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一 、
御法語を中心に
‑はじめに
平成十年は元祖法然上人が﹃選択本願念仏集﹄を撰述
されて丁度八百年という記念すべき年である︒私は宗門
の大学に於て土川勧学興隆会本﹃選択集﹄をテキスト
に学んだのであるが︑自己の勉強として石井教道師の﹃選
択集全講
﹄小沢勇貫師の
﹃ 選
択集講述﹄そして服部英
淳師の和訳﹃選択集﹄を副読本として用いていた︒
服部勧
学の著は︑今から五十年前の昭和二十三年︑戦
後の混乱期でもあり浄土宗の分裂期でもあったときの刊
行で︑更に五十年程前には筆者の法祖文である桑門秀我
勧学によ
って
﹃ 選 択集大意
﹄
(明
治
二十六年刊)が著わさ
れている
︒大正十
三年 には野上運外師の編纂にかかる
﹃倒
紳選
択集
﹄
が出されているが︑これの原本は開通・忍
清
秀 { 告 水
海両上人の子になるものであって︑撰述五百五十年のお
待ち受けである
︒更
に撰述五百年に相当する元禄十年(円
光大師号加誼の年)の前年には︑義山上人が﹃選択集﹄
の建暦版を模刻しておられたりする︒
こうした記念出版とも言
うべき
﹃ 選
択集﹄及ぴその解
説書類が宗学の振興に寄与した役割は大なるものがある
が︑これが儀式の上でどう反映されているかと云うと
一 つ
は祖山の御忌大会における唱導師の作法のうち︑御
書拝読として﹃
選択集
﹄を薫香項戴して暫し黙読するこ
とであり︑もう一つは本願寺に於ける正月二十五日の円
光大師会作法に︑﹁三選章﹂として︑速欲離生死
種 勝 法 中
選入浄土門
云 云
のいわゆる︒略選択︒
E
閣聖選門
の文を声明機法の呂による譜付で呉音読みしていること
である︒
筆者は昨年︑総合研究所の公開研究会の席で︑﹃選択集
﹄
の結論である︑﹁南無阿弥陀仏念仏為先﹂の往生之業
言葉に注目して﹂れに声明の伽陀の節付をして発表し
たの
であ
るが
︑ そのほか信徒教化の点で
﹃選択集﹄
のこ
﹂ろを法語で味わうまた表白・宣疏で趣旨を示す︑
いは諦経・偏文・礼讃として引用するなど様々な方法を
考えてみた︒
•
衰 自
﹃選択集﹄の意を汲んで︑表白・宣疏・歎徳文などに
引用するキーワードを
一例として挙げると
蓋し念仏とは阿弥陀仏の四智三身十力四無畏等一切
の内証の功徳︑相好光明
説法利生等外用の功徳皆悉く
摂在せる万徳所帰の宝号たり︒
( 第
三章)
念仏する者は人中の募陀利撃なりと
誉め讃う︒
観音勢 至両整口薩勝友となりて常随影護の利益を与え給う
︒
(第
十
一章
)
当に知るべし︑本誓の重願虚しからず︑衆生称念すれ
ば必ず往生を得と︒
(第
三章
) 浄土の教え︑時機を叩いて行運にあれたり︒念仏の行
水月を感じて昇降を得たり︒
(第
十六
章)
善導大師古今を措定し・...
(同
右)
或
元祖大師の遺弟等︑
謹んで選択本題念仏集御撰述八百
年の佳辰に当たり
阿弥陀仏の本願成就
・光明摂取
来迎引接の徳相を讃歎し
以て宗祖の鴻恩に報いんが 為にいささかの供具をのべて報恩の誠を表わす
︒仰ぎ
‑100 願わくは大悲願王阿弥陀仏︑高祖光明善導大師︑元祖
円光明照和順大師この徴哀を容れて哀感を垂れ給
︑ ぇ
︒
等々の語句が挙げられる
︒
•
礼 讃 礼讃としては︑第五念仏利益篇のところに﹁其有得聞
彼云 云
﹂の初夜礼讃の部分があり︑第十
三章には﹁極楽無
為浬繋界
云 云
﹂の
法
事
讃法要で抄出されている部分も含ま
れている︒しかし常用のものとしては第七章の私釈段に
﹁弥陀身色如金山
云 云
﹂の
三噂礼の官頭が引用されること
により︑これを取りあげて良かろうと思う︒
• 5
最経
読諦の経典としても︑普段と同じく真身観文や阿弥陀
経でよいのであるが少し趣きを変えて︑普段読まない
部分でどこか読みたい︑ということになれば︑それは第
四章の三輩念仏往生篇にある﹁仏告阿難十方世界諸天人
民其有至心願生彼国凡有三輩﹂以下の大経の三輩のとこ
ろであろうと思う︒三部経を輪読しても︑この大経下巻
というものは五悪段等で大変読みづらいのであるが︑下
巻の冠頭にある三輩の箇所は語調の歯切れもよく︑
切 害JI
加勿も単調で入れ易いところである︒引用も細切れでなく
丁度宗務片発行の﹃選択集﹄で二ページの分量である︒
‑御法語さて︑御法語として﹃選択集﹄のどの部分を拝読する かとなれば︑教学・布教・法式・詠唱等さまざまな分野
で意見が分かれることであろう︒今般の選八奉戴規程で
は︑﹁宗祖法然上人の顕彰及び逸択集の現代社会への開顕
︒
と大衆教化につとめるために︑各種記念事業を推進する﹂とあ
る︒
平成八年九月十九日付で︑総合研究所から﹁選択集八
百年記念事業﹂アンケートというものが送られてきた︒
その趣旨説明を引用すると
そ︑
もそ
・も
﹃選択集
﹄は言うまでもなく宗祖法然上人の
主著であり︑浄土宗の独立宣言書とも評され︑その教理
の根本を示された大切な至宝です︒しかし正直に反省
すると一
部の宗学研究者は別として︑実際にその本旨
が浄土宗の教学︑布教︑法式各分野にどれほど活かれて
いるか︑果して一般教師が日常親近し奉戴しているか
まして檀信徒の教化の中核にいかほど役立てているか甚
だ疑問であります︒こうした自省の上に今後この現実を
どう改革したらよいか︑ここに奉戴記念を一年かぎりの
慶一事に終らせない画期的継続的な事業にするべき
だと云うのである︒総合研究所のそうした意味に於て
三部門︑更には宗門全体としてこれは
至極重要だという
御法語はどこかと詮索した︒
言うまでもなく﹃選択集﹄十六章全部の要点は︑庫山
寺本の巻頭に元祖大師の直筆にかかる﹁南無阿弥陀
仏
縫い
飢餓
﹂の十四文字が結論であ
っ 九
(結
前生
後)
︑昔
から
言われる﹃選択集﹄の読み方に広略要の三種類あり︑
とされるその略選択の文といわれるのは︑十六章段目の
﹁ 夫
レ達 一欲い離コ
ト生
死 イ 一 一
種 /
勝法
/中
‑ 一 ハ
且 ラ ク
閤一J聖道
門↓選 テ入口浄土門‑一 一
﹂以
降の
三重選択の文である︒
阿弥陀仏の本願に絶対的信帰した選択本願念仏の絶対
的価値を力説したところで︑法然浄土教の﹁捨閉閣抽﹂
の説と呼ばれる箇所である︒また三祖記主禅師は﹁この
十六句は集の大意なり﹂と結論づけされることにより
これを御法語に用いるのは妥当なところであろう︒
しかし反面︑先述の大衆教化という点に心を
注
げば
︑
﹂の略選択の文も教旨の上からは重要な文であっても
一般檀信徒と共に拝読する文章として︑余程仏教の素養
があり︑説教・講演など開法の機会の多い人でなければ
理解しがたい憾みがある︒
第一章の知く﹃安楽集﹄
によ
って聖浄二門の教相判釈
をするが知き箇所を読ましめても︑難解な語句ばかりが
目立っ
て勤行中の法語としてはどうかと思われる
︒立教
開宗の要文としての立場からは︑第二章段の﹁一
心専
念﹂
の文のところの方がむしろ相応しい
︒ ﹃
勅修御伝
﹄巻六に
も引用され知恩院版﹃元祖大師御法語前篇﹄の二日目
に配され輪読されている︒本山では﹁我等がごとくの無
‑ 102 ‑
智の身は︑
偏にこの文をおふぎ︑もはらこのことはりを たのみて︑念々不捨の称号を修して︑決定往生の業因に
備べし︒﹂までを読んでいるが︑伝記には更に﹁たゾ善導
の遺教を信ずるのみにあらず
︒又あつく弥陀の弘願に順
ぜり︒順彼仏願故の文︑ふかく魂にそみ︑心にとゾめた
るなり︒﹂と続くので︑段切れのところまで追加して読む
のが良かろうと思う︒
﹂の箇所は昭和四十九年の開宗八百年慶讃法要にも読
まれ
たが
︑
普
段は滅多に読まれることがないというのも
不思議なことである︒開八には知恩院・百万遍では祖山
の御法語集の如く大衆同音に勅伝の抄出を読み︑増上寺
で は 二 心 専 念 云 云
﹂の部分のみを開宗の文の係が独唱し
たという︒
第三章では︑大経の第十八願文及び﹃観念法門﹄や﹃往
生礼讃
﹄の
若我成仏の文を引き︑また私釈段にては﹁若
し夫れ造像起塔を以て本願とし給わば貧窮困乏の類は定
で往生の望を絶たん︒一
五 云
﹂ と
︑如来平等の慈悲に立脚し
た本願というものが力説されている︒見て判る︑読んで
判るという観点からは最もふさわしく感じられるが︑貧
賎・富貨などの単語にこだわって︑近頃やかましい差別
表現などと言葉尻だけを捉えて非難されかねない︒この
点だけが問題である︒
斯様に各章段毎に吟味していったが︑浄土宗の実践行
法を説く第二章段の開宗の文は欠けないと考えられた︒
﹁順彼仏願故﹂の表現が三回も出てくるからである︒同
じく第四章三輩念仏往生篇の私釈段にある﹃観経疏﹄の
﹁上
来雄
パ説
コト定散両門/之益↓望
コ 川
偽 /
本 同
一 一
意在
日 ト
衆生
ヲン
テ一
向‑
一専
ラ称
ブ
一 ン ム ル
ニ弥
陀偽
/名
イ﹂
﹃観無量寿経﹄所説の付属念仏の釈文が︑これまた第十 いわゆる
二章
付属仏名篇に引用されることにより︑重要であるが
故の重複と見ると︑満更看過もできないであろう︒
それから今一つの提案は︑先年来筆者が信徒勤行式と
して多用されたいと願う御法語の一節であってそれは
﹃選択集﹄第七章の摂取護念の項目である︒ここには 日常勤行式に於て必ず用いられる﹃観経﹄真身観の﹁光
明循照十方世界念仏衆生摂取不捨﹂の偽文が挙げられ
続いて﹃観経疏﹄による善導大師の自問自答として︑念
仏衆生摂取不拾の道理を三縁の義を以て説明するのであ
る
ス レ パ
衆 生 起 一 一 行 日 常 材 レ 仏 仏 即 聞 レ 之 身 常
礼二
敬ス
レパ
仏↓
仏即
見げ
7
之 7
ヲ心
常‑
一念
パレ
パ仏
ヲ仏
即
タ
7 7
ヲ ス レ .
︑ ヲ ン タ マ
7知りてて之衆生憶一弘
ペ ノ 仏 一 者仏亦憶
二 念
s f
︑t衆生ヲ
彼
此
/三
業不相捨離セ故‑一名ク親象ト也二
主ゆ
一また︑この文は第二章
に於ても五番相対のうち︑︒親疎対︒
を説明するのに引用されているものである︒