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ドキュメント内 教化研究 No.09 (ページ 104-124)

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御法語を中心に

‑はじめに

平成十年は元祖法然上人が﹃選択本願念仏集﹄を撰述

されて丁度八百年という記念すべき年である︒私は宗門

の大学に於て土川勧学興隆会本﹃選択集﹄をテキスト

に学んだのであるが︑自己の勉強として石井教道師の﹃選

択集全講

﹄小沢勇貫師の

﹃ 選

択集講述﹄そして服部英

淳師の和訳﹃選択集﹄を副読本として用いていた︒

服部勧

学の著は︑今から五十年前の昭和二十三年︑戦

後の混乱期でもあり浄土宗の分裂期でもあったときの刊

行で︑更に五十年程前には筆者の法祖文である桑門秀我

勧学によ

って

﹃ 選 択集大意

(明

二十六年刊)が著わさ

れている

︒大正十

三年 には野上運外師の編纂にかかる

﹃倒

紳選

択集

が出されているが︑これの原本は開通・忍

秀 { 告 水

海両上人の子になるものであって︑撰述五百五十年のお

待ち受けである

︒更

に撰述五百年に相当する元禄十年(円

光大師号加誼の年)の前年には︑義山上人が﹃選択集﹄

の建暦版を模刻しておられたりする︒

こうした記念出版とも言

うべき

﹃ 選

択集﹄及ぴその解

説書類が宗学の振興に寄与した役割は大なるものがある

が︑これが儀式の上でどう反映されているかと云うと

一 つ

は祖山の御忌大会における唱導師の作法のうち︑御

書拝読として﹃

選択集

﹄を薫香項戴して暫し黙読するこ

とであり︑もう一つは本願寺に於ける正月二十五日の円

光大師会作法に︑﹁三選章﹂として︑速欲離生死

種 勝 法 中

選入浄土門

云 云

のいわゆる︒略選択︒

E

閣聖選門

の文を声明機法の呂による譜付で呉音読みしていること

である︒

筆者は昨年︑総合研究所の公開研究会の席で︑﹃選択集

の結論である︑﹁南無阿弥陀仏念仏為先﹂の往生之業

言葉に注目して﹂れに声明の伽陀の節付をして発表し

たの

であ

るが

︑ そのほか信徒教化の点で

﹃選択集﹄

のこ

﹂ろを法語で味わうまた表白・宣疏で趣旨を示す︑

いは諦経・偏文・礼讃として引用するなど様々な方法を

考えてみた︒

﹃選択集﹄の意を汲んで︑表白・宣疏・歎徳文などに

引用するキーワードを

一例として挙げると

蓋し念仏とは阿弥陀仏の四智三身十力四無畏等一切

の内証の功徳︑相好光明

説法利生等外用の功徳皆悉く

摂在せる万徳所帰の宝号たり︒

( 第

三章)

念仏する者は人中の募陀利撃なりと

誉め讃う︒

観音勢 至両整口薩勝友となりて常随影護の利益を与え給う

(第

一章

)

当に知るべし︑本誓の重願虚しからず︑衆生称念すれ

ば必ず往生を得と︒

(第

三章

) 浄土の教え︑時機を叩いて行運にあれたり︒念仏の行

水月を感じて昇降を得たり︒

(第

十六

章)

善導大師古今を措定し・... 

(同

右)

元祖大師の遺弟等︑

謹んで選択本題念仏集御撰述八百

年の佳辰に当たり

阿弥陀仏の本願成就

・光明摂取

来迎引接の徳相を讃歎し

以て宗祖の鴻恩に報いんが 為にいささかの供具をのべて報恩の誠を表わす

︒仰ぎ

‑100  願わくは大悲願王阿弥陀仏︑高祖光明善導大師︑元祖

円光明照和順大師この徴哀を容れて哀感を垂れ給

︑ ぇ

等々の語句が挙げられる

礼 讃 礼讃としては︑第五念仏利益篇のところに﹁其有得聞

彼云 云

﹂の初夜礼讃の部分があり︑第十

三章には﹁極楽無

為浬繋界

云 云

﹂の

讃法要で抄出されている部分も含ま

れている︒しかし常用のものとしては第七章の私釈段に

﹁弥陀身色如金山

云 云

﹂の

三噂礼の官頭が引用されること

により︑これを取りあげて良かろうと思う︒

5

読諦の経典としても︑普段と同じく真身観文や阿弥陀

経でよいのであるが少し趣きを変えて︑普段読まない

部分でどこか読みたい︑ということになれば︑それは第

四章の三輩念仏往生篇にある﹁仏告阿難十方世界諸天人

民其有至心願生彼国凡有三輩﹂以下の大経の三輩のとこ

ろであろうと思う︒三部経を輪読しても︑この大経下巻

というものは五悪段等で大変読みづらいのであるが︑下

巻の冠頭にある三輩の箇所は語調の歯切れもよく︑

切 害JI

加勿も単調で入れ易いところである︒引用も細切れでなく

丁度宗務片発行の﹃選択集﹄で二ページの分量である︒

‑御法語さて︑御法語として﹃選択集﹄のどの部分を拝読する かとなれば︑教学・布教・法式・詠唱等さまざまな分野

で意見が分かれることであろう︒今般の選八奉戴規程で

は︑﹁宗祖法然上人の顕彰及び逸択集の現代社会への開顕

と大衆教化につとめるために︑各種記念事業を推進する﹂

とあ

る︒

平成八年九月十九日付で︑総合研究所から﹁選択集八

百年記念事業﹂アンケートというものが送られてきた︒

その趣旨説明を引用すると

そ︑

もそ

・も

﹃選択集

﹄は言うまでもなく宗祖法然上人の

主著であり︑浄土宗の独立宣言書とも評され︑その教理

の根本を示された大切な至宝です︒しかし正直に反省

すると一

部の宗学研究者は別として︑実際にその本旨

が浄土宗の教学︑布教︑法式各分野にどれほど活かれて

いるか︑果して一般教師が日常親近し奉戴しているか

まして檀信徒の教化の中核にいかほど役立てているか甚

だ疑問であります︒こうした自省の上に今後この現実を

どう改革したらよいか︑ここに奉戴記念を一年かぎりの

慶一事に終らせない画期的継続的な事業にするべき

だと云うのである︒総合研究所のそうした意味に於て

三部門︑更には宗門全体としてこれは

至極重要だという

御法語はどこかと詮索した︒

言うまでもなく﹃選択集﹄十六章全部の要点は︑庫山

寺本の巻頭に元祖大師の直筆にかかる﹁南無阿弥陀

縫い

飢餓

﹂の十四文字が結論であ

っ 九

(結

前生

後)

︑昔

から

言われる﹃選択集﹄の読み方に広略要の三種類あり︑

とされるその略選択の文といわれるのは︑十六章段目の

﹁ 夫

レ達 一欲い離コ

ト生

死 イ 一 一

種 /

勝法

/中

‑ 一 ハ

且 ラ ク

閤一J聖道

門↓選 テ入口浄土門‑一 一

﹂以

降の

三重選択の文である︒

阿弥陀仏の本願に絶対的信帰した選択本願念仏の絶対

的価値を力説したところで︑法然浄土教の﹁捨閉閣抽﹂

の説と呼ばれる箇所である︒また三祖記主禅師は﹁この

十六句は集の大意なり﹂と結論づけされることにより

これを御法語に用いるのは妥当なところであろう︒

しかし反面︑先述の大衆教化という点に心を

げば

﹂の略選択の文も教旨の上からは重要な文であっても

一般檀信徒と共に拝読する文章として︑余程仏教の素養

があり︑説教・講演など開法の機会の多い人でなければ

理解しがたい憾みがある︒

第一章の知く﹃安楽集﹄

によ

って聖浄二門の教相判釈

をするが知き箇所を読ましめても︑難解な語句ばかりが

目立っ

て勤行中の法語としてはどうかと思われる

︒立教

開宗の要文としての立場からは︑第二章段の﹁一

心専

念﹂

の文のところの方がむしろ相応しい

︒ ﹃

勅修御伝

﹄巻六に

も引用され知恩院版﹃元祖大師御法語前篇﹄の二日目

に配され輪読されている︒本山では﹁我等がごとくの無

‑ 102  ‑

智の身は︑

偏にこの文をおふぎ︑もはらこのことはりを たのみて︑念々不捨の称号を修して︑決定往生の業因に

備べし︒﹂までを読んでいるが︑伝記には更に﹁たゾ善導

の遺教を信ずるのみにあらず

︒又あつく弥陀の弘願に順

ぜり︒順彼仏願故の文︑ふかく魂にそみ︑心にとゾめた

るなり︒﹂と続くので︑段切れのところまで追加して読む

のが良かろうと思う︒

﹂の箇所は昭和四十九年の開宗八百年慶讃法要にも読

まれ

たが

段は滅多に読まれることがないというのも

不思議なことである︒開八には知恩院・百万遍では祖山

の御法語集の如く大衆同音に勅伝の抄出を読み︑増上寺

で は 二 心 専 念 云 云

﹂の部分のみを開宗の文の係が独唱し

たという︒

第三章では︑大経の第十八願文及び﹃観念法門﹄や﹃往

生礼讃

﹄の

若我成仏の文を引き︑また私釈段にては﹁若

し夫れ造像起塔を以て本願とし給わば貧窮困乏の類は定

で往生の望を絶たん︒一

五 云

﹂ と

︑如来平等の慈悲に立脚し

た本願というものが力説されている︒見て判る︑読んで

判るという観点からは最もふさわしく感じられるが︑貧

賎・富貨などの単語にこだわって︑近頃やかましい差別

表現などと言葉尻だけを捉えて非難されかねない︒この

点だけが問題である︒

斯様に各章段毎に吟味していったが︑浄土宗の実践行

法を説く第二章段の開宗の文は欠けないと考えられた︒

﹁順彼仏願故﹂の表現が三回も出てくるからである︒同

じく第四章三輩念仏往生篇の私釈段にある﹃観経疏﹄の

﹁上

来雄

パ説

コト定散両門/之益↓望

コ 川

偽 /

本 同

一 一

意在

日 ト

衆生

ヲン

テ一

向‑

一専

ラ称

一 ン ム ル

ニ弥

陀偽

/名

イ﹂

﹃観無量寿経﹄所説の付属念仏の釈文が︑これまた第十 いわゆる

二章

付属仏名篇に引用されることにより︑重要であるが

故の重複と見ると︑満更看過もできないであろう︒

それから今一つの提案は︑先年来筆者が信徒勤行式と

して多用されたいと願う御法語の一節であってそれは

﹃選択集﹄第七章の摂取護念の項目である︒ここには 日常勤行式に於て必ず用いられる﹃観経﹄真身観の﹁光

明循照十方世界念仏衆生摂取不捨﹂の偽文が挙げられ

続いて﹃観経疏﹄による善導大師の自問自答として︑念

仏衆生摂取不拾の道理を三縁の義を以て説明するのであ

ス レ パ

衆 生 起 一 一 行 日 常 材 レ 仏 仏 即 聞 レ 之 身 常

礼二

敬ス

レパ

仏↓

仏即

見げ

7

7

ヲ心

常‑

一念

パレ

パ仏

ヲ仏

7 7

ヲ ス レ .

︑ ヲ ン タ マ

7知りてて之衆生憶一弘

ペ ノ 仏 一 者仏亦憶

二 念

s f

t

生ヲ

/三

業不相捨離セ故‑一名ク親象ト也

また︑この文は第二章

に於ても五番相対のうち︑︒親疎対︒

を説明するのに引用されているものである︒

ドキュメント内 教化研究 No.09 (ページ 104-124)

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