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不安は現代のすべての人間に共通なものであり︑ いわば人間の実存の条件であると理解できるほ どに︑現代人にお いて不安が顕にな あ らわってきている 0 不安は様々に 考 察され︑いろいろな視点から解明されることが できるが・本論文で は 宗教哲学的な見地から︑不安とは何であるか︑ また︑不安はどのようにして克服されさるか︑ という問題を ︑キヱ ルケ ゴールを通して解明したい︒彼が不安の概念 をこれまでに最も深く掘り下げている哲学者と 考えられるばかりで なく︑彼が実存の問題を人格論的︵ づの r の o コ P 目 きの 0 ず ︶思惟で宗教哲学的に根底から解明している ためである︒しか し ︑後述のごとく︑キェルケゴールによって 不 安 の問題が根源的に解決し尽くされたとみること はできない︒ 彼 以後 さらに不安の概念は︑ハイデッガーによって 哲 学的な存在論の立場から︑またティリッヒによっ て 神学的存在論の立 燗場から解明される︒そしてこれら二者は︑ キ エ ル ケ ゴールによっては十分に解明し尽くされ ていない不安に連関して㎝
軸の諸問題を探求している︒それゆえ︑ キェ ルケ ゴールの不安の問題の解明に関して評価すべ き 点と批判すべき点を浮 不 き 彫りにし︑さらに不安の問題を根源的に解明 するために必要な範囲内で︑ハイデッガーやティ リッヒにおける不安 序
不安の問題
キェルケゴールを通して 川村木 子
をそれぞれ別様にするのである︒すな ね ち︑ 真 理 に対する客観的な態度と主体的な態度である︒ 真理に対する客観的
態度とは︑真理と自己との関係が 磁 とそれとい ぅ二 一人称的な関係を基礎にしているときの︑自己 の 真理に向かう態度
である︒自己をも含めたすべてを対象化して認識 する立場である︒これに対して真理に対する 主 体 的態度とは︑真理
と 自己との関係が我と 汝 という二人称的な人格 論 的関係を基礎にしているときの・自己の真理に 向かう態度である︒
真理と自己の間に人格的な信頼関係が成立して おり︑したがって自己は真理を内面的に自己のも のとして同化しよ う
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