会主義を「内部化」した自律的回復の困難 化した「過渡期資本主義」という現実認識に立脚しているとし、「一国モデル」であり国際金融機構 と国際通貨体制を含む構成となっていないから、「グローバル資本主義」の資本蓄積の構造とメカニ ズム(「グローバル成長連関」)の有効性と限界が展開できない、と批判している140。筆者も、大内 説でのインフレーション論やインフレによる賃金切り下げ作用による国家独占資本主義規定は支持 しない。しかし、現代資本主義は国家の権力的な「組織化・管理化・調整化」機能なしには存続で きない資本主義=歴史的過渡期の独占資本主義である以上、国家独占資本主義規定は存続している 点において大内の現代資本主義=国家独占資本主義論を支持する。たしかに大内・国家独占資本主 義論は「一国モデル」(クローズド・システム)であり、その世界体制(オープン・システム)との 総合化こそマルクス経済学の現代的課題だと筆者は考えてきた。また河村が大内・国家独占資本主 義論は現状分析論だと判定していることには、賛成しかねる。大内説は宇野恐慌論の現代資本主義 への直接的な適用であり、いわば河村も強調する宇野恐慌論をベースとした景気循環変容論を展開 した理論的分析(晩年大内は「理論的仮説」としたが)であり、筆者は積極的に評価している。

第 2 項 宇野三段階論の修正

1.「福祉国家論」(加藤説)

136 大内力『世界経済論』28~9頁。

137 同上書、44頁。

138 大内力『帝国主義論上』4~5頁、19頁、29~30頁。

139大内力『世界経済論』23頁、26頁。

140 河村哲二「グローバル資本主義の段階論的解明―現代資本主義論の理論と方法」『季刊経済理論』

第53巻第1号(2016年4月)、27~8頁。

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