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価値判断を相対化する授業

第6章 制度・政策・法・社会的判断を空間的に比較・分析する授業

第1節 価値判断を相対化する授業

―第4学年小単元「芋代官-井戸平左衛門は正しかったのか」-

制度・政策・法・社会的判断を空間的に比較・分析する授業は意思決定学習や価値観形成,判断力 育成を図る学習において,これまで最も多く提案されてきた型の授業である。社会論争問題等,顕在 化した社会問題を取り上げ,異なる社会的判断の背後にある事実認識,価値認識を分析しその価値の 相対化を図るものである。しかしながら,小学校社会科授業においては,一つの「正しい」態度を身 に着けさせるために,事実を特定の視点からのみとらえさせようとする授業が依然として行われてお り,制度や政策をはじめとする社会的判断を批判的に分析する授業の実践例は少ない。特に,小学校 中学年段階において広く行われている,「地域の発展に尽くした人物」を教材とする社会科授業はこの 典型である。これらの授業においては地域の発展に尽くした人物の政策を共感的にとらえさせること で,結果的に,「開発はよいこと」であり,「地域の発展のために尽くさなければならない」というよ うにひとつの価値やとるべき行動を教え込むことになっている。例として奥野裕樹によって開発され た,単元「用水をひく(小野田用水)」の授業実践1)を取り上げ,表 19 に示した。単元「用水を引く

(小野田用水)」は,小野田用水と赤穂用水の開発の事例を取り上げ,比較することで,地域ごとに抱 えていた悩みは違っても先人たちは自分たちのくらしをよくするために,常に工夫して生きてきたこ とを認識させるものとなっている。そのような学習過程を通して,先人の「自分だけのことや今だけ のことを考えるのではなく,みんなのくらしをよりよくするために働くという郷土を思う気持ち」を 理解させることが単元のねらいとなる。

表 19 単元「用水をひく(小野田用水)」

(1)単元の授業計画

第 1 次 「どこから田んぼの水はきているの」 (2 時間)

第 2 次 「用水路の工事はどのように行われたの」 (1 時間)

第 3 次 「用水路の見学に行って自分の目で確かめよう」 (5 時間)

第 4 次 「先人の思いと当時の社会についてまとめよう」 (1 時間)

第 5 次 「他の事例への応用(赤穂上水)」 (2 時間)

(2)本時(「他の事例への応用(赤穂上水)」の授業計画 ①目標

他の地域でも土地を開き水を引く工事を行った先人には,自分だけのことや今だけのことを考える のではなく,みんなのくらしがよくなるために働くという郷土を思う気持ちがあったことを理解する。

②本時の授業仮説

地域ごとに抱えていた悩みは違っても先人たちは,自分たちのくらしをよりよくするために,常に 工夫して生きてきたという共通の考え方があったという習得内容を活用することで,先人の郷土を思 いよりよい生活に対する願いの深さを理解することができる。

③本時の学習指導過程

段階 主な発問 予想される発言・思考 指導上の留意点 資料 事

例 提 示

○なぜ赤穂上水は大変 な工事にも関わらず 行われたのだろう か。

□きっと小野田用水と同 じようにして,人々の 強い願いがあったから である。

昔の生活の問題点に着目 させて,工事の必要性を 理解させる。

・赤穂上水 に関する 地形図や 写真等

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しかしながら,本研究は政策判断に関わる授業を行う上で人物学習が不適切である,と主張するも のではない。具体的な事象を通して社会認識形成を行っていく小学校段階において,人物という具体 的な事物を教材とする社会科授業は有効であると考えるからである。人物学習を通して開かれた社会 認識形成を保障するには,人物の政策に対する一方的な見方を排した上で,複数の見方・考え方を提 示し吟味・分析することが必要ではないか。このような考えに立ち,人物の政策に対する複数の評価 を対象化し,そこに内包される価値判断を分析・吟味することで,自主的自立的価値観形成をめざす 小学校社会科授業を構築した。

比 較

・ 分 析

他 の 事 例 へ の 応 用

○なぜ赤穂水道をつく らなければならなか ったのだろうか。

○工事はどんなやり方 でどのくらいの年月 をかけて行われたの だろうか。

○赤穂上水には,どの ような苦労や工夫が あったのだろうか。

○工事後の人々のくら しはどのように変わ ったのだろうか。

○小野田用水工事のと きと比べるとどのよ うなところが違って どのようなところが 同じであるといえる のだろうか。

○どんな地域にもこの ような郷土をひたく ために努力した先人 は い る と 思 い ま す か。

□井戸を掘っても塩水を薄 めたような,とても飲め る水ではなかった。

□土管をつないで川から水 をひいた。

□3 年かけて完成して 330 年使っていた。

□ろかをしたり,くみ出し ますをつくったりしてき れいな水を得ようとし た。

□飲み水や農業用水が町で 使えるようになってくら しやすくなった。

□小野田用水と赤穂上水を 比較すると,工事のやり 方やくらし上の悩みは違 うけれども,先人が郷土 でよりよくくらしたいと いう考え方は同じではな いか。

□自分の生まれ育った郷土 を思う気持ちや子孫のた めに土地を改良したいと いう考え方は同じではな いか。

□それぞれの地域で異なる やり方で努力した先人は いたと思う。

□地域でかかえる問題はち がっても課題を解決した いという願い・気持ちは 同じだということがわか った。

・小野田用水を調べた「具 体的なやり方や苦労」,

「工事後の人々のくら し」,「工事に対する先人 の願いや考え方」の3つ の視点においてどのよ うなことを行ってきた かを資料やノートを基 に振り返りながら,自分 の考えの根拠にするよ うに支援する。

・3つの視点について,子 どもの予想に対応した 部分の事実を示す。

・具体事例を取り除いた概 念的知識の表現の獲得 を支援する。

・他の地域での具体的事例 を地域の特徴とともに 提示し,子どもたちの概 念的知識の習得状況を 確認する。

・ 赤 穂 上 水 工 事 に 関 す る 具 体 物 や 歴 史 資料

・ 赤 穂 上 水 工 事 に 関 す る 詳 し い 説 明 を 行 っ て い る資料等

・ 小 野 田 用 水 の 工 事 で 学 ん だ ノ ー ト や 成果物(の 活用)

小野田用水を開発した先人の願いは,赤穂上水の工事をした先人の願いと比べて同じな のだろうか。

142 1.歴史学習における価値観形成の原理

自主的自立的な価値観形成を目的とした人物学習を設計する際,服部一秀のザクセン州キムナジウ ムの歴史科の分析2)と溝口和宏の「開かれた価値観形成の論理」の研究3)は示唆に富むものである。

ザクセン州キムナジウムの歴史科は,過去の社会を省みることで現在の社会を見つめ直し,問い直 す社会探究の能力育成(歴史的社会探究力)を意図して,カリキュラムが構成されている。その中で 大きな意義を持つのが,歴史文化探究力である。歴史的社会探究力を内から強化する力としての歴史 文化探究力とは,過去をめぐる社会の営みの様相や立場,構成や作用を通時的対比において,分析・

検討する能力である。過去をめぐる社会の営み(記念碑や史料,神話等)を分析・吟味することで,

当該の社会の価値を相対化することのできる能力といえよう。ザクセン州の歴史科においては,直接 的に価値観形成が意識されているわけではない。しかし,当該社会において「歴史がどのように語ら れているか」分析することで社会的価値を相対的にとらえ,吟味する通時的な社会分析の手法は,政 策評価を通してその背後にある価値判断を相対化する授業の指針となるものである。

溝口は,価値判断規準のより精緻な検討や,異なる規準の対比により,個々の価値観を漸進的に形 成させることができるとし,歴史教育における開かれた価値観形成の方略を示している。それが「相 対化による成長」と「争点の考察による成長」である。社会編成の基盤となる多様な原理の対立を視 点に歴史を読み解くことにより,子どもたちが暫定的に保持する価値的知識を検証し,漸進的に成長 させようとするものである。

過去をめぐる社会の営み,すなわち過去についての語りを分析することで,当該社会の価値を相対 化するザクセン州キムナジウムの歴史科の歴史的社会探究力育成の論理と,当たり前ととらえがちな 既存の社会の背後にある価値を相対化し,他の判断規準と対比・分析・吟味することで価値観を成長 させようとする溝口の開かれた価値観形成の方略は,自主的自立的な価値観形成目指す社会科授業構 成にとって,示唆に富むものである。

そこで本単元では,過去の人物の業績に対する現在に伝わる評価と当時の評価の違いに着目し,そ の背後にある価値判断を対象化し,吟味することで,子どもの自主的自立的な価値認識形成を保障す る小学校人物学習を設計することを試みる。

2 評価の分析・吟味による価値判断の相対化の原理

一つの「正しい」態度を身に着けさせようとする一方的な社会化に対抗し,自主的自立的な価値認 識形成を保障するには,社会が子どもに内面化させようとする価値を一旦対象化して,吟味すること が必要となる。価値は,その社会において確立されている多様な「制度」や「語り」の中に見出すこ とができる。図 23 は語りによる子どもの価値観形成の過程を示したものである。

ある一定の価値が社会に受容されると,その価値は社会成員に対して,「~すべきである」という義 務を課すようになる。これが規範である。「制度」や「語り」を通して規範は行動様式として具体化さ れ,子どもに一定の価値や態度を教え込むことになる。しかしながら,子どもを一定の方向に価値づ けようとする規範を一旦対象化し,その価値を吟味することで,相対的にとらえることができる。意 思決定能力の育成を目的として,人物の政策評価を行う授業実践はこれまでも行われてきたが,その 多くは子ども自身にその評価を行わせるものであった。例えば小原友行は,開国に関わる老中阿部正 弘の意思決定を教材化し,経済,外交,安全保障といった側面を考慮した上で政策評価を行う授業を提 案している4)。しかし評価の背後にある価値を対象化し,吟味できなければ,子どもの自主的自立的 な価値認識形成を保障することは難しい。先に述べた従来の人物学習の問題点を克服するには,子ど