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ドキュメント内 現代と念沸 (ページ 105-113)

浄土宗常任布教師

総本山知恩院布教師

大本山増上寺布教師

一味会理事

第一 章 念 仏 の 教 え て念仏を先とする教え 二︑念すなわち唱なり:

・:

::

三︑大念は大仏をみる四︑念仏は勝れ︑余行は劣れり五︑いつでもどこでも称えられる念仏

第 二 章 正 し い 呼 吸 法

一︑呼吸は人聞が生きる基本二︑中野善英上人が提唱された大念仏三︑静坐の眼目::::四︑坐り方を正しくする・

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‑‑

五︑念仏と静坐六︑正しい呼吸について第三

章 呼 吸 と 身 心 の 健 康

一︑人間のからだは一大調和体である::::・二︑心とからだを落ちつける自然息三︑現代人の呼吸は浅くて弱い四︑伊吹嶺に向ひて息を吐くときはむすび││念仏生活

て釈尊の呼吸法に学ぶ

二︑念仏は最高の健康法である三︑お念仏を称えて長寿を保ちましょう

III  110  110  1ωlω  115  115 113 112  112  III 

120  119 118 117  l124122 

第一章

念仏の教え

一 ︑念仏を先とする教え

選択本願念仏集の最初に﹁往生の業には念仏を先とす﹂と述べられています︒お念仏を称えるといっても︑心に念

ずる念仏︒口にとなえる念仏などいろいろありますが︑ここでは口に南無阿弥陀仏とおとなえ申すことでありまして︑

口で声に出して阿弥陀知来さまのみ名をお称え申しあげることによって﹁往生の業﹂となると法然上人は選択集のは

じめにのべておられます︒

お念仏をお称えするとみ仏のお救いにあずかるという教えが根本であるとうけとらしていただきますとき︑わたく

したち一人一

人 ︑

わたくしたち自身の念仏信仰がみのったとき自然に身も心もきわやかになり︑健康でなければなら

ないとおもいます︒

ここでは念仏と健康という面から拝察させていただきたいとおもいます︒

二 ︑念すなわち唱なり

選択集第三章に﹁念声これ一なり﹂何をもってしかることを得たる︒観経の下品下生にいわく︑声をしてたえざら

しめ︑十念を具足して︑南無阿弥陀仏と称せしむ︒声即是念││(こえがすなわちねん)││念即是声││念仏は声

に出してみ仏のみ名をおとなえすることによって︑み仏の本願にふれる︒ーーという教えを中心に︑このことについ

て考えさせていただきたいと思います︒

三︑大念は大仏をみる

さらに﹁大念は大仏をみる︒小念は小仏をみる︒大念とは大声の念仏︒小念とは小声の念仏な

り︒かるがゆえに念すなわち唱なり

﹂ ︒

とのべておられます︒ 選択集第三

章に

は︑

すな

わち

お念仏は腹の底から心をこめて声に出してみ仏のみ名をお称え申すことによって︑み仏のみ心にふれ︑

み仏の親心を感じて︑生きるよろこびがわいてくるというのであります︒

四︑ 念仏 は勝 (す ぐ) れ余 行は 劣( おと )れ り

弥陀知来余行をもって往生の本願となしたまわず︑ただ念仏をもって往生の本願となしたもう││の文(救いの本

願)第三章

の中

﹁仏の名号の功徳は余の一切の功徳に勝(すぐ)れたり︒ゆえに劣(おと)れるを捨て勝を取りて︑

もって﹁本願﹂となしたもうなり﹂ーーとのべておられますように︑ナムアミダブツと声に出してみ仏のみ名をおと

なえすると︑仏さまのさとりの功徳も︑救済のカも︑すべての徳がこめられている︒すなわち︑万徳がこめられてい

るとのべておられます︒お念仏を称えることによって︑わが身にすべての徳をいただくということは︑心身ともにす

こやかなくらしをさせていただくことになるのであります︒

いつでもどこでも称えられる念仏

お念仏は修しやすく︑諸行は修し難し︑行住坐臥︑時処諸縁を論ぜず││︒とのべておられますようにお念仏はい

つで

も︑

どこでも︑歩いているときも︑働いているときも︑横になって寝ているときも︑病床にあっても称えられる

行であり︑これは自然に声となって出てくる︒声となってみ仏が称えさせてくださるのであって︑ちょうど子どもが

オ ギ ヤ

﹂と泣き叫ぶように仏さまの方から呼びかけていてくださ│﹁おかあさん││﹂と母の名を呼び︑﹁オ

ギャ

るのでありまして︑この人間自然の叫びがナムアミダブツとなってよろこべるようになるには︑子どもがお母さんの

名を呼ぶように︑もっと童心にかえり︑純心な気持ちになり︑愚にかえら

なけ

れば

本心の叫びとはなりません︒

正しい呼吸法

一︑呼吸は人聞が生きる基本

人聞は呼吸をして生きています

︒ ﹁

生きる﹂ということは﹁息する

︒ ﹂

ことであります

︒﹁ 息

をする﹂ことによって

生命を保っていて呼吸が生命の基でありますcこの呼吸に心をこめることは人聞が﹁往き生きていく﹂上でもっ

とも

大切なことであります︒

天地大宇宙の生命は︑あげて︑呼吸をしています︒み仏の本願は︑わたくしたちを生み育て︑教え︑導いて︑

ま す

ます︑すこやかにさわかに往き生かせたいという親心にあります︒何とか生かしたい︒何とか成長させたいという親

心がナムアミダブツとなっていてくださるのでありまずから︑この親心にふれこの親心に報いるには腹の底から︑

い呼吸をして︑健康を保たねばなりません︒

ナムアミダブツという一声一声が一息一息となって大字宙のいのちにつながり︑み仏の本願をいただくことになる

のであります︒

二 ︑中野善英上人が提唱された大念仏

﹁坐法を坐禅と静坐に取り︑呼吸法を静坐の腹式とし︑その呼吸法と発声法を弾誓流念仏等を組み入れ︑更に念仏

における身の構え正しい威儀︑基本姿勢について研究工夫︑実践して︑身体の健康が保てるような念仏をしなければ

ならぬ﹂とおっしゃいました︒

三 ︑静坐の眼目

﹁坐は生の法則﹂と申しまして︑坐ることの工夫︑実践が生の根源で︑古来仏教では坐相を大切にし︑実相印等で

示されています︒

ー︑腰をグッ!と立てること︒

2︑みぞおちを落すこと︒

3︑下腹丹田に力を養うこと︒

静坐の三眼目を大事にしながらお念仏をお称え申したいとおもいます︒

四︑坐り方を正しくする

て坐禅における結蜘扶坐について左に要点をのべます︒

ー ︑

右の足を左の足の股の上におき︑左の足を右の股の上にのせ︑右の足の甲が下腹部に着くようにする︒

2︑次にクビ筋がきゅうくつでないようにゆるやかにする︒

3︑手は右の手を下に︑左の手を上にして左の足の上におく︒

ほうかいじよういん4︑このとき︑親指の爪と爪とを向き合い合せて︑軽くあてるようにする︒これは﹁法界定印﹂という印相であ

5︑背骨をまっすぐにたてる︒

‑右にも左にもかたむかない︒

‑前にかがまず︑後にあおむかない︒

‑耳と肩とがむき合う︒

‑鼻と瞬(ほそ)がむき合う︒

6︑背筋をまっすぐ保つ

‑腰骨をグッと思いきり後方に引くようにする︒

‑そのまま前の方へ引かぬようにして上体を起こす︒

7︑頭を左右どちらにもかたむかない︒上むきせず︑うつむきすぎない︒

8︑目は自分の坐っている場所から三︑四尺先(視線が自然に落ちるようにする︒)目はふさがない︒

9︑上腹部(みぞおち下)を虚(柔凹)

にす

︒下腹部丹田を充実させる︒

日︑胸腔︑首︑肩に力をいれないようにこころがける︒

日︑どっ

しり

と︑

ゆったりと坐る︒

二︑半蜘扶坐(はんかふざ)

左の足を右の股の上におき︑結蜘扶坐で学んだ要領で坐る︒

二︑静坐の実習について

っちふまずのところで︑両足を

X

字形にかさねる︒

どち

らが下になってもよい︒││これができない時はっち

ふまずのところへお尻をのせ︑親指と親指を重ねる︒

2︑膝がしらは少し開く︒(にぎりこぶし二つ︑女性は一

つ)

左右そろえる︒あまりひらきすぎると胸で支えるよ

うになって︑胸に力がはいる︒

3︑瞥部はなるべく後方に突き出し︑足の上に軽くおく︒

4︑腰は立てるようにして︑下腹を膝の上にのせるような心持ちで坐る︒

5

胸︑

肩の力をぬく︒

6︑みぞおちのカをぬく︒(上虚) 7︑上腹部をやわらかくするよう心得る︒

8︑首は襟をうしろへ押すようにして︑あごを引く︒

9︑頭のてっぺんで天井をつき上げるような気持ちで首を前へ下げないようにして︑首をまっすぐにかまえる︒

日︑両手を深く︑しかも軽く組んで︑下腹につけ︑掌を上にむけ︑膝の上におく︒ 日︑口をとじる︒

五 ︑

ドキュメント内 現代と念沸 (ページ 105-113)

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