3.2.1 パイオンビームの選択
ビーム中に混ざっているπ+、µ+、e+ からπ+ を選択するため、B1·B2カウンターでのエネ ルギー損失とTime-Of-Flight(TOF) の情報を用いる。TOFは 2.3.1で述べたサイクロトロン
RF(23.1 MHz、つまり周期は43.3 ns)に同期した信号とB1カウンターの時間差を用いているの
で、得られるTOFはビームが発生してからB1カウンターまでの時間を1周期の43.3 nsで割っ た値となる。図3.4の左図はB1カウンターでのエネルギー損失とTOFの相関図である。また、
図3.4の右図はB2カウンターでのエネルギー損失である。
図3.4 左図:B1カウンターのエネルギー損失とTOF(43.3ns)の相関図。赤色で囲まれた部分 を用いる。 右図:B2カウンターでのエネルギー損失。赤線で囲まれた範囲のビームを選択する。
なお、2011年にTOFの計算方法が変わったので全データに対応するため、TOFのカットの値 を図3.4のように設定している。
また、検出器の中心にヒットするパイオンビームを選択するために、WC1とWC2によるパイ オンビームの位置選択を行う。もしパイオンビームが検出器の中心にヒットしなければターゲッ ト中でパイオンが止まらないので、その事象はバックグラウンドとなるからである。ターゲットの 中心にビームをヒットさせるためにWC1·WC2の中心にビームがヒットすることを要求する。図 3.5にWC1の位置選択を示す。
図3.5 WC1の位置選択。赤線で囲まれた範囲のビームを選択する。WC2も同様の位置選択を行う。
3.2.2 崩壊後の陽電子の選択
π+がターゲット中で崩壊して生成された陽電子をターゲットの下流側の検出器で計測するが、
π+から崩壊したものではない粒子も存在する。それはビーム中の陽電子やµ+、PDIFによって生 成されたµ+ などであり、それらはターゲットを通り抜けてT1カウンターにヒットしてプロンプ トタイミングでピークを成す。これらの大部分はB1、B2のエネルギー損失やTOFの情報で防が れるが、一部取り残されるものもある。そこで、T1カウンターでの信号がターゲットでの信号と 同時に計測した事象を取り除く。
また、π+がターゲット中の原子核と散乱をおこすと陽子を放出する(π++p+→π++p+:p+は 陽子)。このような陽子はNaIカロリメータに100 MeV以上のエネルギーを落とすこともある。
そのため、この陽子を除かなければならない。陽子はターゲットの下流側の検出器にも大きなエネ ルギーを落とす。図3.6はNaIカロリメータとターゲットの下流側の検出器S3、T1、T2中での エネルギー損失のうち最小のものとの相関図であり、高いエネルギーのヒットを除く。
さらに、T1カウンターのライトガイドにヒットした粒子を除くため、T1カウンターへのエネル ギー損失が小さい(0.3 MeV以下)粒子を全て除く(図3.7)。
図3.6 NaIとターゲットの下流側の検出器のエネルギー損失の相関図。赤線より上側をカットする。
図3.7 T1カウンターでのエネルギー損失。赤線が閾値である。
3.2.3 パイルアップの除去
ビームレートは約60 kHzと高いので、プロンプトタイミングに対して-300∼500 ns の間に約 30%の確率でビーム粒子によるパイルアップが起きる。ビームパイルアップ事象を除くため、シ グナルリージョンでB1、B2カウンターの各PMTでのヒット数Nを以下のように要求する。論 理和(∪)を取る理由として、本来はπ+ による1ヒットのみであってもあるPMTに反射やアフ ターパルスを起源としたセカンドパルスが入った場合にその事象が除かれるのを防ぐためである。
また、B1カウンターの全てのPMTでヒット数が1以上あることを要求する。これは時間スペク トラムを作成する際用いるB1カウンターの精度を上げるためである。
なお、π+崩壊後のパイルアップ事象も防ぐため、T1カウンターにも同様のヒット数の条件を要 求する。以下に、B1、B2、T1各カウンターへの要求をまとめる。また、各カウンターの各PMT でのヒット数を図3.8に示す。
• B1: {(NP M T1= 1)∪(NP M T2= 1)∪(NP M T3= 1)∪(NP M T4= 1)}&&
{(NP M T1>0)∩(NP M T2>0)∩(NP M T3>0)∩(NP M T4>0)}
• B2: {(NP M T1= 1)∪(NP M T2= 1)∪(NP M T3= 1)∪(NP M T4= 1)}
• T1: {(NP M T1= 1)∪(NP M T2= 1)∪(NP M T3= 1)∪(NP M T4= 1)}&&
{(NP M T1>0)∩(NP M T2>0)∩(NP M T3>0)∩(NP M T4>0)}
図3.8 B1、B2、T1カウンターの各PMTでのヒット数。黒はPMT1、赤はPMT2、緑は PMT3、青はPMT4を示す。
図3.9はカロリメータへの全エネルギー(EN aI+ECsI)が50 MeV未満、つまりπ+→µ+→e+ 過程の時間スペクトラムである。B1、B2カウンターによるパイルアップカットでビーム粒子によ るパイルアップ事象が除かれているのが分かる。
図3.9 陽電子の時間スペクトラム。左図はB1、B2カウンターでのパイルアップカット前。
RF周期毎にビーム粒子によるヒットが見られる。 右図はB1、B2カウンターでのパイルアッ プカット後。
しかし、2つの粒子が非常に近い間にカウンターにヒットした場合は上記の方法では取り除けな い。そこで、前述の”Q”と”Qw”の比Q/Qwを用いて除く。このカットはB1、B2カウンターの 全てのPMTに適用する。図3.10にB1カウンターのPMT1(以下B1 1)のQとQwの比とQ、 Qwの相関を示しす。パイルアップを起こした事象は図3.10の直線から大きくずれていることが 分かる。
図3.10 左図:B1 1でのQとQwの比(Q/Qw)。赤線より下側がパイルアップしたヒットを 示す。 右図:QとQwの相関図。パイルアップ事象が起こると直線から大きくずれることが分 かる。赤線より上側をカットする。
3.2.4 プリパイルアップの除去
PIENU実験ではビームレートが高く、µ+の寿命も2.2 µsと長いため、ビーム中またはπ+か
ら崩壊したµ+ がターゲットやその周りの物質中に残ってしまうような事象も約30%の確率で起 こる。この残留µ+とπからの信号とのパイルアップを防ぐために、以下のように全てのシンチ レータにプリリージョン(プロンプトタイムの-6.4 µsから-2.15µs(図3.1))で信号がないことを要 求する。プリリージョンでの事象の除去をプリパイルアップカットと呼ぶ。また、このような残留 µ+ を今後オールドミューオンと呼ぶことにする。図3.11にプリパイルアップカット適用前後の π+→µ+→e+ の時間スペクトラムを示す。これを見ると、t < 0の領域のバックグラウンドが約 1/10になっていることが分かる。また、t >0の領域でも事象数が約70%になっているが、これ はπ+µ+→e+とオールドミューオンがパイルアップした事象が除かれたためである。
B1,B2,Tg,T1,T2: (NP M T1= 0)∩(NP M T2= 0)∩(NP M T3= 0)∩(NP M T4= 0)
図3.11 左図:プリパイルアップカット前、 右図:プリパイルアップカット後のEN aI+ECsI <
50 MeVの時間スペクトラム。なお、両者ともにパイオンビームの選択、パイルアップ事象の
除去、崩壊後の陽電子の選択を行った後のものである。
3.2.5 アクセプタンスのカットによる事象選択
崩壊した陽電子はターゲットの下流側の検出器(S3、T1、T2、WC3)を全て通ってNaIカロリ メータに入射しなければならない。そこで、ターゲットの下流側全ての検出器を通るようにWC3 で陽電子のアクセプタンスを決める。図3.12のようにWC3の半径60 mm以下に陽電子がヒット することを要求する。
図3.12 WC3のヒット位置の分布。赤線はアクセプタンスカットを示す。
3.2.6 事象選択のまとめ
これら全てのカットをかけることにより、約75%のバックグラウンド事象が除かれる。また、
最も多くのバックグラウンド事象が除かれるのはセクション(3.2.1)によるビームパイオンの選択 であり、カットをかける前の全事象の約30%のバックグラウンド事象が除かれる。この時除かれ た事象はパイオンではないミューオンや陽電子のビームが入射したものである。次に多いのはパイ ルアップ(セクション(3.2.3))、プリパイルアップカット(セクション(3.2.4))であり、ビームパイ オンの選択と合わせると、約60%のバックグラウンド事象が除かれる。これらのカットをかけた
後、3.2.5のカットをかけると全事象の約35%のバックグラウンド事象が除かれる。
これらの事象選択を行った後に残った事象のNaIとCsIカロリメータで計測された陽電子のエ ネルギースペクトラムを図3.13に示す。π+→e+νeのピークやπ+→µ+→+e の連続スペクトラム が見える。また、70 MeV以上にも事象が存在するが、これは後述するパイルアップ事象により大 きなエネルギーがカロリメータに与えられたものだと考えられる。また、T1·B1カウンターの時間 情報を用いて作成された時間スペクトラムを図3.14に示す。
図3.13 EN aI+ECsI のスペクトラム
図3.14 事象選択後の時間スペクトラム。