:B 氏の語り
本章では、第一次及び第二次調査を通じて最も多くのエピソードを語ったB氏による 一連の「節目」となる臨床体験を記述することで、B 氏自身の自己生成過程の構造を分 析するとともに、B氏らA地域のワーカー集団の自己生成に影響を与えつづけている自 主勉強会についても考察する。(図8)
第1節 「痛み」として 40年以上残り続ける「大きな節目」となる臨床体験
【エピソード3(46頁)】 臨床経験3~4年目の「一人前」になる手前の段階で経験した本エピソードは「私宅監 置事例」であり、B 氏の「転機」であるとともに「原点」ともなった「大きな節目」の である。本節では、第一次及び第二次調査のなかで6回にわたって詳細に語られたテキ ストを用いる。
具体的には、B氏が「能動性」を伴う姿勢で精力的に実践するなか、「受動性」を伴っ た本エピソードと出会うことによって、専門的自己が解体させられ、専門性にかかわる 問いと、それに対して応答するという構造に巻き込まれながら、専門職としての基盤を 形成し、時間をかけて本エピソードが拠り所となっていく過程を記述する。
1.調査で語られた臨床体験 1)第一次調査における語り
インタビュー調査においてB氏は、詳細な事例の概要を記載した調査票をもとに、本 エピソードを語った。以下に調査票の抜粋を示す。
(前略)保健婦から「(中略)本人を治療に結びつける事は出来ないか?」との事。保健婦を通して 家族に訪問の了解を取る。
「私宅監置」は母屋の外壁を利用した木造りの粗末な小屋。屋外に本人の獣じみただみ声が漏れてい る。家族の了解をとって中に入ると採光は板壁からもれ入る光のみ。3畳ほどの空間。床は土間の上に ベニヤと毛布らしき敷物だけ。ひどい悪臭。本人の血の抜けたような蒼白な肌、じっとりと湿気の含ん だ丹前。排尿便はその場で行っているようで、状況は悲惨であった。
「約 20年間この状況」だという。(中略) 私の訪問継続を家族は「よろしくお願いします」と快諾 してくれる。後6ヶ月間に亘っていわゆる入院説得の為の訪問が続く。その都度ワーカーの仕事と医療 の進歩を説明し続ける。“あってはいけない現実”、何としても入院させなくてはという(純粋な、だが 多分に安っぽい)正義感。専門職の使命感という呪縛”等など。当初頑なに入院を拒んでいた家族も訪 問を重ねるに従い軟化、いよいよ入院となったその日、突然家族から「アンタは本人を入院させると幾 ら懐に入るんだ!ウサギに罠を掛けるような真似をして!」と語気荒々しくなじられ呆気にとられる。
堂々巡りのやり取りが 30分程続いたが、同行していた職員のとりなしで不承々々事は収まり、結果と して本人は入院となったが、主治医曰く「お前は一体何をしようとして行ってきたんだ?入院させるだ けなら私が行った方が手っ取り早い。ワーカーとして何をしてきた?」と問われ返事に窮する。医者の 言っている意味を理解出来ない。そうして今に至っても返事に窮し、「お前は何をしたいのか?」とい つも反芻する。(後略)
B氏が本エピソードを調査で取り上げた理由は「自分にとって忘れがたいから」であ り、専門職として一人前になる以前に体験した本エピソードは、自分の「根っこ」であ り、また「自分にとっては『消えない体験』となっている」と言う。
B氏の臨床3・4年目は、1970年代初頭である。ワーカー仲間に恵まれて順調に育って いたとするB氏は、当時の自分を次のように振り返った。
正義を振りかざしていたかもしれない当時の自分
まあ、若いんで、うーん、やっぱりやりがいっていうか、やれるっていうか、全能感みたいなね、そ ういうのは自然と持つ……っていうか、私、もともと小心者なんだけど、荒れている患者さん見たら気 合い入るみたいなところが、その当時、こう、育まれたみたいなとこ、ありますよ。【27】
B氏は医療に結びついていない患者宅を訪問し、相当に恐ろしい思いをしながらも何 とか本人や家族を説得して入院に結びつけるといった、非常に積極的で「能動的」な行 動を伴った実践を展開していた。
「日々患者と格闘する仕事を続けるうちに、自分はやれるのだという全能感を持って いたのかもしれない」。そう語るB氏は、このような体験を通して、専門職としての自 分が「育まれた」、つまりある種の技能を身につけることができたとする。その一方で、
これは戦地で人をたくさん殺して手柄話をするのと似ているかもしれないから「恐ろし いことだった【27】」とも言う。
そして、初回訪問にまつわる語りが展開されていく。
ストーリーを追いながらの語りとしてのはじまり
多分ね、家族はもうすでに私の存在を聞いていて、まあ、アポ、取れていたわけですから。出迎えて くれてて、で、あの日はですね、最初の日は、あの、まあ、玄関先でBさんと立ち話、ちょっとしたの かな。それで、すぐ、そのー、本人に会いに行った状況がそこにあって。【30】
B氏は、初回訪問以前からの記憶を辿りながら、「本人に会いに行った状況がそこに あって」と、当時の状況を外在化させながら、客観的にそして時系列にそって語りはじ める。ところが、その語りにはある変化が生じてくる。
時間が交錯しながら語られはじめる初回訪問
戻ってきてね、最初の日はすっごい話してくれ、ましたよ。で、やっぱり、うーんと、あのときはね
……。(中略)まあ、家族員Cさんがいて。それで、昔話からやっぱり始まるわけで、私はもう、ここ にも書いてありますけど、淡々とですよね。もう、そういうさまざまなエピソードは超越したっていう 感じでDさんは。それで、いや、私はそれは、後になって考えたのは、まあ、先に話しますけど、その ときは、その、あの子は、小さいときから歌がうまくって、(中略)いつも村のお祭りとかで優勝して て、みたいな話になって。(中略)とっても和やかなあれで。で、そんな昔話がたくさん出て、で、ま あ、Cさんも今はそういうことで生きがいにしているし。で、帰り、野菜を車に、まあ、積んでもらっ て、で、帰ってきたんですよね。で、その日は、まあ、2時間ぐらいだと思いますけど、すごい和やか に私らを、私らをっていうか私を迎え入れてくれて、そのときにもう、はなから私は勘違いしてました よね。だから、後でわかったのは、「もう来てくれなくってもいい」っていうサインだったんだと思い ます、あれは。うん、その、快く迎えたという装いですよね、これは。
で、はなから帰れとはいかないので、「丁寧にお迎えをするけども、今日で最後にしてくれよ」って いうサインが多分どっかで出てたんだなって、ずっと後になって、これは入院した後ですよね。(中略)
で、ずっと考えてるうちにそういうことを思いましたね。だけども、それを上回る正義感だとか、優 しさとか、偽物のそういうもの(笑)っていうのが勝るわけですよ。だから、全くそんなこと、もう思 いもしなくって、ああ、話に、を聞いてくれるっていうか、のってくれるDさんだなっていうふうに、
私はそのとき、1回目は思いましたからね。【30】
B氏は、調査票にエピソードを時系列にきちんと整理しまとめていたにもかかわらず、
当時の場面一つひとつを思い出しながらのインタビューにおける語りでは、事実として の体験だけを話すのではなく、体験の事実を語りながらも、その間に思わず現時点にお ける体験の意味づけを挟みこんでいる。自分が「後になって考えた」ことをつけ加えな がら、「それで、いや、私はそれは」「うん、その」と、まるでもう一人の自分に語り かけたり、自分自身を納得させたりするような言葉を織り込みながら、語りを進めてい る。当時の状況を外在化して語り始めているのだが、徐々にB氏自身が体験に引き寄せ られていくようになる。
そして「淡々と」「エピソードは超越した感じ」、二度繰り返される「和やかな」雰 囲気という言葉。これらは、B氏が初回訪問した際に抱いた感覚そのままが言い表され ているのではない。本場面の意味づけが可能となった「ずっと後になって」生成されて きた、もしくは想起されてきたB氏の感覚が表現されているのである。また、「すっご い」話してくれた、「とっても」和やかだったという表現は、今後の「まったく」話し てくれなくなり、「まったく」和やかではなくなったりする「反転した展開」を無意識 のうちに対比させながらの語りとなっていると捉えられた。
その後何度かの訪問がなされるなかで、家族から本人の入院に関する同意を得て、つ