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半合成アミノ配糖体系抗生物質

7 | 各論

7.1.5  半合成アミノ配糖体系抗生物質

耐性菌に対するアミノ配糖体系抗生物質の化学的修 飾のアプローチは、二つに分けられる。一つは耐性菌 の不活化酵素に攻撃されやすい 3'-OH 基などの官能基 を除去することであり、この方針に従って半合成され たのがジベカシンである。もう一つの方向として採用 された化学修飾は、既存のアミノ配糖体系抗生物質の 1 位アミノ基に HABA などのアミノ酸あるいはエチ ル基を結合することにより、耐性菌の持つ不活化酵素 の結合サイトへの接近を、立体的に阻害することであ る。この方針に従って最初に合成された物質がアミカ シンであり、いずれも日本の研究者により発見・半合 成された。

<ジベカシン>

R 因子大腸菌の耐性機構を明らかにした後、梅澤は 兄である慶応大学教授梅澤純夫と協力し、この耐性菌 の影響を受けないカナマイシンの合成検討を開始し た。3'-OH がリン酸化されることで不活化することか ら 3'-OH を、あるいは 3' 及び 4'-OH の両方を同時に 取り除く方法が検討され 1969 年に 3'-OH を除去した カナマイシンおよび 3' 4'-OH を除去したカナマイシン B が合成された20)。両物質は期待通りに耐性菌を抑 え、同時にリン酸化酵素を持っていた緑膿菌にも効果 を示した。その後、3'4' ジデオキシカナマイシン B は 明治製菓によって工業化されジベカシンとして 1975 年に発売される。

図 7-1-15 ジベカシンの工業的製法

ジベカシンの工業的製法については「プロセス化学 の現場」21)に詳しく述べられている。筆者も 1971 年 から 1974 年にかけて、ジベカシンの工業化に関係した のでその時の経験について話してみたい。のちに工業 的製法は、より効率的な合成法に変更されるが、1971 年時点では図 7-1-15 に挙げたような全 11 工程に及ぶ 製造法であった。このように合成工程が長い場合、反 応条件の最適化を図ることはもちろんであるが、各工

程後に沈殿化、ろ過、乾燥などの後処理工程を必要と するため、規模にもよるが最終工程に行き着くまでに はかなりの日数を必要とする。またスケールを上げる ごとに異なった規模の設備が必要とされる関係で、川 崎研究所、横浜研究所および淀川工場の別々の合成設 備を使って作業を行う必要があった。このため、各セ クションから合計で 15〜16 名程度の担当者が選出さ れ、交互に出張しあい作業にあたった。まとめ役はこ の連合組織について自画自賛していたが、実際に現場 で作業した人間からみれば、各組織の性格が異なるた め協力体制を作るのは容易ではない。唯一はっきりし ていたのは、収率さえ上げればこの製品が上市され、

それなりの利益を上げることが出来るだろうという共 通認識だけだったように思われる。このような場合、

目標がはっきりしていることは何よりである。

この当時、化学反応の進行度の判断は薄層クロマト クラフィー上での目視が唯一の方法であった。それで も導入時の収率が 2〜3%であったものを、3 年後には 20%弱にまで向上することに成功した。あくまで噂だ が、新しい合成工場が建つという程の利益を上げたと 言われている。高速液体クロマトグラフィー(HPLC)

が比較的低価格で購入可能となり、各工程の反応過程 の確認が定量的に行えるようになるのは数年後のこと である。

図 7-1-16 ジベカシン

工場での合成検討が開始された 1973 年頃、ある合 成ロット以降、急に原末の毒性が高まったことがあり その原因が不明であった。今より管理の緩い時代で、

自分のノルマを果たせば残り時間は自由な研究が出来 た。たまたま最終工程のイオン交換樹脂からの溶出条 件を検討していた時、今までより少しテーリングが長 いと感じたので何か別物質が混入しているのではと思 い、勝手に X 物質と名付け単独で単離と構造決定を 試みた。最終的にこの微量物質は合成工程の途中で副 成される 2- デオキシストレプタミン 5 位の OH 基が 脱離した 5- デオキシ体であり、その混入が毒性の高 まる原因であることが判明するのだが、それまで分析 機器と言えば UV(紫外分光光度計)か IR(赤外分

光光度計)しか知らなかった筆者が、参考書と格闘し ながらではあるが、当時まだ珍しかったバリアン社製 の 60MHZの NMR(核磁気共鳴装置)を使って副成 物の構造決定に行き着いた時は、今までとは違った新 しい時代が来ているように感じた。

<アミカシン>

1971 年にバクテリアの培養液から単離されたブチ ロシンの構造解析をした結果、リボスタマイシンの 1 位アミノ基に HABA 基が結合していることが明らか になった。この物質はリボスタマイシンより強い抗菌 力を持つと同時に、カナマイシン耐性菌に対しても強 い抗菌力を示した。その後の検討により、1 位に導入 された(S)-4-amino-2-hydroxybutyryl 基(HABA 基)

が、耐性菌による 3' 位のリン酸化酵素反応を障害す ることが明らかとなり、既存の様々なアミノ配糖体 系抗生物質に HABA 基の導入が試みられた。その中 で、カナマイシンの 1 位に HABA 基を導入したアミ カシン(BB-K8)がブリストル万有製薬研究所の川口 洋らによって合成された22)。アミカシンは感受性菌 に対しても原料であるカナマイシンより少し強い抗菌 力を持つうえ、立体的な配置が他の不活化酵素反応に 対しても障害となり、リン酸化酵素を産生するカナマ イシン耐性菌に有効なだけでなく、ゲンタミシン、ト ブラマイシン、ジベカシンなどを不活化する酵素にも 抵抗力を持っていた。また、その腎毒性、聴器毒性は アミノ配糖体の中で最も弱いものの一つである。ちな みにカナマイシンは 4 つのアミノ基を持つが、HABA 基が 1 位以外のアミノ基に導入された場合には、その 抗菌力はカナマイシンの数%以下に低下する。また、

HABA 基の(R)体では、たとえ 1 位に導入しても、

(S)体の 1/4〜1/15 の抗菌力を示すに過ぎない23)。 アミカシンは 1977 年に万有製薬から発売された。

図 7-1-17 アミカシン

<ネチルミシン>

本剤はシソミシンの 1-N- エチル誘導体であり、米 国シェーリング社の J.J. Wright により 1976 年に合成

され24)、1986 年に上市された。1 位のアミノ基にエ チル基を導入することによりアミカシンと同様に耐性 菌に対する抵抗性の改善が見られた。同時にシソミシ ンに比較して聴器毒性と、腎毒性が改善されている。

図 7-1-18 ネチルミシン

<イセパミシン>

イセパミシンは、米国シェーリング社によりゲンタ ミシン群の一成分であるゲンタミシン B のアミノサ イクリトール 1 位のアミノ基にイソセリン(3- アミ ノ -2- ハイドロキシプロパノイル基)を導入すること によって創製されたアミノ配糖体系抗生物質であり その抗菌スペクトルはゲンタミシンと同等である。腎 毒性、聴器毒性ともにアミカシンより弱いとされ、神 経・遮断作用もアミノ配糖体系抗生物質のなかで最も 弱い部類に属する25)。日本では、1988 年 4 月に発売 された。

図 7-1-19 イセパシン

<アルべカシン>

アルべカシンは 1973 年微生物化学研究所の近藤信 一らによってジベカシンに続いて合成されたジベカシ ンの 1-N-HABA 誘導体である。本剤はアミノ配糖体 修飾酵素である APH(3')、AAD(4')および APH

(2'')、AAC(3)に安定で26)、それらの耐性菌の発育 を阻止し、緑膿菌を含むグラム陽性・陰性菌に対し広 い抗菌作用を示したが、その開発は著しく遅延してい た。しかしながら、本剤は感受性のブドウ球菌のみな らずその耐性菌にも強い抗菌力を示したので、当時深 刻な院内感染症として問題になり始めた MRSA(メチ

シリン・セフェム耐性黄色ブドウ球菌)感染症に対す る臨床試験が行われ、1990 年 MRSA 感染症(敗血症、

肺炎)を適応として承認された27)。アルべカシンは各 種アミノ配糖体系抗生物質不活化酵素に対して抵抗性 が強く、ゲンタミシン、アミカシン耐性菌の一部にも 強い抗菌力を示す。表 7-1.2 に各種アミノ配糖体系抗 生物質の修飾酵素に対する作用を示す。

図 7-1-20 アルベカシン

表 7-1.2 各種アミノ配糖体系抗生物質に対するアミノ配 糖体修飾酵素の作用(抗生物質大要から改変28)

ペプチド合成試薬

ペプチド合成は 19 世紀後半から徐々に進展してき ていたが、1932 年の Bergmann らによるアミノ保護 基ベンジルオキシカルボニル基(Cbz 基)の開発が 一つの転機になった。これは接触還元という穏やか な操作で除去されることが示され、それまで不可能 とされてきた複雑なペプチド合成も可能になった。

Cbz 基は条件によってアルコール性の水酸基、フェ ノール水酸基の保護基としても使われる。さらに 1950 年頃より様々なアミノ保護基、カルボキシル保 護基が開発され始めた。NMR などの分析技術の発 展により、構造決定が迅速に正確になされるように なったことに加え、その当時開発され始めた様々な アミノ酸、ペプチド合成試薬の応用により比較的穏 やかな条件での化学修飾が可能になったことが、ジ ベカシン、アミカシンなどを始めとする様々な半合 成アミノ配糖体系抗生物質の開発・発展に多大な貢 献をしたと考えられる。