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マレーシア,シンガポール(6・7月) りそうになってきた。

サラワク州首相のNingkan氏は, 先月クチンとクアラノレンプールの間で、非常に複 雑な人の往来があった結果,解任されてしまった。かれは現在のこの解任の合法性を めぐって訴訟を起している。

同氏失墜の詳細は不可解なことや不合理なことでみちている。たとえば20人のサラ ワク州議員がクアラノレンプールに渡って同氏に対する不平をならべたり, またラーマ ン氏は, 最初は首相として,次には再考のすえ連合党指導者として公けの声明によっ てNingkan氏の辞任を要求したり, かれの行動について暴露を行ない, そして最後 にはサラワク知事を介して12時間の猶予をったえる最後通牒を渡したりした。

サラワクは多人種州、|であり, ここでの原住マレ一人は相対的に少なく(78万人中の 13万7000人〉,しかもマレ一半島のマレ一人との結びつきも遠いものである。一方中国 系人口は24万3000人と大きく, また自己流を尊ぶイパン族の支配する非マレ一人原住 民もいる。最後のRajaたるBrookeが第2次大戦後サラワクをイギリス政府に手渡 した時には暴動が起り,第2代英人知事は殺害されてしまった(1949)。サラワクがマ レーシア加盟を決定した時にはこのようなことは起きなかった。 しかし親マレーシア 的連合政権が勝利した選挙は直接投票の結果ではない。サラワク人口は広く分散し,

川やジャングノレによって孤立しているため, 1963年には選挙名簿が間に合わず, 代り に複雑な3段階方式がとられた。

その結果サラワク連合党の長となったのがNingkan氏である。 かれは元教師で第 2省に強い支持者を有しまた中国入社会とも協力する能力をもっている。かれの政党 Sarawak National Party (Snap)は連合党内のもうひとつのイパン族政党たる Pesaka Anak Sarawak (Pesaka)よりも小さい(州議会42議席中Pesaka15,  Snap 12)。しか

しNingkan氏は連合党内の中国人グループ,すなわち SarawakChinese Association  の支持を得るのに成功したのである。

選挙後もかれは中国人と密接に一一ある人によればあまりに密接に一一協力しつづ けた。ラーマン首相が奥の手としてもっていたのは, Ningkan氏がサラワクの豊かな 森林資源の開発権を中国入社会に与えてひいきしようとしていた,ということである。

中央政府が耐え難たいと思ったもうひとつは, かれがイギリス人を好んでいることで ある。 しかし今日サラワクにはイギリス人官吏は僅か200人ぐらいしかいない。植民 地時代にはその数の3倍か4倍もいたのである。 もっとも財務長官と州務長官は共に イギリス人で, Nikan氏は中央政府の更迭要求に抵抗していたと伝えられる。

(注〉 この 2人は 8月には退官することになった。

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マレーシア(6

7月〉 クアラノレンプーノレの政治家たちはNingkan氏がイギリス人官吏に押えられていると 信じ, またイギリスの影響力がいろいろな問題に表われている。と考えている。その ひとつは英語を国語たるマレ一語に変えるというものである。 この変更は1973年まで は起りそうもない。中央政府はサラワク人の90%がマレ一語を話せると主張している が,これは不人気な変更なのである。

言語問題と官吏マラヤ人化問題についての不和はSnapと親マレーシア的Pesakaと の間の分裂の部分的原因のようである。今夏,対決が終了しそうになるや,緊張は新 しい事態に発展したようである。最初の反応はサパ,サラワクに!駐留する英軍を1万 人近く撤退させ,マレーシア軍を新しく駐留させるというものである。イギリス政府 はこの要請にすぐにでも従うだろう。 しかしある種のサラワク人ナショナリストの眼 にはイギリスの撤退は心配のもうひとつの種である。マレーシア軍のなかで、ボルネオ 州で募集して作った軍隊は3大隊(所謂マレーシア遊撃隊〉しかない。 したがってサ

ラワクの防衛となると, かならずマラヤ本土の出身兵が来ることになる。

Ningkan氏は中央政府の防衛計画に反対したが,ラーマン首相やその同僚たちはこ れを最後のものと考えた。後継者PenghuluTawi Sliはイパン族, Pesaka党員で,

より協力的と考えられるQ また一方中央政府は経済援助額をふやすことによってサラ ワク世論にこびる計画のようであるO しかしこれらの動きは,これ以上トラブノレが起 らないということを必らずしも意味するものではない。 Ningkan氏が訴訟で勝っかも しれないということの他に, かれはサラワク中国人に広く支持を得ている左翼のサラ ワク統一人民党と協力して,連合党政府の強力な反対者になるかもしれない。

マレーシア日誌(

6

月 〉

3日 V フィリピン,マレーシアを正式承認一一フィリピンとマレーシアとは正式に 国交を回復し, 3日午後マニラで次の共同声明を発表した。

(1)  両国政府は相互に現在の領事館を大使館に昇格する。

(2)  両国政府は63年7月31日のマニラ協定を守り,サパに対するフィリピン の請求権問題を平和的に解決することに同意した。

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マレーシア(6月〉

(3)  両国政府はフィリピン政府の要求する需輸撲滅のため会議をひらくとと に同意するO

(注) 駐マレーシア・フィリピン大使は RomeoBusue氏。氏(もとパキスタ ン大使)で, 駐フィリピン・マレーシア大使は Tan Sri  Abdul  Hamid  bin Haji J umat;氏。

4日 Bruas (ペラ』1M〕補欠選挙一一最近ベラ州Brum;地医選ll'iのYeoh Tat Beng  連合党議員が死亡したことにより同地医で、補欠選挙が行なわれ,次の通り連合党 のChewBiow Chuon氏が当選した。

Chew Biow Chuon周苗存(連合党) 9464票 WonKokWeng黄同栄(PPP) 6426票 Abdul Rahim hin Mat Saleh (PMTP)  3357票

有権者 2万7274人

6 日 Vベナンで植民地時代の遺物を移転一一ベナン州政府は植民地時代の遺物移転 を決定し,手はじめにCaptainLightの像を最高裁の庭からペナン博物館内へう つしたの現在州政府は道路の名称を変更する考えはないが, Geor Townとか Butterworthとかいった名称は変更を考慮中である。

(注) Captain Lightは,東インド会社の代表として17前年にベナン島をケダ 一・スルタンから接収し,イギリスのマレー植民地の第1歩をきづいた人。

V中国人系資本,海外へ流出か?−Khaw住宅建設相(MCA書記長)が発 表したところによると,バンコク会談開催中にマレーシアの中国入金持が金を海 外に送金したとし、うl障が立っており,政府はこれに対して調査を始めている。

現在マレーシアでは,インドネシアと国交回復後に中国人が圧迫されるのでは ないか, との噂が行なわれている。バンコク会談に出席したKhaw住宅建設相 は帰国早々の3日,この噂をやめるよう呼びかけた。 (10日参照)

7日 Vマ政府,バンコクの合意事項を承認一一一マレーシア政府は7日緊急閣議を開 き,さる1日パンコクでラザク副首相とマリク・インドネシア外相との間で達せ られた対決終結にかんする合意事項を承認した。

なおインドネシア国会も同日パンコク会談の結果を承認した。国会議長は閉会 後記者団に「いかなる協定も調印されなかったのだから,会談の成果を国会が批 准する必要はない。最終協定の基礎としての覚書が両国政府間で交換されただけ である」と語った。

Vボルネオの共産ゲリラに大赦か一一ラザ、ク副首相は緊急閣議後次のように語 一( 86 )一 ワ ︼ hv

マレーシア(6月〉 った。

(1)  対決終了後英軍と英連邦軍はサパ,サラワクから撤退せねばならないだ ろう。なぜならこれらの軍隊はマレーシアを外部の侵略から守るためにだけ駐 留しているからである。

(2)  そのさいのわれわれの主要関心事はサパ,サラワク両州の共産主義者た ちの動向であるのとくにサラワクでは数百人の共産主義者がジャングlレに立て こもっている。しかしこれは国内治安の問題で、あり,マレーシア自身の軍隊が この脅威に対処するであろう。政府としてはこれら両州の共産主義撃滅を推進 するまえに,かつてマラヤの共産主義者に示したと同様の降伏条件を示すこと を現在検討している。

8 日 Vラーマン=リー会談一一ーシンカ守ポーノレのLee首相はLim蔵相と共にお日ク アラノレンプールを訪問しラーマン首相,ラザク副首相, Tan蔵相, Ismail内 務 相, Sambanthan建設相らと約的分間会談したの会談後Lee首相とラーマン首 相とは記者会見で次のように語った。

(1)  シンガポールはマレーシアとインドネシアの聞に同支が再開される時に のみインドネシアと外交関係を樹立する。

(2)  シンガポールはマレーシアに対して,インドネシアとの外交樹立交渉の 全過程を通知する。

(:{)  マニシ両国は相互に内政干渉しない。

(4)  マコシ両国は今後とも需按に協力しあって行くが,地域協力が出来あが るにはまだ時間がかかろう。

(5)  (ラーマン〉マフィリンドのことは忘れた方がよい。それは過去と同様 未来にも機能しないだろう。

KOGAM,再会談の必要を声明一一インドネシアのマレーシア粉砕司令部K O CAMは8日夜の会議(スカルノ大統領司会)の後次の声明を出した。

KOGAMは, バンコク会談の結果にはまだ説明と解決を要する問題が含ま れている, と考える。このため今後はスハノレト将軍が必要と考える接触をたも つことになった。紛争はわずか1回の正式会談で解決できるものではない。

9日 V和平の全権はスハルト将軍に一一マリク外相は9日「私の任務は終った。今 後はスハルト陸相がパンコク会談の結果を引き継ぎ,必要な措置をとる全権をに

ぎ、っている」と語った。

10日 Vガザリ外務次官,ジャカルタ到着一−8日夜クアラルンプーノレをたったガザ

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ドキュメント内 アジアの動向 マレーシア シンガポール 1966 (ページ 100-109)

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