保正(2013)は、実践能力を変容させる契機として、「学びの活動」「ケース対応」「他者 からの影響」「社会的活動」「時代の影響」「職場環境の変化」の6項目をあげている。本調 査でも同様の傾向は見られた。中でも「時代の影響」は、協力者の実践に大きな影響を与 えていた。協力者16名のテキストを分析した結果、1993年の精神保健法の改正や1997年 の精神保健福祉士法の成立といった、法制度や資格制度に変化があった1990年代、すなわ ち協力者の臨床経験年数で言えば20年が一つの区切りとなり、臨床の状況は大きく変化し ていることが明らかとなった。そこで、本章では臨床経験20年以上及び未満に協力者を分 け、その臨床における状況を記述することにした。
第1節 臨床経験 20年以上のワーカーが育った臨床の状況
臨床経験 20年以上を有する協力者10名は、全員が福祉系大学を卒業している。精神保 健福祉士の資格課程が導入される以前の専門教育を受けている世代であり、「臨床の場が整 備される以前」の時期に入職しているため、多様な臨床体験を積み重ねながら育っている。
こうした臨床の状況に共通する特徴は、①「病棟にいる」という実践から出発しているこ と、②医者に育てられてきたこと、③組織におけるワーカーの位置づけに「格差があった」
こと、である。
1.「病棟にいる」という実践からの出発
行政職である協力者以外の全員が、入職直後から「病棟の生活支援」に携わっている。
当時の病棟の状況を詳細に、そして非常にリアルな表現で語ったのが、臨床経験30年以上 を有するベテランワーカーであるN氏だった。
仕事は患者さんがつくってくれるもの
(前略)私が入ったときにいらした先輩というのは、(中略)その方がワーカーとして入っているというこ とで、ワーカーは何をするかという形は、その時代においてはかなりの部分できていたと思うんです。入 ってまず最初に、「とにかく仕事は患者様がつくってくれるので、あなたがつくるんじゃない。だから、何 も予備知識はなくていいから、まず患者さんのもとへ行って、患者さんと一緒に過ごしなさい。その時間 を一番大事にしなさい」と(先輩ワーカーに)言われたんです。丸々1カ月ぐらいずっと病棟で、「遊んで いるんじゃないか?」、ほかの患者さんには「新しい患者さんが入った」と言われるぐらいずっと病棟に入 りっぱなしでした。【590-591】
1970年代における病院組織の中で、ワーカーの果たすべき役割や業務が明確になってい る環境は当たり前ではなかった。しかし、「ワーカーが何をするかという形は、その時代に おいてかなりの部分できていた」との語りから、N 氏の職場では、ワーカーの働く環境は ある程度整えられていたことがわかる。ところが、それにもかかわらず、上司は N氏にむ かって「仕事はあなたがつくるんじゃない」との言葉を投げかけ、「患者さんと一緒に過ご す時間」を大切にするよう促す。
上司は、即戦力として「何かをする」「何かができるようになる」ことを期待していたの
ではなく、「病棟にいる」ことを通して、何を学んでほしいと思っていたのだろうか。当時 はその理由が分からなかったけれど、「後になって思ったこと」として、N氏は次のように 語った。
3つの「どんなこと」を体験的に知ること
まずはどんな人がいて、どんなことを考えて、どんなことを思っているのかを体験的に知りなさいと。
そのことで自分の考えがまとまったり、距離が縮まったり、ということなんだろうなと後になって思いま す。その時は全然わからず、毎日遊んでいていいのかなと思うぐらい、行って、とにかくいろいろな人と 話をしてきなさいと。【591】
続いて、N氏は当時の病棟における日常生活、及び利用者や職員とのかかわりについて、
以下のとおりに語った。
ワーカーが病棟の日常生活全般にかかわる
患者さんは大部屋で。今でもそうですけど、昔の部屋は6~8人の畳部屋。大部屋というのは 15人くら いの大きい部屋で、みんな畳でした。お部屋ごとにお布団を出したりしまったり、食事も部屋ごと。だか ら、テーブルを出してそこに運んできてご飯を食べる。昼間はみんなが大部屋に集まって、昔、使役だっ て言われたような内作業をする。アイスクリームの竹のスプーンを一つずつ入れる作業があったんです。
膨大な作業なんですが、それを患者さんだけじゃなくて職員も間に入って、「昨日はどうした、ああした」
とか、「ご飯はおいしい?」「食べたくない?」とか作業をしながら、何げない日常の会話をしているんで す。すると、だんだんぽつぽつと、実はね……とか、こんなことがあってねとか、いろいろな話を患者さ んがしてくれるんです。【591】
看護師に教えてもらう
(前略)今は OTが普通にいますが、昔はいませんから看護師さんがほとんど主体でした。看護師さんが一 緒に「何時から何時までは作業の時間だよ。寝てないで起きて一緒にやろう。座っているだけでもいいか らやろう」って言って、間にぽつぽつ入りながらちゃんと様子を見て、後から看護記録を書いていました。
(中略)あまり違和感なく、「こんなことを患者さんに言われたけど……」って言うと、「それはこういう ことで。カルテを読んでごらん」ってすごく親切に教えてもらいましたね。看護師さんたちにはけっこう 教わりましたね。【591】
入院患者の大半が統合失調症であった当時、利用者の生活の場は、病院か家の二者択一 であった。それゆえ、入院患者にとっては病棟がすべての生活空間となった。そのような 制限された空間において、N 氏は利用者と「病棟にいて」「一緒に」作業などをしながら、
利用者との「何気ない日常会話」を通じて、関係をつくりはじめたのであった。語りの終 わりでは「今にして思えば」との表現を使い、当時は意識していなかったが、「密着度が強 かったかもしれない」と、当時の利用者との関係を意味づけるのであった。
また、当時の病棟における支援の主体は看護師であったたため、看護師から「教えても らう」ことも多かった。生活支援の実際について教えてもらうこと等を通じて、利用者の
「夜と昼の顔の違い」「現実と妄想の区別の仕方」などさまざまなことを学んだと言う
【592・593】。と同時に、作業をしながら「利用者の様子を見て、後から看護記録を書いて いました」との語りからは、「何気ない日常会話」に専門職として把握するべきものがある ことを学んでいる。つまり、看護師からの直接的な助言やふるまいから、利用者理解のた めに必要な知識を学ぶとともに、利用者理解のための枠組みも学んでいたのである。こう した体験はワーカーとしての基盤を形成するのに非常に有益だったと、N氏は語っている。
2.医者に育てられる
第二次調査の協力者のうちで、40年以上の最も長い臨床経験を有するA氏及びB氏が入 職したのは、1960年代末である。この時代は、全共闘運動などの影響を受け、精神医療改 革の運動が活発化した時期に相当する。従来の精神医療体制などのあり方を巡って、各学 会の研究発表が中止になったり、医学部のヒエラルキー構造が糾弾されたりし、1960年代 末から1970年代初頭は、我が国の精神医療において激動の時代であった。
A 氏は、「白衣を脱ぐ」実践を展開した三重県立高茶屋病院を例にあげながら、2名の自 分を育ててくれた医者について、次のように語った。
白衣を着ない医者
(前略)例えば、当時、高茶屋で白衣を脱ぐ運動というのをやり始める。そういうのにやっぱり関心を 持つわけですね。権威性がそういう象徴して表れるもの、それをもってしか対人関係を結べないというこ とについては、すごく疑問だと。やはり裸でつき合うべきだというのがあって。ただ、A先生、B先生は 白衣を着ない医者だったんですよ。これは、やはりそういうのを考えていた人だなと思います。(中略)A 病院を造ったときも、白衣は看護職員にもない。ジャージだと思います。物を支給するというやり方をし ていた、変わった病院ではあったんですね、当時としてはね。私もそういうことを考えていたから、そう いう権威性は排除してということが基本にあったので。【4】
A氏が入職した当時は、医者、看護師、そしてワーカーが、「精神医療改革」という共通 の目標に向かって、「いかに権威性を排除するか」といった実践課題に取り組む、そのよう な実践が病院で展開される時代であった。言い換えれば、医者とワーカーが対等な関係で 結ばれることが可能な時代だったのである。
A 氏とA 氏を支えた医者は、日常的に仕事としてのかかわりが頻繁にある身近な関係に あった。一方、B氏の場合は、普段はあまり仕事上で必ずしもたくさんの接点があるわけで はなかったC医師について語った。それを以下に示す。
「生活者」としての感覚をもつ医者
(C先生がつくった病院は)煙突ががーっとあって、あの銭湯があるんですよ。これにまず驚かされま した。C先生に聞くと、「いや、Bあなた、人ってやっぱり風呂なんか、普通は家から出て、歩いて風呂に 通って、番台に金を払って、自分で入って帰ってくるんだろう?」、「そうですよね」、「そういうことなん だ」って言うんです。要するに生活者だという感覚です。(後略)それは、花を作りたい人もいる、畑を作 りたい人もいる、仕事をしたい人もいる、スポーツをやりたい人もいる。だから、私は、その花壇をつく