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第2節 学校における教育相談とカウンセリング
第1節で述べたように、カウンセリングは、学校教育現場に取り入れ られる際、 「教育相談」と呼ばれることが多い。カウンセリングが、学 校における教育相談としてどのような形で取り入れられるのかを見てい くと、十分なものではないことがいえる。そこで、第2節では、学校に おける教育相談とカウンセリングの共通性と相違点を明らかにすること を通して、この両者の関係について検討する。その際、文部省のとらえ 方や、長年のカウンセリングの研究をもとにして学校教育への適用につ いて主張している伊東博氏などのとらえ方を参考にしながら述べていく。
(1)学校における教育相談とカウンセリングのとらえかた
さて、学校における教育相談とカウンセリングの接点を考えるにあたっ て、この両者をほぼ同一のものとして共通性を強調する立場と、両者の 違いを強調する立場がある。以下、それを代表する人を述べる。なお、
ここで述べる諸氏は、カウンセリングと心理療法の関係についてさまざ まな立場をとっていることをっけ加えておく。
学校における教育相談をどのようにとらえるかさまざまな見方がある が、伊東氏は、
「カウンセリング」はいわば「教育」それ自体であり、あるいは「
教師」それ自体である(■4)
と述べている。伊東氏の考えるカウンセリングの教育的意義、社会的意 義などは、学校教育に対する一つの提言として意義深い。カウンセリン
グの特質と学校教育の本質との共通点、および学ぶべき点からのアプロ ーチは、示唆されることが多く、学校における教育相談を、相談室での
治療場面としてとらえることに対する批判は、実に的を得ている。
ただし、伊東氏の場合、カウンセリングとの共通点、学ぶべき点に力 点がおかれすぎ、両者の相違点を明確に押さえていない点がある。その 意味において、この伊東氏のとらえ方は、学校現場における実践に直結
させることはできない面がある。
これに対し、国分・米山両氏は
「教育とカウンセリングは同じようにく行動の変容〉あるいはく子 どもの成長〉を共通の目的としながらも、そのアプローチが相異な るのである。教育はどちらかといえば知性(cognitivc)に焦点を あわせるが、カウンセリングは情動的(e皿otive)な面に焦点を合 わせる。(15)
と、教育とカウンセリングの異同を述べている。この両氏は、学校にお ける教育相談は学校カウンセリングであり、治療としての相談室の活動 ととらえている。なお、ここでいうカウンセリングは、心理療法と同義 のカウンセリングである。
直接学校教育相談に関わってきた今井氏は、専門機関の教育相談の実 践を拠り所として、学校教育相談をとらえている。専門機関の教育相談 は、ロジャースの非指示的理論に代表されるカウンセリングの理論によ
り実践が裏付けされていると述べている通りである{1 6) 。その上で、教 育相談の考え方を学校の現実に添うものとして、現場教師を対象にした 学校教育相談を模索している。狭義の教育相談活動のあり方だけではな く、学級担任、教科担任、養護教諭などの行う教育相談まで広くとらえ、
学校教育相談の内容・方法を具体的に示そうとしている。
学校における教育相談を考えるとき、教育とカウンセリングのつなが りについて強調点の違いもあれば、とらえる領域の違いもある。この論
文では、カウンセリングと学校における教育相談との接点を、次に述べ る共通性に置き、しかも、両者の相違点を明らかにしながら、学校にお ける教育相談の枠組みをしていくことにする。
{2)学校教育とカウンセリングの共通点
「カウンセリングは、通常二人の人間の対面的関係を中心とする、
力動的な相互作用の過程であり、この中で一方の人が、他方の人の 選択・適応問題の解決に対して、主として言語的手段によって専門 的な助力を与え、その人の人格的成長を促そうとするものである」
と伊東氏は定義しているαη。
このカウンセリングの定義の中に、学校教育との共通点を見つけるこ とができる。以下4点について、その共通点を述べる。
1.通常二人の人間の対面的関係を中心とする
学級という集団の場においての教師と子どもとの関係は、1対多の関 係を呈す事が多い。しかし本来、教育の対応の基本は1対1である。
最近、集団の中に埋没した子どもとしてではなく、子どもを一人の人 間として尊重する事の重要性を指摘されることが多い。たとえば、学習 指導など、教師から指導される内容が一方的に提示されることが多く、
個人的心理的接触の機会が少ないなどの指摘である。このような普段の 学習で少ない個人的な関係を補う意味で、この1対1の関係は、今後ま すます見直されてくる観点でもある。しかも、この1対1が指し示す関 係は、個に応じた指導の重要性という現在の学校教育の課題とも共通す
る。
2力動的な相互作用の過程である
学校の教師と子どもの人間関係においては、基本的生活習慣の徹底、
学習指導など、教師からの一方的な語りかけや説得が多く見られる。し かし、本来、成長を促進させる人間関係は教師と子どもの相互作用によっ て成り立つものであり、その相互関係は、目的遂行のための手段ではな
く、それ自体が教育の営みである。その点で、カウンセリングと共通す
る。
3.主として言語手段による専門的な助力を与える
学校教育における教師と子どもの関係は、言語を媒介とした関わりで 成り立っている。もちろん、非言語的なコミュニケーションの果たす役 割も大きいことは言うまでもない。子どもが自己洞察を深め、自分の考 えを知り、自分の行為を自分で決定し、実行していく上で、言語による 自分の言葉の客観化、感情の明確化などの果たす役割は大きい。この点 は、カウンセリングとの共通点である。
4.人格的成長を促そうとするものである
学校現場では、日々の知識習得に力を注ぎ、教える内容の価値と成長 がどのように結びつくなど意識されることが少ない状態にある。しかし、
本来学校教育は、子どもの人格的成長を目指しているのであり、ここに カウンセリングとの共通の目標がある。
以上、カウンセリングの定義に見られる学校教育との共通点である。
このように、カウンセリングと学校教育とは共通点をもつが、カウンセ リングは、学校教育に入るとき教育相談という形で位置つく。その時、
カウンセリングと教育相談の間には相違点が生じてくる。その点につい
て、.以下述べる。
(3)学校における教育相談とカウンセリングとの相違点
学校における教育相談の位置づけをどのようにとらえるかによって違っ てくるのであるが、私の立場としてはもっとも広い意味ににとらえてい
るので、その観点から、以下カウンセリングとの相違点の考察を加えて
いく。
教育相談を広義にとらえれば、対象、場所、担当者などに広がりを見 せることになり、そこにカウンセリングとの相違点も生まれてくること
になる。この相違点について4点あげ、項目ごとに述べる。
①対象
カウンセリングは、適応上の問題や心理的障害をもつ人を対象にして いる。それに対し、学校における教育相談は、学校の全ての子どもを対 象にする。これにより、全ての子どもの精神的健康のレベルアップを図 ることが目的となり、治療的な機能だけではなく、予防的、開発的な教 育相談の機能が必要とされることになる。
②場所
カウンセリングは、相談室で行われる。それに対し、学校における教 育相談は、相談室などの専用の部屋のほか、教室、特別教室、空き教室、
保健室などを利用して行われることも少なくない。
従って、この特質から、場所を選ばずに気軽に相談活動ができる面を
もつ。
しかし、その反面、次のようなことが予想できる。
1.プライバシーが守られないことがありうる。学校における教育相談 は、カウンセリングと違い、学校という集団の中で行われるため、周囲 の子どもならびに本人への配慮がいると思われる。
2.1とも関連して、日常生活のなかで行われるとすれば、その場の言 動が、学校におけるほかの諸活動の場面にも影響を与えるのではないか
という防衛が働くと考えられ、その結果、自己を表現するのがむずかし
くなる。
3.子どもから相談を求めてくるのではなく、教師の都合で相談が行わ れることがありうる。
③担当者
カウンセリングは、臨床的なものであり、ある種のトレーニングを積 んだ専任があたるが、学校における教育相談の場合、相談係、学級担任 あるいはホームルーム担任などが中心になってあたる。この点から、次 の5つが予想される。
1。相談係とはいっても、各校にある程度の訓練を受けた教師がいると は限らない。すべての教師が担当者ということになれば、カウンセリン グの技法をはじめとして、考え方、態度などを専門的に学んでいない教 師が対応したとき、そこにカウンセリングの示す態度などにとり違えが 起こる可能性が十分に考えられる。
2学級担任やホームルーム担任は、子どもに最も身近にあり、校内で 最も多く子どもとの日常的な触れ合い、かかわり合いをもつ立場にある。
そのため相談関係に入りやすい面をもっといえる。しかし、その反面、