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大紅門アパレル地域の概要

ドキュメント内 九州大学学術情報リポジトリ (ページ 31-35)

第 1 章 産業集積理論と産業集積におけるネットワークの諸理論

3.2 大紅門アパレル地域における集積の形成と研究方法

3.2.1 大紅門アパレル地域の概要

北京大紅門のアパレル産業集積は北京市の中心部から南に5㎞の豊台区の南の大紅門通 りに位置している(第3 図).近年,同地域の産業集積は都市化の進展とともに空間的 には拡大・分散している.例えば2000年以前は生産工場と販売施設の双方が大紅門周辺 に集中していたが,2000年以降は地価の上昇のため,生産工場はより農村部にある南の

徳茂鎮と旧宮鎮に移動している( 図4).

図4 北京大紅門,旧宮鎮,徳茂庄の位置.

筆者作成.

現在,大紅門アパレル地域は中国華北地域9で最大のアパレル専門市場である10.アパ レル製品の専門市場としてだけでなく,生地などの原材料の専門市場としても中国全土で 有名である.同専門市場で事業を営む業者では,商品の卸売と流通業の業務を主体として いるが,最終消費者への小売も行っている業者も多い.概ね朝4時半から,午前10時ま では卸売を行い,午前10時から小売が始まるという形態である.2015年時点で大紅門ア パレル商業地面積約161万㎡の地域内に,衣類,帽子,生地を中心に45ヶ所の専門市場

(靴やカーテンなどの専門市場も含める)と28,000店の商店が存在しており,5.8万人の 従業員が就業している(翟,2015).

9 中国北京市,天津市,河北省,山東省を含めるエリアを指す.

10 他の大規模なアパレル専門市場地域として,北京には動物園アパレル専門市場地域が存在するが,同 専門市場の商業地面積は約30万㎡と大紅門市場地域の5分の1程度であり,大紅門市場地域の規模は華 北地方では群を抜いて大きい(龍,2015).

改革開放以降,1980年代前半までは,温州出身者の大紅門周辺での活動は,少数の人々 が,政府の許可を受けずに小規模な作業場で繊維製品を生産し,行商による販売を行って いる程度であった.当時は,まだ農村住民の都市への移住は厳しく制限されていたため,

北京に移動した温州出身者は少なかった.1985 年の時点では,繊維製品の生産・販売に 従事する温州出身者は 1,000 人程度であり,集住地域の形成には至っていなかった(千,

陳,2003).

北京において温州出身者の人口が急増したのは,1986 年頃からであった.この時期,

多くの温州出身者が同郷者や親族,友人などの紹介を通じて北京に移住するようになった.

その中には,青海省,内モンゴル自治区,河北省,山東省などの他地域で繊維製品の生産 や販売を行っていた温州出身者も多かった.その結果,多くの温州出身者が大紅門地域に 集住するようになった.しかしながら,方言しか話せず,標準的な中国語ではほとんど意 思疎通が図れない人々が集住したことで,違法行為の蔓延や治安の悪化,地域社会との軋 轢などが生じた.そのため当時北京市政府は温州出身者の事業活動に否定的であり,1986 年から1990年にかけて温州出身者を検挙・追放する活動を頻繁に行っていた.ただし,

温州出身者たちは追放されても,取締りが終わるとすぐに北京に戻り事業を再開したため,

政府の取締り活動はなかなか成果を挙げることができなかった(千・陳,2003).

1992 年に鄧小平による南巡講話が発表されると,大紅門がある北京市豊台区の工商管 理局は,温州市工商管理局や北京の温州出身企業家たちと協力関係を築くようになり,「大 院」と呼ばれる小規模な作業場や食堂,娯楽施設といった生活インフラなどを設置するこ とが可能な建物を建設するなどの支援を行うようになった.これをきっかけに大紅門は急 速な発展を遂げた(千・陳,2003).

1995 年には治安と衛生状態の悪化などが原因で 北京市政府による温州出身者に対す る取締りと追放活動が再開されたものの(千・陳,2003),翌1996年には,北京市政府 は管理方針を変更し,温州出身者に上述した問題を改善させることを条件に彼(女)らの 事業活動を積極的に支援するようになった.そのため,温州出身者は北京に戻り,アパレ

ル製品の生産と販売を再開した.その結果,多くの原材料市場,商業施設などが建設され た.また,北京市政府は大紅門を中心とした,アパレル業務地区の形成構想を発表し,ハ ード面とソフト面両方で大紅門のアパレル産業集積に施設やサービスを提供するように なっている.それ以降は,2006年に北京市政府により「ファッションの都の核心的地区」

の建設目標地区に指定されるなど,政府による一貫した支援を受けられるようになり,多 くの商業施設や管理施設の建設・整備がなされるようになっている(劉,2015).

2000 年頃からは,北京大紅門においてはアパレル産業の空間的分業が進展している.

1980 年代当時は,大紅門はまだ農村地域であったため政府に厳しく管理されておらず,

賃金も安かったため,温州出身者は農民の家を借りて生産を行っていた.2000 年代に入 ると都市化の進展により,大紅門の地価や賃金も上昇していった.コストを下げるため,

経営者は工場をより農村部に位置する徳茂庄と旧宮鎮へ移動させた.このようにして,生 産地域と販売地域の空間的分業が形成された11

また,同業者間で競争を避けながら利益を得るために,生産工程や流通プロセスの中で の分業も形成されており,それぞれの業者が企画,生産,販売の各工程の中で自身が得意 とする分野に専門化する傾向がみられる.また,専門化する過程において,ある業者が放 棄する業務に,新規創業者が参入するケースもある12

さらには,集積の形成により,持続的な取引関係と市場が形成され,原材料や機械など も安価で安定的に供給され,外部経済的効果が生まれている.同地域では,立地企業の需 要に応じるために,生地,ボタン,ファスナー,ミシン,裁断機などの原材料や生産機器 の販売業者や維持・修理業者なども多くみられる.また,商品の展示会の企画業者や広告 やアパレル専門誌の印刷・出版業者なども立地している.さらに近年では,ウェブサイト 上での販売に対応するために,インターネット店舗の開設・運営支援を行う企業もみられ る13

11 現地での各企業へのインタビュー調査と観察による.

12 現地での各企業へのインタビュー調査と観察による.

13 現地での各企業へのインタビュー調査と観察による.

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