第 1 章 産業集積理論と産業集積におけるネットワークの諸理論
4.3 中小規模アパレル企業における企業間ネットワークの変容 .................................... 5 8
温州には他地域出身者が138万人も居住・就業しており,隣接する江西省・安徽省や内陸 部の貴州省などの出身者が多くなっている.彼(女)らは長年,温州に就業・生活する中 で独立する機会を得て,起業している.
調査対象者の事業内容をみると,自社で企画・デザインしたアパレル製品を生産もしく は委託生産し,小売業者や卸売業者に販売する企業が多い.これらの企業の特徴は,自社 ブランドの製品を企画・デザインしている企業や自社ブランドを持たない企業であっても 自社でデザイナーを雇用して,企画・デザインを行っている企業が多い点にある.先行研 究や2014年に行った筆者自身の調査(端木2017)では,温州の小規模企業で自社にて企 画・デザインを行っている企業はほとんどみられなかったことを考えると,温州企業の事 業モデルは,2015年以降,大きく変容しつつあると推測できる.
また,生産工場については,温州市内に工場を維持し,試作品などの生産をしている企 業もあるものの,内陸部あるいはコストが比較的安い地域にある工場で生産している企業 の方が多い(ID2,4,9,10,13,14,17).これらの地域にある工場は,自社工場である場合も あれば(ID2),親族が経営している工場や(ID4,13,14),一部出資している工場(ID9,10),
完全な外部の企業の場合(ID10,17)と,様々な形態の工場がある.いずれの形態の工場 であっても,近年の生産コストの急騰により,生産コストの低い内陸部での生産を指向す る企業が多くなっている点は共通している.その一方で,温州市においては,以前は小規 模企業ではほとんどみられなかった企画・デザイン部門を有する企業が増加するとともに,
卸売りを中心とした販売部門の役割も維持されている.この理由として,温州市はアパレ ル製品の取引先として高い知名度や地位を有するようになっている点のほか,温州のアパ レル製品が近年では徐々に中国国内市場においては一定のブランド力を有するようにな っている点が挙げられる.
本節では,はじめに調査対象企業の既存のネットワークへの依存度の強さについて論じ ていく.まず,主な取引先企業は温州出身者による企業であると回答した経営者は23人 の調査対象者のうち16人もおり,温州出身者による企業とそれ以外の両方と回答した経 営者も 3 人いる.その一方で,主な取引先企業は温州出身者による企業ではないと回答し た人は4人いる.そのうち3人は海外への輸出を手がける貿易会社を経営しており,他の 1人は国内販売を行っている経営者である.出身地でみると温州出身者が2人,他地域出 身者が2人(安徽省出身者1人,江西省出身者1人)となっている.
調査対象となった企業経営者のなかには,2012年以降に新たに創業した人が13人いる が,そのうち8人は自身が創業する前から取引先企業との間に何らかの形で関係を有して おり,そのような関係性を創業後の事業に活かしている(ID13,14,17,19,20ー23).具体 的には,ID13,14,17の 3 人は温州出身(ID19 は安徽出身)であるが,元々,親族も温州 でアパレル企業を経営しており,自身が新しく企業を創業した際にも,原材料の仕入元企 業や販売先として,親族が経営していた企業と同じ企業と取引する場合が多かったという.
他地域出身であるID20ー23の場合も,長年,温州のアパレル企業で働いた後に独立した ため,主な取引先企業は,創業する以前から取引があった企業であると回答している.以 上のような企業の例をみる限り,現在も主な取引先企業を既存のネットワークを通じて確 保している企業は多いとみられる.
このように取引先の選定や確保の際に,以前から取引があり信頼関係がある企業との取 引を重視する慣行は,1992 年の南巡講話により私営企業の活動が公式に認められるよう になって以来,温州地域では長年存在している慣行であると考えられる.とりわけ,1990 年代の時点では,温州のアパレル企業が生産した製品には低品質な粗悪品も多かった.ま た,他社製品の模倣品や海賊版を生産する企業もみられた.
当時は,温州出身者の企業では,このようなコンプライアンス上は問題のある企業とも 取引をせざるをえない場合も多かった.このような企業では,納期や取引代金の支払いに ついても,契約を守らない企業も存在したため,温州企業の間では,お互いに納期や取引
代金の支払期限などに関する約束を遵守して信頼関係を構築し,このような信頼関係を有 している企業とのみ取引を行う慣行が形成されていった(ID4,7).そのため,温州の企業家 たちは,自身が他の企業家たちからの信頼度を高めることを重視するようになった.この ように取引先との信頼関係の構築は,取引先からの評判を通じて,新たな取引先を引き寄 せる効果もあった(ID3,6).具体的には,温州企業では新たな企業との取引を行うか否 かを検討する際には,取引候補の企業が有する納期や取引代金の支払い能力などの信用度 を重視するが,そのような信用度を把握するために,実際には,他の信頼できる企業から の評判や紹介を重視することが多い.
このような企業間ネットワークの中に埋め込まれている信頼関係は,取引の際に生じる コストをある程度削減させ,経済活動の効率を高める効果があった.例えば,ID4は「信 頼関係をできる販売先に対して自社の製品を販売する際には,代金の一部のみを前納して もらい,残りの代金は年末に支払ってもらう.信頼関係ができていない取引先に商品を納 める場合は,試作品を生産し代金が確定した時点で全額を前納してもらうことにしてい る」という.結果的に,信頼関係のある相手との取引は,資金繰りなどの面で,企業経営 の効率を高める効果があるといえる.そのため,温州地域外の企業と取引をする場合も,
信用度が高い温州出身者と優先的に契約することが多い(ID5,10).また,近年では,他 地域や他地域出身者の企業と取引する温州企業も増えているが,その場合も,同じ温州出 身の同業者を通じて構築された信頼関係の有無を重視する企業は多い(ID2,5).
以上のように企業間での信頼関係とネットワークに基づいた取引にはメリットがある ため,調査対象企業では,新たな取引先を開拓している企業もみられるものの,限られた 信頼できる取引先とのみ取引を続ける意向を持つ企業もみられた.インタビュー調査の結 果によると,自身で新たな取引関係を開拓する意欲がある経営者は12人いる一方で,新 たな取引関係を開拓する意欲がない経営者も11人いる.その理由として,「現状では自 社の経営状態はまだ良好である」(ID1,6,7),「取引先企業(特に卸売・小売業者)の 販売力を信頼している」(ID4,5,8,10),「これ以上は企業規模を拡大する意欲がない」
(ID2,9),「新たな取引先を開拓するのはリスクが多い」(ID20,21)を挙げている.
以上の結果によって,調査対象の企業は取引面で既存のネットワークへの依存度が高い と考えられる.本章では,このような既存の企業間ネットワークに依存している企業のな かでも,比較的経営状態の良い企業を調査対象企業として選定しているが,直接インタビ ュー調査をできなかった企業のなかには,このような既存ネットワークのみに依存した企 業経営が難しくなっている事例も存在している.このような企業では,企業間ネットワー クの存在が逆に企業経営の制約条件になっている事例もある.また,企業間ネットワーク の弱体化により,経営に影響が出ている企業もみられる.そこで次節では,既存ネットワ ークの制約と弱体化について分析していきたい.
4.3.2 既存ネットワークの制約と弱体化
第1に,調査対象企業では,新たな取引先の開拓を検討する際に,取引先候補となる企 業の支払い能力を正確に判断できないため,新規取引先には,代金の前払いを要求するこ とが一般的である.その結果,優良な取引先の排除につながる可能性もある.その一方で,
知人や同郷者が経営する既存の取引先に対しては,売掛金を全額は回収できていない状況 であるにもかかわらず,新規の取引を続ける場合もある.このような取引慣行は,温州企 業に大きな損失をもたらす可能性がある.例えば,ある企業が倒産したら,その企業と取 引関係のある他の企業も,売掛金の回収が滞ったり,多くの在庫を抱えたりするため,連 鎖的に損失を被るケースがある.
第2に,取引契約の際にも,同地域の事業者たちの間に「埋め込まれて」いる慣行に従 わざるをえないことが大きなトラブルや損失の原因になる場合も多い.温州出身の経営者 は同郷の事業者と取引契約を結ぶ際には,書面により正式な契約書を作成せず,口頭で契 約をする.書面に基づく正式な契約書の作成は,取引先の支払い意志を信用していないと 解釈される場合が多いからである.しかし,このような取引慣行は,結果的に製品の引き 渡しや代金の支払いの際にトラブルを生じさせる原因になることもある.また,「人望」